2020年01月

 ミュージカル『Cats』と言えばファンが多く人気の演目で、日本では劇団四季による専用劇場など、日本でも大変お馴染みなわけだが、わたしは去年の3月に、初めてその劇団四季による舞台を観に行くことができた。
 わたしは、それほどファンがいっぱいいて、超ロングランをしているのだから、そりゃあもう、すげえ感動大作なのだろう、と、わくわくして劇場へ向かったのだが、観終わってみると、たしかにそのパフォーマンスや歌は超すごく、その点では大満足ではあったものの……物語に関しては、ちょっとよく分からないというか……ちょっとびっくりしてしまったのである。ズバリ言うと、物語がないのだ。
 ないってのは言い過ぎかな、ええと、説明すると、猫たちの舞踏会があって、その中から「天上へ昇り新たな生を得る」猫を選ぶ、という大枠があって、数々の猫が、われこそは「ジェリクル・キャット」なり! といういわばプレゼン大会という感じで、一人一人の猫が歌い踊って、自分をアピールしてゆくのである。なんつうか、「猫の紅白歌合戦」的な感じなんだな。
 なので、実はわたしは劇団四季の『Cats』を観ても、それほど感動はしなかったのだが、数々の歌やダンスはもう本当に超一流で、そこには「すげえ!!」という感動があるんだけど……お話自体がなあ……てなことをわたしは感じだのである。
 というわけで、そんな全世界的にファンが大勢いる『Cats』が、この度映画となって登場することとなった。しかも監督は、あのミュージカル『Les Misérables』を完璧な映画として撮りあげたTom Hooper氏である。コイツは絶対観ないとダメだ、というわけで、さっそく観てまいりました。
 まあ、結論から言うと……上から目線で言わせてもらうと、悪くない、とは思うし、非常にハイクオリティな作品だったと思う。物語性も、少し舞台版よりも分かりやすくなっているような気はする。が、やっぱりライブの、生の舞台で観るべき作品なのではなかろうか、と強く思った次第である。なんつうか……スクリーンだと各猫の想いというか、猫たちの心のパワーが弱まるというか、生の舞台の方が強く、ダイレクトに響くような気がするすね。当たり前かもしれないけど。

 まあ、映画として、CG補正を用いたビジュアルイメージになるのは当然のことだろう。実のことろ、本作は去年既にUS公開されていて、結構ヒドイ批評ばかりで、興行成績も全く振るわず、結論として失敗作という烙印を押されてしまっている。どうもその批評の大半は、ビジュアルイメージの「不気味さ」をあげつらっているようだが、わたしは全く気にならなかった。だって、劇団四季Verで観ているので、最初から「そういうもんだ」と知ってるし、むしろそのCG猫たちの可愛らしさには、すげえ!! と称賛したいぐらいだ。また、物語が「猫たちの紅白歌合戦」であっても、最初から知ってるし、急に歌い出すのはミュージカルなんだから当然で、この点は、普段ミュージカルを見慣れているわたしには全く何ら問題ない。なので、ある意味本作は観客を選ぶかもしれないとは思う、が、だからと言ってダメだなんてことは全く思わない。とにかく、各キャストの「猫」ぶりは見事ですよ。もっふもふで、毛皮の質感はハリウッド最強レベルだと思う。
 しかし、だ。劇団四季Verや舞台Verであった、「劇場に入るところからもうワクワクしてくる」あの感動は、ズバリ、ない。劇団四季の専用劇場は、「ゴミ捨て場」を劇場そのものが表現していて、なんかもう、入った瞬間からドキドキしてくるのである。さらに、真っ暗になって猫の目がいっぱい光り、あの「チャララチャンチャチャン」の曲が始まる時の、あのオープニングの興奮も、残念ながら本作映画版では薄い。そういう意味で、「体験」としての興奮は、どうしても生の劇場で感じるものの方が上手であろうとは思う。こりゃもうしょうがないよな。
 ただ、本作映画版で、わたしが一番良かったと思うのは、観客と同じ目線で、何が起きるんだろう、次の猫はどんな猫なんだろう、と一緒になって物語を追う、ある種の狂言回し的な役割りも担う新入り猫「白猫ヴィクトリア」が超可愛い!!点だ。そしてダンスが超最高!なのです! 
 というわけで、各猫たちをメモして行こう。
 ◆白猫ヴィクトリア:演じたのはFrancheska Haywordさん27歳。超しなやかかつ超キュート! イギリス王立バレエ団でお馴染みThe Royal Balletのプリンシパルダンサー。人間にゴミ捨て場に捨てられて、戸惑っていたところを先輩猫たちに救われて(?)、これから一体何が起こるの? と好奇心旺盛な可愛い顔で物語を追っていく存在。やっぱり、バレエダンサーというのは、ダンサーの中でも完全に別格、その美しさは最強でしょうな。歌も大変お見事でした。とにかく可愛い! と、わたしは思うのだが、まあ、わたしは猫と暮らしているので、猫に対してひいき目はあるとしても、そう思えない人はこの映画を観てもほぼ意味がないと思います。
 ◆手品猫ミスター・ミストフェリーズ:白黒猫で、顔が見事な八割れ君。若干自分に自信なしな感じで、やや大人しいけれど、ヴィクトリアを何かと構う優しい雄猫。演じたのはLaurie Davidson君27歳。彼はバレエの経験とかはないみたいだな……。
 ◆マンカストラップ:猫たちの若きリーダー的存在のキジ猫君。ヴィクトリアを守ってあげる頼れる兄貴。演じたのはRobbie Farichild氏31歳。とても猫でしたな。非常にいいと思います。
 ◆長老猫オールド・デュトロミー:「ジェリクル・オブ・ジェリクル」を選定する長老。舞台Verではおじいちゃんだったと思うけど、本作映画版ではおばあちゃんでした。何気によく歌う。そして本作で演じたのは、イギリスが誇るおばあちゃん、Judi Denchさん85歳。非常にお達者ですなあ。歌も歌えたんすね。お見事です!
 ◆バストファー・ジョーンズ:太鼓腹のセレブ猫。ジェリクル候補。演じたのは、歌えるデブことJames Corden氏41歳。クセが強いんよ……。大変芸達者なお方ですな。
 ◆ジェニエニドッツ:太ったおばちゃん猫。ジェリクル候補。日がな一日寝てばかりだが、夜になるとネズミ隊とゴキブリ隊の調教に大忙し。あの、ネズミとゴキブリまでCGで人間の顔をつけると、やっぱりチョイとキモイすね。演じたのはRebel Wilsonさん39歳。あれっ? 意外と若いな……。ああ、そうか! 『Pitch Prefect』のファット・エイミーか! 全然忘れてた!
 ◆劇場猫ガス:本名アスパラガス、だけどガス、と呼ばれるおじいちゃん猫。ジェリクル候補。演じたのはマグニート、あるいはガンダルフでお馴染みIan McKellan氏80歳。この方も歌えたんすねえ……。なんか、舞台版だともうチョイ元気だったような気がするけど、映画版ではもう相当よぼよぼしてました。
 ◆ラム・タム・タガー:イケメンプレイボーイ猫。ジェリクル候補(?)。ロックンローラー的で、雌猫たちを侍らせる俺様系のニクイ奴。演じたのは歌手というべきなのかな、Jason Derulo氏30歳。若いなコイツも。舞台版では非常に目立つけど、映画版ではパフォーマンスシーンがあるだけでした。
 ◆鉄道猫スキンブルシャックス:列車のマスコット猫として多くの電車に乗ってきた鉄道猫君。ジェリクル候補(?)。その歌はもう最高で、ちょうど先週、WOWOWで井上芳雄氏がスキンブルシャンクスのテーマを歌うのを観ていたので、わたしとしてはもう、足でリズムを取りたくなったすね。タップダンスも超見事でした! ただし本作映画ではラム・タム同様パフォーマンスシーンで目立ってただけかも。演じたのはSteven McRae氏34歳で、どうやらこの方もThe Royal Ballet のプリンシパルのようです。歌もダンスもマジで超最高でした。
 ◆マンゴージェリー&ランペルティーザ:泥棒猫コンビの二人。悪い子ですよこのコンビは。演じたのは、Danny Collins氏とNaomih Morganさんというお二人だが、あまり情報がないので省略。Naomihさんは超美人すね。
 ◆マキャビティ:犯罪猫。悪いヤツ。ジェリクルの座を射止めようと様々な悪さを企む。演じたのはMCUのヘイムダルでお馴染みIdoris Elba氏47歳。ええ、うそ、この人オレより年下かよ! マジか! 非常に存在感のある悪役ですが、ラスト、あそこから君は無事に降りてこられてのかな。可愛い声で、降ろしてニャ~ン! とか泣いてる姿を想像して、ちょっと微笑ましく思ったす。元々Idoris氏はイケボですが、歌も大変結構なお点前でしたな。
 ◆ボンバルリーナ:本作映画版ではマキャビティの手下のセクシー雌猫。この子も悪い子ですよ。舞台Verでは、ディミータという雌猫と仲良しなのだが、映画版ではディミータはその他大勢のうちの一人(?)になってました。わたしが舞台Verで一番気に入ったのはディミータだったんだけどな……。ともあれ、ボンバルリーナを本作で演じたのは、世界の歌姫Taylor Swift嬢30歳で、大変セクシーかつ極上の歌とダンスはさすがでありました。
 ◆グリザベラ:娼婦猫、だけど、本作映画版では娼婦の設定はなくなってたのかも。彼女が、誰もが知ってるあの歌、「メモリー」を超切なく歌う猫ですな。本作で演じたのは、これまた歌姫Jennifer Hudsonさん38歳。いやあ、素晴らしい「メモリー」でしたなあ……! 非常にグッと来たっすね!

