2019年11月

 日本では255億を稼ぎ、全世界では12.7億ドル(=109円計算で1,388億円!)も稼いだ『FROZEN』。物語はもちろんのこと、その主題歌「Let It Go」もこの大ヒットに大きく貢献し、今ではBroadwayミュージカルとしても上演している(※日本の劇団四季版は2020年9月開幕!)スーパー優良コンテンツである。お、四季のPVがあるから貼っておこう。

 ところで、わたしが『FROZEN』の予告、というより「Let It Go」のプロモビデオを初めてWebで観たのは、おそらく2013年の秋口で、かのBroadwayの歌姫でお馴染みIdina Menzel嬢の迫力ある&エモーショナルな歌唱に、こいつはすごい、これは期待できる! と日本公開を待ち望んでいたのだが、日本では2014年3月まで公開を待たねばならず、まあ、それでも楽しみだなあ、と思っていたのが2013年の12月ごろの話である。もちろん、Webで観た「Let It Go」からは、これは面白そう!という期待は高かったけれど、まさか日本で250億を超えるウルトラスーパー大ヒットになるとは、その時点では全く予想していなかった。
 しかし。わたしは今でもはっきり覚えているが、2013年の12月、日本ではDOLBY-ATMOS採用の劇場がオープンし始め、わたしは映画オタクとして、超傑作『GRAVITY』をATMOSを導入したばかりのTOHOシネマズ船橋ららぽーとに観に行ったのだが……そこで初めて、劇場の大スクリーン&ATMOSのド迫力音響という環境で、「Let It Go」を観た(聴いた)のであった。
 あの時、わたしは、まだ全然物語もわからないのに、「Let It Go」だけで感動しちゃったのである。こ、これはすごい! これは大変なことになるぞ!? という予感を感じ、わたしは当時いろいろな人にWebで「Let It Go」を観てみろ、とお勧めしまくっていた。そして少し時間が経ってから、日本語版キャストとして松たか子様Verの「Let It Go」が公開されるに至り、これはもう、絶対に間違いなく100億超えるね、と確信したのであった。歌手でもあり、ミュージカルもこなすバリバリ歌える松たか子様を起用するとは、さすがディズニー! わかってらっしゃる! そしてさらに、ミュージカルでバリバリ鍛えた神田沙也加ちゃんも起用するとは! と、公開までの期待は高まる一方であったのである。
 なので普段、映画は「字幕一択」なわたしでも、これは日本語版も字幕版も両方観なくてはなるまいと考え、ムビチケカードも2枚買って公開日に備えたのである。
 そしていよいよ公開となった初日。わたしはまずは字幕版を観たのだが、歌はもちろん素晴らしいとして、さらに物語にも深く驚いたのであった。そう、DISNEYが、あのDISNEYが、「王子様」と決別?したのだ。それまでのDISNEYプリンセスの「真実の愛」はたいてい「王子様」に向けられていたはずだが、本作ではその対象は「家族」だったのである。本作では、完全に王子様はどうでもいい存在で、男女の愛より家族の愛が優先されたのだ。
 これは、相当大きな方針の転換であり、時代の要請なのかもしれないが、わたしは当時、ああ、こうくるんだ、と、とても驚き、やっぱりDISNEYすげえ! と思ったのであった。実際、この『FROZEN』後のDISNEYアニメは、基本的に女の子を主人公としつつも、男女の愛はかなりどうでもよくなって、それよりも自立した女性像だったり、家族や仲間を優先するようになったとわたしは感じている。その歴史的(?)転換点となったのが『FROZEN』だと思っている。
 というわけで、以上は前振りである。
 今般、いよいよ全世界待望の『FROZEN II』が公開になったので、わたしもさっそく観てきた……のだが、うーん、どうしよう、結論から言うと、十分面白かったです。それは間違いない。間違いないのだが……なんつうか、フツー、というか、それほど、前作のように「すげえ!」と興奮するまでもないというか、ええ、そう、まさしく「フツーに面白かった」というレベルにとどまるような気がしますね。もちろんそれでもすごいことなんですが。なので実は今回はあまり書くことがなくて、無用な前振りを書きました。ちなみに観たのは、まずは「字幕版」であります。

 というわけで、今回のお話は、そもそもエルサはどうして魔法が使えるんだ? という謎?に迫るお話であった。しかし、わたしとしては別にエルサが魔法を使えることに対して、「どうして?」と思うことはほぼなく、「そういうもんだ」で納得できていたため、正直そのストーリーラインはどうなんだろう、面白くなるんだろうか? と考えていた。むしろわたしとしては逆で、姉が魔法を使えるのに、なんで妹のアナは使えないんだろう? という方が謎に思っていたし、わたしは、ひょっとしてアナとエルサは実の姉妹じゃあないのかしら!? とか、余計なことも考えていた。
 のだが、観終わった今となっては、二人はちゃんと実の姉妹であったことは分かったし、そしてエルザが魔法を使える理由も、うっすらと分かったような気がする。要するにエルサは、いわゆる「Chosen One」、選ばれし者、に近いのだろうと思う。そんな「選ばれし姉」が自らの使命のようなものを全うするため頑張り、一方「選ばれてない妹」は、姉のために超頑張る、というお話だったとまとめていいような気がする。
 しかしなあ……その使命、があんまりおもしろくないというか、エモーショナルじゃないというか……グッと来ないんすよね……。おじいちゃんがやらかした?ことの後始末というか、それならなんで今、急に呼ぶ歌声が聞こえてきたのかとか、いろいろ謎めいたツッコミどころはあるんだよなあ……観ながらわたしは、エルサのことがちょっと気の毒になってきたっすね。「選ばれし者」というよりむしろ、「呪われし者」のように思えてきちゃったす。
 でも、まあ、いろいろと突っ込むのは野暮なんすかね。わたしは意外とラストには感じるものがあって、なんとなくわたしの大好きな『もののけ姫』を思い出したっすね。想い合っている二人だけど、一緒には住めない。でも、会いたいときには、いつでも会いに行くよ、ヤックルに乗って! みたいな。ようやくエルサはいろいろな使命、呪いから解き放たれて、アナよりも断然エルサ派のわたしとしては、あのエンディングは美しかったと思います。これはやっぱり、日本語版でももう一度観たいすね。
 というわけで、もう書きたいことがなくなりました。
 そういやわたしが入場するとき、「字幕って何ですか!? え、文字を読むんですか!? 日本語じゃないんですか!? 子供が見られないじゃないですか!」というどうしようもないクレームをつけている家族には失笑せざるを得なかったけど、なんというか、世の中いろんな人がいますなあ。字幕版は結構すいてましたが、日本語版は満席だったので、あの家族がどうしたのか、知る由もないす。

 というわけで、もう書いておくことがないので結論。
 
 前作の大ヒットから6年。全世界待望の『FROZEN II』が公開になったので、さっそく観に行ってきたのだが、まあ、結論としては十分面白かった。歌もやっぱり素晴らしいすね。でも、超素晴らしいと絶賛するほどではなく、フツーに面白かったす、が素直な感想である。でもまあ、すでに日本国内でも公開3日間ですでに19億ものウルトラ大ヒットとなっており、また100億は余裕でクリアするんでしょうな。つうか、クリストフのPVみたいな80年代めいた歌唱シーンはいらなかったんじゃね? ま、クリストフのプロポーズ大作戦も無事に実ったし、めでたしめでたしでよろしいのではないでしょうか。わたしとしては、オラフが「これまでのいきさつ」を説明するシーンが一番笑えたっすね。アレは素晴らしかった。そしてエンディングでは今回のお話を同じようにまとめていて、全くオラフは何気に大活躍ですな。あれっ!? やっぱりわたし、かなり楽しんだみたいっす。まあ、前作が好きなら当然オススメ、であります。しかしまあ、劇団四季のミュージカル版は絶対チケット獲れないでしょうなあ……観に行きたいけどなあ……。以上。

↓ やっぱり松たか子様は素晴らしいすね! 日本語版も観よう!

