2018年08月

 早いものでもう8月も終わろうとしています。東京は昨日はちょっとだけ暑さ和らぎましたが、今日はまた暑くなるみたいすね……。
 というわけで、今日発売の週刊少年チャンピオン2018年第40号に、ようやく来週発売の『鮫島、最後の十五日』第(19)巻の新刊告知が載っていましたので、それだけ備忘録として貼っておきます。広告だから、画面スクショ載せてもいいですよね……?
 ちなみに、わたしは電子書籍でチャンピオンを毎週買っているわけですが、先週号から「再連載」と称してシリーズ第1作の『バチバチ』が1話ずつ巻末に掲載されております。今週は第2話でした。
 というわけで、今週のチャンピオンに載っていた新刊ADと、既刊ADを貼りつけておきます。これはアレなのかな、電子版だけ、に載ってるものなのかな? 紙雑誌版は未チェックです。サーセン。
same19
 カッコイイすねえ……第(19)巻は第161話から第169話までが収録されているものと思われます。えーと、【王虎】さんとの闘いの後、部屋に戻った鯉太郎と椿ちゃん、それから【猛虎】先生と田上さんこと【稲虎】関のやり取りのあたりから始まって、VS【猛虎】先生のハッキヨイ、バトルスタート、まで、でしょうか。また(19)巻を買って、一人興奮しようと思います。
 それから、たぶんこれは電子版のみのADだと思われるのですが、『バチバチ』『Burst』のADも、こちらはカラーで掲載されていました。とてもイイ感じっす。
bachibachi
Burst
 わたしは先日また佐藤先生の『いっぽん!』を読み直してみたりなどしているのですが、ホント、既に『いっぽん!』においても、この『バチバチ』『バチバチBurst』『鮫島、最後の十五日』に通じるモノが熱く描かれていて、なんつうか、読んでいて非常にグッと来たっすね……この『いっぽん!』で描かれたものは、すべて『バチバチ』シリーズでさらに深く進化していると思います。
 もし! 『バチバチ』や『鮫島』は大好きだけど、『いっぽん!』は読んでないという方がいらっしゃいましたら、これはもう、マジで今すぐ読んだ方がいいと思いますよ。最高ですので。


 というわけで、結論。
 わたしたちが愛した『鮫島、最後の十五日』のコミックス単行本の最新刊、第(19)巻は来週9月7日(金)の発売であります! ぜひ買っていただければと存じます。
 そして今、電子版の週刊少年チャンピオンでは、「再連載」と称して『バチバチ』が1話ずつ掲載されています。しかし『再連載』ってどういう意味なんじゃろか……まさか最終話まで載せるつもりなんでしょうか? いやいや、それはナイっすよね? わかんねーす。秋田書店の意図が。以上。

↓ わたしはいつも通り、紙と電子の両方を買います。もはや義務っす。

 むおっ!? なんと! Amazonには次の、最期の(20)巻の告知もあるじゃあないですか!? どうやら10月発売、連続刊行のようです! マジかよ!




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 そして以下、追記です。 コメントにて情報提供ありがとうございました!! なんてこった! こ、この表紙は……! これはもう買うしかないっす! 明日買ってきます!!



 先日このBlogで、誰に頼まれたわけでなく、そして特に意味もなく、わたしの愛するハリウッド美女のオレ的TOP10の皆さんを紹介したが、その中の一人であり、わたし的にはそのデコッパチ具合と、ほぼギョロ目ギリギリなぐらいに大きな眼がなんとも愛らしいと思っているのがAmanda Syfriedちゃん32歳である。彼女は、意外と歌えることも、わたしが大好きな要因の一つで、例えばかの『Les Misérables』でも、ヒロインであるコゼットを見事に演じてくれたわけだが、わたしが思うに、彼女を最初に知って、おお、この娘、すげえ可愛いし歌もイイじゃあないですか! と思ったのは、2008年公開の(※日本は2009年1月)『MAMMA MIA!』である。
 ご存知の通り、『MAMMA MIA!』は、元々はミュージカルの舞台作品であり、もう説明の必要はないと思うが、全編ABBAの楽曲を使用した、いわゆる「ジュークボックス・ミュージカル」だ。ミュージカルが大好きなわたしとしては、公開時に見て大興奮し、もう、とにかくノリノリなABBAの楽曲に、もう体がうずうずしてくるほどであった。
 というわけで、以上は前振りである。
 今般、その『MAMMA MIA!』が10年の時を経て、続編『MAMMA MIA! Here We Go Again』が製作されることとなり、ようやく日本でも公開となったので、さっそく観てきたわたしである。まあ、映画オタクとしては、なんで邦題には「アゲイン」を入れなかったんだよ! とかどうでもいい文句はあるのだが、ズバリ結論から言うと、今回も最高でした。もう、ラスト近くはうっかり泣いちゃいそうになったぐらい、やけにグッと来てしまったし、もうカーテンコールのようなエンディングには、ずっと一人でそーっと拍手してましたね。変なおっさん客でサーセン! でも、隣に人いなかったし、許して! それぐらい、わたしとしては非常に楽しめた逸品であった。
 というわけで、以下、ネタバレに触れてしまう可能性が高いので、まだ観ていない人はここらで退場してください。あ、一つだけ。この映画はですね、たぶん、前作を観ていないとダメです。つうかですね、前作を観た人も、もう一度観て、その翌日に本作を観に行くといいと思うな。わたしが最後に前作を観たのが相当前なので、前作ではどういうシーンでどの曲を使っていたか、あまり覚えてないんすよね……その辺を覚えていると、もっと楽しめたと思います。なお、パンフにはその辺の楽曲解説がきっちり載っているので、買うことを推奨します。

 というわけで、物語はこの予告から想像できる……ものとはちょっと違っているような気がする。わたしはてっきり、今回はお母さんの若き頃の話だと思っていた。そしてすでに観終わった今、この予告を観ると、かなり予告詐欺というか、セリフと映像はかなり恣意的に組み合わせられていて、実際の物語の流れと違っている。
 ので、わたしは結構、のっけからびっくりした。というのも、前作でハジケまくっていたお母さんドナは、既に亡くなっているのだ。うそっ!? お母さん今回出ねえのかよ!? とわたしは知らなかったのでかなりびっくりのオープニングである。ギリシャの先っちょの、地中海のあの島で、あのホテルを新装リニューアルして、新たな人生を歩もうとするヒロイン・ソフィの現在と、そのお母さんドナの若き頃が交互して描かれていて、言ってみれば本作は、エピソードゼロ、いわゆる前日譚と、前作の後日譚、要するにPART2が両方描かれる構成になっている。
 なかなかお見事な作りだと思うが、わたしは最初の30分ぐらいは、そのテクニック? に、なんかありがちだなあ、とか、若干ノれないでいた。言葉で説明するのが難しいな……例えば、現在のソフィを映しつつ、カメラが横にパンしていくと……過去の若き頃のお母さんのシーンに移り変わる、みたいな、まあ、よくある手法であった。また、物語的にも、過去のお母さんの行動に、なんつうか……この人、誰とでもヤる女なの? 的なことも思ってしまい、どうも……序盤は、こりゃイマイチかもなんてことすら、頭の中では渦巻いていたのである。
 しかし! どのタイミングだったかなあ、とにかく、わたしとしては現在のソフィ演じるAmandaちゃんの、何ともしょんぼりな表情に、やけにグッと来てしまい、そのしょんぼりなソフィが一転してはじける笑顔になっていく頃には、もう完全にこの映画にハートは捕まれていたように思う。アレかなあ、やっぱり、中盤チョイ過ぎ(もっと後だっけ?)の、「DANCING QUEEN」のシーン辺りかなあ。あそこはもう、「DANCING QUEEN」はこの場面のこのタイミングしかない! という最高の使われ方でしたね。ここから先はもう、わたしは前半に感じたイマイチ感を完全に忘れ、エンディングではもうコロッと感動しちゃったす。単純なんで。
 というわけで、各キャラと演じた役者たちを紹介しよう。本作は主要メンバーが多いし、現在と過去で、同じ役を演じる役者が二人いるので、多いぞ~。
 ◆ドナ:前作の主人公で、ソフィのお母さん。現在時制ではすでに故人だが、本作ではお母さんがケンブリッジ(!)を卒業する卒業式から、ソフィを生むまでの物語が描かれる。卒業生総代に選ばれたドナは、卒業ケープをバサァ!と脱ぎ捨てて歌い出す、元気で行動的なパワフルガールだったのだが、予告にある通り、「Life is short, The World is wide (人生は短く、世界は広い)」と卒業後、世界を放浪に出かけ、ハリー→ビル→サムの順にイケメンと出会って恋に落ち(※正確に言うと、ハリーとは恋に落ちてないような……ハリーのエピソードは笑っちゃった)、ギリシャの先っちょに浮かぶ島でソフィを産む。というわけで、ソフィのお父さん候補が3人、てなことに。なにしてんすかw!
 で、現在の、というか亡くなった前作のドナお母さんを演じたのは、もちろんMeryle Streep御大ですが、ええい、サーセン、ネタバレですが、ズバリ出演シーンがあります。ほぼラストに、ここで出てくるんだ! というのは、驚きであったし、そしてその演技と表情が超最高に良かった! マジで泣いちゃいそうになったす。お見事でしたなあ! 本当に素晴らしかったす! 歌ももちろん、超極上で、わたしは今回、御大とソフィが歌う「My LIFE, My LOVE」という曲がいっちばん良かったと思う。あそこのシーンはホント、グッと来たっすねえ!
 若き頃の(※時代設定は1977年(78?)だった)ドナを演じたのがLily James嬢29歳。おっそろしく可愛いですな。彼女でわたし的に印象深いのは、出世作『Cinderella』ではなくて、『BABY DRIVER』の方すね。ダイナーのウエイトレスの制服が超似合ってましたな。しかし……ケンブリッジ首席?卒業するほどの頭脳をお持ちなら、もうチョイ考えて行動した方が……と言うのは野暮っすかね。もしくはブサメンとしてのわたしの僻みかもな……。
 ◆ソフィ:ドナの娘。亡き母の形見であるあのホテルをリニューアルし、新たな生活に向かうはずが、彼氏のスカイはNYCで職を得てしまうし(この二人は結婚したのか結局?)、せっかく招待したみんなを迎えるために準備したパーティーの飾りつけも嵐で全部パーに。そんなガッカリ気分のソフィのしょんぼりフェイスは最高に可愛かったす。そしてもちろん、その後のはじける笑顔が最高なんすよ! ソフィを演じたのはもちろんAmanda Syfriedちゃん。アレっすね、さすがに前作から10年経っていて、Amandaちゃんの表情も大人になったすね。結構痩せたか? 顎の尖りがシャープになった印象。そして、わたしの大好きなAmandaちゃんのデコに、3本の深いしわが!! でもいいのよ、それで。だってにんげんだもの……! そして当然、今回もAmandaちゃんの歌は最高です。
 ◆サム:お父さん候補その1。アメリカ人かな? 建築家。確かに過去編では、ドナお母さんはサムが一番好きだったように見えるすな。ドナと知り合って愛し合うけど、実は婚約者がいることが判明して、ドナ激怒、サムは島を去る……が、実はサムはその後もう一度島に戻っていたことが判明。会えなかったのが運命を狂わせた……的な感じ。
 現在編&前作でサムを演じたのが5代目ジェームズ・ボンドでお馴染みのPierce Brosnan氏65歳。歌のシーンをすごく楽し気に演じてましたね。今回、ホテルのリニューアルパーティーの前から唯一島にいて、しょんぼりなソフィを支える「第1お父さん」。渋くて、やっぱりカッコイイすな。
 そして過去編でサムを演じたのが『WAR HORSE』の主役でデビューしたJeremy Irvine君28歳。彼だけじゃなく、過去編の3人のお父さんはみんな現在編の役者に、どことなく似てるすね、面影が。まあ、あんな状況で出会ってしまったら、そりゃあ若い二人は恋に落ちますよ……。男のわたしとしては、彼はおとがめなしでお願いしたいす。【2018/08/26追記:前作を見直したら盛大に勘違いしていたことが判明。サムは、前作ラストでドナお母さんと結婚したんだった。だから最初から島にいたんだ! 俺のアホ!】
 ◆ビル:お父さん候補その2。スウェーデン人。船乗り(&大人になってからは紀行作家で有名人)。今回、サムより先に知り合っていたものの、Hはナシで、あれっ? と思ったらサムが島を去りし後のソフィを慰めたのがビルだったことが判明した「第2お父さん」。うーん……淋しいからって、ソッコーで次の男に……というのは男目線で思ってしまうことで、おそらく女性目線からすると、全然アリ、というか、咎められる言われはないんだろうな。今回、ビルは作家として、なんかの表彰式?に出席するため、ソフィのパーティーには出席できないと言っていたが、双子の弟(?顔は一緒だけど相当なデブ)を代役にして、第2お父さんは島へ駆けつけるわけです!
 現在編&前作でビルを演じたのは、わたし的には『THOR』様の友達、エリック・セルゲイ博士でお馴染みのStellan Skarsgård氏67歳。もちろんStellan氏本人もスウェーデン人。そして過去編の若きサムを演じたのがJosh Dylan君24歳。お、意外と若いなコイツ。彼は全然知らないなあ、と思ったら、どうやら『ALLIED』(邦題:マリアンヌ)に出てたみたい。全く記憶になし。彼はイギリス人だそうですが、Stellan氏にかなり似てます。
 ◆ハリー:お父さん候補その3。イギリス人。銀行家。今回、ハリーは東京での会議のため、やっぱりソフィのパーティー不参加。しかし、東京でのあまりの不毛な会議に、こんなの出てる場合じゃねえ! と決心し「第3お父さん」も愛するソフィのもとへ! こうして、ビルとハリーの二人も島へ一緒にやってくるのだが、この登場シーンに「DANCING QUEEN」がかかるわけです! あそこは最高でしたなあ! そしてどうでもいいんですが、本作は中華資本のLEGENDARY PICTURESがかかわってるんですが、東京でのあのシーンは……まあ、軽く日本をディスってるんでしょうな。普通ならああいうシーンは、今はもう中国が舞台になるのがデフォだけど、あえてのトンデモ描写の日本にしたのは、日本をディスってるんだとわたしは理解しました。イラつく!
 そして現在編&前作でハリーを演じたのは英国王またはガラハッドでお馴染み英国紳士Colin Firth氏57歳。なんか、私は歌はちょっと……みたいな紳士顔をしてるくせに、結構ノリノリで楽しそうだったのが印象的です。そして過去編の若きハリーを演じたのがHugh Skinner君33歳。結構Colin氏に似てる。彼も知らん顔だなあ、と思ったら、意外とキャリアがあるようで、『SW:Ep8』だったり、『Les Misérables』にも出てたらしい。全然記憶にないす。ちょっと笑えたのが、過去編でハリーは最初にドナと出会った男なのだが、いわゆるワンナイトラブで、しかも「僕、ど、童貞なんだ! だからお願いヤらせて!」とお願いし、翌日「サヨナラ」の置手紙だけで姿を消したドナを追って島へ! な笑えるチェリー・ボーイでした。しかし、確か前作でハリーはゲイであることをカミングアウトしてたので、この辛い(?)過去が引き金だったんすかね。【2018/08/26追記:前作を見直したところ、冒頭でソフィがドナの日記を読むシーンがあって、それによるとどうもハリーは3番目にヤッたらしい。しかも島で再会できていたっぽい。これは……どういうこと?】
 ◆ターニャ:ドナお母さんの親友その1。「ダイナモス」のメンバー。お金持ちで3回離婚している超肉食系女子で黒髪ショートボブのお方。現在編のおばあちゃん年齢になっても、超肉食! そして若き頃からお盛んであったことが今回判明。変わってねえ……w 現在編&前作でターニャを演じたのはChristine Baranskyさん66歳。ジュリアード出身&ブロードウェイで活躍したTONY賞ウィナーですな。そして過去編で若きターニャを演じたのがJessica Keenan Wynn嬢32歳。全然知らない方ですが、どうやらブロードウェーで活躍する方のようですな。あ、『Beautiful:The Carol King Musical』でキャロルのライバル兼親友のあの役をやってた方なんだ。わたしが去年観た日本版ではソニンちゃんが演じてた役ですな。へえ~。
 ◆ロージー:ドナお母さんの親友その2。「ダイナモス」のメンバー。ぽっちゃりで奥手?なお方すね。【2018/08/26追記:前作を見直して思い出した。この方は料理研究家?で、その本の印税でお金持ちなんでした。そして前作で既にビルにアタックしてたの忘れてた】今回、現在時制でターニャ&ロージー&ソフィの3人が新生「ダイナモス」として、かつての親友3人組のように歌うシーンがとてもイイんすよね……! 現在編&前作で演じたのはJulie Waltersさん68歳。叙勲されているのでDameですな。ええと、ハリーポッターで言うところの、ロンのお母さんを演じたお方すね。そして過去編で演じたのはAlexa Davies嬢23歳。23歳!?若い! この人も全然知らないす。結構かわいらしいすね、普段のお姿は。
 ◆ルビーおばあちゃん:ドナのお母さんでソフィの祖母。過去編で、ソフィの卒業式にも来なかったヒドイ母親、的な設定がちょっとした伏線?になっていて、いざ登場した時はもう、ド派手でカッコ良かったすねえ! この役をあんなにオーラバリバリで演じられるのは、間違いなくCherさんしかこの世にはいないす。間違いないすな。映画に出るのはかなり久々ですなあ。歌も演技も、超貫禄あってカッコ良かったす!
 ◆フェルナンド:現在編で、一人せっせと準備するソフィをずっと支える、謎のベテラン凄腕支配人。わたしは最初、華麗なイタリア語(だよね?)と、おっそろしく渋いダンディさに、演じているのはFranco Nero大先生か? と勘違いしていたけど、全然間違っていて、なんとAndy Garcia氏であった。びっくり。年取ったなあ……けど、カッコ良くなってるのでアリ!です。 そして、このフェルナンドがラスト、なんとルビーおばあちゃんと縁があることが判明してさらに驚きの展開でありました。二人の歌も、大変結構かと思います。
 ◆スカイ:ソフィの彼氏→やっと夫になった(のかな?)イケメン。ホテル経営のため、NYCで修業するが、正社員になっちゃいなYO!というオファーに心動く……が、愛するソフィを放っておけるわけねえっす! と島へまっしぐらなナイスガイ。演じたのは、若き頃のハワード・スタークでお馴染みDominic Cooper氏40歳。今回、あんまり存在感ナシだったような……。

 はーーー疲れた! キャラ多いし役者も多いし長くなり過ぎた!