 とまあ、メインは以上かな。監督は冒頭に書いた通り、Tom Hooper氏なわけだが、『Les Misérables』を撮った時は、歌を別撮りにせず、歌いながらの演技をそのまま撮影したことでも有名だけど、本作もそうだったのかはよくわからんです。でも完璧に口と歌があってたので、今回もそうだったかもしれないすね。これ、日本語吹替版も上映されていて、キャストも豪華でそっちも気になるけれど、どうしても吹替だと口と歌が合わないわけで、その辺はどうなんだろうな……。。

 というわけで、もう結論。

 ミュージカルの名作と呼ばれる『Cats』が映画となって公開されたので、ミュージカル好きなわたしとしては絶対観るべし! というわけでさっそく劇場へ行ってきたのだが、たしかに演者のとても見事なパフォーマンスは感動ものだし、なにかととやかく言われているCG猫たちにも、わたしは全く違和感なく受け入れられたし、むしろとてもかわいいとさえ思った。のだが、やっぱり、比較しちゃあいけないかもしれないけれど、パフォーマンスからあふれ出るパワーのようなものは、生の舞台版の方が上だと思うし、やっぱり、ダイレクト感が比べ物にならんと思うすね。実際のところ、そんなことは当たり前で、映画の企画の当初からそれは誰しもわかっていたことだと思う。それでもなお、映画にしようと思ったのは何故なのか……それはわたしには良く分からんけれど、少なくとも、世間的な低い評価はちょっと不当だと思う。物語的にも、本作映画版はきちんと分かりやすくする努力もしているし、その点では舞台版よりいい点ではなかろうか。まあ、基本的に本作は猫が好きな人じゃないとアカンと思うすね。猫たちは大変可愛く、実際猫でした。わたし的にはこの映画、十分アリ、です。以上。

↓ こちらは舞台版の映像化っすね。でもまあ、とにかく生の劇団四季を観に行くのが一番いいと思います。
キャッツ (字幕版)
ジョン・ミルズ
2013-11-26



 いつものセリフで恐縮ですが……
 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King大先生である!!
 というわけで、ここ数年、再びKing大先生の作品が映画化されるのがちょっとしたブーム?のような気がするけれど、その流れの一環として、かつてかなりなB級映画として製作されたことのある、あの作品が、最新Verとして再映画化される日がやってきました!
 その作品とは、King大先生の作品でも比較的初期作品である『PET SEMATARY』であります! ちなみに「Semetary」が英語として正しい綴りで、本作が「Sematary」となっているのは、子供がつづりを間違えたという設定のためで、そもそもの原作小説も「Sematary」だし、文春の日本語版も「セマタリー」と表記されてます。
 というわけで、さっそく観てきたわけですが、なんつうか、やっぱり原作小説とおおむね同じ、だけどラストはまったく違う筋書きに改変されていて、まあ、ズバリ言えば相当後味の悪いBAD-ENDになっていて驚いたす。いや、原作小説もなかなかのBAD-ENDなんだけど……主人公の行動はまるで違うもので、なんか……まあ、観てスッキリはしないエンディングだったと誰しもが思うのではなかろうか。
 ま、原作と違っている点に関しては、まったく構わないけれけど、そうだなあ、確かに、変にきっちりとしたGOOD-ENDに改変してしまうよりは、原作のテイストは込められているのかな。なので、結論としてはアリ、ではある。けど、うーん……まあ、あまりお勧めはできないな……物語的にもアレだし、ちょっといろいろと……映画としてアレでもあるんだよなあ……。。わたしとしては、1989年版の方が、B級感あふれてて好きっすね。