 はあ……もう読み終わって2週間。余韻がいまだ抜けないですなあ……。。。
 なんのことかって!? そんなの『十二国記』の話に決まってるでしょうが!!
 と、半ばキレ気味に、とうとう読み終わってしまったシリーズ最新刊『白銀の墟 玄の月』(1)(2)(3)(4)について、思ったことや考えたことをまとめようと存じます。
 しかし、ああ、くそう、なんて幸せな読書時間だったんだ……それが終わってしまって、大変な喪失感ですよ……そして内容的にも、絶望から希望への期待、そしてあとはもう、一気に行くぜ、からの、超絶な絶望への突き落とし、そして終局へ、という山あり谷ありの激しい展開には、本当にもう、何て言えばいいのかな……結論としてはやっぱり、最強最高のエンターテインメントだったな、ということになるのかな……はあ……もう、ずっと読んでいたかったよ……。
12koku
 というわけで。先月、(1)巻(2)巻の発売日は前回書いた通り、台風に襲われて近所の本屋さんは軒並み臨時休業と相成り、やむなくわたしは翌日やっと手に入れたわけだが、今回の(3)巻(4)巻は、わざわざ07:30開店の上野駅構内のブック・エキスプレスまで発売当日の朝に買いに行き、07:31からむさぼるように読み始めた。結果、(3)巻をその日のうちに読み終わってしまい、(4)巻は、ちょっと落ち着つけオレ! と言い聞かせたものの、我慢できず2日で読み終わってしまった。
 構成をまとめるとこんな感じだったように思う。
 ◆(1)巻:「起」であり、物語の始まり
 ◆(2)巻:「承」であり、数々の謎投入&まさか?的な軽い絶望も
 ◆(3)巻:「転」であり、ついに主要メンバー集合、反撃だ!的希望にあふれる
 ◆(4)巻:「結」であるけど、残り100ページぐらいですべてがパーになり、うそでしょ、ど、どうなるんだよ!? 的な深い絶望とハラハラ感を抱かせつつ、結末へ!
 てな感じで、まあとにかく、(4)巻がヤバかったのは、読んだ方なら全員が同意してもらえるのではなかろうか。わたし、マジでバットエンドもありうるのか!? と超・超・絶望しちゃったす。
 読み終わった今となっては、そんなハラハラを味わわせてくれた物語に深く感謝しつつ、やっぱり十二国は最高だな! と能天気に思うわけだが、わたしが思うに、本作の最大の問題は、【誰が一番悪いんだ?】ということに尽きるのではないかと思う。実はこの2週間、読み終わってからいろいろなことを書いては消し、書いては消し、と試行錯誤してきたのだが、やっぱりわたしが一番考えてしまったことは、いったい誰が一番悪い奴だったのか、ということだ。なので、もうそのことだけに集中して、備忘録として記しておこうと思う。
 【阿選と驍宗さま】
 本作では、これまでの「十二国記」シリーズで最大の謎とされていた、阿選の謀反と驍宗さまの失踪についての謎が明かされるわけだが、(2)巻を読み終わった段階では、実は阿選は謀反を企んだのではないのかも? そして驍宗さまはマジで逝っちまったのかも!? とさえ思っていた。
 が、ズバリ言うと阿選の謀反は真実で、驍宗さまもちゃんと生きてました。
 そして阿選の謀反の動機としては「嫉妬」それから「怒り」と「絶望」のようなものがキーワードとして挙げられている。
 「嫉妬」と「怒り」そして「絶望」……自らが対等のライバルと思っていた驍宗さまが王座に就いたことへの嫉妬。そしてその「怒り」と「絶望」が阿選をして狂わせた、というのが解答だったわけだが、この嫉妬心を、にんげんだもの、しょうがないよ、と読者が思えるかどうかが問題だろうと思う。わたしとしては、わからんでもない、けど、正直なところ、ほんの若干、納得はできないでいる。
 たしかに、自分が同等と思い、自分がライバルだと思ってた奴がいて、さらに言うなら、ちょっとだけ俺の方が上だぜ? と思っていたのに、先に出世し、なおかつ、永遠に自分はその地位に昇格できない、と決まってしまったら、もうそれは深く真っ暗な絶望の闇に落ちてしまうだろう、と想像はできる。わたしも確かに、そんなことが今までの会社員生活でなかったとは言えないし、ちくしょうと思った経験はある。たいてい自分とは別の部署の人事に対してだったけど。
 しかし、わたしの場合で言うと、そのライバルの昇格を決めた上司や社長に対して、怒りを感じることはあっても、そのライバル自身に何か嫉妬を感じることは、あまりなかったような気がする。いや、そんなことないかなあ……後で逆転して、ざまあとか思ったりしたもんな……てことはやっぱり、嫉妬してたのかもしれないな……。まあ、わたしなら、追いつき、抜くことが「永遠に不可能」だと言われてしまったら、そんな会社は辞めますね。そんな天には従わない。仕える天は自分で決めるだろうな。
 しかし、阿選は驍宗さまを王とした「天」に対して、それを無条件に受け入れるしかない身だ。わたしのように「天」に従わず、別の「天」を求めることもできない。そこが阿選の悲劇であり、「十二国」最大の特徴だろう。そう、「十二国」世界の「天」は、我々の言ういわゆる「神様」のような、実体のないものではない。「十二国」世界には、明確に「天」が存在しているのだ。その「天」は、人間には何も声を届けない。
 そういう意味では、いわゆる「神の沈黙」に近いものがあって、なんでだよ、どうしてだよ! というような、人間がどうしても感じてしまうある種の不条理に対して、十二国世界も、我々の世界も、具体的な救いがないのが、人間にとって、そして読者にとって、とてもつらいのである。
 この点で、阿選は天の犠牲者とも言えるのかもしれない。なぜ自分が選ばれなかったのか。それを知ることができて、納得できていれば、悲劇は起こらなかったかもしれない。
 とはいえ、いずれにしても、阿選の謀反によって、数多くの罪なき民が苦しみ、亡くなっていったという結果を見れば、やっぱり阿選はもう、悪い奴、と断じるほかないだろう。阿選に同情して許せるほど、被害は全く軽くないわけで、阿選=悪党の図式は崩しようがないと思う。おまけに、謀反自体の心情を汲んだとしても、クソ野郎の烏衡を使ったり(→それが阿選最大のミス!)、無能な張運に冢宰を任せて、6年間引きこもっていたりと、罪状をあげるときりがないのは、読者ならだれでも感じたことだろうと思う。阿選……国を出て、いざというときに駆け付けるカッコイイ男であってほしかった……。
 そして。一方で、驍宗さまはどうだろうか。
 被害者として、おとがめなしで、いられるだろうか? 
 わたしとしては、どう考えても、驍宗さまにも非があったと言わざるを得ないと思う。それは、王としての器にかかわるぐらい、大きな問題だ。
 驍宗さまが王座に就いた手続きにおいては、実は阿選に対して、一緒に昇山しようぜ、と誘ってすらいたわけで、公平だったのは間違いない。けど、やはり、驍宗さまには、他人の心への配慮、のようなものが足りなかった、あるいは無頓着?だった、と言わざるを得ず、事件の要因の一つであったと考えるべきだろうと思う。TOPたる者、残念ながらすべての結果に対して責任を負う義務があるわけで、わたしとしては驍宗さまを悪党とは言わないけど、やっぱりおとがめなしには到底できない。今回は登場&復活してもほぼ全く活躍できずでしたが、まあ、今後の永い治世で、今回の事件の責任は善政という形で民に施してほしいです。今回亡くなった人々が多すぎて、ほんと悲しいす……どうか驍宗さま、彼ら彼女らの魂を弔ってください……。
 【琅燦と「天」】
 とまあ、阿選と驍宗さまは、ある意味では「人間」に過ぎず、嫉妬やミスや欠点は、そりゃあ、にんげんだもの、あったんだろうことは想像できるわけだが、問題はやっぱり、「王を選んだ存在」=「天」だ。
 「天」の意思は、例外を許さない(?)明確なルールに則った「システム」として機能している。例えば、十二国世界では、他国へ軍事侵攻はできない。もしそのルールに反してしまうと、王は「急にぶっ倒れて死ぬ」ことになる。ほかにも、2代続けて同じ姓の人間が王になることはない、というルールなんかもあって、いろいろ、誰が決めたかわからない謎ルール=天の理なるものが存在している。そしてそれは、完全に「自動的に」機能しているのである。
 そこには、「何で?」という疑問をさしはさむ余地は一切なく、誰も「天」に疑問を投げかけることはできないのだ。なぜ、あいつを王に選んだのか? なんてことは、一切、問いただすことはできない(※裏ワザとして、これは大丈夫ですか? と問い合わせるルートはある)。
 しかし、わたしには「沈黙する天」が悪いとはあまり思えない。なぜなら、おそらく天なるものは、人間の尺度で測れるものではないからだ。良いも悪いもなく、十二国世界の人間たちはその意思を受け入れざるを得ず、そのルールの下で生きるしかないのだから。なので、阿選はそんな「天」に対する反逆を起こしたとも言えるわけだが、それで数万の民を犠牲にしていいわけがない。ゆえに、阿選はやっぱり悪党としか言えないと思う。思うのだが……問題はやっぱり琅燦だよ。
 わたしの結論は、今回の物語で、最も罪の重い悪は、琅燦だ。
 琅燦の意図は、突き詰めて言えば「天への実験」であったのだろうと思う。阿選はその実験台にされてしまったのだ、というのがわたしの結論だ。明らかに琅燦は、阿選のくすぶる心に油を注ぎ、火を焚きつけた張本人だ。琅燦には全くそのつもりはなかったとしても。
 琅燦こそが、阿選は絶対に王になれないことを阿選に教え(=驍宗さまと同じ姓なのでアンタは王になれないとズバリ教えた)、阿選の絶望と嫉妬をより深め、行動させた張本人であろう。あまつさえ、阿選の謀反にいろいろと手を貸している(たぶん妖魔の使い方とかも教えている)。どう考えても、琅燦が身近にいなければ、阿選は反逆することはなかったはずだよね、きっと。
 そもそも、たぶん普通に読めば玄管=耶利の主公=琅燦なんだろうけど、じゃあなんで、阿選に妖魔の使い方教えたりしたんだよ!! すごくしっくりこないというか、わたしとしてはいまだに、玄管=耶利の主公はいいとしても、それが琅燦だったとは認めたくない気持ちです。ひどすぎるよ!
 琅燦……ホント、わからんわ……この人は。