 というわけで、もう疲れたので結論。
 わたしが大好きなAmanda Syfriedちゃんの出世作ともいうべき『MAMMA MIA!』の、10年ぶりの新作『MAMMA MIA! Here We Go Again』が公開になったので、さっそく観に行ってきたのだが、まあ、結論としては、冒頭に書いた通り、最高!でした。とにかく、ラスト、ソフィとドナお母さんの歌う『My Life, My LOVE』がとにかくグッとくる! あそこは本当に素晴らしかったす。なので、わたしとしては本作は超オススメであります! ただし! 前作を絶対観ておくこと! そして一度見た人も、もう一度前作を観てから、本作を観に行くことを強く推奨します。つうかですね、これはサントラを買って、歌を聞きまくるしかないような気がしますね。よし、明日買って来よっと! 以上。

↓ つうか、サントラなんだからキャストが歌ってるんだよね? 本物ABBAじゃないよね? 明日買う!

 2年前、2016年の秋ごろに読んでみて、とても面白かった海外翻訳小説がある。一度死んでも、再び人生をリプレイしてやり直す男の、15回目の人生を描いた『The First Fifteen Lives of Harry August』(邦題:ハリー・オーガスト、15回目の人生)という作品だ。控えめに言ってもこの作品は超面白く、大傑作であるとわたしは認定しているのだが、この作品を書いたのは当時20代の女性で、なんでも10代で作家デビューしていて、そのペンネームも複数使い分けしているそうで、へえ、これはすげえ才能あるお方だなあ、とわたしは結構驚いたのである。
 そして先日、と言っても実は発売になったのは5月で、わたしが発売されていることに気が付いたのが先日、なだけなのだが、ともかく、Claire North先生の新刊の日本語訳が発売されていることに気が付き、うおっとマジかよ! 全然チェックしてなかった! 抜かってた! とあわてて買った本がある。それが、角川文庫から発売されている『TOUCH(日本語タイトル:接触)』であります。
接触 (角川文庫)
クレア・ノース
KADOKAWA
2018-05-25

 おっ、Claire先生自身のWebサイトに、BOOK-TRAILERが置いてあるので、とりあえず貼っておくか。この動画は、英語をよく聞くときちんと物語のあらすじというか、どういう物語なのか想像できるものなので、ちょっとチェックしてもらいたい。YouTubeの設定で字幕自動生成をオンにすると、英語が苦手な方でも大丈夫だと思うな。

 物語はこの動画のナレーションから想像できる(?できないか)通り、人の中に「ジャンプ」して、その人に憑りつき?、誰にでもなることが出来る謎の存在のお話で、まあ、実際のところ今までも似たような作品はいっぱいあると思う。そして本作だが、ズバリ、非常に回りくどくて分かりにくく、読み終わるのにかなり時間がかかってしまった。文庫版で608ページのところ、わたしは電子書籍の記録によれば545分かかったらしい。なんつうか、ちょっとずつ読んだことも悪かったんだろうな、読んでいて、ええと? と何度も前に戻ったりしてしまい、どうもスッキリ頭に入らない物語だったような気がする。
 恐らくその要因は、基本的な設定というよりも、前作『ハリー・オーガスト』でもみられた通り、かなり頻繁に時と場所が移り変わって、場面転換が激しいからではなかろうかと思う。前作では、わたしは別に混乱することなく、物語を楽しむことが出来たのだが……本作においては、明確な「現在」が設定されていて、一本筋が通った物語があるものの、とにかくコロコロと回想が始まってしまって、本筋の進行が遅いのが、わたしの足りない脳みそではついていけなかったのではなかろうか。メインの筋が進みだすのは中盤以降で、そこまで我慢できるかが本作を味わう上でのハードルになっているような気がします。
 さて。どうしようかな、最初に、物語についてまとめる前に、主人公たる「ケプラー」に関して、基本的な設定を短くまとめておこうかな。
 ◆「ジャンプ」能力
 人の肌に直接触ると、その人の体に「ジャンプ」することが出来て、その人の体を乗っ取れるという謎能力。そして乗っ取られた人は、その間の記憶がない。物語の中では、ほんの数秒だったり、数十年の間乗っ取られた状態が続いたような例も描かれている。
 ◆主人公「ケプラー」
 どうやら女性だった、らしい。「ケプラー」という名も、本名なのか不明。もう既に自らのオリジナルの体は消滅していて、自分の体を持っていない。そして正確にはよくわからないが、とにかくもう数100年以上も生きている、らしい。体がなくて「生きている」と言えるのか良くわからないが、これまで、男にも女にもジャンプしてきたので、もはや自分が女だったことすら記憶があいまい、だそうだ。わたしは読み始めた時、どっかにオリジナルBODYは寝てるのかな? と思ったら、もう既に体は持たない存在でした。なので、「ゴースト」と自分で称していて、人にジャンプすることを、その人の体を「着る」と表現している。つうか、まさしくこういう存在を「幽霊」というのではなかろうか。
 ◆実は「同類」が世界にいっぱいいる。
 どうやら、主人公ケプラー同様に、他人の体に「ジャンプ」出来る同類のゴーストが世界にはいっぱいいる。ケプラーが、あ、自分と同じようなゴーストがいるんだ、と初めて知ったのは18世紀、1798年のことらしい。そしてケプラーは、そういったゴーストに、乗っ取る体(=曰く「不動産」)を紹介するエージェント業をなりわいとしていた。乗っ取る体の素性をきちんと調べ上げておかないと、乗っ取ったはいいけど、(元の体の持ち主の記憶がなく、まさしく中身は別人になってしまうため)すぐに周りの人々に、なんか変だぞ?とバレたり、持病があったりするとマズいので、事前調査がとても重要で、ゴーストたちからすると重宝がられていた存在だそうだ。なるほど。そして、ゴーストと契約して、主に短時間だけ、体を貸す協力者もいる。
 ◆彼らを「狩る者たち」がいて、天敵のような存在に追われている
 どうも、ずっと昔から彼らゴーストという存在はごく一部に認識されており、ゴーストを狩る者たちがいて、闘争を繰り返している、らしい。
 とまあ、ごく基本的な設定は以上かな。
 わたしはこの設定がだんだんわかっていく中で、なんだか、あまり売れなかったけどわたし的には結構好きな映画『JUMPER』を思い出した。あの映画では、単に空間移動の「ジャンプ」だけだったけれど、彼らジャンパーを狩る謎の連中が出て来ましたよね。そういう意味で、なんか似てると思ったのだが、本作はそこに『ハリー・オーガスト』的な「永遠を生きる存在」というスパイスが加わっていて、ちょっとした変化球となっている。
 というわけで、物語は現代、トルコのイスタンブールから始まる。「わたし」たる主人公「ケブラー」が銃撃され、瀕死のところで別の人間ににジャンプする。その体にはもう「わたし」がいないことが分かっているのに、襲撃者は「わたし」が「着て」いた人間にとどめを刺す。一体なぜ、自分と、自分が着ていた人間は狙われたのか。その謎を解明すべく、自らを銃撃した男にジャンプして、ヨーロッパを横断する逃避行(?)ののち、真のラスボスとの対決へ、という流れであった。
 その逃避行及び追撃の中で、「わたし」が今までにどんな人間を「着て」、どんな歴史を歩んできたのか、あるいは、同類のゴーストにどんな奴がいたのかなどが語られるわけだが、ほぼ本筋には関係ないようなエピソードが結構面白いのです。
 例えば、時は19世紀末、「わたし」はロシアにいて、とある貴族から、素行の悪い娘の体を「着て」、令嬢らしくしとやかな娘を演じてくれないか、という依頼を受ける。依頼期間は半年間。そして「わたし」は、その依頼通り、娘の体で貴族の令嬢にふさわしくふるまうことで、それまでの周りの悪評を払拭し、半年を過ごす。そして体を返却した後、それまでの半年の記憶がない娘と貴族の父はーーーみたいなちょっとグッとくる話だったり、他にも、同類のゴーストが「不動産エージェント」としての「わたし」に、「一度マリリン・モンローになってみたい」という依頼を持ち掛けて来て、ハリウッドのスタジオ関係者となってモンローへのジャンプを手引きする話だったり(しかも依頼期間が過ぎてもモンローの体を返そうとしないので、ちょっと懲らしめてやったり)、とか、まあ、そういったゴーストならではの不思議で興味深いエピソードがいろいろ描かれている。ただ、くどいけど、そういった面白話はほぼ本筋と無関係です。そこが若干問題と言えば問題なのかもしれないな……。

 というわけで、物語は複雑だし、キャラクターも多いので、その辺りを細かく説明することはもうあきらめた。ので、もう思ったことだけを書くことにする。
 おそらく……前作の『ハリー・オーガスト』と本作において、共通しているのは「人生一度きりじゃない」という状況だろうと思う。特に本作は、永遠ともいえる生を、ずっと過ごしているわけで、「死」を超越してしまっている。もちろん『ハリー』においては「死」が「リセット」のスイッチとして存在していたし、本作でも死の間際に周りに誰もいなくてジャンプする体がなければ死んでしまうんだけど(死にそうになっても誰かの体に逃げて死を回避できる、けどその逃避先の体がなければどうにもできない)、主人公のわたしことケプラーは一度も死んでいない。実際のところ、自らの体はすでになく(その意味では死んでいる)、精神憑依体として在り続けているので、生きていると言えるのかわからんけど。
 そんな状況で、数百年在り続けているわけだが、果たして、人間はそんな孤独の数百年間、正気を保っていられるのだろうか?? 普通に生きる普通人の我々には、ちょっと想像がつかない世界だ。人生についてもはや絶望しているわたしには、生きるというある種の牢獄に、永遠に囚われるなんて、むしろ願い下げというか、ぞりゃもう拷問以外の何物でもないんじゃね? という気すらする。
 たぶん、その永遠を過ごすためには、何らかの明確な「目的」が必要なのではなかろうか? やるべきこと、と見据えたなにか。そういったものが絶対に必要なはずだ。『ハリー』では、その目的がきちんと描かれていて、それ故面白かったと思うのだが、残念ながら本作では、主人公が生き続けるための「目的」が、正直良くわからないんすよね……どういうことだったのか……何のために存在し続けていたのか……絶対、100年もいたら飽きると思うんだけどな……これは、ちゃんと書いてあったのに、わたしが集中できずスルーしちゃっただけかもしれないけど、その辺りの説得力がわたしには感じられなかったのが大変残念だ。
 なんつうか、やっぱり「人生1度きり」でないと、ダメなんじゃないすかね、人間は。永遠の時を生きられる、しかも肉体的には(誰かの体をかっぱらうことで)永遠に若いままでいられる、としたら、普通は喜ぶべきなのかなあ……? わたしはもう、絶対に嫌ですな。無理だよ。絶対に飽きるし、無間地獄とすら思えるすね、わたしには。ふと考えると、ゲームみたいすね。『バイオハザード』でも何でもいいんだけど、ゲームクリア(=目的達成)のために、何度死んでもオープニングに戻るのが前作『ハリー』だったけれど、今回はそのゲームクリア、目的が明確じゃなくて、なんだかやっぱり途中で飽きちゃうすな。本作は、最終的なエンディングは若干のほろ苦エンドで終わるけれど、はたしてケプラーは、その後何をして、何を求めて在り続けるのか。その辺がちょっと想像できないす。

 というわけで、もう長いのでぶった切りですが結論。
 2年前に読んでとても面白かった作品の著者Claire North先生の日本語で読める最新作『TOUCH』が発売されていたので、さっそく買って読んでみたところ、ズバリ言うと若干イマイチ、であったように思う。それは時と場所が入り組む複雑な構造に起因するというよりも、結局はキャラクターの問題ではなかろうか、というのがわたしの結論だ。わたしの浅い脳みそでは、主人公ケプラーに対してどうにも共感を得ることが出来なかった。それはケプラーに、生きる(存在する)意義というか、目的を見出すことが出来ず、どうしてまたコイツは数百年、正気を失わずにいたんだろうというのが実感としてよくわからなかったためではないかと思う。恐らくケプラーは、単に死ねないから存在し続けただけだし、死にたくない(=消えたくない)という、生命の根源的な衝動に従っていただけなんだろうと思う。わたしだって、散々この世に未練はねえなあ、とか思っていても、死の間際には、絶対に「死にたくない」とそれこそ生にしがみつこうとするのは間違いないだろうし。そういう意味では、まあ結局のところ「にんげんだもの」というみつお風な結論なんでしょうな。それが面白いかどうかは別として。はーーしっかし長かったわ……次は、1年ぶりの発売となったわたしの大好きな「グレイマン」シリーズ最新作を読んで、頭を空っぽにして楽しみたいと存じます。以上。

↓ こちらは超傑作です。
ハリー・オーガスト、15回目の人生 (角川文庫)
クレア・ノース
KADOKAWA/角川書店
2016-08-25

↓そしてこちらを次に読みます。電子書籍版は来週ぐらい発売かな……?
暗殺者の潜入〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2018-08-21

暗殺者の潜入〔下〕 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2018-08-21

 我ながら、いまだに謎なのだが……わたしは昨日の会社帰りに、1本の映画を観て帰ることにした。その映画は、まあ、女性向け、なんだろうと思う。しかし、なぜか予告を観た時にやけに魅かれてしまい、コイツは観よう、と思ったのである。その「なぜか」がいまだ分からないのだ。なんで、どこに、わたしは心惹かれたのだろうか??
 その映画は『Tully』。日本語のタイトルは『タリ―と私の秘密の時間』という作品である。この日本語タイトルや、都内では日比谷のシャンテでしか上映されていないことからも、映画オタク的にはまあどうせ泣かせる系の映画なんでしょうよ、とピンとくると思う。予告もよく聞く特徴的な女性の声でのナレーションが示すような、やさしい系泣ける系の雰囲気を醸し出しており、どうせアラフォー女子の自分探し的なアレでしょ、と、普段のわたしなら、確実に「ケッ!」とか思って無視するはずの映画、のように思えるのだが、何かがわたしの心に刺さったらしい。
 しかし本作は、観終わった後でも、やっぱり自分が何でこの映画を観に行こうと思ったのか、正直良くわからないでいる。面白かったかって? いや、うーん、まあ、面白かったのは間違いない。脚本的な出来のほどは極めてレベルが高く、「あっ!? えっ!? そ、そういうことなの!?」という相当な驚きをもたらす脚本で、非常にびっくりした物語であった。しかし……女性でもなく、出産・子育てもしていないわたしには、正直なところよくわからない映画であったのもまた事実だ。
 というわけで、まずはわたしが何故か魅かれてしまった予告を観ていただこう。今回は核心に迫るネタバレはしないように書こうと思います。ラストの驚きは、知っていたらもう全てがパーになるので。