 まあ、物語はこの予告通りと言っていいだろうと思う。
 都会から田舎に引っ越してきた家族。広大な森が敷地内にあって、うっそうとしているが、家からすぐのところに、ビュンビュンとトラックがかっ飛ばしてるような国道(と言えばいのか?)が通っている。ある日、家族の飼い猫がその国道でトラックにひかれて死んでしまう。父は、まだ小学生ぐらいの娘に、命についてまだ教え切れておらず、どうしたものかと思っていると、敷地の隣に住む老人が、森の奥にある、「PET SEMATARY」のさらに奥の、謎の土地に猫の遺骸を埋葬するよう指示する。すると、死んだはずの猫が家に帰ってきた! なんてこった、これは一体!? とか思っていたのだが、戻ってきた猫は邪悪な性格に変わってしまっていた。そしてとあることから次に娘を失くした父は、禁断の地に娘を埋葬するのだった……てなお話です。サーセン、テキトーにはしょりました。
 えーと。まず、ズバリ原作小説との違いは、上記のわたしがまとめたあらすじで明らかでありましょう。そう、原作小説で亡くなるのは息子、末っ子の弟で、本作映画版では娘で、お姉ちゃん方なんだな。観ながらわたし、あれっ!? お姉ちゃんが死ぬんだっけ!? と思って映画館を出た後で原作をパラ読みしたら、確かに小説では息子の方でした。
 でもまあ、上に書いた通り、別にこの改変はまったく構わないと思う。問題は……亡くした子を復活させようとする親の心理、であろう。この点に関しては、実は原作小説でもわたしはイマイチ理解できなかったのだが、本作映画版では、わたしは全く理解できなかった。
 まあ、普通に考えて、そりゃ生き返るというなら、どんな手段も取ってしまうかもしれない。本当にやるかどうかは、ま、単なる思考実験なのでどうでもいいというか結論は出ないけれど、少なくとも物語としては、主人公たる父親に共感はできなかったのが偽らざる感想だ。
 わたしは観ながら、結局これは、キリスト教的な「復活」のイメージなのか、あるいは、アメリカ人が大好きな「ゾンビ」モノの一種なのか、「死者の蘇り」がこれほどいろいろテーマになるってのはどういうことなんだろう? とそのことばっかり考えてしまった。
 実のところ、わたしの愛するKing大先生の小説作品でも、結構「蘇り」はテーマとして書かれているわけで、アメリカ人、だけじゃなく世界中の人々が大いに関心あるいは興味を持っているんだろうとは思う。でもそれは一体、なんでなの?? というのが、わたしにはよくわからないでいる。
 わたしも親をはじめ、今まで多くの大切な人(や家族たるわんこやにゃんこ)を看取ってきたので、実体験が少ないからだよ、とか、実際にその身になってみたことがないからだろ、とは言わせない。一つ思うのは、現代日本では普通である「火葬」という弔い方が影響してるのかも? という点だ。火葬にして、骨を骨壺に納めて、という弔いを何度も経験してきたわたしとしては、もう「ゾンビ」ってありえないんだよね、実際のところ。
 本作では、亡くなった猫を、主人公はきちんと娘に説明して、「死」について教育しようとするが、奥さんに「まだ早いわ、いなくなったことにしましょう」的なことを言われ、問題の禁断の地に埋める展開となってしまうが、まあ、ズバリ言えばこれが最悪の事態をもたらしたわけで、やっぱりちゃんと火葬してあげればよかったのにね、と思わざるを得なかったす。そして猫であろうときちんとお墓をたててあげてほしかった。「墓」って、やっぱり「そこにいる」という実感と「祈りの場」としての意義において、重要だと思うすね。
 まあ、そんなことを思いながらわたしはこの映画を見ていたのだが、メモとして思ったことをいくつか残しておこう。
 ◆びっくりさせる安い演出はやめてくれ……
 本作は、結構しつこいぐらいの頻度で、大きい音や急なカットインなどで、観客を「うおっと! ビビったぁ!!」とビクッとさせる演出が入る。けど、なんつうか……品がないというか……好きじゃないすなあ、ああいうのは。小手先すぎると思うんだけど……。
 ◆すれすれのところを爆走するトラックが怖い!
 King大先生のファンならお馴染みの通り、King大先生は1999年6月19日に、近所を散歩していてライトバンに跳ね飛ばされて重傷を負い、本当に死にそうになったことがある。まあ、このことを知ってる人なら、本作でやけに描かれる「すれすれのところを爆走するトラック」には恐怖を感じたでしょうな。わたしは観ながら、あっぶねえ! つうかKing大先生もこんな感じだったんだろうか、と、妙に怖かったす。なお、本作の原作小説が発表されたのは1983年なので、King大先生が遭った事故の影響で、本作の設定が生まれたわけじゃありません。
 ◆エンディング曲はあの!!
 エンドクレジットで流れる曲の歌詞、ちゃんと聞いてた方がいいすよ。「I don't wanna be buried in a Pet Semetary~」ってのがもう、耳に残りすぎて嫌!!笑! わたしは完璧に忘れていたんだけど、この曲は、なんと1989年版映画のエンディングで使われた曲で、Wikiによるとかの「ゴールデンラズベリー賞」の主題歌賞にノミネートされたらしいす。要するに、すげえ悲しいBAD-ENDに全くそぐわない曲ってことでのラジー賞ノミネートだったそうです。今回も、わたしもこの曲に関して、なんだこの歌、あわねえなあ!? と思いました。つうか、なんだこれ、と笑っちゃった。おれもペットセメタリーには埋められたくないわ! みたいな笑。
 というわけで、最後にキャラクターとキャストをメモして終わりにします。
 ◆お父さん(ルイス):医師。奥さんが何と言おうと、ちゃんと「死」を教育すべきだったね。ラストがだいぶ小説と違うと思う。今回はより一層、悲劇的だったかも。演じたのはJason Clarke氏。わたし的には4代目(?)ジョン・コナーなんすけど、比較的普通の家庭の父親、な役は初めて見たような気がします。演技ぶりは、フツーです。
 ◆お母さん(レイチェル):普通の主婦。猫ちゃんをきちんと弔ってあげていれば……。エンディングは原作と相当違います。お姉さんのエピソードは、原作小説より怖さ5倍増しになってたような気がします。超ヤバし。演じたのはAmy Seimetzさんという方だけど、正直知らないなあ……と思ったら、『ALIEN:COVENANT』で科学者(結構最初の方で爆死)の役で出てたみたいす。サーセン。完璧忘れてました。
 ◆娘(エリー):推定小学校低学年。決して悪い子じゃなかったのにね……蘇ったエリーは超邪悪です。演じたのはJeté Laurence嬢12歳。将来なかなかかわいく育つ見込み大だと思います。
 ◆息子(ゲイジ):推定幼稚園~保育園児。原作小説で亡くなって蘇るのはこの子です。小説の蘇ったゲイジは超邪悪でヤバイ! 演じたのは、全然データがないけどHugoとLucasのLavoleさんちの双子の兄弟みたいすね。二人で演じてたとは全く気が付かんかったわ。
 ◆ジャド:家族の近所に住まう老人。あんたが余計なことを教えなければ……確か原作ではその妻である、おばあさんも出てきたような……気のせいかも……。演じたのは大ベテランのJohn Lithgow氏74歳。Lithgow氏と言えば、なんかいつも「怪しい隣人」なイメージがあるのは何故なんだ。今回は、悪い人じゃないんだけど……いつもの通り怪しさ満点でしたな。
 ◆チャーチ:家族の愛猫。あれは種別としては、メインクーン、だろうか? 大変愛らしい毛長猫。もう、冒険しちゃだめって言ったのに、バカちんが……悲しい……。なお、エンドクレジットによると4匹のお猫様が演じていたようです。猫演技は完璧でしたね。


 というわけで、書いておきたいことがなくなったので結論。

 わたしの大好きなStephen King大先生の作品が映画化されるなら、確実に観に行くわけですが、なんかここ数年、再びのブームなんすかね? やけに本数が増えてるような気がします。TVシリーズ含めても多いよね、やけに。まあ、それだけ面白いお話であるのは間違いないのだが。今回はKing大先生の初期作品『PET SEMATARY』がリメイクされて登場と相成りました。結論から言うと、原作小説と違う部分はある、けど、アリ、だと思います。ただ、おっそろしく後味の悪いBAD-ENDなので、Kingファンなら見るべきだと思うけど、そうでない方には基本オススメはしません。なんつうか、やっぱりきちんと弔うこと、それが生きている我々のためでもあるわけで、ペットだろうと火葬してきちんと供養してあげたいすね。変なところに埋めちゃダメに決まってるっつうの。ホントにアメリカ人はゾンビが好きだなあ、と、見当違いな感想を抱きました。そしてあの曲が耳にこびりついて、すげえ嫌な感じっす。笑。以上。

↓ 久しぶりに1989年版を見てみるか。たしかWOWOW放送したのをBlu-rayに残してるはず。
ペット・セメタリー (字幕版)
ブラッド・グリーンクイスト
2013-11-26

↓ そしてこちらが、伝説のウルトラB級の続編。なかなかヤバイす笑。
ペット・セメタリー2 (字幕版)
エドワード・ファーロング
2014-07-01

 わたしは映画オタとして、現役の映画監督の中ではClint Eastwoodおじいが一番好きだ。今年の5月の誕生日で、もう90歳になろうとしているおじじだが、とにかくその創造力は旺盛で、マジで毎年1本、多い年は2本映画を撮り続けてるんだから凄いと思う。
 聞くところによると、Eastwoodおじいは、恐ろしく撮影が早いそうで、一発OKでどんどん撮り進めるスタイルらしい。どっかで語っていたところによると、何度も同じシーンを演じても意味がなく、最初が一番いいから、というのがその理由らしいが、わたしがおじじの作品で一番すごいと思うのは、なんというか、カメラが非常に冷徹というか、客観的というか、とにかく「その場を感情抜きに切り取った」ような画面がとてもクールに思えるのである。恣意的な画じゃないというか、別に誰に味方でもない、的な淡々としたまなざしのようなものを感じるのである。そしてやっぱり、おじじの映画の素晴らしい点は、その音楽だろうなと思う。いつもとてもきれいなピアノやギターのソロが非常に心に残るわけです、
 というわけで、Eastwoodおじじの新作がまた公開となったので、わたしもさっそく観てきた。今回の作品『RICHARD JEWELL』も、おじじがこのところずっと追いかけている「普通の人」だけど「ヒーロー」と呼ばれた人間の物語であります。
 結論から言うと、わたしの趣味には若干合わなかったかも? というような気がするので、今回はそれほど大絶賛はしないけれど、十分面白かったとは思う。面白かったというより、興味深かった、という方向かな。まあ、なんつうか、恐ろしい世の中ですよ、ホントに。