 とまあ、読み終わって2週間も経っているのに、いまだ上記のようなことをくよくよと考えてしまうわたしであります。ホントはほかにもいっぱいあるんすよ。あのキャラのこと、このキャラのこと、いろいろ語りたいのだが、もういい加減長いので終わりにします。
 でも一言だけ! 「鳩」!! 鳩が阿選の放った妖魔だったというのは、いいよ、それはよく分かった。でも、せめて駆除したら魂を抜かれた人間は正気に返る設定であってほしかったすねえ……! あの鬼設定は悲しかったよ……。。。恵棟と帰泉の二人は本当に気の毒でしたなあ……いい人だったのに……飛燕の最後も泣けたっすねえ……ご主人さまの李斎を守り抜いて逝ってしまうなんて悲しいよ……。それから朽桟や鄷都のラストも泣けました……。ホント、多くのキャラクターが逝ってしまって悲しいす……。
 あと、どうしてもわからなかったのだが、(3)巻で登場した「博牛」はいったい何者だったのでしょうか……。わたしは博午こそが臥信、あるいは剛平とか基寮だと思ってたのだが、まるで別人だったようで……。あと巖趙はラストどこ行っちゃったんだよ! 知っている人がいたら教えてください。。。

 というわけで、もういろいろな想いが尽きないのでぶった切りで結論。

 18年ぶりの発売となった、小野不由美先生による「十二国記」シリーズ最新刊、『白銀の墟 玄の月』(3)(4)をむさぼるように読んだのだが、まず第一に、最高に面白かったのは間違いない。そして読み終わって2週間も経つのに、いまだにいろいろ考えてしまうわけで、要するにわたしは「十二国記」が大好きだ! が結論であろうと思います。まあ、いろいろ本作から生まれた謎もあるし、「その後」も大変気になるわけで、来年発売になるという「短編集」が猛烈に楽しみっすね! 願わくば、クソファッキン新潮社が全シリーズ電子書籍で出してくれることを祈ります。いつでもどこでも読み返したいので。いやあ、本当に面白かったなあ……『十二国記』は最高です! 以上。

↓ Ck先輩は買ったそうです。くそう、おれも録画したのをDVD(!)に焼いたはずなんだが……どこに埋もれてるのかわからん……。
十二国記 Blu-ray BOX
久川綾
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-11-26

↓ つうか、わたしはこっちを買うべきかも。山田章博先生のイラストも最高です。はよ「第二集」出してほしいのだが……クソファッキン新潮社には期待できない……。

 2013年に公開された『MAN OF STEEL』は、DCコミックヒーロー「SUPERMAN」のオリジン物語で、まあ、何度もこのBlogで書いてきたことだが、残念ながら期待通りの面白さにはならず、まったくアレな作品になってしまった。それは、物語の進行が恐ろしくリアルで、「現実的」という意味では全く破たんなく、そりゃそうなるな、とある意味見事な物語だったのだが、残念ながら映画としてまるで面白くなかったのである。
 ある日、子供のいないカンザスの片田舎に住む夫婦のもとに、宇宙から赤ん坊が降ってくる。夫婦は喜んでその赤ん坊を育て、赤ん坊もすくすく育つのだが、成長するにつれ、自らの持つ「スーパーパワー」に戸惑いつつも、愛を知り、地球を守るスーパーな男になっていく、てのが「SUPERMAN」の物語だ。
 しかし。もしその赤ん坊が、邪悪な心に目覚めてしまったら?
 というのが、わたしが今日観てきた映画『BRIGHTBURN』の物語だ。まあ、はっきり言ってこの画を撮りたかっただけじゃね? というネタムービーであったと断じてもいいような気がするなあ……だって、相当後味悪いっすよ、このお話は。

