この数年、おそらくは2011年以降、出版界というか小説の業界の中で、いわゆる「コージーミステリー」と呼ばれるジャンルの作品が大いに盛り上がっている。いや、これはもう過去形で語ったほうがいいのかもしれない。もはや古いような気がしなくもないが、ともかく、その先鞭をつけた作品は間違いなく『ビブリア古書堂の事件手帖』であろうと思う。
 コージーミステリーって何だ? と思う人は、とりあえずWikipediaでも見てもらうとして、ごく簡単にテキトーに要約すると、日常のちょっとした謎を解き明かす殺人の起こらないミステリー小説のことだ。このジャンルは、実のところ結構以前からあって、なにも『ビブリア古書堂の事件手帖』が元祖と言うわけではない。たしか、10年以上前に、営業部時代の同僚のM君に教えてもらって北村薫先生による「円紫師匠シリーズ」を読んだことがあったのだが、たぶんその作品がいわゆる日常の謎系の元祖なのかもしれない。この「円紫師匠シリーズ」というのは、北村薫先生のデビュー作『空飛ぶ馬』から始まるもので、主人公「私」が落語家の「円紫師匠」と出会い、「私」が遭遇する日常生活の中でのちょっとした「ん?」といった謎を円紫師匠に話すと、円紫師匠はたいていの場合、話を聞くだけで、現場に行くこともなく、「それはきっと……」と謎を解いてあげたり、ヒントを提示してあげたりするようなお話だ。いわゆる安楽椅子探偵に近いものがある。『空飛ぶ馬』に収録されている「砂糖合戦」というエピソードは非常に面白く、作品の方向性を定めた初期の傑作だと思うな。 
 ちなみに、営業時代の同僚M君は、かなりいろいろわたしに小説やコミックのお勧めをしてくれて、この「円紫師匠シリーズ」以外にも、加納朋子先生の『ななつのこ』や『魔法飛行』といった「駒子シリーズ」も、M君に教えてもらって読んだ作品だ。これも日常の謎系ミステリーで、とても面白い。
ななつのこ (創元推理文庫)
加納 朋子
東京創元社
1999-08

 で。わたしは編集者時代に、この日常の謎系はかなり多くの作家に、こういうのやろうよとお勧めしまくっていたのだが、結局作品を作ることができなかった。やっぱりネタ出しがすごく難しいので、編集者としては三流だったわたしには実現できなかったのが残念だが、その後、けっこうある日突然『ビブリア古書堂の事件手帖』が生まれた。見本が回ってきたときに読んで、ものすごく悔しかったのを良く覚えている。ちっくしょー! これは面白い!! こういうのやりたかったんだよなー、と作った編集者を大いに見直したものだ。ただ、確実に10万部はいけるとは思ったものの、これがまさか、あっという間に100万部を突破する大ヒットになるとは思ってもいなかった。この大ヒットでMW文庫というレーベルは大きく成長していくことになるが、MW文庫だけでなく、日本出版界のとりわけ書き下ろし文庫業界では、次々と似たような、日常系ミステリー花盛りとなったのである。今、本屋さんに行って文庫売り場に行くと、なんともまあ、カバーイラストがMW文庫のような作品の多いことか。おまけに日常系ミステリーも非常に数多く出版されている。まったくもって、なんともまあ、という状態である。