 というわけで。本作は1996年のアトランタオリンピックを舞台に起きた爆弾テロ事件の実話がベースだ。そして主人公リチャード・ジュエル氏も勿論実在の人物である。彼は、オリンピックの会場近くの公園で開催されていた野外音楽ライブの警備員で、あやしいリュックを発見し、警察に通報する。そして中身は爆弾であり、こ、これは! と警官と協力して観衆を避難させるが、避難中に爆弾がさく裂、2人が亡くなり怪我人多数、という事件となった。リチャード・ジュエル氏は第一発見者&避難誘導したヒーローとして祭り上げられるが、すぐにFBIによって、逆に爆弾犯の容疑者とされてしまい……てなお話だ。
 わたしは残念ながらこの事件のことは完璧忘れていたが、まあ、そんな事件があったのは大変痛ましく、今年まさしくオリンピックを迎える我々の東京は大丈夫かと心配になるけれど、本作は、誰がなぜ、爆弾を仕掛けた真犯人なのか、という点はほぼどうでもよく、リチャード氏の身に起きた「冤罪」に焦点が置かれている。
 わたしは観ていて、なんじゃこりゃあ? と思ったほどヒドイお話なのだが、おそらく、問題は3つある。
 【問題点その1】そもそもリチャード氏が結構アレな人。
 本作は、事件が起こるまでにリチャード氏がどんな人物だったのかについて、少し詳しく描かれている。それを観ていると、どうもリチャード氏は「法執行機関」にあこがれていて、大学の警備員をやったり、どっかの保安官事務所で働いてたり、とするんだけど、「妙な不器用さ」とでも言えばいいのかな、とにかく「微妙にやりすぎ」てことごとくクビになっている。さらに、冒頭で描かれたのは政府機関(?)の備品係として働いているシーンなのだが、働いてる人たちのオフィスの備品(セロテープとかそういうもの)を、カートを押して補充する係なんだけど、後に自らの弁護を依頼するワトソン・ブライアント氏の机をある意味勝手に漁って文房具を補充してたり、ゴミ箱にワトソン氏がスニッカーズの袋を捨ててるのをみて、勝手にスニッカーズも机に補充しておくなどしていて、要するにこの人、気は利くんだけど「微妙にやりすぎ」なのだ。これ、ちょっと怖いじゃん、とわたしはゾッとしたっすね。まあ、いずれにせよリチャード氏はこうしてワトソン氏と仲良くなるわけだけど、頼んでないのにわたしの大好きな歌舞伎揚げが引き出しに入ってたら、ちょ、ちょっと待って、ありがとう、でも、もういいから! って言うと思うな。
 しかも困ったことに、リチャード氏はその「微妙なやりすぎ」を全く自覚してなくて、なんで親切にしてるのに、なんで真面目に、忠実に職務を全うしているだけなのに、オレがクビにならなきゃいけないの? と素朴に理解できないでいる。たまにこういう人、見かけますね。要するに「空気が読めない」系なんだとわたしには思えた。
 そしてまあ、ズバリ言えばとんでもないデブですよ。ひどいことを言うと、やっぱりお母さんに甘やかされてきたんじゃないかなあ? とわたしは感じたのだが、彼について弁護すると、彼は間違いなく根は善良であるということだ。確かに、オレは悪くないのに、とは思っていても、それを「アイツのせいだ」と他人に憎悪を向けることは一切ない。その点は非常に美徳だと思う。なので、若干問題のある困ったちゃんだったとしても、身に覚えのない罪を着せられていいわけがない。わたしは、最終的には潔白が認められて、お前、ホント良かったな! と胸をなでおろす一方で、でも、もうチョイ、空気を読んだ方がいいかもよ……とか思ったす。
 【問題点その2】FBIってこんなに無能なの?
 時代が現代とは違ってもう20年以上前であるが、恐らく現代だったら相当な違法捜査があったように見えた。そもそも、事件後、弁護士としてリチャード氏を弁護したワトソン氏が簡単に立証した通り、「爆弾を仕掛けた」という電話があった時のリチャード氏には完璧なアリバイがあったわけで、FBIが容疑者として捜査するにはかなり無理があったような気がする。また、無理やり供述書(?)にサインさせようとしたり、脅迫電話と同じセリフを録音しようとしたり、ありゃあまあ、どう考えてもFBIの勇み足であろうと思う。とても法廷を戦える証拠にはなり得なかったのではなかろうか。あれは……どういうことだったんだろうな……事件直後、現場でFBIと警察とATFが主導権争いを一瞬するけれど、まあ、普通に考えてテロ事件(爆弾には釘がいっぱい仕掛けられていて明らかに対人攻撃)だったのだから、別に慌てなくてもFBIの管轄事件になっただろうし、警察やATFに対してFBIが功を焦る必要はなかったと思うのだが……あれは、FBI捜査員がその場にいたのに防げなかった、という世論が噴出するのを防ぎたかったってことなのかな? 観ていて、あまりに根拠のない誤認のようにしか思えなかったすね。
 【問題点その3】ハニートラップ? よりもメディアの暴力の方が怖い
 残念ながら本作は、世のポリコレ的(?)ムーブメントによって、強い批判にさらされてしまっている。それは本作では、新聞社の野心たっぷりな女性記者がHをエサにFBIから情報を得た、と描かれている点だ。とはいえ、このことについて、わたしは事実を知らないので、何もコメントできない。そもそも映画で描かれたことをすベて信じるほどわたしはナイーヴではないので、別に騒ぎ立てるつもりはないが、確かに観ていて、かなり露骨な描写であったので、ああ、こりゃあ批判されちゃうかもな、とは思った。
 しかし、この女性記者のハニートラップ的な部分は、わたしには何とも言えないし、問題は情報入手の方法ではないと思う。問題なのは、入手した情報がFBIの機密であるにもかかわらず、新聞に載せて、その結果、リチャード氏をメディアの暴力にさらしたことだろうと思う。しかも、彼女の心には、知る権利だとか、正義感あるいは良心のようなものは1mmもない。あるのは虚栄心がすべてだ。そう、完璧に自分の出世だけが、彼女が記事を乗せた動機なのである。そこが恐ろしいというか、あさましいのだ。これは現代ならばソーシャル・メディアなるド素人たちの嵐のような炎上事件と同じ性質のものだろうと思う。
 だが、本作では、現代と決定的に違うことがあった。それは、時代の違いに由来するのかもしれないけれど、本作での女性記者はキッチリ署名記事として、リチャード氏が容疑者になっていることを伝えているのだ。この点で、今の「匿名のド素人ども」とは決定的に違うと思う。彼女はきちんと名前を名乗り、責任をもって報道しているわけで、現代の姿の見えない批判者どもよりよっぽど気合が入っているし、マシではなかろうか。本作で女性記者たちよりタチが悪いのは、女性記者の記事によって裏も取らずにジュエル氏に群がる他の記者どもだろうと思う。まあ、普通の人があんなにカメラとマイクを向けられたら、相当な恐怖だろうな……。本作で描かれた時代には、ソーシャルメディアなるものはなく、記者会見を行うことで炎上はほぼ鎮火するのだが、この点で言えば現代の方がよっぽど恐ろしいし、より悪くなっているとしか思えない。イヤになりますな、ホントに。しかし、くだんの女性記者がお母さんの熱のこもった記者会見で涙しちゃうのも、なんか時代が違うように思うし、ちょっとだけ、キャラ的によくわからなかったよ。
 というわけで、もう長いので最後に主要キャラとキャストをメモして終わりにします。
 ◆リチャード・ジュエル:主人公のデブ青年。33歳だったかな? 法執行機関にあこがれているため、いろんな捜査豆知識が豊富。それが裏目に出ちゃうわけだが、拳銃やライフルもいっぱい持っていて、アレもマズかっただろうな……アメリカ合衆国ってのは、ほんとにダメな国だと思わざるを得ないよ……。残念ながらご本人は心臓疾患ですでに故人。太り過ぎが原因でしょうな……。演じたのはPaul Water Hauser氏。同じく33歳だそうで、意外と若いですな。見えないけど。氏の出演した『I, Tonya』や『Black Klansman』は観てないので、そのうちチェックしとこう。
 ◆ワトソン・ブライアント:リチャード氏の弁護士。彼のキャラも、少し背景が良くわからなかったかな……。演じたのはSam Rockwell氏で、非常に素晴らしい演技でした。アカデミー賞にはノミネートされなかったようですが、大変お見事だったと思います。
 ◆バーバラ・”ボビ”・ジュエル:リチャード氏のお母さん。演じたKathy Batesさんの演技もこれまた素晴らしかったすね。Kathyさんはアカデミー助演女優賞にノミネートされました。
 ◆ナディア:ワトソンの優秀な秘書。とても味のある人で印象に残ったすね。後にワトソン氏と結婚したそうですが、設定としてはどこか東欧?からの移民のようなキャラでした。演じたのはNina Ariandaさんという方で、知らないなあ? とか思ってったけど、どうやら何本かわたしも観ている映画に出てるお方でした。とても良い演技だったと思います。
 ◆トム・ショー:FBI特別捜査官で若干アホな人。演じたのは結構そこら中で見かけるJon Hamm氏。もうちょっとまともな調査をしてからにすべきでしたな……。
 ◆キャシー・スクラッグス:FBIがリチャード氏に目をつけているという情報をトム・ショーから色仕掛け(?)で入手し、新聞一面に載せて騒動を起こす。キャラ的には、もう新聞じゃダメ、テレビに移るとか名誉欲が旺盛で、そのためにDカップに豊胸しようかしらとか言ってる女性。まあ、事実は知らんけど、現代の世ではマズいんでしょうな、そういう描き方は。おまけにキャシーさんもすでに故人で、反論できないってのもマズいと批判されてるようです。まあ、そりゃ確かにそうかもね……。演じたOlivia Wildさんは言うまでもなく超美人です。