 もう、物語は上記予告から想像できる通りに進む。つうかこれ以上の説明は全く不要だろう。なので、わたしとしては、これはいったいどんな結末を迎えるんだろうか、という興味だけで観に行ったわけだが、それはちょっと書かない方がいいだろうな。知りたいことはそれだけだし。
 というわけで、わたしとしては、本作に対して特に面白かったとか、おススメするというつもりはないのだが、一つ観ながら思ったのは、どうしてこうなってしまったのか、どこが「SUPERMAN」と違うのか、という点である。
 同じカンザスの田舎に落っこちてきた宇宙人という意味では共通しているわけだが、片や人類を守る超人に、片や人類を支配しようとする大魔王になってしまったわけで、何が道を分けたのか、これはちょっとだけ考えてみる価値はあるだろう。いや、まあ、ほとんどないけど。
 本作の場合のクソガキ君は、ある日突然、自分の乗ってきた宇宙船(納屋に隠してあった)から発せられた謎の「人類死ね死ね電波」に感化され(て本性が刺激され)たともいえるわけだが、その点では、そもそも「SUPERMAN」はその本性から善良だったけど、今回は最初から邪悪な謎宇宙人だった、という違いもあるのだろう。一体全体、どこから来たのか、彼は何者なのか、という点に関しては、本作では一切説明はない。まあ、そこを描き出したら、恐らく軸がぶれるだろうし、実際必要ないことだろう。本作は、上映時間91分と非常にコンパクトで、映像にキレがあって無駄がない点は称賛して良い点だろう。ホント、本作を作った人々は、ただ単純に、SUPERMANが邪悪な心に染まっていたらどうなった? と描きたかっただけで、他のことは特に何も考えてないというか、どうでもいいことなのだろうと思う。
 しかし思うに、自分が「スーパーな特別な存在」であることを自覚する年齢が違っていた点は、小さくない違いのような気がする。本作では、12歳(だったっけ?)の誕生日に、「どうやらオレは他の人間と違うみたいだ」ということに気が付く。まあ、予告にある通り、人間であれば反抗期まっさかりで、そんなお年頃に「やべえ、おれ、すげえかも」とか思っちゃったら、まあマズいですわな。その力を使うことに躊躇しないクソガキ年齢なわけで、言ってみれば、中2病のクソガキに、本当にスーパーパワーが宿っていた、的な物語だ。これが、自覚するのがもうチョイ、そうだなあ、5年早くて、まだまだちびっ子だったなら、教育で何とか道を正せたかもしれない。お父さんだってお母さんだって、決して悪人ではなく、善良な心を持っていたのだし、周りの環境だって、まあ、フツーだよね。ゲームや漫画でそういうバイオレンスに染まった(笑)わけでもないし。
 でも、猛獣だって、生まれた時から人間に愛情をもって育てられたら、普通懐きますわな。本作では、もう一切躊躇なく、自らの力をふるって人を殺しまくるわけで、そこが非常に異質であり、我々人類には全く理解しがたい存在となる。クソガキ君の表情が、ほぼ常に無表情ってのも、不気味さに拍車をかけてましたな。その点も、本作は非常に見事だったすね。
 そして残念ながら本作も、いろいろと見事で賞賛すべき点はあるんだけど……やっぱり面白くないんだよな……何も得られないというか……なんなんだろう、この気持ちは。とにかく無力なんだよね。人類には理解できないし、そりゃ宇宙人だから当たり前なんだが……まったく救いがないお話は、面白くはないすね。やっぱり。
 というわけで、演じたクソガキ&お母さん&お父さんの3人キャストをメモしてさっさと終わりにしよう。
 ◆ブランドン:宇宙からやってきた赤ん坊。12歳で悪意の波動に身を委ね、人類の脅威に。ブランドン、という役名は、まあ、『SUPERMAN RETURNS』でSUPERMANを演じたBrandon Routh君から来てるんでしょうな。で、今回恐怖のブランドンを演じたのはJackson A. Dunn君16歳。2003年生まれだそうな。おっと! なんと、『AVENGERS:ENDGAME』でANT-MANが赤ん坊になったり少年になったりお爺ちゃんになるあのギャグシーンで、12歳のANT-MAN=スコット・ラングを演じたのが彼だって!? まじかよ、あとでBlu-ray見直してみよっと。本作では、とにかく無表情なツラがホントに宇宙人っぽくて大変な好演だったと思います。結構なイケメンに成長すると思いますね。名前を憶えとこうと思います。
 ◆トーリ:不妊に悩んでいるところで宇宙から赤ん坊が降ってきて、愛情をもって育てたお母さん。せめてお母さんは許してやってほしかった……気の毒すぎる。。。そんな気の毒すぎるお母さんを演じたのは、Elizabeth Banksさん45歳。うおお、もう45歳なんだ。かつては可愛かったのだが……まあ、今でもお綺麗ですが、すっかりお母さん役が似合う年齢になりましたな。
 ◆カイル:宇宙人を育てたお父さん。その本性に気づき、頭を打ち抜こうとするが、あっさり返り討ちに……。まあ、宇宙人は即座に通報しないとダメだったんでしょうな……。演じたのはDevid Denman氏46歳。結構いろんなところで見かける方ですな。屈強系アメリカ人です。
 とまあこんな感じですが、エンドクレジット前の「その後」に出てきて、何やらジャーナリスト?めいたイカレたことをわめいている人物は、Michael Rooker氏が演じてて驚きだったすね。なんでこんなところにMichael氏が!? と思ったけど、要するに本作のプロデューサーJames Gunn氏に対する友情出演のようなものだったのだろうと思う。
 そう、本作は、MCUの『GUARDIANDS OF THE GALAXY』の監督でお馴染みのGunn氏が、昔のアホなツイートでMCUをクビになった時、に、その才能に眼をつけたSONY PICTURESがすぐに声をかけて作らせた作品で、その後Gunn氏はMCUに復帰することになったけど、あの時はDISNEYに対して『GUARDIANDS』のキャストたちが一斉に擁護する動きを見せたわけで、そのつながりなんでしょうな。わたしはGunn氏に特に思い入れはないのでクビになろうが復帰しようがどうでもいいけど、まあ、本作は、確かに映画としてとてもキレがあって映像的にもかなり高品位、であったけど、お話的にオチがないというか救いがなく、面白いとは思えなかったすね。まあそれが結論す。本作は、US本国では全然売れなかったみたいすね。評価もかなり微妙判定だな……Rottentomatoesによると。日本では売れるんだろうか。。。
 ※追記:サーセン、一部わたしの勘違いでした。本作は、Gunn氏がMCUをクビになる前からSONYがGunn氏に作らせていた作品で、出来上がってから、Gunn氏のツイート騒動が起こってプロモーションができなくなった、結果、あまり売れなかった、というのが正しいみたいです。Wikiによると。でもどうかな、予定通りコミコンなどでのプロモーションが出来ていても、ちょっと厳しかったような気がしますね……根拠ナシですが。

 というわけで、なんかどうでもよくなってきたので結論。
 
 今日観てきた『BRIGHTBURN』という作品は、もしSUPERMANが邪悪な心の持ち主だったら?という物語を描いているわけですが、結論としては、そういう宇宙人はとにかく無慈悲&無造作に人類をぶっ殺すだろうし、それに対して人類はまるで無力、愛さえもまるで通じないという、ある意味当たり前の結果となるお話であった。なので、面白いとは思えないすね。ただし、本作でその邪悪な宇宙人を演じたJackson A. Dunn君は、その無表情な演技は極めて上質であったし、物語自体のキレはとても鋭くシャープで、大変高品位な映画であったと思います。とにかく、Dunn君の表情がですね、人間を虫けらのように見るまなざしが、無慈悲かつ超冷酷で、その点は非常に見ごたえがあったかと存じます。やっぱり、上にも書きましたが、宇宙人が来たら即通報、の方が良さそうすね。ただし、それだとSUPERMANは誕生しませんが。以上。

↓ 宇宙人に心があって、善良な場合、はこうなります。

 今を去ること34年前。1985年。わたしは高校生になったばかりで、もう既に順調に映画オタクの道を邁進していたわけだが、その年公開された『THE TERMINATOR』という作品には大興奮したことを今でもよく覚えている。一緒に観に行ったのは当時一番仲の良かったO君で、今はもう跡形もなくなってしまった松戸の輝竜会館という映画館にチャリで観に行ったのであった。そしてその6年後、28年前の1991年には『TERMINATOR2:JUDGEMENT DAY』が公開され、当然劇場へ2回観に行ったほどである。1回目は錦糸町での先行オールナイト興行へ、2回目は有楽町マリオン11階にあった、今はもうなくなった日本劇場へ観に行ったのである。ちなみにその後、わたしはこの『2』を家で大迫力で観るために、レーザーディスクプレイヤーを買い、さらに当時最新鋭だったドルビー・プロロジックIIサラウンドを搭載したAVアンプやスピーカーなどを揃えて、大音響で夜中観ていたら近所から叱られたという逸話もある。要するに言いたいことは、わたしは『TERMINATOR』というIPには大変思い入れがあるということである。
 その後、シリーズは『TERMINATOR3:The Rise of Machine』が2003年、『TERMINATOR:SALVATION』が2009年、『TERMINATOR:GENESYS』が2015年と作られていくわけだが、どの作品も、つまらなかったとは言わないけど……やっぱり、正直それほど興奮しなかったというか……結局、いつも同じなんだよね……。なので、もうこれ以上は作らなくていいんじゃね? と思っていた。なお、わたしとしては、世間的に非常に評価が低い『3』は一番設定として正統(?)で、真面目に考えるとあのお話になってしまうと納得しているので、実はそれほど嫌いじゃない。つうかむしろ、『3』は非常に出来が良いと思っている。
 ところで、『1』と『2』に共通していて、そのほかの作品にないものは何か。それは実のところ明確で、原作者たるJames Cameron氏がクリエイションに関与していない、という点だ。言ってみれば二次創作なわけで、そりゃあ、オリジナルたる『1』『2』と比較するのがそもそも間違っていると思う。
 というわけで、『TERMINATOR』を冠する作品が公開されると、わたしとしては、まあ、観に行くけど、どうだろうなあ、という態度にならざるを得なかったわけだが、今般、とうとう原作者Cameron氏が製作総指揮にクレジットされる『TERMINATOR:DARK FATE』なる映画が公開されることとなった。というわけで、わたしとしてはその出来を確認すべく、劇場に行かざるを得ないわけである。
 ――が。観終わった今、感想を一言で言うと、び……微妙かな……やっぱり……。どうだろう、これは……ううむ……面白かった……のかなあ?? 何とも現状では評価できないというか……やはり本作もまた、完全に別モノというか……続編というよりも二次創作といった方がよいのではなかろうか……。。。