 わたしはこの予告を観て、きっと子育てに疲れ果て疲弊しきった女性のもとに、スーパー・デキル女子が「Nanny」(=子守)としてやってきて救われ、同時にこのスーパー女子は一体何者なんだ? という展開から、そのデキル女子も問題を抱えていることが判明して、主人公も女子も、ともに心救われる物語なんだろう、という予想を抱いていた。言ってみれば、『メリー・ポピンズ』の現代版的な物語かな? とか思っていたのである。たぶん、その点にわたしは興味を持ったのだろう、と今は思える。今年ミュージカル版の『メリー・ポピンズ』を観たばかりだし、映画版も見直したばかりだったし。
 しかし、結論をズバリ言うと、わたしの予想はまったく見当違いで、全く想像していなかった物語であったのである。普通に観ていて、あの種明かしは恐らく誰しもがびっくりすると思う。ただ問題は、その種明かしに共感できるかどうかにあり、わたしはアリと言えばアリ、だけど、どうかなあ……といまだ評価が定まらないのである。たしかに、観終わった後だと、結構、ああそういえば、というような伏線は敷かれていたと気付けるので……やっぱりお見事だったと賞賛すべきかなあ……。
 最初にもう、各キャラと演じた役者についてメモしておこう。
 ◆マーロ:かつてはBrooklynでイケイケな青春を送っていた彼女も、今や40代、娘と息子を持つフツーの主婦。そして3人目の、計画外の妊娠で出産間近。と言ってもすぐ出産するので間近じゃないか。ともあれ、娘は小学生でなかなか賢く、しっかりしたちびっ子である一方で、弟は若干問題を抱えていて、癇癪がすごいと言えばいいのかな、すぐに暴れ出す情緒不安定なところがあって、超手こずっている。ただでさえ子育てにもう超イライラ&ヘトヘトなところで3人目が生まれ、夜泣きにもう心身ボロボロ。そんな時、兄が薦めてくれた「夜間専用子守」に電話するのだが、やってきた子守(Nanny)は、その見かけは完全イマドキガールで、こんな人で大丈夫かしらと不安に思うも、もはや限界で頼らざるを得ず、お願いすることに。するとそのイマドキガールは、掃除もキッチリやってくれたりと、ウルトラ有能なことが判明するのであったーーーというわけで、マーロは久しぶりに熟睡することができたり、徐々に元のマーロに戻っていくのだが……てな展開。演じたのはオスカー女優Charlize Theron様43歳。このお方は基本的に「キッ!」としたその鋭いまなざしが特徴の美女だけど、今回はもう、ホントに疲れ果ててます。この映画のために18kg太ったそうだが、その「だらしない」体はビジュアルとして恐ろしくインパクトがあって、撮影後、元の体型に戻すのに1年半かかったとか。アカデミー主演女優賞を獲った『MONSTER』の時より、わたしはショックだったすね。そのビジュアルに。
 ◆ドリュー:マーロの旦那。普通のサラリーマン。悪い奴ではないものの……子育てはマーロに任せきりで、自分は夜な夜なPlayStation4でゾンビ退治にいそしむ男。まあ、女性から見れば、もっと手伝ってよ、と思うのだろうとは思う。ま、世のお父さんたちは彼の姿を観て、ギクッとするんでしょうな。演じたのはRon Livingston氏51歳。すっごくありがちな顔で、どっかで見たことあるような気がするものの、全然名前も知らない方で、これまで出演作は多いものの、わたしはどうやらこの方を2作ぐらいしか観てない模様。演じぶりは、とりわけすごいとか感じることもなく、なんつうか、ミスター平凡、のような気がする。まあ、それがすごいことなんだと思うけど。
 ◆タリ―:マーロのもとにやってきた超デキるイマドキガール。謎の存在。その正体は書きません。ぜひ劇場でご確認を。演じたのはMackenzie Davis嬢31歳。カナダのバンクーバー出身だそうで、本作の撮影もバンクーバーらしいすな。彼女は、わたし的に2作、非常に印象的な役を演じたお方で、超傑作『THE MARTIAN』のNASAの職員で、一番最初にワトニーは生きてるのでは?と気づく、あの画像解析オペレーター(?)の彼女ですな。そしてもう一つはウルトラ大傑作『BLADE RUNNER2049』で、主人公Kに近づく娼婦で、JoiちゃんとKのヴァーチャルHの体を提供する彼女ですな。特徴的な顔つきで、若干面長なのかな、まあ、普通に美人ですよ。本作での彼女は、とても魅力的な、まさしくメリー・ポピンズばりのスーパーナニーでしたね。
 ◆サラ:マーロとドリューの長女。眼鏡が可愛いちびっ子。物語的にはほとんど役割ナシ。演じたのはLia Franklandちゃん。まだ10歳ぐらいか? よくわからんけどTwitterもInstagramもFacebookもやってるおませさんですな。どうも普段から眼鏡っ子の模様です。可愛く美しく育つのだぞ……。
 ◆ジョナ:マーロとドリューの長男でサラの弟。小学校低学年。癇癪もち(?)で暴れまくり、マーロの兄に勧められた私立を追い出されそうなちび。マーロはこの情緒不安定を直そうと、毎日体を「馬のように」ブラッシングしてあげているのだが、彼の望みはそんなブラッシングではなくーーーというエンディングは、なかなかグッとくるものがありました。妹が出来て、お兄ちゃんとしてすくすく育つのだぞ……と思わずにはいられないエンディングでしたな。演じたのはAsher Miles Fallica君。超すきっ歯がトレードマークのやんちゃ坊主。イケメンに育っておくれ……。
 ◆クレイグ:アジア系美女と結婚していて、事業も成功している金持ちで、マーロの兄貴。でも決して嫌味な奴ではなく、妹のマーロをいつも気にかけている優しい兄貴。まあ、奥さんはちょっと意識高い系のスノッブ系女子なのでアレだけど、クレイグはイイ奴ですよ。演じたのはMark Duplass氏41歳。この方は役者だけでなく監督としてもキャリア豊富なんすね。出番は少ないですが、なかなかいい味を出してましたな。
 とまあ、キャラクターに関しては以上かな。本作を撮った監督についてもメモしておこう。本作は『JUNO』や『Up in the Air(邦題:マイレージ・マイライフ)』でアカデミー監督賞にノミネートされたJason Reitman監督の作品だ。この監督は、こういう物語が得意なんでしょうな。どこがすごいかを説明するのが難しいけれど、端的に言うと、すごく丁寧、なんだろうな、と思う。本作では音楽がちょっとした重要な役割を務めていくのだが、選曲のセンスは大変結構かと思います。昼間の光と夜の雰囲気も、対比がアクセントになってたように思う。

 というわけで。書きながらいろいろ考えてみたけれど、やっぱり自分がなぜこの映画を観たいと思ったのかについては、依然良くわからない。このところマイブームだったメリーポピンズを思い出したのか? うん、まあそれも理由の一つだろう。しかし……おそらく、だけど、予告で垣間見える、「疲弊しきった女」の表情のTheron様に、どうしちゃったんだよ……? という心配というか同情?というか、とにかく放っておけない気持ちになったのではないだろうか。そして、そのデキる女子は一体何者でどんな秘密があるんだろう? という好奇心がムクムクと首をもたげた、という比較的単純なことではなかろうかと思う。
 そして、観終わって、その謎は解消されたわけだが、正解があまりに予想外で、かつ、わたしの希望する回答とは若干ズレていたために、なんだかモヤモヤしているのではなかろうか。でもまあ、この作品の描いた回答は、実際アリだし、断然ナシとは思いません。どうぞ、劇場へ観に行って、ご自身の判定を下してください。
 つうか、わたしの身の回りにも、現在絶賛子育て中の連中が多いのだが、彼らがこの映画を観たらどう思うのだろうか。その辺がとても興味あるっすね。それから、子育ての大変さを説く人々がいっぱいいるこの現代において、わたしがとても謎なのは、それじゃあどうして、世の母親たちはの無事に我々を育てられたんだろう、保育園なんかなかったし(あったけどわたしの身の回りには保育園行ってたという奴はいない)、間違いなく親父たちはまったく何もしてないはずで、一体、現代と40年前は何が違うんだろうか? ということだ。そりゃ無事に、と言っても、母親たちが超苦労していたのは想像に難くない。けど、現代と40年前で、何が決定的に違うのだろうか?
 普通に考えるに、まず「情報」の量が全く違うし、そして情報だけでなく、いろいろな意味での「環境」が全然違うのは間違いない。でも、同じ人間であることも間違いなく、何が一体決定的な違いなのか、それがすごく謎だ。わたしは何となく、どんどんと世の中に人間の「悪意」が蓄積されて行って、その悪意の総量が40年前と現代では全く違うのではないか、という気がしてならない。
 このわたしの推測は間違っていると思いたいものだ。人間の持つ邪悪さが、人間の持つ善良さよりも多いとは考えたくないす……ま、謎を解きたければおめーも子育てしろよ、ってことなんでしょうな。その機会は永遠に来ないと思いますが。あれっ!? イカン、わたしがダメ人間であることがこの映画で証明されたってことか。なんてこった……!

 というわけで、結論。
 ふと見た予告が妙に気になって仕方なく、観てきた映画『Tully』(邦題:タリ―と私の秘密の時間)は、想像していたのとは全く違う物語で、その結末に非常にびっくりし、また戸惑ってしまったわけだが、結論としては、子育ては大変であり、かつ、その先には明確に幸せが待っている、ということなんでしょうな。子育てを経験してない&経験する予定もないわたしは、このままずっと、半人前なんだろうな……きっと。ヤバい……書いてたら悲しくなってきた……。まあ、迷惑をかけることなく、この世界の片隅で、ひっそり真面目に生きようと存じます。以上。

↓ そういや、原作をちゃんと読んでみたいす。岩波から出てるんすね。

 わたしは1989年から3年ほど、陶芸にハマっていたことがある。もう30年も近く前の話か……それは友人のお父さんが経営する陶器の店でバイトしていた時のことで、そのお店は陶芸教室もやっていて、まったくお客さんの来ないヒマな店だったのだが、ヒマなときは、店頭で自由に作ってていいよ、と言われ、基礎だけキッチリ教えてもらって、その後わたしは週に2~3日、ずっと土をいじり、ろくろを回していたのである。そのお父さん曰く、君が店頭で一心不乱に作陶している姿は客寄せにもなるから、ぜひ、どんどんおやんなさい、というわけで、まあ、なんつうか、そば打ち職人的に、わたしはせっせと作陶に励んでいたのであった。実際、結構多くの方が足を止めて見てくれたし、肝心の陶器は全然売れなかったものの(5~10万円程度の花器や食器がメインだったので、マジで全然売れなかった)、陶芸教室の方はそれなりに人が集まっていたので、ま、ちょっとは貢献できたのではないかと思う。
 で。その当時、すっかり陶芸野郎だったわたしは、とある映画を観て、猛烈に興奮し、感動してしまったのである。その作品の名は『GHOST』(邦題:ゴースト/ニューヨークの幻)である。ここまで書けばなぜわたしが大興奮したかお分かりですね? そう、ヒロインであるモリーが陶芸家で、夜、ろくろを回すモリーの背後から主人公サムが手を回し、イチャイチャするシーンがあるのだ。あのシーンを観てわたしは、うおお、おれもモリーとろくろ回してイチャつきてえぜ! と思ったのである。サーセン、当時大学生の小僧だったので、許してください。
 というわけで、わたしは『GHOST』という映画は勿論公開時に劇場で観て、その後何度もビデオやWOWOW放送なんかで観ている作品で、それなりに思い入れのある作品なわけだが、この夏、日本においてその『GHOST』がミュージカルとなって上演されるということが決まり、わたしはもう、そんなの絶対に観に行くしかねえじゃねえか! と思ったのである。しかも幽霊となるサムを、日本のミュージカル界で人気の高い浦井健治氏、そしてヒロインのモリーには、元宝塚歌劇団雪組TOP娘役だった咲妃みゆちゃん(以下:ゆうみちゃん)と元AKBの秋元才加嬢のダブルキャスト、さらにキーキャラクターであるオダ・メイにはベテランのモリクミさんこと森公美子さんというキャスト陣だ。わたしは宝塚歌劇を愛する男として、これは当然ゆうみちゃんVerで観ないとイカンと判断し、ようやく取れたチケットを手に、昨日の夜、一人で会社帰りに日比谷のシアター・クリエに参上した次第である。
 結論から言うと、ゆうみちゃんの歌も芝居も超絶グレイトで、モリクミさんも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれて大満足だったのだが、一方では、むむむ……なところもあって、なんつうか、若干微妙な気持ち、である。これは……なんなんだろうな……ひょっとすると、わたしの男としての嫉妬かも知れないし、あるいは、既に完全にお父さん目線でゆうみちゃんを見つめるわたしの、うちの娘に何してくれちゃってんだこの野郎!という、かなり間違った方向の怒り?なのかもしれない。
 というわけで、以下、ネガティブ感想になるかもしれないので、そんな感想が許せない方はここらで退場してください。ネタバレも含みます。まあ、ネタバレと言っても、もはやストーリーは映画の通りなので、今更だけど。

 というわけで。物語は、もうホント映画のまんまである。なのでもはや説明の必要もなかろう。ラブラブカップルのモリーとサム。新居での新生活をはじめようとしたばかりのところで、サムは強盗に撃たれて死亡、残されたモリーは悲しみに暮れるも、サムは幽霊=GHOSTとなってすぐそばにおり、触れられないもどかしさに、サムもモリーも絶望したのだが、実はサム襲撃には裏があって、サムの親友カールの陰謀があり、モリーの身にも危険が迫っていた―――というお話である。
 で……どうしようかな……それでは、わたしが素晴らしいと思った点と、うーむ……と思ってしまった点をまとめてみよう。
 【素晴らしいと思ったポイント】
 ◆ゆうみちゃんモリーは完璧で最高だった。
 そもそも、ゆうみちゃんは宝塚時代は歌も演技もダンスも全てにおいて、ちょっと周りとは1つも2つもレベルが違うぐらい、凄い才能のあるTOP娘役であったことはもう誰しも認めるところであったと思う。とりわけ歌は意外とパワフルでカッコ良さもあり、そして芝居も、いわゆる憑依型的な、その役になり切る凄い役者であった。普段のゆうみちゃんのトークは、非常に丁寧に言葉を選び、なんつうか「美しい日本語」を一生懸命喋ろうとするところが抜群に可愛いわけだが、役に入り込むと、ホント別人のようになるのである。わたしはゆうみちゃんの声が大好きなんすよね……! 歌声も、芝居の時の声も、そして普段の笑い声も、まあとにかく可愛いのです。
 で、今回も、当然、歌はもう全キャストの中で圧倒的にレベルが高く、素晴らしかったのは言うまでもないでしょうな。芝居も本当にお見事で、わたしは今回9列目の下手側はじっこと近いような遠いような微妙席だったが、明らかに本当に涙を流しているのが見えたし、鼻まで赤くなって、モリーの哀しみを全身で表現していたと思う。本当にゆうみちゃんは素晴らしかったすね。どうでもいいけど、ゆうみちゃんの衣装はフツーのTシャツ&パーカー&デニムだったのだが、そういう「普段着」のゆうみちゃんはヅカファンとしてはやけに新鮮で、そんな点も大変可愛かったと思う。つうか、細っそいですなあ……超華奢で、足なんかスキニーだったのでその極細さが際立ち、ありゃもう、小鹿のようだったすね。そんな華奢な娘さんが悲しみに暮れていたら、もう男なら誰しも、支えたくなっちゃいますな。映画版のモリーは結構たくましいBODYの持ち主であるDemi Mooreさんで、もちろん当時の若き頃のDemi Mooreさんも超可愛かったですが(当時はショートカットが最強に世界一似合ってたと思う)、今回のゆうみちゃんも、マジ最高だったすね。なんか同じことばっかり書いてますが、とにかくゆうみちゃんモリーは最高、でした。
 ◆モリクミさんasオダ・メイも最高でした。
 まあ、やっぱり大ベテランすねえ! わたしはモリクミさんVerの『レミゼ』でのテナルディエ夫人しか生で観たことがなかったけれど、まあとにかく歌はパワフル、そして芝居ぶりは余裕たっぷりで、ホントにこの方は、まさしく日本のWhoopie Goldbergさんと言っていいと思うすね。完璧でした。超お見事っす。カッコイイと思うすね、こんなに芸達者であるということは。