 というわけで、もう書いておきたい事がなくなったので結論。

 わたしの大好きなClint Eastwoodおじいの最新作『RICHARD JEWELL』をさっそく観てきたのだが、結論としてはジュエル氏にも、そしてFBIやメディアにも共感できず、なんというか、とんでもないから騒ぎの様相をEastowoodおじい独特の「クールな視点」から観せられたような気がする。その視点から見ると、事件の本質は当事者ではなくて、周りの民衆に向けられているような気もします。我々としては、報道されたら、そりゃ、アイツが怪しいんじゃね? とコロっと思わされてしまうわけで、どっかの週刊誌報道にオロオロする政治家連中も、自分が潔白なら、ちゃんと堂々と反論した方がいいんじゃないすかね。それがなきゃ、潔白とは思えないよね。でもまあ、どーでもいいことをあげつらう野党の皆さんも、週刊誌の報道が頼りってのも嘆かわしいですな。てなことをわたしは本作を観て思いました。ほぼ関係ないけど、以上。

↓ こんな本も出てるみたいすね。

 わたしは大学時代、19歳で中型自動二輪免許を取って以来、10年ぐらいバイクに乗っていたのだが、20代後半に父が亡くなった時、やたらと車を運転しなくてはいけないことが多くなった。その当時の家の車は、トヨタの9代目(8代目かも)クラウンだったのだが、その当時のクラウンは、とにかくハンドルもサスペンションもふわっふわで、なんつうか接地感がなく、恐ろしく運転がしにくい車だったため、くそう、やっぱオレの自分の車が必要だ、と思うに至り、わたしは人生で最初の「自分の車」としてマツダの初代デミオを買うことにしたのだった。
 以来、もう20年以上、わたしは自分の車を途切れることなく所有しているが、若かった当時は車よりバイクの方が楽しかったけど……いざ自分の車を持ってみると、バイクと比較してとにかく楽であり、荷物も人も積めるという点でも圧倒的に便利であるため、今やすっかり車の方が好きになってしまった。
 もちろん、ドライブも大好きだし、車の運転で疲れることもあまりない。バイクの時は(タンク容量が小さいので)180km程度でガソリンの心配をしなきゃいけないし、バイクに乗っている時特有の、360度全周囲への注意力に比べると、とにかく車は楽だ。
 そんな、今やすっかり車好きのおっさんと化したわたしは、ほぼ毎日車情報サイトをチェックするなど、恐らく普通の人以上に車に詳しいつもりだが、今週末から公開になっている映画『FORD v FERRARI』は、その題材は勿論超興味あるし、そして作品の出来としてもとても評判が良いこともあって、公開前から楽しみにしていたのであります。
 というわけで、さっそく観てきたのだが、噂にたがわぬ素晴らしい演技や、迫力あるレースシーンとその爆音、そして、なんつうかな、画面から感じられる「ガソリンの匂い」に酔いしれる153分であったと思う。わたしはもう、超大満足であります! もう、1991年のMAZDA 787B優勝の物語も映画にしてほしいわ!!