 そんな中で、先日、今年の冬アニメをチェックしていたところ、なんと、角川文庫の「ハルチカシリーズ」がアニメ化されることを今更知った。あ、マジか、アニメになるんだ、ふーん……とちょっと感慨深く思った。実はこの初野晴先生による「ハルチカシリーズ」は、『ビブリア』よりもぜんぜん前の2008年に出版されていて、文庫化されたのが2010年だったと思うが、日常の謎系小説としてちょっと注目していた作品だった。わたしがチェックした当時は、同じく日常の謎系である米澤穂信先生の「古典部シリーズ」でおなじみの『氷菓』に比べると、全然売れていなかった印象だが、いつのまにか、アニメ化されるまで成長していたことに素直に嬉しく思った。ごめん、全然知らなかったよ……。
 というわけで、この「ハルチカシリーズ」も電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERにて半額で売っていたので、久しぶりに読んでみることにした。実はわたしは、第1作の『退出ゲーム』しか読んでいなかったので(しかも文庫じゃなくて、最初に発売になった当時の単行本で読んだ)、この期にシリーズ第2作『初恋ソムリエ』と第3作『空想オルガン』まで、3作品をとりあえず買ってみた。
退出ゲーム (角川文庫)
初野 晴
角川書店
2010-07-24




 
 物語は、とある高校の弱小吹奏楽部に入部した穂村千夏(チカ)という女の子と、その幼馴染で、美形で頭脳明晰で男が好きな上条春太(ハルタ)という男の子が校内で起こる事件を解決していく話である。構図としては、チカがワトソン君で、ハルタがシャーロックである。 なお、チカはワトソン君なので、事件を解決するのはシャーロックであるハルの手柄で、チカは基本的に常識人としての突っ込み役である。どうでもいいが、この二人は、そろって顧問の日下部先生が大好きで、男・女・男というアブノーマルな三角関係にある。ハルタは、チカにとってはにっくき恋敵なのである。そんな部員の少ない吹奏楽部に、部員をスカウトしたい二人が、校内にいる、吹奏楽の経験者なのに、吹奏楽部に入ってくれない「わけあり」な生徒がいたり、変人の生徒会長や、「ブラックリスト十傑」と呼ばれる変人たちがいて、そのわけを解き明かして吹奏楽部の仲間に加えたり、変人の謎を解いていくのが、この1作目の大きな流れである。
 基本的には短編連作の形をとっており、この『退出ゲーム』は4話構成になっている。
 『結晶泥棒』・・・文化祭賑わう校内。そんな中で、科学部の展示品が消えた。劇薬にもなるその結晶の行方を追うハルとチカの紹介的エピソード。このトリックはそもそもの、とある知識がないとわかりっこない。当然わたしも見抜けなかった。
 『クロスキューブ』・・・オーボエ奏者として腕の立つ女子をスカウトする話。オーボエを辞め、吹奏楽から遠ざかった彼女が突きつけた、吹奏楽部に入る条件をハルとチカが解き明かしていく。
 『退出ゲーム』・・・サックス奏者として腕の立つ、演劇部の幽霊部員である男子をスカウトする話。もう一度サックスを手にとってもらうために、演劇部と対決するハルとチカの即興劇バトル。
 『エレファントブレス』・・・変人生徒会長からの依頼を受けたチカ。ブラックリスト十傑の発明部の兄弟の発明品を買ったのは誰かを探す話。そしてどうやらその「誰か」は、トロンボーン奏者らしく……というこのエピソードは、「音」と「色」の関係性について面白知識が披露されていて、非常に興味深いというか知らなかったことなのでちょっと興奮した。実に面白い。そして、最後はちょっと泣かせてくれる。

 というようなお話で、この『退出ゲーム』はハルとチカが1年生が終わるところまでを描いている。実のところ、この作品はライトノベルと言っていいだろう。わたしのライトノベルの定義はただひとつ。主人公が10代の若者だと言うことだけだ。だから、わたしにとっては、この作品はライトノベルそのものである。
 キャラクターの造形もよく、物語も面白い。登場するキャラクターの変人振りなどはとても漫画っぽさもある。このシリーズが、変にふざけた、薄っぺらなイマドキアニメにならないことを祈りたい。

 というわけで、結論。
 結構面白い。現状、シリーズは5作あるのかな。まあ、順番に読んでみるとします。

 ↓ シリーズ最新作。出たばかりなので、単行本しかない。残念ながら文庫になるまで買えない……かな。
惑星カロン
初野 晴
KADOKAWA/角川書店
2015-09-30