 物語はもう、いつもの通りである。
 未来で何かを成す、メキシコ在住のダニーなる女子がいる。そのダニーを殺そうと未来から送られてきた新型ターミネーターRev.9と、逆にダニーを助けるために未来からやってきた強化人間グレースが、ダニーをめぐって大バトルを繰り広げるお話である。
 本作で最も特徴的なのは、これまでのシリーズでは必ず出てくる、「スカイネット」と「カイル・リース」が一切登場しないことであろうと思う。
 「スカイネット」とは、軍事用人工知能(?)で、未来において人類を敵として殺しまり、そもそものターミネーターを過去へ送る存在である。そして「カイル・リース」とは、未来における対スカイネット戦争の人類側リーダー、ジョン・コナーが、1984年の過去に送られたターミネーターが狙う自らの母、サラ・コナーを救うべく遣わした未来人だ。
 この「スカイネット」と「カイル・リース」こそが基本で、これまでのシリーズにはほぼ必ず出てくるわけだが今回は、出番ナシ、である。
 思うに、この構造は、ある意味強固な縛りだったような気がする。というのも、(未来の)ジョンは、父親であるカイルを、死ぬとわかっていても1984年にどうしても送り込まないといけないからだ。じゃないと、自分が生まれないのである。そしてカイル・リースを過去に送るための条件という意味で言うと、「ジャッジメント・デイ」も、どうしても起こらないと困るのだ。「ジョンが生まれる=カイルが1984年にやってくる」ことが必須だとすると、そうなってしまうのである。
 なので、超名作と呼ばれる『2』で、泣けるめでたしめでたしエンドを迎えても、真面目に考えると「ジャッジメント・デイ」は回避できなかったという方向にしか脚本開発はできない。だから、あの『3』になったのだとわたしは考えている。アレはアレで、まったく正しいというか、ありうべき「続編」だったと思うのである。そういう意味では、わたしにとって「正当な続編」はやっぱり『3』であり『4』だ。『GENESYS』は……ちょっとアレかな。。。
 で。本作はこの最も基本設定となる「スカイネット」と「カイル・リース」は出てこない。この点はある意味ブレイクスルーと言えるような気がしている。カイルが1984年にやってきて、ジョンは生まれているが(=1と2の物語の出来事は起こったが)、『2』の出来事によって、カイルを1984年に送った未来はもう存在していない、けど、それでいいのだというスタンスである。
 これは、タイムスリップものの物語としては、実はアリ、だと思う。まあ、真剣に考えると全然違うけど、『END GAME』の設定と若干似ていて、「起こったことは変わらない」「ただしこれから起こる未来は、行動によって別の未来が生まれる」方針を取っているのだ。テキトーにパワポで図を作ってみると、こういうことだと思う。あくまでジャッジメント・デイは起こってしまったとする『3』はもうあり得なくなっちゃった(ただしカイル・リースを1984年に送ろうとする未来を描いた『4』は、ある意味『1』の前日譚としてまだ有効で、本作と矛盾しないと思う)。
Terminator02
 わたしとしては、本作のこの基本方針は全く非難しないし、アリだとは思う。しかしなあ……はっきり言って、「スカイネット」に代わる「リージョン」なるAI(?)の存在感は希薄だし、結局のところ「スカイネット」そのもので名前が変わっただけだし、最新ターミネーターRev.9もT-1000とあまり変わらないし、さらに言えば、そもそもダニーなる女子の魅力が薄口すぎて、どれほどリージョンを苦しめ、狙われる存在だったのかも、実は全く実感がわかない。結局のところ、レジェンドたるサラ・コナーとT-800モデル101を出したかっただけじゃね? としか思えなかったような気がするなあ……。
 というわけで、本作のポイントは以下の2つだけだったような気がします。
 ◆サラ・コナーとT-800モデル101のその後
 サラ・コナーは、『2』ののち、「ジャッジメント・デイ」を回避することに成功し、予言されていた1997年8月29日を無事に迎える……が、そのめでたい日に、ジョンがT-800に殺されるシーンから本作は始まる。まあ、実はスカイネットはいろんな過去へターミネーターを送っていた、という設定は、別に問題ないだろう。でも、前述のように、結局はほぼ同じである「リージョン」がダサすぎるというか……ジョンを失って絶望したサラをもう一度戦わせるために、無理やり作られた設定にしか思えなかったすね。
 さらに、ジャッジメント・デイにジョン殺害を成功させたT-800のその後も、これは若干『GENESYS』の設定をパクって、サイボーグなのに老化する、というのは許せるとしても、「目標達成後の機械」に妙な良心が芽生えるというのは、結局Schwarzenegger氏をもう一度登場させるための苦し紛れ設定のような気もしますなあ。。。おまけに、時間変位を感知できるってのはやっぱりチョイ乱暴というかとってつけた感があるよね。。。
 いずれにせよ、戦う本家サラ・コナーをオリジナルのLinda Hamiltonさんはカッコよく演じてくれたし、御年72歳のArnold Schwarzenegger氏も貫禄たっぷりで、お二人の演技には何ら文句はないっす。しかし、やっぱり『2』当時のサラは本当にカッコよく美しかったですなあ……。『2』の登場ファーストカットの、病室で一人トレーニングをしている時の腕の筋肉の美しさは忘れられないすね。あと、そうだ、『2』でジョンを演じたEdward Furlong君がCGで登場するのはびっくりしたっすね(※そのシーンには『2』当時にデジタル若返りしたLindaさんも出てきます)。まあ、今の彼はご存じの通りダメ人間のおっさん(42歳)になり果ててしまったのだが、『2』当時は本当に美少年だったすなあ……こういうCG出演って、どうなんでしょうか……。
 ◆強化人間グレース大奮闘
 わたしとしては、本作に登場する未来からやってきた強化人間、グレースは大変すばらしかったと思う。ただ、活動許容時間を過ぎるとオーバーヒートしちゃうのは、完全に超名作『UNIVERSAL SOLDIER』そのものでしたな。いっそ、ユニ・ソルのように全裸で氷風呂に入ってほしかったわ。演じたのは、去年の夏に観た『Tully』での好演も記憶に新しいMackenzie Davis嬢32歳。本作では非常に美しい、鍛えられた体でしたなあ。アクションも大変お見事でした。人間には出来ない動きが、やたらとカッコよかったすね。
 というわけで、わたしとしてはもう、新型Rev.9はどうでもいいし、狙われるダニーもどうでもいいので、演じた役者のことも以下省略です。
 ひとつだけ。監督についてメモしておくと、本作を撮ったのは、『DEADPOOL』で一躍名を挙げたTim Miller氏である。動きとカットの途切れない画面ワーク、それから銃や爆発の効果などはさすがすね。それほど残虐描写もなかったけど、別にそれを売りにされても困るし、大予算の大作として、非常に手堅くきっちりまとめられたのではないかしら。問題は脚本だろうな……もうチョイ、ダニーが狙われる理由をきちんと描いてほしかったすね。いっそ、リージョンの発明家で、逆に人類側がダニーを殺しにやってくる、そしてリージョン側がダニーを守ろうとターミネーターを派遣する、みたいな、まったく逆の構造も考えられたんじゃないかしら。でも、人類側はやっぱりダニーを殺せない、みたいに、『2』でダイソンを殺そうとしてできなかったサラの葛藤みたいなのが、今回再び描かれても良かったように思うす。わたしだったらそうしたね。その方が面白そうじゃないかな? どうでしょ?