 【むむむ……と思ってしまったポイント】
 ◆これはマイクセッティングの問題か? 言葉が聞き取れねえ!
 なんつうかですね、とにかく、ゆうみちゃんとモリクミさんの二人は滑舌も良く、声量もデカくて全く問題なかったけれど、それ以外のキャストの、台詞と歌ってる歌の歌詞、が、わたしにはおっそろしく聞き取りづらく、何言ってんだがよくわからない部分も多かったのが、とってもとっても残念であった。これって、オレの耳が変? だったのか? 若干音響としても割れ気味だったし、とりわけ男たちの台詞や歌声が、アカンかったす。特にカールだよ! 台詞は何度か噛んでたし、歌詞も聞き取りにくいし、演じた平間壮一氏の問題なのか、マイク等の音響の問題なのか、わたしには良くわからない。けど、役柄的に悪い人だけに、なんか評価としては辛口になってしまうのが申し訳ないのだが、正直、カールはイマイチだったすね。あと、サムの浦井氏も、若干今まで観てきたカッコイイ浦井氏のパフォーマンスからはちょっと今一つだったような気がしてならない。せっかくの歌が……どうも聞き取りにくかったのが本当に残念す。
 ◆これは演出の問題なんだろうな……
 わたしは今回のミュージカル版を観るにあたって、一体、物に触れられない、壁を通り抜けてしまう、といった幽霊の特徴的な状態を、どう表現するのだろう? と興味津々だったのだが……正直かなり、なーんだ、な演出だったように思う。なんというか、誰でもそういう演出をするだろうな、という想定内の演出であったし、何の驚きも感動?もなかったと思う。その結果、物語に入り込まないと、少し変、にしか見えないし、なんか……普通だったのが残念だ。かと言って、こうすればよかったのにという代案も浮かばないので、文句は言えないけれど、なんというか、こう来たか、的な驚きが欲しかったす。それと、あの名曲『アンチェインド・メロディ』の使われ方も雑というか……もっと効果的に使えたと思うんだけどなあ……映画版のファンとしてはそれも残念す。つうか、映画版を観ていない人は、幽霊のすり抜けてしまう体質を理解できたんだろうか。おまけに、キーワードである「Ditto」を「ディト」と本作では敢えて発音していたけれど、これ、映画を観てなければ「同じく」って意味だと分からないと思うんだよな……なんで「同じく」って言わせなかったんだろうか……。
 そして、これも演出の問題だとわたしとしては断言したいのだが、あのですね、はっきり言いますが、キス多すぎ!です!! これはもう、なんか、無理矢理感がどうしてもぬぐえなかったし、おまけにオレの娘に何してんだこの野郎! 的イライラも募り、なんつうか……ゆうみちゃんが気の毒に見えてしまったんすよね……。あれだけのキス、ホントに必要だったのだろうか……? もはやわたしはゆうみちゃんのお父さんレベルの男なわけだが、そのわたしが想像するに、きっとゆうみちゃんは、相当な、それこそ決死の覚悟をもってこの舞台に臨んだのだろうと思うわけです。今まで舞台上で男とのキスシーンなんてやったことがないし、まあ、プライベートではどうか知らんけど、恐らくはもう、恐怖心すら抱いていたかもしれない。それを、持ち前の役者魂でモリーになり切って、舞台に立っているわけですよ。それなのに……なんつうか、乱暴だなあ……とすらわたしには思えた。もっと大切に演出して欲しかったすわ……。
 とまあ、こんな感じに、わたしはゆうみちゃんとモリクミさんのパフォーマンスに、すげえ!と感動しつつ、なんだかどうもイライラもしてしまい、かなり微妙な気持ちで家路についたわけである。これはWキャストの秋元才加さんVerも観て観たかったかもな……それで同じことを思っただろうか? 才加さんなら何にも感じず文句なく楽しめたとするなら、今回のわたしのイライラは、単にゆうみちゃんに対するわたしの思いが強すぎて、男としての嫉妬、あるいはお父さん世代としてのイライラ、だっただけかもしれない。でも、音響はマジで聞き取りにくくて、改善の余地ありだと思います。アレは直した方がいいよ、ホントに。
 そして、その他で思ったことは……アンサンブルキャストの皆さんは、とてもレベルが高くて、ダンスのキレも極めて上質でしたな。とりわけ、わたしの目に留まったのは、松原凛子さんと島田彩さんすね。松原さんはオダ・メイの助手ガールの小さい方、彩さんはいろいろなシーンでいろいろな役でちらほら出ていたけど、ダンスのキレがすごい目を引いたすね。二人とも歌が超絶に上手いお方だけど、今回はわたし的にはダンスの方でグッと来たす。いや、だって歌声があまり聞こえなかったんすよ……。

 というわけで、書いておきたいことがなくなったので結論。
 わたしの大好きな映画の一つである『GHOST』がミュージカルとなって上演されているので、わたしも超楽しみに劇場へ駆けつけたわけであるが、確かに、ヒロインのモリーを演じる咲妃みゆちゃんは素晴らしく、歌も芝居も完璧だったと絶賛したい。まったく何もなくて家にいる時のゆうみちゃんもあんな感じの普段着なんすかねえ……大変可愛く、その点では超満足である。しかし、舞台としての出来としては、まず音響なのかな? とにかく男の台詞と歌詞が聞き取りにくくて、その点は非常に残念に感じたし、演出的にも、なんつうか……驚きや感動はなくて、フツーであった。そしてなにより、無駄なキスはやめて! と嫉妬に燃えるわたしとしては申し上げておきたい。ゆうみちゃんは相当の覚悟をもって、舞台上で「戦って」いたんじゃないかなあ……。演出も共演陣も、そのゆうみちゃんの覚悟と同じレベルにあったのだろうかと考えると、実に疑問です。なので、結論としては、わたしはこの作品を微妙だと判定せざるを得ないす。これはやっぱり秋元才加さんVerも観て比較すべきかもな……もはや手遅れでチケットは買えませんが。はーー……ホントは超絶賛の感想を書きたかったす……。以上。

↓ おそらく、原典を観ておいた方がいいような気がします。隣のご婦人2名が、幕間で「話が映画と違くない?」的なおしゃべりをしてましたが、いいえ、ぜんぜん映画通りでしたよ。

 先日の土日に、わたしの愛用する電子書籍販売サイト「BOOK☆WALKER」において、かなり還元率の高いコインバックフェアを実施していたため、ほほう、ならばごっそり買ってやろうじゃないか、と面白そうな本を求めて渉猟していたわたしであるが、結果的に20冊近く買った作品のうち、おっと、これって、確か秋からテレビドラマ化されるアレじゃね? と思って買って読んでみた漫画がある。
 それは、日本人女優の中でわたしが現在TOPクラスに好きな、高畑充希ちゃん主演でドラマ化されるという作品である。あれっ? なんだ、既にスペシャルドラマで放送されていて、秋からは連ドラになるってことか? な~んだ、全然知らんかったわ。

 というわけで、わたしが買って楽しんだ漫画、それは阿部 潤先生による『忘却のサチコ』という作品であります。上に貼った動画を見て、そしてこちらのコミックス(1)巻のカバーをご覧ください。なかなかイイ感じに再現されているみたいですな。

 現在、最新巻は第(10)巻まで刊行されているようで、スピリッツに絶賛連載中らしいが(読んでないから知らん)、とりあえずわたしは(1)巻だけ買って読んでみたところ、大変面白かったので、すぐに(5)巻まで一気に買って読んでみた。これはですね、相当イイすねえ! 主人公・幸子さんがかなり可愛いす。
 物語は、わたしの嫌いな小学館から各巻の1話分が試し読みで提供されているので、そちらを読んでいただいた方が早いだろう。URLをメモっておこう。https://shogakukan.tameshiyo.me/9784091866707
 簡単にお話をまとめると、結婚式当日、というか式の最中に、花婿に逃げられてしまった佐々木幸子さんが、傷心を抱きつつ入った店で食べた飯がウマすぎて、何もかも忘却の境地に至り、以降の毎話、つい、なにかにつけてふと思い出してしまう元彼氏のことを忘れるために、おいしい物をモリモリ喰う、というのが基本のストーリーである。
 幸子さんは、元彼氏のことだけじゃなくて、仕事のイライラを忘れるためだったり、まあ、いろんな理由からとにかく毎回食べまくるのだが、そんな幸子さんの心の葛藤もなにもかもすべて、「おいしい」というご飯への感動とともに忘却の彼方にーーーとなるわけです。そしてそんな、無我の境地に至った幸子さんの表情で物語は締めくくられるのがお約束となっている。↓こんな表情。
sachiko02
 まあ、以上の説明だけだと面白さが全く伝わらないと思うので補足すると、要するに佐々木幸子さんが非常に魅力的な、カワイイ女子なのです。というわけで、主人公・幸子さんについてわたしが知り得たことをいくつか挙げてみよう。
 ◆超ド真面目な幸子さん。
 幸子さんは、中学館という出版社のデキる編集部員(小説誌)なのだが、とにかく何かにつけ大げさなほど丁寧でド真面目であり、まあ、一言で言えばかなり常識からぶっ飛んでいる女子である。その結果、いろいろ不器用なのだが、何事にも過剰に全力投球&ド直球であるため、無法天に通ず、的に、担当している作家先生も、編集部のみんなも、幸子さんのことが大好きなのである。もちろん読者たるわたしも幸子さんの魅力にハマったわけだが、空気を読み過ぎて、一周回って読んでない、みたいな、斜め上の行動を取る、ある意味すっとぼけな幸子さんは大変可愛いと思う。よく会社の椅子に正座して仕事をしていて、作家のためならコスプレも辞さない全力プレーが身上。
 ◆お堅い表情ととろける笑顔のギャップがGOOD
 幸子さんは、基本的に常に全力、であるため、その表情も常にキッ!としていて、常にある種の「怒り顔」ではある。しかし、おいしい物をいただいている時の幸子さんのとろけた表情が大変良いのです。まったく本人に自覚はないと思いますが、間違いなく男なら誰しも、そのギャップにグッとくると思う。もはや変態でサーセン。ちなみに幸子さんの上司たる編集長や、担当しているとある作家も、何かにつけ大好きな幸子さんを狙ってる下心満載の変態だが、まあ、男ならやむないでしょうな。可愛すぎる幸子さんは罪な女ですよ……。
 ◆幸子さんのスタイル&ファッション
 常にタイトミニのスーツに準じる服を着ていて(クローゼットに1週間のローテーションがキッチリセッティングされている)、何気にかなり胸はデカい(一緒に温泉に行った先輩女子編集部員曰く「すっごい美乳」らしい)。まあ、こんな人、小説の編集者にいるわけねーよ、という若干のファンタジー的存在である。髪型は肩にかかるぐらいのボブで、前髪は眉ぐらいでパッツン(に近い)。もちろん黒髪。もう最強に理想的じゃねーか、と思う男は世にゴマンといると思います。もちろんわたしもその一人ですが、残念ながら現実には存在しないことも理解しております。
 ◆幸子さんの好み
 幸子さんは高倉健さんが大好き。とりわけ、『幸せの黄色いハンカチ』が大好きらしい。不器用なんで……。
 ◆幸子さんの家族
 どうも実家暮らしなのかな? お母さんは全く普通な常識人のため、幸子さんのぶっ飛んだド真面目さがやや心配のご様子。母は幸子さんのことを「コッちゃん」と呼んでいて、結婚式の事件以来、大丈夫かこのコは、と幸子さんのことを心配している。まあ、大丈夫じゃないんですけどね。

 まだまだ他にも幸子さんの魅力的なところはいっぱいあるのだが、これ以上書くとどんどん変態度が増すのでこの辺にしておこう。この幸子さんを高畑充希ちゃんが演じるなんて、相当ぴったりというか、かなり期待できるような気がしますね。連ドラ版の放送が大変楽しみにであります。ただ、高畑充希ちゃんが可愛いのは間違いないし、幸子さんにも雰囲気は似てるので最高なんですが、幸子さんの何気にセクシーなBODYは、ちょっと再現するのは難しいかもしれないすな……。

 しかし思うに、最近、こういった「ド真面目すぎてズレている」主人公の漫画や小説をよく見かけるような気がしますね。ま、最近じゃなくて昔からあるパターンというべきかな……。また、本作はある種のグルメ漫画でもあり、いわば『孤独のグルメ』的でもあって、そういう意味では、売れる要素をきっちりと掴んでいる作品なんでしょうな。絵も非常に丁寧できれいだし、取材もキッチリされていて、毎回登場する料理の描写もとてもいいし、非常に漫画力の高い作品だと思う。わたしの大好きな有楽町のロメスパの名店、「ジャポネ」も、たしか「ジャンボ」と名を変えて登場してたすね。「ジャポネ」の大盛りを軽く平らげる幸子さん……これは「ジャポネ」を知ってる人なら、すげえ、と思うと思います。小食のわたしには到底食えない量ですよ、あれは。あと、幸子さんは極めて頻繁に出張で地方へ出かけるのだが、まあ、小説の編集者でここまで出張が多い人はまずいないだろうな……しかしそこを否定すると物語は成り立たないので、ファンタジーとしてまったくアリ、だと思います。
 というわけで、もう(10)巻まで発売されている作品ので、超今さらすぎるけど、わたしはこの『忘却のサチコ』という作品が大変気に入りました。まだ(5)巻までしか買って読んでいないので、この後、果たして幸子さんを振った元婚約者が登場してくるのか、そして(4)巻から登場してきた新入社員のゆとり小僧は、少しはましなガキになっていくのか(今のところ典型的ゆとり小僧のクソガキ)、そのあたりも大変楽しみにしたいと思う。

 というわけで、結論。
 ふとしたきっかけで買ってみた漫画『忘却のサチコ』という作品は、映像化されるだけあって確かな面白さを備え、漫画としての出来も非常にクオリティの高い作品である、と思う。大変面白かったので、続刊も買って読みたいと存じます。そして、幸子さんを演じる高畑充希さんの芝居ぶりも、楽しみにしたいと思う。これは期待が高まりますな。大変結構なお点前でした。あと、最後にこんなことを言うのは超今さらなんですが、本作は、ある意味、男目線からの、こんな女子がいたら最高なんだけどなあ、的な男のためのファンタジー漫画なのかもしれず、女性が読んで面白いのか、正直分かりません。根拠はありませんが、女性が読んだら、若干イラッとする可能性があるかも……どうだろうな……分からないので、女性にはお勧めしないでおきます。以上。

↓ ちょっとこれは、すでに放送されたスペシャルドラマを見ておかないとマズいすかね……超気になるっす。

 ふああ……長かった……。
 わたしはおとといの夜、読んでいた海外翻訳小説を読み終わったのだが、読み終わっての偽らざる第一声である。そしてその読み終わった本とは、6日前に買ってきた、コイツのことです。
FIREMAN