 まあ……なんつうか、いつものFOXクオリティの予告はアカンというか……この予告のラストに、当時のFORDの社長(=Henry Ford II氏。FORD創始者Henry氏の孫)を「FORD GT40」に乗せて、泣かすシーンがあるじゃないすか。このシーンは、この予告では何かふざけた?ツッコミを入れているけれど、本編では超グッとくるシーンなんすよ! 泣きながら、「おじいちゃんにこの車を見せたかった、この車におじいちゃんを乗せたかった!」と感極まっているところで、これで主人公は社長の信頼を得る、重要なシーンなのに! FOX JAPANのセンスを疑うわマジで。
 ともあれ。
 物語は、1966年にFORDが念願の「ル・マン24時間」に勝利するまでの経緯を描いたプロジェクトXめいたお話である。まあ、その経緯はもはや伝説として有名かもしれないけれど、車好きのわたしでも知らなかった点が多くて、わたしはとても楽しめた。
 また、本作は、いわゆる「突き詰めた才能を持つ男」VS「大企業」の方がメインで、FERRARIはその男たちが超えることを誓った目標に過ぎず、男たちの本当の敵は「大企業=FORD社」の方だ。
 1960年代初頭、時代はオイルショック前。天下の大企業FORDも車が売れなくなってきており、打開策として、1945年の終戦を迎えた兵士たちが帰国して、いわゆるベビーブームが始まる直前に、その1945年以降に生まれた若者たちにアピールする車の開発が必要だった。そしてそれは、マーケティング的には「速くて強くてカッコいい車」が最適であり、そのためにFORDは、当時ル・マンを3連勝していたFERRARIをぶっ飛ばすのが一番の宣伝になると考えていた。
 さらに、当時FERRARIも深刻な経営危機に陥っていて、大企業FORDは、FERRARIを買収してレース部門を任せればいいじゃん、という案をひらめく。そしてすぐにイタリアに渡り、FERRARIの創始者Enzo Ferrari氏に合併話を持ち込むが……土壇場でイタリアのFIATがFERRARI救済に動き(※今でもFERRARIはFIATの子会社です)、合併はご破算に。あまつさえEnzo氏は、「FORDは醜い車を醜い工場で大量生産してればいい」とか捨て台詞を吐く。それを聞いたFord社長は激怒、フェラーリをぶっ飛ばせ! という方向に会社は舵を切る。ちなみにFORDのお偉方の大半はレース参戦に反対していたが、当時マーケティング担当役員だったLee Iacocca氏(=のちのFORD社長でMUSTANGを作った人、だけど、この人も凄いドラマがあるのでWiki参照)が社長のフェラーリブッ殺せ宣言をバックにのし上がると。
 で、Iacocca氏が目をつけていたのが、当時アメリカ人で唯一ル・マンを勝った男であり、自ら手掛けた車をデザイン設計販売まで行う会社も経営するCaroll Shellby氏だ。車好きなら絶対に知ってる名前でしょう、かの「シェルビー」のご本人ですよ! そして彼は心臓の持病でもうレースから離れていたため、開発のメカニック兼レーサーとして抜擢したのがKen Miles氏だ。イギリス人であり、偏屈なMiles氏はFORD重役たちと話が合うわけもなく、間にShellby氏が立って、何とかル・マンを戦う車FORD GT40を仕上げていく。たけど常にFORDの重役の邪魔が入ってさまざまなドラマが展開する様相は、非常に現代にも通じる「大企業病」のようで、観ていてほんとイラつくっすね。だけど、そんな様々な障害を乗り越えて勝利する様は、観ていてとても胸がすくし、フェラーリをブチ抜いた時はもう一緒に、グッと拳を握っちゃったぐらいだ。
 だけど、物語はラスト、非常にビターな展開になる。これはもう、劇場で見て確かめてほしい。Miles氏の、駆け抜けた人生は、とてもドラマチックで、非常にグッと来たっすわ。
 そしてそのドラマを盛り上げた役者陣の演技がもう本当に素晴らしくて、実に最高だったと思う。
 ◆ケン・マイルズ:イギリス人として第2次大戦に出征、壊れた戦車でベルリン陥落に乗り込むなどの経験あり。戦争後は、アメリカでしがない自動車整備工場をやりながらレースに参戦していたが、経営破綻したところでシェルビーに「FORDル・マン制覇PJ」に誘われる。天才肌のメカニックでもあり、車と対話しながら最強の車を作り上げ、自らレースに挑むカッコイイ男。車にのめり込んでいるけど、家族を愛した良き夫であり良き父でもあった。演じたのはChristian Bale氏。超熱演。まず喋り方からしてイギリス訛りがすごいというか、いつもと全然違うのに驚き。いい演技でしたなあ、ホントに。自らに「譲れないモノ」を持つ男ってのはカッコイイですなあ。Bale氏の徹底的な役作りは本作でもいかんなく発揮されており、変わり者の天才だけど愛妻家で息子を愛する父でもあって、ル・マンでの最後の決断と裏切られた表情は極めて上質だったすね。実にカッコ良かったよ!
 ◆キャロル・シェルビー:元々天才肌のレーサーでアメリカ人として初めてル・マンを勝った男(その時の車はアストンマーチン)。しかし心臓の持病でレーサーを引退、その後は自らの会社をたててスポーツカー「シェルビー・コブラ」などを作って販売していた。FORDにスカウトされ、「打倒フェラーリ」の陣頭指揮を執る。演じたのはMatt Damon氏。現場もよくわかってる、けど大人として(?)、お偉いさんたちへの対応もこなして間を取り持ち、まあ相当ストレスはたまったでしょうなあ。非常に素晴らしい演技でありました。FORDには「シェルビー」を関する名車がいっぱいあったわけで、自動車好きなら絶対知ってるお方ですよ。FORDはもう日本から撤退してしまったけれど、ホントはわたしが一番欲しい車はFORD MUSTANG GT Shellbyなんだよな……現行車は世界で一番かっこいいと思うすね。イギリス仕様の右ハンドル車が欲しい。。。
 ◆モリー・マイルズ:ケンの奥さんであり、ケンの理解者。非常に魅力的な女性で、「ゴムの焼ける匂いとガソリンの匂いが大好きな女よ!」と言って現れた時は、その台詞にグッときましたね。そしてケンが何も言わないでいろいろやっちゃうことにブチ切れて、ケンを助手席に乗せて一般道をぶっ飛ばすあのシーンも最高でした。舐めてんじゃないわよ!!とキレられたら、さすがのケンも、サーセン、俺が間違ってました! と認めざるを得ないすね。素晴らしい女性です。演じたのはCatriona Balfeさんで、モリーをとても魅力的に演じてました。Balfeさんは、アイルランド人か。すごい訛りのある英語だったけど、ありゃアイルランド訛りだったのか? 米語ではなかったすね、明らかに。いずれにせよとても良かったす。
 ◆リー・アイアコッカ:FORDのマーケティング担当役員で、一応、ケン&シェルビーコンビのFORD側の唯一の味方、と言っていいのかな。いや、実際は自らの野望のために味方したというべきかも。演じたのはテレビ版『PUNISHER』でお馴染みJon Brenthal氏。なかなかカッコイイすね。
 そして本作を撮ったのが、かの名作『LOGAN』を作り上げたJames Mangold氏ですよ。この人の撮る、乾いた砂漠っぽい、アメリカ中西部的な広大な景色ってのは味がありますねえ! 砂埃と夕焼けが似合うような画が、とても特徴的だと思う。そしてル・マンをはじめとするレースシーンもとてもダイナミックかつドラマチックで大変素晴らしかったと思います。
 とまあ、映画そのものについては以上かな。
 そして、わたしは本作を見ながら、マジでトヨタとホンダの人間は全員この映画を見てくれ!!と思ったすね。わたしはホンダもトヨタも買ったことがあし、現在もトヨタ製の車に乗ってるけれど、今、はっきり言ってこの車が欲しい! という車がまるでないんだよね。確かに日本では車が売れないし、海外を見据えるのは、そりゃあ企業として止む無いだろうと思う。だけど、自分の作った車に乗ってみてほしい。乗ってて楽しいか? だいたい、幅1845mmはデカすぎて、完全に日本の道に合わないし、メーター回りも古すぎるよ!! 明らかにBMWやAUDIやMercedezに負けてる部分が多いことをちゃんと自覚して、これでいいや、じゃなく、くそう奴らをブッ飛ばしてやる!! というガッツを見せてほしい。セダンが売れないから作らない!? そうじゃねえんだよ! 乗りたいセダンがないから、しょうがなくSUVに乗ってんだよ!! 次のISがまたデカくなっちゃったら、わたし、もうNXたたき売って次はLEXUS買ってやらんからな!!

 というわけで、最後は観ていてムラムラ感じた怒りになっちゃったので結論。

 車好きのわたしとしては非常に期待した映画『FORD v FERRARI』が公開になったので、さっそく観てきたところ、噂にたがわぬ素晴らしい映画でありました。役者陣の熱演も素晴らしいし、監督の技量も大変見事で、非常にクオリティの高い作品だったと思います。車好きは観てて燃えますよ、間違いなく。画面から感じられるガソリン臭はたまらんすね! この映画は、全日本車メーカーの社員全員が観るべきだと思います。そして、熱いハートを取り戻してほしい! 心からそう願います。ガッツあふれるカッコイイ車を作ってください! うるせーお偉方は、車そのものでで黙らせてほしい! 今、車が売れないのは、そりゃあ若者の経済力の問題もあるだろうし、公共交通機関網の発達もそりゃあるだろう。でも、はっきり言っておきますが、最大の問題は、魅力的な車がないからですよ。それはもう断言できるね。日本の道に合った、コンパクトで、カッコ良く、楽しい車があれば絶対売れると思う。圧倒的ナンバーワンであるトヨタが率先しないでどうする! 全トヨタ社員はこの映画を見て、心たぎらせてください! 以上。

↓ 今の愛車。2台乗り継いだISがいつまでたってもモデルチェンジしないので、しょうがなく去年のマイナーチェンジ版を選んだだけ。NXも最高にカッコ良くて気に入ってはいるけど、メーター回りが古すぎる……。。。