 というわけで、もうさっさと結論。
 何度も繰り返し描かれてきた『TERMINATOR』の物語だが、ついに生みの親であるJames Cameron氏製作総指揮の元、再び新作『TERMINATOR:DARK FATE』なる作品が公開されるに至ったのでさっそく観てきた……のだが、結論としては、本作もまた、これまでの「続編」同様に、「二次創作」であったと言えるのではなかろうか。ただし、お話としては、ある意味シリーズの呪縛(?)だった、スカイネットとカイル・リースを無視していて、新しい別の未来を描いている点は、興味深い違いだと思う。思うのだが……それが面白く成功しているかというと、かなり微妙だったかな……と言わざるを得ないだろうな……。せっかく呪縛を破った新しい未来を描くなら、もうチョイやり方はあったような気がしてならないす。つうかですね、なんか、製作側から「3以降はなかったことに」とか言われると、実に腹立たしく思いますな。なかったことにできるわけないじゃん。そういう点が、わたしがFOXが嫌いな点ですよ。ホント馬鹿にしてるというか、不愉快極まりないことをいともたやすくやる(言う)のが頭に来るね。さっさとDISNEYの一部門として降るがいい! 以上。

↓やっぱり未だ色あせない名作ですなあ……最高です。あの頃はわたしも若かった……。。。
ターミネーター 2 審判の日 (字幕版)
アーノルド・シュワルツェネッガー

 2010年に初めて宝塚歌劇を体験してからすっかりハマり、10年が過ぎた。前回も書いたが、わたしはチケットをほぼ「宝塚友の会(=略して友会)先行抽選」で買っているわけだが、ここ数年、とにかくチケット難が続いており、とりわけ雪組は当たる方が珍しく、花組もここ数回獲れないでいる。
 そういう獲れなかったときは、わたしをズカ道に導いてくれた美しき師匠に相談すると、チケットを融通してくれることが多いのだが、前回の花組公演『カサノバ』は結局観ることが叶わず、見逃してしまったのであった。
 そんな中、ついに、現在の宝塚歌劇団TOPスターの中で(たぶん)最も人気の高い、花組TOPの明日海りおさん(以下:みりお)が退団を発表され、チケット争奪戦は激戦の様相を呈し、わたしも全敗、こりゃみりお氏のラストは見送れないかもな……と嘆いていたのである。みりお氏は2010年にわたしのズカ体験2回目であった月組公演で極めて強いオーラを放っていて、確実にこの人は将来TOPスターに上り詰めるであろうとずっと見つめてきた、思い入れのあるお方だ。そんなみりお氏のラストが見られないのは、痛恨極まりないわけで、わたしとしては本当にもう困っていたのである。
 が。
 1カ月ぐらい前、チケットぴあから何やらメールがポロリンと来たのである。そもそもぴあもe+も、まったくどうでもいいダイレクトメールが1日に10通近く送られてくるので、どうせそんなもんだろうと開くこともせずに削除……しようとしたところで、「抽選結果のお知らせ」という文字が目に入った。
 わたしはもういろんなチケットの抽選に申し込んでいるので、申し込んでいたことすら忘れていたのだが、なんじゃろか、どうせ「チケットはご用意できませんでした」のお知らせだろ!? と開いてみたところ、なんとなんと、花組公演が当選していたのである! わたし、ぴあで初めてズカチケットが当選したっす。奇跡はあるんですなあ!
 なので、うおっと、マジかよ、やったぜ! と小躍りし、セブンイレブンでの発券は翌日からとあるので、その翌日さっそく発券に行って観たところ……な、なんと! 奇跡はもう一つありました。
 なんと! なんとですよ!? 席が……!!! 奇跡の最前列!!!だったのです!!!!
 いやあ、マジでびっくりしたっすねえ! マジかよ!? とレジで声が出ちゃったす。ぴあで当選することだけでも信じられないのに、ましてや最前列だなんて、こんなことって、あるんですなあ!
 というわけで、その奇跡×2のチケットを握り締めて、昨日は日比谷に推参した次第であります。
saizenretsu
 ヅカファンなら、この写真でもうお判りでしょう。上手側のサイド席でありました。いやあ、その迫力は失神モノだったすねえ……ヤバかったす。まあ、おっさん客のソロ観劇で、なんだコイツ的に観られたかもしれませんが、いいんだよそんなこたぁ! そして思うに、わたしが友会で比較的よく当選するのは、ソロ観劇、すなわち1枚で申し込みをする点も、抽選には有利なんじゃねえかという気がしますね。

 というわけで、現在日比谷の東京宝塚劇場で絶賛公演中なのは花組であります。そしてTOPスター明日海りおさんの退団公演である『A Fairy Tale -青い薔薇の精-/シャルム!』という2本立てであります。
 まずはお芝居の『A Fairy Tale -青い薔薇の精-』ですが、お話は19世紀のイギリス、とある貴族のお庭には精霊が住んでいて、その精霊たちは子供には見えるし交流もできる、けど、精霊界のルールとして、自分たちと交流した記憶を人間から奪う「忘却の粉」を振りかけないといけないらしい。しかし、薔薇の精であるエリュは、美しい心を持つシャーロットという少女にぞっこんLOVEってしまい(?)、忘却の粉をかけることを拒み、ルールを破ってしまう。その結果、そのお庭は荒廃し、エリュも「悲しみの色」である青に染まってしまう。それから数十年が過ぎ、あの美しかったお庭には植物が根付くことがなく、調査にやってきた植物学者の青年ハーヴィーはエリュと出会い、エリュからシャーロットの現在の居場所を探す依頼を受けるのだった……てなお話である。サーセン、いつも通りテキトーに端折りました。
 まあ、なんつうか、みりお氏はいわゆる「フェアリー系」であり、フェアリーを演じるのにはもうこれ以上ないキャスティングなわけですが、お話的には意外と現実的というか世俗の美しくない事情も絡んで、人とならざる存在のみりお氏と、人間としてしがらみ?のようなものにとらわれるハーヴィーを演じた花組2番手スター柚香光さん(以下:ゆずかれー)の対比が際立つお話でした。そしてヒロインであるシャーロットの出番が若干少ないのが少し残念だったかもっすね。
 というわけで、各キャラと演じたジェンヌを軽くメモしておこう。
 ◆エリュ:演じたのは当然みりお氏。これでみりお氏ともお別れかと思うと、ホントに淋しいすね。。。最前列で観るみりお氏は、本当に美しかったよ。約5年半の長期間、TOPスターとして本当に見事な舞台を見せてくれて、心からありがとうと申し上げたいすね。そして本当にお疲れ様でした。千穐楽まで、思いっきり駆け抜けてください。そして退団後は、美しい女優として活躍することを楽しみにしてますよ。わたし的には、みりお氏は、演技が一番の長所だと思うので、舞台で再び会いたいですな。
 ◆ハーヴィー:演じたのは次期TOPスターが決まっている、ゆずかれー君。そのビジュアルは最強レベルですが、歌がなあ……今回は比較的大丈夫だったと上から目線で申し上げたいけれど、ホント、今後の活躍を期待してますよ。わたし的にはゆずかれーくんも演技が一番の長所だと思ってます。しかしゆずかれー君は、わたしの贔屓である礼真琴さん(以下:こっちん)と同期なわけで、最年少TOPになるわけだが、その重圧は計り知れないものがあると想像するけど、負けずに頑張ってほしいすね。なんか、数年後、トート閣下を演じそうな気がするっすね。新公でもやってるし。まあ、ビジュアル的にはトート様が似合うでしょうなあ。
 ◆シャーロット:演じたのはこれがTOP娘役お披露目となる華優希さん(以下:はなちゃん)。ラストの老け役も見事でしたね。普段のはなちゃんは、わたし的にはかなり素朴系・ふんわり系のかわいい娘なわけですが、これからはTOP娘として、強い女性の役なんかも演じて行かなきゃイカンわけで、そんなはなちゃんを観るのを楽しみにしたいっすね。
 ◆ウィールドン夫人:シャーロットの母で庭園を愛していた美しい夫人。演じたのは城妃美伶さん(以下:しろきみちゃん)。しろきみちゃんも今回で卒業かあ……残念だなあ……元々わたしが一番応援している星組生だったしろきみちゃん。5回も新公ヒロインを務めてもTOPになれないんだもんなあ……やっぱり、97期というのは娘役にとって、タイミングが悪すぎたんだろうなあ……。。。きれいで歌もうまくて、こっちんの嫁にはいいんじゃないかと思ってたのだが……。こっちんロミオとしろきみちゃんジュリエットの新公はわたしは観たことがないので、いつか観てみたいす。まあ、一般人からするととんでもない美人なので、退団後の活躍を楽しみにしてますよ。どこかでまた会いに行くよ!
 ◆ニック:ウィールドン夫人に何となく恋心っぽいものを抱きつつ、夫人の愛した庭園を美しく管理する心優しい庭師の青年。演じたのは水美舞斗さん(以下:マイティー)。マイティーらしい、優しい役だったすね。ここ2年ぐらいでグイグイ存在感が増してきて、同期のゆずかれー君を支える重要な人材ですよ。星組の瀬央ゆりあさん(せおっち)もそうですが、番手的には2番手にはなれないのかなあ……同期ワンツーがあってもいいじゃん……
 で。後半はショー「シャルム!」であります。
Charme
 なんつうか、全くどうでもいいんだけど、映画オタクのわたしには、タイトルが『シャザム!』に似ているし、おまけに主題歌のメロディーも、なんかヒーローものの主題歌のようで、「シャルム!」と若干呪文めいた部分も、ちょっと変わったショーだったような気がします。
 公式Webサイトによると、「シャルム」とはフランス語で「魅力、色香、魔法、呪文」などを表す言葉だそうで、要するに英語のcharmのことらしいが、まさしく呪文でした。ほんのうっすらと、物語的な部分があるのはどのショーでもそうだけど、今回はなんつうか……うーん……なんといえばいいんだろう? あの魔法ステッキを持った魔法少女は何だったんだ!? いや、まあ、可愛かったからいいんだけど、ちょっと表現しにくいっす。
 まあ、いずれにせよ、最前列で観るショーの迫力はマジでヤバいすね。失神するかと思うぐらいのキラキラの大洪水で、溺れそうになったすわ。残念ながら、みりお氏の客席降りでは、握手できなかったす。超近くまで来てくれたんだけど……直前でふいっと帰っちゃったのが残念でした。そして、ゆずかーれくんの背中を、そっと押すみりお氏はなんか泣けたっすね。
 今回のショーでは、94期の羽立光来さん(芝居の方でシャーロットと結婚するいやーな奴を演じたお方)がわたしの真ん前に何度か来て、完璧にわたしに向けて目を合わせて微笑んでくださいました。わたしも、マジかよ、うおお! と満面の笑みで返したんですが、キモイおっさんでサーセンした! その愛称の通り、超ビック、身長178cmだって。おれより5cm以上デカいじゃん!