 買ってきた6日に前に書いた通りだが、Joe Hill先生による最新長編『THE FIREMAN』であります。わたしとしては、この才能ある作家Joe Hill先生が全然日本で紹介されていないのが本当に残念に思う。かの世界的大ベストセラー作家であり、わたしがこの世で最も大好きな小説家、Stephen King大先生の次男長男(姉と弟がいる第二子)で、なんでも、本人としては、King大先生の息子であることで、ちやほやされるのが嫌でJoe Hillというペンネームを使い出したらしいが、現在ではもう、King大先生の息子であることはまったく隠しておらず、世に知られている。しかし、ここ日本ではさっぱり知名度は低く、その作品が非常に面白くて、優れた才能の持ち主であることは、King大先生の息子であるということを知らなくても、作品を読めば一発で分かると思うのだが……ほんともったいない。もっともっと売れてほしいのだが、いかんせん日本の版元である小学館にはまったくやる気がなく、ほぼ埋もれているのが現状だ。ホント腹立たしいわ。
 それはともかく。まずは『THE FIREMAN』の物語をざっとまとめてみよう。
 物語は、冒頭、学校の保健室から外を眺めた主人公が、「燃える人間」を目撃するシーンから始まる。そしてあっというまに、その人体発火の病気(?)が地球を覆い、一転して世界はディストピア的状況に陥る。まあ、欧米人はディストピアものが大好きですな。で、主人公は「感染者」の押し寄せる病院へ看護師として働くようになるのだが、自らが妊娠していることが判明、こんな状況で妊娠するとは……と若干途方に暮れていると、ついに自らも発症してしまい、そのことで(頭のイカレた)夫にぶっ殺されそうになる。そんな大ピンチを救ったのが、消防士(FIREMAN)の格好をした謎の男と、なぜかキャプテン・アメリカのマスクを着用した少女だった。辛くも難を逃れた主人公は、二人に連れられて、自宅から数kmにあるキャンプ場に集まる「感染者」たちの集団に合流する。しかし、そのキャンプも、その場を仕切る「ファーザー」はいい人だったが、やがて妙な狂信めいた集団心理が醸成されていき、ファーザーが殺されかけ、意識不明に。代わってリーダーとなった女、ファーザーの娘のキャロルは、とんでもない狂信で人々を支配していくのだが……てな展開であります。
 こういう物語なので、Kingファンとしては、なんとなく『The STAND』(超インフルエンザで人類の大半が死に絶えた世界の話)や、『UNDER THE DOME』(謎の隔離バリア空間に閉じ込められた人々の話)、あるいは『The MIST』(謎の霧にスーパーマーケットに閉じ込められた人々が狂信によってイカレていく話)など、父たるStephen King大先生の作品を思い出すのではないかと思う。
 しかし、Joe Hill先生は、一番最初の序文で思いっきりこう表明している。
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 インスピレーション
 J・K・ローリング――その数々の作品が、ぼくに本書の書き方を教えてくれた。
 P・L・トラヴァース――僕に必要な薬をもっていた。
 ジュリー・アンドリュース――その薬を飲みやすくするスプーン一杯の砂糖を持っていた。
 レイ・ブラッドベリ――本書の題名を盗んだ。
 わが父――題名以外のすべてを盗んだ。
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 まあ、こうも堂々と宣言されたら、なんつうか、むしろ期待が高まりますね。ハリー・ポッターとメリー・ポピンズ、それから『華氏451度』と父King大先生に対する敬意をもって書かれたわけで、とりわけ、父からは題名以外の全てを「盗んだ」と記すのは、わたしにはある種の決意表明のようにも感じられる。読者たるわたしとしては、その意気やよし! 父を超えてみせてくれ! とワクワクが止まらない見事な序文だったように思う。
 というわけで、わたしはこの長~~い物語を実質4日間で読み終えてしまったのだが、まあ、やっぱりちょっと、冒頭に記した通り、長げえよ……とぐったりしてしまったのは確かだ。とりわけキャンプでの日々が長いよ……。中盤ぐらいから犯人捜し的なミステリー風味が加わって来て、一体だれが、なんのために?的な興味もわいてきて、面白いことは間違いないのだが、キャラクターも多いし、そしてどんどんと主人公及びファイアマンが心身ともにボロボロになっていく過程は、正直読んでてつらかったす。この辺りのボロボロ具合、もうこれ、逆転できないじゃん!? ぐらい追い込まれていくのは、実に『UNDER THE DOME』っぽさが炸裂してたように思う。そして後半の逃走劇は、なんだか『MAD MAX2』あるいは『MAD MAX:Fury Road』的でもあったように思う。完全にヒャッハー世界ですよ。恐ろしいことに。
 わたしが本作を読んで少し残念に思ったのは、肝心の『FIREMAN』があまり活躍しないんすよね……そして弱い……。まったくもってスーパーヒーローではなく、心身ボロボロで、これでもかというぐらいやられていく様は、ホントつらかったす。
 で、次に、本書でのカギとなる病気についてまとめてみよう。こういうことだと思う。
 ◆竜鱗病<ドラゴン・スケール>:正確には病気というよりも、「竜様発燃性白癬菌」というカビの一種の菌類に寄生された状態。この菌に寄生されると、肌に竜の鱗のような模様がタトゥーのように現れる。そして燃える。発生元は不明だが、温暖化で溶けたシベリアの永久凍土から数万年の休眠から目覚めたという説もあるらしい。そして、保菌者と接触しても感染することはなく、どうやら胞子を含む「灰」が媒介しているようで、菌はその灰を生成して広く増殖するために宿主を燃やす、らしい。
 しかし、この菌と共生する方法があって、燃えないでいられる状態を維持することも可能。それは、脳から分泌される「幸せホルモン」でお馴染みのオキシトシンを感知すると、菌はこの宿主は安全だ、と思うらしいのだ。面白いよな……こういう設定。キャンプでは皆が歌って心を一体化することで、体のスケール(鱗)が発光し、「ブライト(Bright)」と呼ばれる恍惚状態になり、精神的なテレパシーめいたもので「繋がってる」意識を持つ(=こういう人と繋がっている状態が人にとって最も幸せな状態=オキシトシン分泌、らしい)ため、燃えない、ということらしい。この「ブライト」というのも、Kingファンとしては「輝き(Shining)」能力を思い起こさせますな。そして問題は、燃えないだけでなく、炎を自在に操るジョン=FIREMANは一体どうやっているのか? ということになるのだが、これはある種の修行的な訓練で身に着いたそうです。この訓練のくだりはちょっとアレだけど、まあ、とにかくよくできた設定であると思う。そしてどうでもいいけど、<ドラゴン・スケール>というネーミングはセンス抜群すね。
 で、最後に、キャラについてだが、本作は小学館文庫版で<上>が660ページ、<下>があとがきなど含めて637ページ、合計1297ページと膨大で、キャラクターもそれなりに多いので、まずはわたしがパワーポイントでテキトーに作った人物相関図を貼りつけておこう。
FIREMAN
 ◆ハーパー:主人公の女性。30代後半だっけ? 年齢は忘れました。学校の保健室の先生だったが、「竜鱗病」蔓延後は看護師に。彼女の問題点は、果たして何もなく平穏な世界のままだったら、夫の本性に気が付けていたのだろうか? という点だろうと思う。ある意味平均的US家庭の奥様で、保健室のメリー・ポピンズとして厳しく、優しく子供相手に過ごせていたはずで、まさか夫があれほどクソ野郎だったことには気が付かずに終わっていたのではなかろうか。そして、それはそれで、まったくの幸せな人生だったのではないだろうか? そう考えると、若干ハーパーというキャラに対する共感は薄れてしまうような気もするけど、まあ、人間だれしもそうなんでしょうな。普通の人代表として、そして異常事態でも変わることのない善良な魂の持ち主として、主人公の資格を持っていたと思うことにしよう。なんつうか、善良さによるものなのかどうか分からないけど、ハーパーはかなりあっさり人を信用するし、好きになっちゃうという、フツーの女性だと思う。そして妊婦なのに、無茶しすぎだよアナタ……。
 ◆ジョン:元菌類学者のイギリス人。現FIREMAN。消防士の格好をしていて、炎を操る男。フツーの人なので、肋骨は折るわ手首は脱臼するわと、満身創痍。中盤ほとんど出番なし。キャンプにはおらず、すぐそばの小島で一人ひっそり暮らしていて、「ブライト」状態で人と繋がることを拒否している。その理由は―――まあ、書かないでおきます。読んでお楽しみください。
 ◆セーラ:すでに故人。焼け死んだ。が、実はジョンの小屋のかまどの火の中にーーな方なので、わたしは勿論『ハウル』のカルシファーを思い出したっす。
 ◆ファーザー・トム・ストーリー:キャンプの主導者。元学校の先生。セーラとキャロルの父。まあ、なんつうか、いい人なんだけど……あまりに無防備というか、ちょっと危機感が足りなかったのではないかしら……。
 ◆キャロル:セーラの妹で超奥手な女。何歳か忘れたけど処女。ファーザー襲撃&昏睡ののち、どんどんとおかしな方向へまっしぐらなイカレたお方。この人も、この異常事態ではなく、普通な世ならば、普通に生きて行けたかもしれないのに……。たぶん、本人には全く罪悪感のかけらもなく、正しいと思ったことをしただけだと思う。恐ろしい……。
 ◆アリー:セーラの娘。16歳だっかな、絶賛思春期の扱いの難しい娘さん。ジョンを慕っていて、ジョンのFIREMAN活動のサイドキック(相棒)的に、キャプテン・アメリカのマスクをかぶって活躍。しかしキャンプでは、周りに影響されやすいのかな、コロコロと態度が変わる、ホント難しい娘さんですよ。
 ◆ニック:セーラの息子でアリーの弟。聾唖で、読唇術を身に付けていないため(作中で曰く、読唇術なんて映画の世界のモノで、出来っこない)、手話か筆談で意思疎通する少年。しかし「菌」の扱いが実は非常にうまく、2代目FIREMANになれるレベル。基本的に、甘えっ子です。
 ◆ジェイコブ:ハーパーの夫。公務員だが、実はずっと人々をバカにして、オレが世に認められないのはクズどものせいだと世界を憎んでいた。ついでに妻のハーパーに対しても、内心ではこのアホ女め、とずっと見下していて、それを小説に書いてストレス解消していたクソ野郎。ハーパーが感染したことで、自分ももう保菌者なんだと血迷って無理心中しようとするアホ。そしてその際、ハーパー&FIREMANにこっぴどくやられて、ずっとハーパーとFIREMANと感染者をぶっ殺すことを生きがいにする。でもまあ、ジェイコブもまた、平穏な世界であれば、それなりに平穏に生きて行けたんでしょうな……。
 ◆ルネ&ドン:最後までハーパーの味方のいい人。ルネは黒人のおばちゃん、ドンは元軍人のおじいちゃん。詳しくは相関図参照
 ◆ベン:元警官で、コイツはいい人かな? と思っていたけど、どんどんと元警官の血が騒いだのか、圧制側に回ってキャロル陣営へ。「ブライト」中のトランス状態でハーパーのケツをもみまくる変態おやじ。読んでいて、ついドンとベンが、どっちがどっちだかわからなくなるので、気をつけよう!
 ◆マイクル:アリーが大好きな少年で、コイツもいい人だと思ってたのに……単に、ヤリたくてしょうがない男子高校生(童貞)でした。
 ◆ハロルド:既に故人。キャンプでは嫌われ者のキモオタデブの変態野郎。しかし実は、一番事態を把握している賢い奴で、日記を残しており、数々のヒントを残す。なので、実は大変かわいそうな野郎でした。
 とまあ、主なキャラはこんな感じかな。他にもいっぱいいろいろなキャラが出てきますが、彼らに共通するのは、平穏な世界ならば、誰しもが普通の人であったはずだという点で、この「菌」が、あらゆる人に、ある意味平等に、その人の本性をむき出しにする事態へと突き落としたわけで、なんつうか、恐ろしいというか、こういう事態でも変わらない自分でありたいと願わずにはいられないすな。いや、変わらない、というのは違うか? 変わったように見えてもその人そのものなわけで、仮面を無理矢理剥されたってことなのかな……その仮面があまりに別物だと、なんかゾッとするっすね。おれは果たして大丈夫なんだろうか……という怖さは、とても強く感じるに至ったす。

 というわけで、もう長いのでぶった切りだけど結論。
 US発売から2年(?)。待ちに待ったJoe Hill先生の最新作『THE FIREMAN』の日本語翻訳が発売されたので、さっそく買い求め、むさぼるように読んだわたしである。読み終わって、まず第一に、長い! 疲れた! という感想が一番最初にわたしの口から洩れたのは確かだし、実際、途中ちょっとダレるかも……とは思うけれど、それでもやっぱり、結論としては面白かった! と申し上げたい。少なくとも、Kingファンならば絶対に読むべき物語であり、Kingファンに対しては絶対のおススメだ。ただし、Kingファン以外の人々に対しては……どうかなあ……最後まで読み切る気合は必要だと思います。そして、わたしは偶然、今年上演された『メリー・ポピンズ』の舞台を観に行ったし、その予習として映画版も見直しておいたのだが、本書は数多く『メリー・ポピンズ』を知らないと困る描写が多いような気がする。なので、読む前に、ぜひ! 映画版『メリー・ポピンズ』を観ておくことを推奨します。知っていると、ニヤリとしてしまうような場面がいっぱいありますよ! そんなところも、わたしとしては大変楽しめました。つうかですね、King大先生のDNAは確実にHill先生にも受け継がれているのは間違いないですな。すごい才能ですよ。次の新作が楽しみです。以上。

↓ マジで観ておいた方がいいと思います。映画としても最高に楽しいしね。若き頃のジュリー・アンドリュースさんはホントかわええっすな……!

 昨日は早めの昼食をとってから、一路有楽町へ馳せ参じ、ミュージカルの聖地でお馴染みの帝国劇場、略して帝劇へ行ってきた。理由はもちろん、現在帝劇で絶賛上演中のコイツを観るためである。
knightstale
 ジャニーズきってのミュージカル俳優として名高いKinki Kidsの堂本光一氏と、ミュージカル界のプリンスでお馴染みの井上芳雄氏のダブル主演作、『Knights Tale―騎士物語―』であります。まあ、結論から言うと、古臭いというとネガティブだが、ある意味様式美ともいえる非常にShakespeare的セリフ回しで、このBlogでも何度か書いたことがあるけど、わたしは日本語で読めるShakespeare作品をほぼすべて読んでいるので、なんか懐かしさも感じ、大変楽しめたのであった。そして、もちろん、光一氏&芳雄氏の歌は素晴らしいし、さらに言うと、二人のヒロインがもの凄く良かった! のである。いやあ、参ったすね。わたしは初めて上白石萌音ちゃんの歌を聞いたけど、この方は相当イイ! 全然知らなかったので、非常に驚いたっす。