 今年2020年1月で、わたしが初めて宝塚歌劇を観劇してから11年が経過した。会社のヅカファンのお姉さんたちがいて、オレも一度見てみたいんすよね……ということで初めて連れて行ってもらったのが2010年1月なので、もうずいぶん経ったもんだ。
 最初にチケットを獲ってくれた美しきお姉さまをわたしは「ズカ師匠」と呼んで崇めているのだが、その師匠が、「あなた、この作品はすごいわよ、絶対観ないとダメよ!」と強く推していたミュージカルが、『フランケンシュタイン』という作品であります。
 本作は、元々韓国産ミュージカルで、師匠はわざわざ韓国にも観に行ったほど気に入ったのだそうだ。日本初演は2017年で、その時に師匠に激推しされたのだが、わたしは残念ながらどうしても予定が合わず、観に行けなかった。そしてこの2020年、待望の再演となったので(※うーん、今回は3回目の再再演だと思ってたけど、どうも勘違いで今回が2回目、再演らしい。そうだったっけ?)、もう半年ぐらい前?からチケットを確保し、今日、日生劇場へ赴いたのであります。
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 というわけで、赴いた日生劇場は、1963年に完成した劇場で、以前わたしは浅利慶太先生本人から直接「日生劇場はねえ、ぼくと石原慎太郎で作ったんだよ」というお話を聞かせてもらったことがあるが、もう50年以上の歴史があるわけで、ズバリ、もう建物としてかなり古い。現在駐車場が工事中で使えなくなってました。一瞬、そうだ、日生行くなら駐車場あるから車で行くか、とか思ったんだけど、素直に電車で行ってよかったす。
 で。
 物語は、Mary Shelly女史による原作小説「フランケンシュタイン」とは全然違う、けど、微妙にちゃんと設定を踏襲している点もあって(と言っても、スイスが舞台で最後は北極とかそのぐらいかも)、大変興味深い物語となっていたのが新鮮であった。
 世はナポレオン戦争中のヨーロッパ。フランケンシュタイン青年は幼少期に母を亡くし、その母をよみがえらせるんだ!という生命の創造に憑りつかれ、ドイツに留学し、その後、従軍医師(?)として戦地に赴くが、ある日、アンリという人体接合の整形外科医(?)がフランス軍人(アンリって名前からフランス人か? と思ったけど、何人か不明でした)を治療したとして処刑されようとしているところに出会う。フランケンシュタインはアンリの論文も読んでいたので、アンリを助け、自らの「実験」の助手になるよう説得、アンリは、そんなのは神への冒涜だと反発するが、結局は命を助けてもらったこともあって助手になり、戦争も終わってフランケンシュタインの故郷、ジュネーブへ同行する。
 しかし、戦争が終わっちゃっているので、実験に使える「死体」が調達できず、困っていたところ、そうだ、葬儀屋に金渡して死体を横流ししてもらえばいいんじゃね? とひらめくが、なんと、その葬儀屋が金欲しさに、自分で人を殺して死体を用意するという暴挙に出る。カッとなったフランケンシュタイン博士は、つい、その葬儀屋を殺してしまう。その時、アンリが自分が葬儀屋を殺したことにすればいいと替え玉を志願。かくしてアンリは処刑されてしまうが……フランケンシュタイン博士は自分のために死んでしまったアンリをよみがえらせるために、禁断の実験を行うのだった……! てのが第1幕のお話であった。なので、結構ツッコミどころはあったと思う。
 そしてこのミュージカルの最大の特徴が、第2幕と言っていいだろう。第1幕の役者たちが、まったく違う役柄で、当然全く違う衣装やメイク、まったく違う性格の人物として物語が進むのだ。そして曲がいちいちカッコいい!! やっぱりミュージカルは曲が命でしょうなあ。これは師匠が絶賛したのも納得だぜ、とわたしも大興奮でありました。
 というわけで、いつもは物語のキャラごとに感想を書くけど、今回は演じた役者陣ごとにメインの4人だけ、2役のキャラをメモして行こうと思う。ーーその前に、せっかくホリプロが動画を用意してるので貼っとくか。ホリプロはホント、ミュージカルに本気ですな。

 ◆柿澤勇人氏:フランケンシュタイン青年を演じた一方で、第2幕では、蘇り逃亡したアンリ=怪物を使って地下格闘場のようなバトルコロッセオを運営するクソ野郎ジャックを演じてました。しかしやっぱり柿澤氏はカッコイイし歌もイイすねえ! わたしは柿澤氏の声が大変良いと思います。現在はホリプロ所属だけど、元劇団四季出身だけに、滑舌もばっちりだし、非常に優れたミュージカルスターですな。泣きの芝居も大変グッときました。どうでもいいけど、浅利先生の物まねで笑いを取るのかどうかと思います!笑!
 ◆加藤和樹氏:もう一人の主人公アンリと、2幕では死から蘇った「怪物」ということで、唯一(?)同一人物ではあるけど、やっぱりキャラとしては別人という変則的なお芝居となってました。そしてやっぱり歌も極上。イケメンで歌もうまいって、もう無敵ですよ、ホントに。わたしにとって加藤氏は永遠の跡部様であり、崇め奉ることにやぶさかではないす。昨日、つい会社で『テニミュ』時代の加藤氏の映像を見ながら仕事しちゃいましたが、やっぱり当時から光ってますなあ。もう15年以上前だもんな……。本作はフランケンシュタインとアンリはWキャストになってますが、わたしとしてはもう1ミリ秒も迷わず、柿澤氏&加藤氏の組み合わせを選択したっすね。最高だったす!
 ◆音月桂さん:もう説明不要の元雪組TOPスター。退団してもう7年か……わたしが宝塚歌劇道に入門した時以降に雪組TOPスターに就任された方なので、その当時をギリ何度か見ております。そして今やすっかりお美しい女性ですよ。歌もイイっすね!今回演じたのは、フランケンシュタイン青年の幼馴染の女子ジュリアと、2幕ではジャックの運営するコロッセオに二束三文で売られて下働きをしているカトリーヌというとても可愛そうな女子を演じてました。ジュリアとしては出番も少なめだし歌も少ないんだけど……カトリーヌとしてはソロ曲も非常にソウルフル(?)で、超良かったす。あ、どうでもいいけど、音月さんの次の次に雪組TOPスターに就任した(けどもう退団済み)早霧せいなさんが客席にいらっしゃって、わたしは一人大興奮してました。おお? あのお方は!? とびっくりしたっす。
 ◆露崎春女さん:1幕ではフランケンシュタインの姉のエレン、そして2幕ではコロッセオを運営するジャックの妻(?)、エヴァを演じたいらっしゃいました。恥ずかしながらわたしは露崎さんを存じ上げなかったし、1幕ではかなり地味目だったのだが、2幕のエヴァの、若干パンクで熱量の高い歌いぶりで、うおお、この人凄い!! と驚き、興奮したっす。1幕の時は、その歌い方から、ああ、この方はきっとミュージカル役者じゃなくて、歌手、シンガーなんだろうな、と感じたのだが、2幕の歌で確信したっすね。パンフにも歌手としてのプロフィールしか載ってないし、さっき改めて調べて、この人は歌手だろうなというわたしの感想が正解だったことを知ったす。もう今年で歌手歴25年になるみたいすね。2幕でのハスキーでパワフルな歌い方が、露崎さんの本領発揮だったんすね。最高にカッコ良かったす! なお、2017年の初演時にこの役を演じたのは濱田めぐみさんだったんだな……。めぐさんVerも観てみたかったよ!!