 とまあ、こんなところかな。もう書きたいことはないかな……。
 では最後に、毎回恒例の今回の「イケ台詞」を発表して終わりたいと思います。
  ※イケ台詞=わたしが「かーっ!! カッコええ!!」と思ったイケてる台詞のこと。
 「眼には見えなくとも、わたしは、この庭で、ここに咲く花たちを見守り続けている。いつまでも……」
 今回は悩んだけど、まあ卒業に寄せたみりお氏の心情を現したこの台詞にしておきます。はあ、ほんとにみりお氏の退団の日が来てしまうんすねえ……TOPになることは、まさしく終わりの始まりなわけで、わが愛しのこっちんも、数年後には確実に卒業の日が来るんですなあ……おれ、泣かないでいられる自信ないっす……それを考えると、もう今から淋しいんすけど、どうしたらいいんでしょうか……。。。

 というわけで、結論。
 ついに来てしまったみりお氏の卒業公演。わたしは全くチケットが獲れず、これはマジで観られないかも……と半ばあきらめていたところでのぴあ当選、しかも最前列!という奇跡に恵まれたわけだが、とにかく最前列で観るショーのヤバさは、恐らく生涯忘れないだろうと思えるほどでした。そしてみりお氏のラストも、やっぱり忘れ得ないものとなるような気がします。まあ、内容的には若干不思議な感じだったけれど、その美しさはもう、みりお氏の宝塚人生ここに極まれりというものだったと結論付けていいのではなかろうか。しかし退団後の活躍も楽しみすねえ。みりお氏はやっぱり舞台が似合うと思うすね。映像系もイケると思うけど、やっぱり、舞台で輝くみりお氏にまた会いに行きたいですな。そして同じく卒業するしろきみちゃん……きっと卒業後も、様々な舞台で輝いてくれるでしょう。これからも、応援いたしたく存じます。残された花組の皆さん、ゆずかれーを先頭に、これからも走り抜けていただきたいと存じます。わたしは星組推しなので、まずはこっちんを一番応援しますけどね。以上。

↓ 観に行けなかったので、Blu-rayを買おうかと存じます。よく考えると、観に行くチケット代と値段あまり変わらんしね。ズカBlu-rayは結構あっさり品切れになるから、買える時に買わんと!!

花組宝塚大劇場公演 祝祭喜歌劇『CASANOVA』 [Blu-ray]
明日海りお
宝塚クリエイティブアーツ
2019-04-26

 このBlogで、もうおそらく50回ぐらい書いているのだが、今回も敢えてこのセリフから始めよう。わたしがこの世で最も好きな小説家は、Stephen King大先生である!
 というわけで。2年間、35M$の予算で製作され、公開されるや全世界で700M$も稼ぎ、大ヒットとなった映画『It』。1USD=108JPYとして、37.8億円投資したものが756億円で戻ってきたわけで、莫大な利益をもたらした作品だが、King大先生のファンであるわたしは、公開前は結構懐疑的だったのである。なんで今さら「It」なんだ? そもそもあの長大な『It』が2時間で描けんのか? という感じで、ズバリ言うとほとんど期待はしてなかったのである。
 しかし!
 公開された『It』は、予想を大きく上回る面白さで、とりわけ、子供時代編と現代大人編の2つの時間軸がある原作を、その子供時代編だけに絞って切り取り、超見事に映像化されていたのであった。さらに言うなら画面のクオリティは極めて高品位で、特に「黒」の表現が非常に巧みであった。なるほど、現代最先端の技術を使うとここまで鮮明で見事な映画になるんだな、という当たり前のことが妙に新鮮だったのである。
 そして2年前に公開された『It』は、そのラストで正式?なタイトルとして『IT Chapter1』と堂々とクレジットされるに至り、おお、つまりこれは、「大人編」も作る気満々じゃねーか! とわたしは歓喜したのであった。
 というわけであっという間に2年の月日が流れ去り――とうとうその続編たる『Chapter2』が公開されたので、わたしもさっそく観てきたわけである。
 が……うーん、そうだなあ……まず一言で言うと、原作とかなり違う。正直わたしは原作小説のラストを明確には記憶していないけど、これは間違いないと思う。そして、原作はとりあえず抜きにしても、映画として、まず長い。そして、若干、あれっ!? というエンディングであったような気がしている。これは……なんかいろいろはしょられたというよりも、別物になっちゃったかな、という気がする。
 ただし、だからと言ってつまらなかったとは言わない。わたし的には、この映画には3つの見どころがあって、その点では非常に満足であります。大絶賛はしないけど、十分面白かったすね。可能なら、『Chapter1』をもう一度見て、すぐこの『Chapter2』を観るのが一番いいような気がするっすね。ちなみに本作『Chapter2』も、US本国及び諸外国では9月にもう公開になっていて、USでは245M$稼ぎ、全世界合計では456M$稼いで大ヒットとなっている。すげえなあ!