 さてと。まずは物語からまとめると、二人の仲良しの騎士がいて(二人はいとこ同士)、同じ女性を好きになり、その取り合いで絆が壊れてしまうけれど、全く別の女子が片方の騎士を好きになって、まあ、結果めでたしめでたしになるというお話である。サーセン。超はしょりました。詳しくは公式サイトをチェックしてください。
 この物語は、Shakesperare作品を大抵読んでいるわたしであっても、実は全然知らなくて、こんな作品があることすら、情けないことに知らなかった。というのも、もともとGeoffery Chaucerの『The Canterbury Tale』(読んだことあるけど全然覚えてないす)の中の『The Knight's Tale』が原典だそうだが、どうやらこの作品の原作である『二人の貴公子』という戯曲は、ShakespreareとJohn Fletcher氏の合作だそうで、英文科の人なら常識かもしれないけど、そうでないわたしは恥ずかしながら全く知識がなかったのである。どうも、わたしがShakespeareを読みふけっていた1990年当時は全然日本で紹介されておらず、日本語訳も出版されていなかったみたいですな。しかし、わたしは今回舞台を観ながら、なんかこの話知ってるような気がする……という思いが離れず、さっき調べてみたらその理由があっさり判明した。そう、わたしの愛する宝塚歌劇で、一度上演されていたのだ。それは2009年のバウ公演、当時の月組の若手であった龍真咲さんと明日海りおさんの、世に言う「まさみり」時代に上演された『二人の貴公子』で、わたし、WOWOWで思いっきり観ていたのである。なので、さっき、そうか、アレか! と超謎が解けてスッキリしたのであった。あまりに懐かしいので、後ほどBlu-rayに保存してあるまさみり版も観てみようと思います。【2018/08/16追記:さっそく、まさみり版『二人の貴公子』を観てみたところ、大筋は同じでもエンディングはまったく違っていて、悲劇的エンディングだったので驚いた。原作に忠実なのはどっちなんだろうか? まあとにかく、まさおもみりおちゃんも若くて、大変結構なお点前でした。みりおちゃんが研7、この後すぐ『エリザベート』の新公でトート様をやる直前だったようです】
 というわけで、各登場キャラクターと演じた役者陣をまとめておこう。
 ◆アーサイト:二人の騎士A。テーベの騎士。敵国アテネに捕虜として連行され、牢獄の窓の外に見たエミーリアにひとめぼれ。後に彼は賠償金が払われて釈放されるも、森で出会ったダンサーたちに潜入し、アテネにとどまり、エミーリアの従者に。しかし残された親友との再会が悲劇を―――的な展開。演じたのはジャニーズの誇るミュージカルスター堂本光一氏。わたしは初めて生の光一氏のパフォーマンスを観た。一言で言えば、さすが、すね。歌もダンスもやっぱり一流ですよ。本作はShakespeare作品ではある意味お馴染みのギャグというか喜劇なわけで、意外なほど客席からは笑いが起こってました。光一氏はそんな辺りも余裕でこなしてましたね。お見事っす。ちなみに宝塚版で演じたのはみりおちゃんす。
 ◆パラモン:二人の騎士B。テーベの騎士。アーサイトと同じくエミーリアにひとめぼれ。ただし彼はずっと虜囚のままであり、ちくしょうおのれ、と思っていたところ、門番の娘がパラモンにぞっこんLOVEとなり、その手引きで脱獄に成功。そして親友アーサナイトとの決闘へ――的な展開。演じたのはプリンス井上芳雄氏。芳雄氏のパフォーマンスはもちろんいつも通り見事。喜劇もお手の物ですな。しかし、芳雄氏の歌い方は明らかに藝大で鍛えた声楽系で、光一氏の歌とのハーモニーは……どうだろう、合ってたのかな……その辺は観た人それぞれの評価にお任せします。わたしとしては……若干芳雄氏の声ばかり耳に入ってきたような気がする。宝塚版ではまさおが演じた役ですな。
 ◆エミーリア:アテネの大公の妹。二人の騎士に惚れられちゃう女子。演じたのは、元雪組TOPスター音月桂さん。わたしは宝塚時代の音月さんを何度も観ているが、まあ、やっぱり美しく、可愛いですよ。歌も素晴らしく、すっかり美しい女子に戻りましたな。とにかく、明らかに鍛えている体が素晴らしくキレイ。とりわけ、程よく筋肉の付いたほっそりした二の腕がウルトラビューティフル! 最高でした。あと、一つだけ、ショックなのは……エミーリアの台詞で「まあダメ男だけど顔はイイし」的な発言があって、ほぼ女性客9割の場内は笑いの渦でしたが、残念ながらイケメンに生まれなかったわたしは、ちぇっ、なんだよ! イケメンなら許されんのかよ! としょんぼりしたっす。まあ、しょうがないよね、それは。
 ◆牢番の娘:パラモンに惚れてしまい、脱獄の手引きをするが、パラモンはエミーリアLOVEであっさり振られてしまい、そのショックで一時気が狂ってしまうが、エミーリアの看護で正気に戻り、二人の騎士の決闘に割って入り――的な展開。演じたのは上白石萌音ちゃん20歳。わたしは彼女について、『君の名は』のヒロインの声の人でしょ、ぐらいしか知らなかったのだが、もうホントおみそれしました。超イイじゃあないですか! すっごいちびっ子(身長が座ってる芳雄氏と同じぐらいしかない!)のに、歌は猛烈にパワフルで、ダンスもすっごいエネルギッシュ! こういうある種のギャップは最強の萌えですよ! 足はサリーちゃんだし、腰のくびれもない、完全幼児体型だけど、この才能はホンモノすね。あまりにちびっ子なので、役が限定されちゃうかもしれないけど、今後、大人になって幼児体型も解消されていくことでしょう。彼女の今後には、マジでチェックが必要ですな。またその素晴らしいパフォーマンスを観たいものです。なお、宝塚版では蘭乃はなちゃんが演じたようです。後でチェックしてみよう。【2018/08/16追記:チェックした結果、蘭はなちゃんが月組時代、たぶん研4ぐらいか? 大変可愛かったす】
 ◆ヒポリタ:元々アマゾン族(?)の女性だが、ある意味虜囚としてアテネの大公の嫁に。物語上のキーキャラの一人。演じたのは、子役時代のロビンちゃんでお馴染み島田歌穂さん。歌穂さんは何歳なんだろうな……全く謎だけど、まあ綺麗ですよ。顔が小さく、非常なる美人です。そして歌ももう圧倒的存在感で、ソロで歌い出すともう場を支配しますな。お見事でした。
 ◆シーシアス:アテネの大公。演じたのは、Cube三銃士Non-STARSのメンバーでお馴染み岸祐二氏。この人は元々「激走戦隊カーレンジャー」(1996年だからもう20年以上前か!)のレッドでデビューしたお方で、声優としても様々な仕事をされているお方だし、ミュージカルアクターとしても有名人だが、わたしは今回初めて生のパフォーマンスを観た。ゴツイ体と迫力のイケボイスはさすがすね。大変カッコ良かったと存じます。
 とまあ、こんなところかな。あ、あと一つ。冒頭の「三人の王妃」が歌うハーモニーがすごく綺麗で、この三人は相当デキル方々だぞ……と思って、帰って来てパンフをチェックしたところ、TVのカラオケバトルでお馴染みの七瀬りりこさん、レミゼなどのミュージカルでお馴染みの青山郁代さん、折井理子さんのお三方だったようで、なるほど、さもありなん、と納得の実力者であった。お三方は多くの場面でコーラス的に歌っておられて、非常にお見事なハーモニーであったと思う。
 ところでわたしは今回、東宝のナビサーブでチケットを普通に申し込んで普通に買えたのだが、どうやらチケットはかなり獲るのが難しかったようで、先日わたしのヅカ師匠の美しきお姉さまに、おれ、今度帝劇で『ナイツテイル』観てくるっす、と軽~く報告したところ、「な、なんですって! わたしはナビサーブは落ちたし、光一君のファンクラブ経由でも獲れなかったのよ!」とすごい勢いで話し始めたので、あ、じゃあ、一緒に行きましょうよ、まだ誰も誘ってないすから、師匠なら大歓迎っす、というわけで、いつも宝塚歌劇のチケットを獲ってもらっている恩返しができて、その点でも良かったす。

 というわけで、結論。
 現在帝劇にて絶賛上演中の『KNIGHTS TALE―騎士物語―』を観てきたのだが、主役の二人である堂本光一氏と井上芳雄氏のパフォーマンスは、もちろんのこと文句なく素晴らしく、ブラボーであった。そして、わたしがとにかく素晴らしいと感じたのは二人のヒロインで、元雪組TOPスターの音月桂さんはすっかり美しい女性として、歌も芝居も素晴らしく、また体つきも明らかに鍛えていてとてもBeautifulであった。そしてもう一人、弱冠20歳の上白石萌音ちゃんは、わたしは全く知らなかったがこれまで舞台経験も多く、その非常にちびっ子&幼児体形BODYからは想像の付かないようなパワフルな歌と、エネルギッシュなダンスは観ていて感動的ですらあった。あれっすね、完全にわたしは、頑張る娘を見守るお父さん的まなざしで観ていたように思う。いやあ、素晴らしい女優ですよ彼女は。そして、書き忘れたけど、本作はオーケストラに加え、和太鼓&三味線&横笛も非常に印象的な使い方をしていて、特に和太鼓のビートがすっげえカッコ良かったす。ラストの決闘シーンの二人の騎士は、鎧武者のような衣装だったし、そこはかとなく漂う「和」のテイストは、演出としてとても良かったと存じます。一言でいうと、最高でした。以上。

↓これか……読んでみたくなったすね。面白そうす。
二人の貴公子
ウィリアム・シェイクスピア
白水社
2018-03-20

 おそらく誰も興味がないと思うし、まったくのわたしの趣味で大変恐縮だが、わたしが大好きなハリウッド美女の、オレ的最強美女ランクは以下のとおりである。
 <GODDESSクラス>……出会ったら確実に失神&失禁してしまうレベル
 ◆Cate Blanchett様:このうえないその神々しさ、まさしく女神。
 ◆Gal Gadot様:Beautiful+Sexy+Cute=地球上で最もWONDERな女神。
 <ANGELクラス>……出会ったら思わず抱きつき逮捕されるレベル
 ◆Emma Stone嬢:最高Cuteエンジェル。最強の笑顔の持ち主。
 ◆Daisy Ridley嬢:とりわけ怒った顔とイギリス英語が超Cute。
 ◆Anna de Armas嬢:超Cuteな人造天使。発売してほしい。
 <THE ORIGINクラス>……特徴的なオンリーワンの魅力を持つ最強美女
 ◆Haley Bennett嬢:ハリウッドナンバーワン「幸の薄い顔」。もうたまらん。
 ◆Jennifer Lawrence嬢:とりわけそのしょんぼり顔とガラガラ声がイイ。
 ◆Scarlett Johansson嬢:とりわけ声が最高。超ハスキー&セクシー。
 ◆Amanda Seyfried嬢:広いデコが最高すぎてデコピンしたくなる。
 ◆Anna Kendrick嬢:ちびっ子+超歌ウマ+何気にグラマラスBody=ええ、最高です。
 とまあ、この10名の方々がわたしの好みにジャストミートであり、この10人が一つの作品で共演してくれたら最高なんだけどなあ、と中学生じみた妄想をたまにしてみるわけだが、先般、わたしが最も愛してやまないCate様+全然別の7人の美女が集結する映画が製作されるに至ったので、わたしとしてはCate様の神々しい美しさを拝むべく、さっそく劇場へ詣でたのであります。
 その映画は『OCEAN'S 8』。もちろんタイトル通り、あの『OCEASN'S』シリーズの最新作で、なんとシリーズの主人公ダニー・オーシャンは既にこの世になく、その妹のデビーが大活躍するお話であった。そのデビーを演じたのは、超傑作映画『GRAVITY』でのドクター・ライアンでお馴染みSandra Bullock様。若干わたしの趣味からは外れるものの、もちろん美女であるが、結論から言うと、本作は面白かったし、痛快であったのは間違いない。けれど、後から考えるとかなり綱渡りの計画だったように思うし、結局、本作のカギは「男に裏切られた美女の恐ろしい復讐」にあるような気がするのだが、どうしてまたデビーはまんまと騙されちゃったのか、という過去の因縁の部分が薄くて、ちょっとだけ、腑に落ちないような気もした。この映画はアレなのかな、女性向け、なんすかね? 
 というわけで、以下、ネタバレも含まれると思いますので、気にする方はここらで退場してください。

 わたしは宝塚歌劇を愛する男として、『OCEAN'S』と聞くと即座に、宝塚版で主役を演じた柚希礼音さんが歌う「テス、君だけがおれぇ~の~~愛の~す~ぅべてだ~」というあの歌が脳内再生されるというちょっとアレな人間なので、もはや原典の映画版はあまり記憶にないほどなのだが、それはともかくとして。
 今回のお話は、かつて男に騙されて刑務所に入っていたデビー(ダニー・オーシャンの妹)が出所して、にっくきクソ野郎に復讐しつつ、お宝を頂戴するという痛快ドロボー物語である。そして物語は、いい意味で超テンポよく、どんどんと計画は進行して行く。その展開は恐ろしくスピーディーで、ほぼ、ピンチらしいピンチはなくグイグイ前に進んでいく。なので、まあ、深く考えずその物語の進行に身をゆだねればいいだけの、なんつうか、お気軽な映画であると思う。
 そして、おそらくこの映画での最大のポイントは、かのMET GALAを完全再現しているゴージャスな映像だろうと思う。一応軽く説明しておくと、MET GALAとは、毎年5月の最初の月曜日に、The Metropolitan Museumにて開催されるファッションイベント(主催はVOGUE誌)で、今回のキャストたちの多くも参加しており、毎年そのゴージャスないでたちがインターネッツで報道されるのをわたしも楽しみにしているイベントだ。ちなみにこちらが2012年のMET GALAに降臨したCate様。美しすぎる……!

 わたしも美術好きとして、METに行って、その圧倒的な作品の数々を堪能してきたけれど、まあとにかくデカイ、つうか、その規模はもう日本では考えられないほどのとにかく凄い作品数であった。今回の映画でも、さりげなく超名画がちらほら画面に登場するので(アレは本物だろうか?)、そんな点も、目に楽しい作品であろう。
 で、物語としてはMET GALAの主役たるディーバに選ばれた女優に、Cartierが地下金庫に厳重に保管しているお宝を身につけさせ、それを奪うという作戦なのだが、前述の通りあれよあれよといううちに計画が進行して成功する様は、まあ、正直ちょっと出来過ぎてはいると思う。とりわけ、事件後にお宝を処分してキャッシュを山分けするのだが、思うに、そう簡単に現金化できないだろうな……常識的に考えて。特に宝石なんて、出自が一発アウトではなかろうか。おまけに、エンディングではそれぞれの「8」のメンバーは豪快に金使っちゃってるし。即、国税にマークされると思うのだが……。
 でも、そんな細けえとはどうでもいいんでしょうな。そんなツッコミをするのは野暮の極みだと思うので、華麗なるドロボー軍団の「8」の皆さんを紹介しよう。
 ◆デビー:ダニー・オーシャンの妹。ちなみに今回、ダニーことGeorge Clooney氏は写真でちらっと登場するだけです。今回の主人公であるデビーは、5年だったかの刑期を経て、刑務所から出てくるところから物語は始まるのだが、ずっと塀の中で、にっくきクソ野郎への復讐を胸に今回の作戦を考えていたらしい。エンディングでは、兄ダニーの墓前にて、今回の作戦を見ててほしかったな、としんみりコメントして終わる。演じたのは前述の通りSandra Bullockさん54歳。54歳!?見えないすねえ! 彼女はお母さんがドイツ人で、ご本人もドイツ語が話せるそうですが、本編内でドイツ人に扮してドイツ語を喋りまくるシーンがありました。実際のところ、やっぱり美人すね。
 ◆ルー:デビーの親友で右腕。若干男のような恰好をしていて、バイクをかっ飛ばすクール美女。演じたのは勿論、オーストラリアが生んだ女神Cate Blanchett様49歳。ほぼわたしと同級生。とにかく美しくカッコ良く、超COOL! 今回、オーストラリア人の管理栄養士(?)として現場に潜入。そのコック服のお姿も神々しく、控えめに言っても最高でありました。
 ◆アミータ:ルーの旧友?らしく、宝石鑑定士?なのかな、よくわからん。作戦中は厨房に料理人?の一人として潜入。演じたのはMindy Kalingさん39歳。インド系アメリカ人。この方はUSで人気のコメディエンヌですな。わたしはよく知らないす。
 ◆タミー:デビーの旧友。泥棒奥さま。家のガレージは盗品でいっぱいで、もうコストコのようなレベル。作戦中は、VOGUE誌に潜り込んで、MET GALAに関係者として堂々と入り込む。演じたのはSarah Paulsonさん43歳。何となく神経質そうな、気弱な感じの顔はどっかで見たことがあるぞ、と思ったら、この人は『CAROL』でCate様演じるキャロルの親友として出演されてましたな。Cate様と何度も共演するなんてうらやましいす。
 ◆コンスタンス:凄腕の女スリ。アジア人系の若い女子。作戦中はウェイトレスとして会場にいて、ある意味実行犯という重要な役割を担当。演じたのはAwkwafinaさん29歳で、本業はラッパーだそうですな。全然知らない人ですが、中国系アメリカ人のお父さんと韓国からの移民のお母さんの間にNYCで生まれた生粋のUS市民だそうです。
 ◆ナインボール:凄腕のハッカー女子。凄腕すぎてちょっと現実感が薄いぐらい。監視カメラのハックや、盗品のダミーを3Dプリンタで作ったりと大活躍。演じたのは歌姫Rihannaさん30歳。大変楽しそうに演じておられましたな。
 ◆ローズ:服飾デザイナーだけど、落ち目で借金があって、いろいろあって作戦に参加。MET GALAのディーバを務める女優に、ローズの衣装を選ばせるのが作戦の第一段階だったのだが、なんか、かなりあっさり選ばれた感じですな。演じたのはHelena Bonham Carterさん52歳。この人、今やすっかり貫禄満点ですが、若い頃はホンットに可愛かったんすよ……。フランス語が堪能だそうで、今回、Cartier本社のフランス人と流暢なフランス語会話を見せてくれます。
 と、ここまでが作戦メンバーなんですが、7人しかいないすよね。わたしも、おっかしいな? と思いながら観てたのですが、なんと8人目は、そのMET GALAの主役ディーバの女優、ダフネでありました。
 ◆ダフネ:女優。ちょっと言動がブッ飛んでる系のお方だが、実は賢く途中から作戦に気づき、自らも実は作戦に参加していたことがラストで明らかに。これは、正直全然気が付かなかったす。演じたのはAnne Hathawayさん35歳。あれ、意外と若いんすね。もちろん大変な美女だけど、サーセン、わたしの趣味には若干外れてるので以下省略。

 とまあ、この8人の痛快娯楽作だったわけだが、一応、オリジナル『OCEAN'S』メンバーとしては、あの中国人の軽業師のイエン(しかも裏ではかなり重要な仕事をしてくれてた)とルーベン(ダニー・オーシャンの師匠的?なおじいちゃん)も出てきて、おっ!というシーンはあったすね。あと、ラストで、奪われた宝石を追う保険会社の男として、ミュージカル界ではおなじみのJames Corden氏が出てきたり(この人のTV番組「The Late Show」の名物コーナー?「CARPOOL KARAOKE」は最高です)、元祖美少女としてお馴染みのDakota Fanningちゃんもチラリと出演されてました。そしてMET GALAのシーンでは数多くの本物セレブたちがカメオ出演されてたそうですが、わたしはよくわからなかったす。テニスプレイヤーのSerena Williamsさんは本人としてセリフもあったすね。この人、本物のMET GALAにいつも出席されてるような印象す。