 というわけで、短いけど結論。

 わたしをヅカ道に導いてくださった師匠が2017年に激推ししていたミュージカル『フランケンシュタイン』。2017年の初演はどうしても都合がつかず観に行けなかったのだが、いよいよ待望の再演! ということで、さっそく観てまいりました。師匠が激推ししたのも納得のクオリティで、とにかく全編曲がカッコ良く、また各キャラの演じ分けが素晴らしく、結論としてはもう、大変満足であります。柿澤氏と加藤氏の歌声は、非常にイイすね! とてもカッコ良かったす! そして音月さんも本当に美しいし、歌もとても良かった。また、初めて知った露崎さんのハスキーシャウトが超カッコ良かったす! ただ、物語的に若干アレな部分があるし、エンディングもかなり重いので、見終わった時に、気分爽快! って訳にはいかないすな。なんつうか……神への冒涜とかそういうことは別に感じないけど、やっぱり命を弄んではダメですよ。死を受け入れるのも、大人の流儀なんじゃないかなあ……ガキ過ぎたな……彼らは……とかそんなことを思いましたよっと。以上。

↓わたしとしては2005年のこれが『テニミュ』で一番好きっすね。当時はBlu-rayは出てないんだけど、わたしはWOWOWでのHD版をバッチリ録画しました! 若き頃の加藤和樹氏、城田優氏の二人の部長対決は超熱いし、歌も最高です。そして斎藤工氏も出てますが……斎藤氏は歌が……ヤバイ……

 2020年。仕事始めは明日の1月7日の月曜日だが、今日は朝からチラッと会社へ行って気になっていた仕事を4時間ほどで済ませ、13時過ぎには会社を出て、帰りに「そうだ、アレ行っとくか!」と思い立ったので、両国へ向かった。そうです。両国駅前の江戸東京博物館で絶賛開催中の『大浮世絵』展であります。
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 この展覧会は、去年の11月から始まってあと2週間ほどで終わってしまうのだが、わたしが前売券を買ったのは、もう去年の9月ぐらいじゃなかったかな、ずっとチケットホルダーに入れっぱなしであったのだが、今日、そのホルダーを持ち歩いてて良かったよ。うっかり忘れるとこだったが、問題は時間で、こんな昼過ぎに行ったら、くっそ混んでるんじゃね!? いやいや、正月だし、どうかしら……? というのんきなことを思いながら江戸東京博物館に入ると……まあ大変な行列でチケットブースは混んでいた。わたしはもうチケットがあるので、うわあ、こりゃあかんかも……と思いながらエントランスへ向かうと、思いっきり「混雑」の札が立っていた。
 うーーん、出直す? どうする!? と自らに問うこと15秒。ま、行ってみっか! と入場したところ、まあ、見えないことはないし、十分鑑賞はできる、けど、はあ、やっぱり美術鑑賞は朝イチに限るな、といつもの感想を持つに至った。自分もその混雑を生成する一人なのでお前が言うな大賞だけど、やっぱ邪魔っすね、これだけ入場者がいると。
 で。
 今回の展覧会は、そのタイトルにある通り、名だたる浮世絵作家の豪華夢の競演、であったのは間違いないと思う。点数も100点強はあったのかな。貰って来た出品リストによると、かなり細かく2週間ぐらいごとに展示作品がチェンジされてたみたいで、リスト全品は観られなかったのはちょっと残念。でも、その物量はそれなりに圧巻で、大変楽しめました。
 展示は、完全に作家ごとの5章構成になってました。ちょっと、自分用備忘録として、いつごろ生きた人なのかもメモっとこう。
 ◆第1章:喜多川歌麿<1753?年生~1806年没>
 歌麿先生は婦人画から始まって、風俗画っていうのかな、日常の一コマ的な? 作品でまとめられていた。とにかく、着物の柄が細かく素晴らしい! 色もいいっすねえ! なんとか小町的な、街で評判の美人さんたちを描いたシリーズは、ホント今のファッション誌的というか、読者モデルの先がけっすな。大変イイ感じでした。
 ◆第2章:東洲斎写楽<1763?年生~1820?年没>
 写楽先生は、もちろん?役者絵ですな。歌舞伎役者勢ぞろいで、恐らくいちばん有名な「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」もありました。今日展示されてたのはベルギー王立美術歴史博物館の所蔵品だったそうです。前々からこの作品は、手が変な形だなあ、とか思ってたけど、どうやら解説によるとわざと、らしいす。へえ、そうなんだ。
 ◆第3章:葛飾北斎<1760年~1849年>
 北斎先生は、メインはやっぱり「富嶽三十六景」ですかね。もちろん超有名な「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」もそろって展示されてました。わたし、「浪裏」は結構何度も観たことがあるけど、ひょっとすると「快晴」は初めて生で観たかも。赤い富士が超見事! まさしくビューティフル! 今日観た中では、なにげに「深川万年橋下」がなんか気に入ったす。もちろん今でもある橋で、何度も通ったことがあるす。小名木川が隅田川に合流するチョイ前っすね。当時はホントに富士山が見えてたのかなあ。
 ◆第4章:歌川広重<1797年生~1858年没>
 広重先生のメインもやっぱり「東海道五十三次」ですな。いわゆる広重ブルーがとにかく鮮やか! 東海道ということで、海と、川が写り込んでる作品が多いすね。それ以外にも「木曽海道」「近江八景之内」「名所江戸百景」も展示が多く、万年橋はこちらでも描かれてました。全然カメラアングルが違ってて、一番メイン?に「亀」がぶら下げられてるのがおもろい! 亀は万年!ってこと?
 ◆第5章:歌川国芳<1798年生~1861年没>
 そしてラストの国芳先生は、もちろん武者絵と戯画、ですな。何年か前に渋谷Bunkamuraでやってた『国国展』でも多くの作品を観たけれど、もう国芳先生の作品は完全なるポップ・アートですよ。ラノベの挿絵的な、物語のワンシーンを描いたものや、サイズもでっかいものも多くて、大変面白いすね。観たかった「宮本武蔵の鯨退治」は、残念ながらもう展示が終わってて見られなかった。くそーー!
 とまあ、こんな感じに、わたしとしては大変興奮いたしました。面白いよなあ、ホント。そして浮世絵とは、ズバリ言うと版画なわけで、同じ作品でもすり色が微妙に違う作品とかもあって、非常に興味深いすね。しかし、つくづく残念なのは、多くの作品が海外に渡ってしまっていて、常設ではなかなかここまでの規模では見られないことなんすよね……でもまあ、我々の日本代表として、世界各国で高く評価されているのは喜ばしいことなのかな。ぜんぜんわたしなんか関係ない人間なのに、NYCのMETに堂々と展示されてるのを観たときなんか、すごくうれしくなったっつうか、誇らしく感じたっすね。これぞまさしく、COOL JAPANってやつでしょうな。最高です!
 
 というわけで、さっさと結論。

 ずいぶん前に買っておいた前売券で、今日ふと思い立って両国へ行き、『大浮世絵』展を観てきた。わたしが浮世絵を観て、うおお、すげえ! と感動するのは3つポイントがあって、一つは「線」。超細かい! とくに女性の着物の柄なんてすごいっす! そして「色」。版画だよ!? オール人力だよ!? この色、どうやって出したんだ!? という感動が凄いす。そして「デフォルメ」と言っていいのかな、アングルというか、超広角だったり、その「構図力」が完全に西洋絵画とは別物で、ホントにすごいと思う。そりゃあゴッホやモネたちは浮世絵に大興奮したでしょうなあ! 神がかってるとしか言いようがないすね。というわけで、わたしも大興奮して楽しめました。やっぱいいっすねえ、浮世絵は! できれば、春画もさりげなく混ぜてほしかったす。アレはアレでやっぱりすげえので。でもまあ、江戸東京博物館じゃ展示は無理なのかな……。でも、美人画の中には、ポロリしてる作品もありましたよっと。以上!

↓ 江戸の風景を観てると、やっぱり当時は両国のあたりが一番栄えてたんだなって、よくわかるっす。両国辺りに住みてえなあ……!

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