 ところで、前作でも書いたが、日本版タイトルには意味不明などうでもいいサブタイトルがついているが、まったくセンスを感じないのでゴミ箱行きでいいだろう。なのでその邦題サブタイトルは一切記載しない。
 というわけで、お話は『It』の27年後である。メイン州デリーという、King大先生の作品で非常によく出てくる街には、27年周期で大量殺人(というより行方不明者というべきか)が起きていて、前作『Chapter1』では1988年、そしてその27年後、2015年の出来事を描いたのが本作『Chapter2』だ。まあ、簡単に言うと、前作では「それ=It」に出会ってしまった少年少女たちは、超がんばって「それ」を撃退することに成功したものの、完全な駆除には至っておらず、今回、ケリをつけるというお話だ。前作では、スクール・カースト最底辺の「負け犬クラブ=Losers」のちびっ子だった彼ら&彼女は、今やすっかり大人となって、それぞれの生活をしている。が、一人だけ27年間デリーから離れずにいたマイクから、「アレがまた出た!」という電話を受けて、再集合するところからお話は始まる。
 ここでさっそく、わたし的見どころその1)を紹介しよう。
 そうなんです。今回の「大人編」は、前作でちびっ子時代を演じた子役のみなさんと、ことごとく似ている、面影のある役者で作られているのであります! まずはこのキャスティングがスゴイというか素晴らしい! とわたしは讃えたいと思う。
 さらに、わたし的見どころその2)も紹介しておくと、もうわたしは劇場で大興奮して、登場した時思わず、おおっと!? と声を出してしまったのだが、なんとなんと、Stephen King大先生ご本人がとあるキャラクターで登場するのであります!!! King大先生の顔を知っている人なら、すぐわかったはずだが、恐らく劇場の皆さんは全然気が付かなかったんだと思う。けど、マジでわたしはまさかのKing大先生登場に興奮したっすねえ!! しかも、台詞もあるし、何気に登場シーンが長い! ヒントは、主人公ビルがかつて自分が乗っていたチャリンコを発見して300ドルで買い取るシーンですよ! このKing大先生のまさかの登場からわかることは、つまりKing大先生もこの作品をとても気に入っているということで、原作とかなり違った物語だけど、全然アリ、King大先生納得済みということだろうと思う。
 で。物語的にわたしが残念に思ったのは、原作で(あるいはKingワールドで常に「善」を体現するものとして)登場する「亀」が物語に絡まなかったことだ。前作でも今回でも、「亀」はチラッと登場するけど、「It=それ=邪悪なる存在」と対になる「善なる存在」としての「亀」が物語に何の役割も与えられなかったことだけが残念だ。
 そして、どうしてもキャラクター一人一人の過去と感情を追わなくてなならない必要があるために、結果的に映画全体が長くなってしまう。本作は上映時間169分もあるのだが、仕方ないとはいえ、やっぱり長いし、それにしてはエンディングが結構あっさりしちゃっているので、その点もちょっとだけ残念だったかもしれない。
 しかし、そういった物語上のアレな点を帳消しにしてもいいぐらい素晴らしかったのが、わたし的見どころその3)、映像そのものの素晴らしさ、であろうと思う。とりわけ原作ファンでも大興奮できたのは、「It」の最終形態である「蜘蛛」型Itの映像化ではなかろうか。あれはもう、原作では想像するしかなかった姿を見事に映像化してくれましたなあ。若干エイリアン・クイーン的でもありましたが、原作を読んだ時のわたしの想像を超える見事な造形だったと思います。そして今回も、「闇」、とりわけ「黒」が見事でしたなあ! これは話題のDOLBY-シネマで観るべきだったと悔やまれますな。他にも映像的にはペニーワイズと風船なんかも、どのシーンでも非常にシャープというか鮮明で、実に映像として美しさすらあって、とても印象的でしたな。こういう映像力は小説の文字を超える力があると思うっすね。実にお見事でした。
 というわけで、最後に今回の「大人編」を演じた負け犬クラブの面々をメモして終わりにしよう。見どころ1)で書いた通り、子供辺と大人編ですげえよく似ている役者が起用されてるわけですが、その外見はもちろんなんだけど、キャラクターとして、きっちり似ているというか統一されてるというか、まさしくこの子が大人になったらこうなるっていうのが見事に表現されてたと思うっすね。
 ◆ビル・デンブロウ:演じたのはヤング・プロフェッサーXでお馴染みJames McAvoy氏。子供時代編を演じたJaeden Martell君に似てますな、やっぱり。どもりもすっかり治り、作家として活躍する大人ビルも、デリーに帰郷し、Itと対峙するとどもりが再発してしまうのだが、若干、McAvoy氏のどもり演技は不自然だったような……その点は子役のJaeden君の方が上手かったような気がしますね。
 ◆ベバリー:負け犬クラブ紅一点の勇敢な女子。演じたのはJessica Chastainさん。子供時代編を演じたSophia Lillisちゃんとはちょっと雰囲気が違うすね。今回唯一子役とイメージが違うような。目が違うのかな。。。
 ◆ベン:子供時代はデブで奥手ないじられキャラだった彼が、大人になってからはすっかりスリムなイケメンに成長。でも、ちょっと写真をよく比べていただきたい。大人編のJay Ryan氏と、子供時代編のJeremy Ray Taylor君、なんかね、似てんすよ、やっぱり。特に目が面影あるんすよねえ! 大人編のJay氏は、若干ドクター・ストレンジっぽいんすけど、やっぱベンなんすよ。これはお見事なキャスティングだったと思うすね。しかしベンも27年を経てやっとベバリーへの想いが通じてホント良かったね!!
 ◆エディ:喘息持ちで毒舌なエディも大人編を演じたJames Ransone氏とJack Dylan Grazer君は同一人物のようなキャラ同一性が保たれてましたな。ちなみにDylan君は、かの『SHAZAM!』でフレディを演じてくれたあの子です。アレも見事な演技でしたな。
 ◆リッチー:メガネの毒舌トーキングマシンなおしゃべりキッズ。しつこいけど、大人編のBill Hader氏と子供時代編のFinn Wolfhard君はホントによく似てます。
 ◆スタンリー:大人編のスタンリーはすぐに自殺してしまうので(これは原作通り)ほぼ出番はないですが、回想で出てくる子供時代編のWyatt Oleff君と大人編のAndy Bean氏はやっぱりホントに似てますね。ちなみにWyatt君は、かの『Guardians of the Galaxy』で地球から連れ去られる子供時代のピーター・クィルを演じてくれた彼っすね。
 ◆マイク:唯一デリーに住み続けて、「It」の謎を追い続けていたマイク。ホントしつこいけど、子供時代編のChosen Jacobs君と今回の大人編のIsaiah Mustafa氏はマジそっくりす。
 とまあこんな感じだが、最後に監督のAndrés Muschietti氏を称えて終わりにしよう。アルゼンチン出身の監督だが、わたしがほめたたえたいのは、その映像のシャープさと言えばばいいのかな、キレがあるんすよね。非常に高品位だと思う。目に鮮やかな風船の赤と真っ暗闇とか、やっぱり色のセンスなのかな? 色の対比、色彩設計が非常に見事だったと思う。そして音楽のつけ方もとても上品かつ効果的で良かったすねえ! 今後、どんな作品を取るのか知らないけどIMDbによれば、『Attack on Titan(=進撃の巨人)』ハリウッド版の監督に、なんてアナウンスされてるようで、非常に気になりますな! とても才能ある監督だと思います。

 というわけで、もうまとまらないので結論。
 2年前からずっと楽しみにしていた『IT Chapter2』がとうとう日本でも公開になったので、さっそく観てきたわけだが……原作と比較すると、かなり違いがあってもはや別モノ? という気もするし、とにかく2時間49分は長い! と思うけれど、一方では、とにかくキャスト陣が子供時代編とつながっている感が保たれた、似ている俳優ぞろいで実に興味深かったし、映像的にもとてもキレがあって、結論としては大変楽しめました。なにより、King大先生の大ファンとしては、King大先生がスクリーンに登場して、台詞も結構ある役を演じる姿に大興奮であります! このシーンだけでもわたしは楽しめました。ホラー映画?とカテゴライズするのが普通なんだろうけど、実際、物語を知ってても、うぉっと、やっべええ!! といちいちびっくりするような演出も楽しめたっす。素っ裸の老婆がベバリーを襲うシーンがわたしは一番怖かったす。アレはヤバかったすね! というわけで、原作とは違っていても、この映画はアリ! が結論です。以上。

↓ あーあ、2年も時間があったんだから、もう一度ちゃんと原作読んどくべきでした。アホだった……電子で全巻全館買い直しておいたのに。。。そしてもう一度『Chapter1』を見直しておくべきでした……。
IT(1) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03


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