 というわけで、もう書いておきたいことがなくなったので結論。
 まあ、一応「シリーズ最新作」と言っていいのかな? かの『OCEAN'S』シリーズ第4弾となる『OCEAN'S 8』が公開になったので、わたしもさっそく観てきたのだが、わたしが観に行った理由の9割がたは、わたしが愛してやまない女神、Cate Blanchett様の神々しいお姿を拝むためである。で、その美しさは本作でも存分に発揮されており、わたしとしてはそれだけでこの映画を観に行った価値はあったな、というのが素直な感想だ。肝心の物語はというと、まあ、いろいろツッコミどころはあるけど……それを言っちゃあおしめえよ、なツッコミは野暮の極みなので、いいんじゃないすかね。こういう痛快娯楽作品だって、全然アリっす。実際面白かったし、大変楽しめました。しかし……はーまたNYCに行きたくなっちゃったすねえ……METは広大すぎて、半分ぐらいしか観られなかったからなあ……。美術ファンは絶対一度は堪能すべきだと思います。以上。

↓ 少なくとも1作目は観といた方が、本作はより楽しめると存じます。
オーシャンズ11 (字幕版)
ジョージ・クルーニー
2013-11-26

 先ほどメッセージをいただいてしまいました。ありがとうございます! 朝、このネタは書こうかとちょっと悩みましたが、メッセージをいただいてしまったからには、書かざるを得ません。
 もちろん、わたしも今朝見て、思わず吹きましたw
 なんのことか、お分かりですよね?
 そうです。今日発売の週刊少年チャンピオン2018年第37/38合併号に掲載されている、『あっぱれ! 浦安鉄筋家族』の「第21ミャオ★鯉」のことです。
 浜岡先生、ありがとうございます! 浜岡先生は、「天国でもチャンピオン読み続けて下さい」というメッセージを書いておられましたが、今頃きっと、佐藤先生も、ゲラゲラ笑っていることでしょう。もちろん、わたしも、すごいのキタ!!wwwと電車で噴き出しました。
 わたしは今まで、『鮫島』ニュースでは絶対に画面キャプチャーは貼らないという自分ルールを貫いてきましたが、今週の『浦安』だけは、どうかちょっとだけ貼りつけることをお許しください。『鮫島』ファンなら、なんかとてもうれしくなる素晴らしいものですので、これはちょっと、皆さんにもお見せしたいと存じます。
 えーと、お話としては、大鉄おやじと順子お母さんが、また禁煙を巡って喧嘩しているところで、「言った言わないは相撲で決めろ―――!!」と小鉄が言い出し、二人が戦ってる最中に、家の中では裕太君が両親の相撲を見て、相撲楽しそう、とか言い出して人形で相撲ごっこを始めるのだが……てな流れです。
 わたしは、もう冒頭の「相撲」というワードに、おっ!? と思い、読み進めていくうちに……どんどんと『バチバチ』テイストが入って来て、なんかずっとニヤニヤしておりました(※タイトルの『鯉』は読み終わったあとで気が付いたす)。
 で、どんなのかというと……。
urayasu01
 どうすか。ヤバいすねw おまけにこう来ますw
urayasu02
そして……! ロゴまで!
urayasu03
 どうですか。まあ、控え目に言って最高ですね!w
 そしてラストはこんなメッセージで終わりです。
urayasu04
 
 というわけで、結論。
 浜岡先生、本当にありがとうございました! なんか、とても嬉しいす! 以上。

↓ チャンピオン本誌には全然情報が載らないんですが、Amazonではもう(19)巻の告知があります。9月発売のようで、楽しみであります! どういうカバーになるんすかねえ……。

 もうこのBlogではおなじみのフレーズだが、何度でも言うッ!
 わたしが世界で最も好きな小説家はStephen King大先生であるッ!!
 まあ、King大先生の作品の、日本語で読める最新刊は、すでに9月21日発売が予告されている『END OF WATCH』(日本語タイトル「任務の終わり」)なわけだが、そちらは当然もう、今から早く読みたくてたまらないわけで、大変期待しているわたしである。
任務の終わり 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2018-09-21

任務の終わり 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2018-09-21

 しかし、以前もどこかで書いた通り、どういうわけかここ日本においては、King先生の知名度はそれなりに高く、作品の人気もそれなりに高いはず、なのに、本自体は正直、あまり売れていない。ま、それは単に出版不況と呼ばれる構造的、あるいはもはや、若年層における小説を読む習慣の欠如という文化的?な時代の変転によるものと思わざるを得ないのだが、そんなことはある意味どうでもよく、わたしが極めて残念に思っていることは、King先生には、まさしくそのDNAを継承した、おっそろしく才能のある息子がいて、その息子の作品が超絶に面白い!ことがまるで日本で紹介されていないことである。
 この点に関しては、明らかに日本における版元である小学館の責任であり、その惰弱な営業活動のもたらした罪、とわたしとしては断言したい。これが例えばKing作品を継続して刊行している文藝春秋社からの刊行であれば、恐らくはもっと父King作品に絡めた宣伝告知などが可能だろうし、もっともっと売れているはず、ではないかと推察する。まあ、ひょっとすると父Kingがらみの七光り的扱いはNGと禁じられている可能性はあるが、わたしが営業担当者だったら、今の部数の10倍以上売る自信はあるね。残念ながら小学館には何の期待も出来ない。実に残念だ。
 その才能ある息子(※ちなみに次男姉と弟がいる第二子です)の名前はJoe Hill。1972年生まれの現在46歳。この野郎の作品が、まあとにかく面白い! のである。読んで絶対損しないと思う。少なくともKing大先生のファンならば。そのJoe Hill氏の新作が今日、やっと日本でも発売になったので、わたしはもう大急ぎで買って来て、これから読もうと思っております。US発売からもう2年かな? もう日本語版は出ないんじゃないかと心配していたけれど、ようやくの発売だよ! それほどわたしは待っていたのです!
 そしてその作品がこちら。小学館のくせに、いいカバーデザインじゃんか! なかなかかカッコイイので撮影してみた。ズバリ帯が邪魔だったので、外して下に置いときました。
FIREMAN
 タイトルは『THE FIREMAN』。あらすじを、小学館の使えないWebサイトから勝手にパクって貼っておこう。
-------<上巻>--------------------
世界の終わりに現れた炎を操る謎のヒーロー
 全身に鱗状の模様が現れたのち、発火現象を起こして火だるまになり焼死する--人類にとってまったくの未知の疾病が急速に広がり、世界の終わりが迫っていた。感染者隔離施設で看護にあたっていた元学校看護師のハーパーは、妊娠と同時に感染が発覚。錯乱した夫に殺されそうになった彼女は、間一髪のところをキャプテンアメリカの姿をした少女と消防士姿の謎の男〈ファイアマン〉に救われ、迫害された感染者達が身を寄せ合う山中のキャンプに導かれる。外の世界では社会不安が広がり、自警団組織が感染者狩りをしてまわるようになり、やがてハーパーの暮らす弱者たちのコミュニティの中でも不穏な動きが……。
 ニューヨークタイムズ・ベストセラー1位、『トランスポーター』の監督ルイ・レテリエによる映画化進行、ベストセラー作家による傑作エンタメ超大作!
-------<下巻>--------------------
 全人類を滅ぼさんとする未知の疾病〈竜鱗病(ドラゴンスケール)〉に冒された妊娠中の看護師ハーパー。夫に命を狙われたところを消防士姿の男〈ファイアマン〉に救われ、迫害された感染者たちが身を寄せ合うキャンプに避難するが、新たなリーダーの登場でコミュニティもまた不穏な状態に。一方、外の世界では感染者狩りがますます激化し……。
本当の敵はどこに?生き残るのは誰か?全人類が追い詰められた極限の中で、愛する人を守るため瀕死の傷を負いながら闘う炎の使い手〈ファイアマン〉を描く、傑作エンタメ大作、超スペクタクルな完結編!
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 どうすか、結構ネタバレかましてくれてるような気もするけど、超面白そうじゃあありませんか! なんか、Kingファンとしては『The Mist』や『UNDER THE DOME』あるいは『THE STAND』を思い起こさせるような気がしますね! まあ、この説明文が果たして適切なのかどうか。これから読んで確かめたいと思う。

 というわけで、結論。
 待ちに待った、Joe Hill氏最新作、『THE FIREMAN』が発売になったぞ―――! わーい! さっそく読み始めます! やっばいすねえ! 上巻が660ページ、下巻が620ページ。コイツは歯ごたえあるぞ……! 超ワクテカが止まんないす! 以上。

↓ 腹立たしいことに、Kindle版は出ているのに、わたしの愛用するBOOK☆WALKERでの電子書籍の発売はナシ。ホント小学館にはイラつくわ。【2018/8/8追記:昨日の発売日は一切なかったのに、今朝見たらB☆Wに8/17配信開始と告知されていた。その情報の遅れも、紙から10日遅れで電子を出すという方針も、共に話にならん。結論として小学館はさっさと資産食いつぶして、どこかに身売りすれいいのにと思う】


 ここ1カ月ぐらい、わたしの周囲で大変悲しいことがいくつか立て続けに起こって、本当にもうなにもかもうんざりというか、生きる気力が枯渇しつつあり、おまけにわたしはとにかく暑いのが苦手なため、連日の猛暑に、あらゆる体機能が低下し、いよいよ精神・肉体ともに、この世からおさらばしたい気分が高まっている。
 こんな心身状態なので、夜はさっさと寝るに限るわけだが、わたしの場合、20時ぐらいには何もすることがなくなり、じゃあもう寝るか、と思っても、それはそれで激しくむなしくなるわけで、そういう時は、WOWOWで録画しておいた映画でも観ようか、という気になるものの……いかんせん暑くて、なんだか途中でどうでもよくなってきてしまう。
 というわけで、先日の夜、この世のすべてに対する興味を失いつつも、WOWOWで録画した映画をぼんやり観ていたのだが、珍しく最後まで、これはどういうオチになるのだろう……と固唾をのんで最後まで観た映画がある。まあ上映時間も94分と短めだったのも好都合だったのだが、なんつうか、非常にやるせない、今のわたしにはやけに心に重くのしかかる作品であった。
 その作品のタイトルは『AFTERMATH』。英単語としての意味は、「その後」とても訳せばいいだろうか? 辞書的には「(戦争や災害の後の)状態・余波」という意味らしい。このタイトルの意味は、最後までこの作品を観るとよーくわかると思う。実に救われないというか、つらいお話で、妙にわたしの心にグッと来てしまったのである。
 というわけで以下、決定的なネタバレまで書いてしまうと思うので、気になる方は読まないでください。わたしは途中で結末が予想できましたが、いっちばん最後のオチは、若干予想外だったので、知らないで観る方がいいかもしれないす。

 まあ、もうこの予告を観れば、どんなお話かは想像できるだろうし、実際その想像の通りだと思う。航空機事故によって家族を喪った男と、そしてその事故の原因となった管制官の男。この二人の心のさすらう様を描いた作品である。さっき調べてみたところ、この予告にも明確に表示される通り、本作は実際に起きた事件を元に作られた物語だそうだ。その事件は「ユーバーリンゲン空中衝突事故」としてWikiがあるほどで、わたしは全く知らない事件だったが、ひょっとしたら世間的には有名な事件なのかもしれない。このWikiの記述によれば、やはり事故は管制側に責任があるようだ。
 そしてこの事件の痛ましい点は、その事故の後(Aftermath of tha Plane Crush)、遺族のとある男がその管制官を刺殺するという事態にまで進展してしまったことにある。本作は、その悲劇に至る二人の心情をかなり丁寧に描いているのだが、もちろん全てを事実と思うのはちょっと危険だろう。本作はあくまで事実を元にしているだけで、舞台はUSA国内になっているし、そういう面ではフィクションであると言うべきだろうし、描かれるキャラクターの心情も、完全に一致しているとは思うべきではなかろうと思う。
 しかしそれでも、本作が描く二人の男の心情には、恐らく観た人なら誰しもつらいと感じるのではなかろうか。わたしとしては、家族を喪った男を演じたArnold Schwarzenegger氏も、事故を起こした管制官を演じたScoot McNairy氏も、渾身の演技だったように思う。お見事であった。
 そして、本作で一番すごいのが、本作では刺殺事件のその後(Aftermath of the Murder)まで描いているのだ。これは一番のポイントだと思うけれど……ネタバレだけど書いてしまうけれど……どうやら実際の事件においても、管制官を刺殺したのち、家族を喪った男はある種の情状酌量によって刑期を短縮され、釈放されているらしいのだが、本作でも、10年(11年?)の刑期を経て、Schwarzenegger氏演じる男は釈放される。そしてその釈放されたのち、刺殺された管制官の息子(航空機事故の当時は10歳程度の子供だけど10年経って青年に成長)が、父を殺した男の元に現れ、銃を突きつけるのだ。わたしは観ていて、あ、こういうことになっちゃうんだ、いわゆる復讐の連鎖は止まらないんだ? と猛烈に悲しくなってしまったのだが、最後に息子がどんなことを言ってどんな行動を取るのか、それは書かないでおきます。まあ、ここまでもったいぶって書くと、誰しも想像する通りかもしれないな。でも、なんつうか、Schwarzenegger氏の演技は抜群に良かったし、家族を喪った悲しみは痛いほど心に刺さったけれど、どう考えても管制官を刺殺したことは許されることじゃあないと、わたしとしては全力で否定したいと思う。やっぱり、それをやっちゃあおしめえよ、でしょうな。恐らく彼は、残りの生涯、心の安らぎは永遠に得られないのではなかろうか? おっそろしく、心にしみるエンディングだったような気がします。復讐とか敵討ちというものは、結局は亡くなった人のためではなく、今を生きる自分自身の気持ちの問題であって、その後(Aftermath of Revenge)に残るモノ・得られるモノは、実際なーんにもなく、むしろむなしさが募って、心がより一層痛んでいくんじゃなかろうか、と改めて思うに至ったのであります。憎しみの連鎖を断ち切れるかどうか、そこが人類にとって一番の問題なんじゃなかろうか……。
 というわけで、二人の主人公たるキャラを紹介して終わりにします。この二人以外は正直どうでもいいので。
 ◆ローマン・メルニック:飛行機事故で妻と娘(とそのお腹にいた子)を亡くした男。工事現場で真面目に働く労働者。飛行機会社(管制塔を運営する空港会社?)は、さっさと示談に応じなよと全く心無い対応で、ローマン激怒。観てるわたしも、あの弁護士どもの態度には吐き気がするほどのいやーな気分になったすね。でも、奴らも所詮は仕事をしてるだけの使い走りにすぎず、実際罪はないんだよな……でもあの対応はヒドイよ……。ローマンが望んだのは、ただ単に「謝罪」なわけで、欧米諸国は謝罪したら負けな文化なんすかねえ……だとしたら嫌な文化だなあ……。そして演じたのは前述の通り、ターミネーターT-800ことArnold Schwarzenegger氏。このところのシュワ氏は、ほんと疲れた表情のおっさん役がイイすね。もうその苦悩の表情がすげえ渋くて素晴らしかったす。
 ◆ジェイク:事故の原因となった管制官。彼は普通の男で普通の幸せを得て普通に仕事していただけだったのに、まあ、命を預かる仕事という自覚が足りなかったんだろうな……。事故後、苦悩に苦悩を重ねたのち、会社の弁護士の勧めで離職、氏名を変えて(USはそんなことが出来るんだと結構驚き)住所も変え、生きようとしていたがローマンに刺殺される。つうかですね、ジェイクの住所をローマンに教えたクソジャーナリストがやっぱり一番罪深いのではなかろうか。ジャーナリストってのはほんとロクなことしねえ……とも思ってしまいました。ジェイクを演じたのは前述の通りScoot McNairy氏だが、わたしはこの人、どっかで見たことある顔だ、けど、誰だっけ? とすぐには分からなかったのだが、さっき調べたら、『BATMAN V SUPERMAN』で、ウェインカンパニー社員で冒頭のメトロポリス大決戦で足に大怪我をし、以降車椅子となってレックス・ルーサーに利用されるあの気の毒な人を演じた方っすね。そうだ、あの顔だ、とさっき思い出したっす。
 ところで、さっきついでにこの映画の評価のほどをRotten Tomatoesでチェックしたところ、かなりの低評価だったことを知ったのだが、これはアレかな、やっぱりエンディングに対する評価なのかな……それとも、元々の事件がヨーロッパで起きたもので、US市民にはウケなかったのかな……ぞれとも、US市民にはやっぱりこういう重い話は敬遠されたのかな……。わからんけど、わたしとしてはそこまで低い評価にすることないじゃん、と無責任に思った。わたしとしては、観て良かった映画だと思う。

 というわけで、結論。
 実際の痛ましい事件を元にした映画『Aftermath』という作品をWOWOWで録画して観てみたのだが、まあとにかく、重くて暗ーい映画ですよ。それは間違いないと思う。救いがないと言ってもいいのかもしれない。しかし、二人の主人公を演じたArnold Schwarzenegger氏も、Scoot McNairy氏も、実に素晴らしい芝居ぶりだったと思う。お見事でした。この二人に敬意を表して、わたしの結論としては、この映画はアリ、です。観て良かった。しかしなんつうか、生きるってつらいすなあ……ほんと、生きてていいことなんてあるのかなあ……全くそう思えないわたしであります。出来ることなら、苦痛なく、生命活動が停止する日がさっさと来てほしい。それがわたしの望みっすわ。以上。

↓ ああそうか、なんか聞いたことがあると思ったら、STONESのアルバムタイトルか。
アフターマス
ザ・ローリング・ストーンズ
USMジャパン
2013-02-20

 わたしが宝塚歌劇を愛していることはもう周囲の人々にもお馴染みだが、まあ、なんつうか、誰もが知っている「宝塚歌劇団」であっても、ファンでないと知らないことは数多く、5つの組の名前さえ、恐らくは一般的な常識ではないかもしれない。わたしは5つある組の中で、星組が一番好きで応援しているわけだが、もちろんのこと全ての組の公演を可能な限り観に行っているし、別の組に対して、アンチ的な感情は一切持っていない。むしろわたしは、舞台で頑張る全てのタカラジェンヌを応援しているし、それは、真ん中に立つTOPスターから舞台はじの端役の方まで、皆が全員、明らかに努力し、真摯に己を磨くその姿に、胸が熱くなるからだ。やっぱりですね、生で見ると、ホント、応援したくなるんすよ。頑張れ!って。 ま、完全にわたしの視線は舞台で頑張る娘を応援するお父さんめいた眼差しなんだろうと思うが、なんか文句ありますか?
 そんな風に、全員を応援するわたしでも、そりゃあ当然、より一層熱いまなざしを送る「贔屓」は各組に存在するわけだが、まず、ファンクラブに入ってまで応援している星組の礼真琴さん(以下:こっちん)は完全に別格として、他にも何人も、この組の公演を観る時はこの人に超注目する、という方がいる。いつか、この方が真ん中に立つ時の感動をオレは待ってるぜ、それまで全力で応援させていただくッ!みたいな、若いジェンヌの青田買いめいた応援姿勢がズカファンの基本だと思うのだが、その応援している方が、TOPに立てず退団してしまったりすると、猛烈にしょんぼりしてしまうのである。実は先週、わたしがここ3年ぐらいずっと応援していた方が、次の娘役TOPは大丈夫だよな……? と思っていたのに、残念ながらTOP就任できず、という残念なお知らせが発表された。それは月組の海乃美月さん(以下:うみちゃん)のことである。うみちゃんは新人公演ヒロイン3回、外箱ヒロイン3回、エトワール2回、と、TOP娘役への通過儀礼を順調にこなし、次のTOP娘役は、わたし個人としてはもう確実……だよね? と応援してきたのだが、残念なことに月組の次期TOP娘役は、2期後輩の美園さくらさん(以下:さくらちゃん)に決まってしまった。マジでホント残念だよ……さくらちゃんが悪いわけでは決してなく、むしろさくらちゃんは首席卒業の優等生、その実力は折り紙付きだ。一言で言うなら、うみちゃんにとってはタイミングが悪かった、そしてさくらちゃんにとっては絶好のタイミング、だったのだろうと思う。そうとしか言いようがなく、わたしはこの1週間、ずっとしょんぼりしている。まあ、うみちゃんは退団するわけではなく、TOP娘役の地位を得られなくとも、今後も頑張ってくれると思うし、応援も今まで以上にしたいと思うけれど、なんつうか……ため息が止まらないというか……はあ……ホント残念すわ……こうなったら、入団以来ずっと過ごしてきた月組から組替えして、どこか別の組でTOP娘役として活躍してくれないかなあ……はあ……つらいす……。。。
 とまあ、以上はまったくの余談である。わたしは昨日の会社帰りに、日比谷へ赴き、現在絶賛上演中の雪組公演『凱旋門/Gato Bonito!!』を観てきたのだが、今回のうみちゃんのことがなんだか頭から離れず、真ん中で光り輝くTOPスターだけでなく、周りでしっかりと支える、ひどい言葉で言えば「その他大勢」のみんなの頑張りというか、すべてをかけた舞台づくりに改めてグッと来たというか、たとえTOPスターになれずとも全力を尽くす宝塚歌劇団の団員たちの姿に、妙に胸が熱くなったのである。まあ要するに一言でいうと、いやあ、宝塚歌劇はやっぱり最高っすね、ということであります。そして今回の『凱旋門/Gato Bonito!!』は、文句なく大変楽しめたっす。最高でした。

 まずはミュージカル・プレイ『凱旋門』である。わたしは映画版も観ていないし原作小説も読んでいないので、まったくお話を知らずに観たのだが、大変興味深いお話であった。
 時は1938年。大戦への予兆に不安な毎日を送るパリが舞台である。そして登場人物は、ファシズムから逃げてきたドイツ人・イタリア人・スペイン人や、ロシア革命から逃げてきたロシア人青年だ。彼らはきちんとしたパスポートを所持しているわけではなく、見つかれば強制退去させられる運命にあり(※一部キャラはちゃんとパスポートを持ってるので大丈夫)、自由なパリであってもどこか陰に隠れたような生活を送らざるを得ないというのが基本設定だ。そんな彼らが、時代の奔流に流されながらも、愛を見つけ、必死に生きようとするさまを描いた物語である。
 ズバリ言うと、恐らくこの物語は男と女ではかなり感想が違うような気がした。わたしはモテない男として長年生きているので、主人公ラヴィックの気持ちはやけにリアルに理解できるし、一方のヒロイン・ジョアンの言動に関しては、正直良くわからないところが多い。ただ、双方ともに、わたしから見ると、なんでだよ!? どうしてお前は……という言動をとってしまい、ハッピーエンドとはならないで物語は終わる。しかし恐らく女性がこの作品を観ると、たぶん物語は、まあそうなるわな、という納得の進行なんじゃないかという気もするわけで、その男と女の考え方の違いが、恐らくはこの物語の中心にあるようにわたしには思えた。まったく……ラヴィック……お前って奴は……まったく世の中ままならねえなあ……。というのがわたしの感想である。
 というわけで、キャラ紹介と演じたジェンヌをメモしておこう。
 ◆ラヴィック:ドイツ人外科医でパリに亡命中(というか不法難民)。もぐりの医師として働き、その腕は確かで、パリの病院からの依頼も多く信頼されている。どうやら過去に、ドイツでひどい目に遭って拷問され、恋人を亡くしている。そのため、いわゆる「もう恋なんてしない」的なかたくなさがあるが、イタリアからの亡命者、ジョアンと出会って運命の歯車が回り出す。超客観的に見れば、基本的にネガティブ野郎のウジウジ野郎だが、男としては、許してやってほしいと思う。男は大抵こういう生き物なんすよ……。演じたのは、専科の「理事」でお馴染み轟悠さん。一部では、雪組大劇場公演に理事が主役ってどういうことだ、と憤っている方も多いらしいが、わたしとしては全然アリ。ピシッとした立ち姿はさすが理事です。でも、やっぱり歌力は、若干アレなんすかね……。なんつうか、今年初めに理事が演じた『ドクトル・ジバゴ』と若干キャラが似てるような気がしますな。ちなみに理事が雪組TOPスターだった2000~2001年(17~18年前!)に本作は上演されていて、今回はその再々演、しかも役は同じという珍しい公演となっている。
 ◆ボリス:バーのドアマンとして働く亡命ロシア人。ラヴィックの親友。この人はちゃんと正式なパスポートを持っているので、こそこそする必要がない。そしてロシア人のくせに、恐らく一番のリアリストで、しっかりしている。本作ではボリスは狂言回しとして舞台に出てくる機会も多い。演じたのは、雪組TOPスター望海風斗(以下:だいもん)さん。とにかく歌ウマ。だいもんの歌はホントしびれるすな。その歌唱力は現役ナンバーワンだと思う。最高でした。なお、TOPスターなのに主役じゃない、という作品は、珍しいけど過去にもあることだし、歌が多く、結構おいしい役だったようにも思えた。なので、わたしとしてはボリス=だいもんはアリ、です。むしろだいもんがラヴィックをやったら若干アレだったような……だいもんはウジウジ野郎よりはボリス的キャラの方が似合ってるような気がする……けど、いや、やっぱりだいもんラヴィックも全然アリか? だいもんは何でもできるスーパーTOPなので、だいもんラヴィックも観たかったかも、すな。
 ◆ジョアン:イタリアからの亡命者。ジョアンはパスポート持ってたのかな? サーセン、設定忘れました。ともあれ、ジョアンは一緒にイタリアからやってきた男が死に、絶望に打ちひしがれてパリをふらふらしているところでラヴィックに出会い、出会って推定3分で死んだ男のことを忘れ、ラヴィックを愛するようになる。そしてボリスの勤めるバーで歌手デビューし、チャラい生活を愛するように。―――と書くとかなりわたしの主観バリバリな、若干の悪意がこもってしまうけれど、サーセン、そうとしか見えないんすよ、男からすると。しかし、女性目線に立って想像するに、彼女はただ単に生きることに一生懸命なだけで、過去の男を3分で忘れるのも女性としては当然の行為なんだろう、と思う。たぶん。男としては……キツイっすわ……。演じたのはもちろん雪組TOP娘役の真彩希帆さん(以下:まあやきー)。その可愛さ、ちょっと調子に乗った明るさ、そして歌のうまさと演技力は現役TOP娘役の中でも随一だと思う。大変可愛いですよ、まあやきーは。歌も見事だし、芝居も良かったですな。まあ、若干暗ーい影のあるお話だけど、まあやきーの天性の明るさは意外とキャラに合ってたように思います。お見事でした。
 ◆ハイメ:スペイン動乱からパリへ逃げてきた元軍人。砲弾を受けて足を怪我し、ラヴィックに治療を受けたことがある。演じたのは美貌のあーさでお馴染み朝美絢さん。役柄的にはあまり目立たないはずなのに、その華のある美貌は、どうしても舞台上で目立ちますな。あーさはほんとキレイな整ったお顔ですよ。あ、初演の時のハイメはとうこさんでお馴染み安蘭けいさんが演じたんすね。そうだったんだ。なるほど。
 ◆ユリア:ハイメの彼女で同じくスペイン人。フランスにバイオリン留学をしていたため正規のパスポートを持ってる。演じたのは99期の彩みちるさん。わたしはこの方を今までほぼ意識したことがなかったけれど、可愛いですなあ!? オレの眼はまったく今まで節穴でした。今後注目したいと存じます。
 ほかにも大勢の雪組メンバーが本作を作り上げてくれましたが、長いのでとりあえず以上にしておきます。そして後半はショー、『Gato Bonito!!』であります。
Gatobonito
 「Gato Bonito」ってのは、ポルトガル語で「美しい猫」という意味だそうだ。まあ、Gato=Cat、bonito=beautiful、ということなんだろうと思うが、本作のサブタイトル「~ガート・ボニート、美しい猫のような男~」が示す通り、猫をモチーフとした大変キラキラショーであった。いわゆる「黒塗り」のラテンショーである。なんでも、雪組TOPスターだいもん様は、猫っぽいと言われるようで、そのイメージを具現化してみました的な作品なわけだが、わたしとしては、雪組で猫顔といえばそりゃあやっぱりあーさだろ、と思うわけで、わたしはずっとあーさを双眼鏡で追っておりました。今回もあーさは女装(女性に女装というのはかなりおかしいというか変けどそうとしか言いようがない)がありましたな。男のわたしとしては大変な俺得であります。
 そして、今回のわたしの席は、20列目、前のブロックの一番後ろで通路に面しており、しかも下手側ブロックだったのです。何が言いたいか、観た人なら分かりますね? そうです! わたしの30cm後ろを「黒猫のタンゴ」を歌うだいもん様が通ったのです! 一瞬聞こえた生声にもう大興奮! 最高でした! やっぱり細っそいし、顔も小さいし、華奢ですなあ……。『凱旋門』では抑え目なキャラだっただいもん様は、ショー『Gat Bonito!!』ではハジケまくり、とにかくキラキラでありました。マジ興奮したっす。
 
 とまあ、こんなところかな。もう書きたいことはないかな……。
 では最後に、毎回恒例の今回の「イケ台詞」を発表して終わりたいと思います。
  ※イケ台詞=わたしが「かーっ!! カッコええ!!」と思ったイケてる台詞のこと。
 「あの鳩たちは、いつまたこの街に戻って来るだろう……」
 今回は、ナチスがチェコへ侵攻したことが報じられ、迫りくる戦争への不安の中、街から鳩がバサバサバサっと飛んで行ってしまう(照明でうまーく表現されている)シーンで、主人公ラヴィックが言うこのセリフにしました。まあ、ヨーロッパにいる限り安全な場所はもう無くなってしまったわけで、アメリカに逃げるしかなかっただろうな……あの場面では……。戦後、ラヴィックとボリスが再び再会できたことを祈りたいすね……。

 というわけで、結論。
 このところ、なんとなくわたしの身の回りでは、しょんぼりするようなことばかりが起きていて、ホント、わたし自身暗ーい気持ちでいたのだが、やっぱり宝塚歌劇を観に行くと、気分もアガりますな。まあ、今回の雪組公演『凱旋門』は、そんなわたしの気分に同調するような暗ーいお話ではあったけれど、まあ、ちょっとだけ元気が出たっすわ。そしてショー『Gato Bonito!!』は大変キラキラしたショーであり、黒塗りメイクはちょっとギラギラ感がアップするっすね。なんか元気ももらったような気がします。結論としてはですね、いやあ、宝塚歌劇は本当にいいっすね! であります。以上。

↓ 原作小説の著者、Erich Maria Remark先生は、「西部戦線異状なし」でお馴染みのドイツ人で、1938年にアメリカに亡命した方です。読んでみたい。
凱旋門(上)
エーリッヒ・マリア・レマルク
グーテンベルク21
2015-03-04

凱旋門(下)
エーリッヒ・マリア・レマルク
グーテンベルク21
2015-03-04

 昨日は外での打ち合わせが3時間コースを覚悟していたのに、ごくあっさり1時間チョイで終わってしまったため、ちょっと早い時間だけど、暑いし、さっさと帰ろ……と炎天下の中、なるべく日陰を選びながら、なんとなくもう生きる気力も失いかけながらトボトボ歩いていたところ、電撃的に、そういや今日は8月1日、映画がお安く観られるファーストデーじゃねえか、と気が付き、ならば映画を観て帰るか、という気になった。そして一番最初に目に入ったカフェにまずは避難して、そういやあの映画って、先週から公開してんじゃなかったっけ、時間は……とチェックしてみた。
 しかし、驚いたことに、全く上映館がない。アレッ!? おっかしいな? とその映画の公式サイトで上映館を調べたところ、わたしが通うTOHOシネマズでは一切上映しておらず、都内でも6スクリーンしか上映していないことが判明した。マジかよ……と思いつつ、一番近い有楽町の上映時間を調べてみると、1時間後に始まる回があるようなので、すぐさま、有楽町BICカメラの上にある、「角川シネマ有楽町」へ向かうこととした。
 と、いうわけで、わたしが昨日の会社帰りに観た映画は『WIND RIVER』という作品である。US版予告を観たのはかなり前で、WikiによればUS公開は去年の今頃だったらしいから、たぶんもう1年以上前だろう。なかなか日本公開されないので、こりゃあお蔵入りになっちまったかと思ったら、ひょこっと公開されたので、さっそく観てみたわけだが、一言でいうと、物語的には、事件の全貌は結構なーんだ、ではあるのだが、なんというか、主人公の苦悩がやけに胸に染みて、予想外にグッとくるものがあったのである。要するに、わたしとしてはなかなか面白かったと言って差し支えないと思う。うまく言えないのだが……物語というよりも、主人公の心もち、にわたしは大変感じるものがあったのだ。
 というわけで、以下、物語の概要などをメモって行こうと思う。なお、決定的なネタバレも触れる可能性大なので、観ていない人はここで退場してください。これは何も知らないで観る方がいいと思う。
 
 上記は日本版予告だが、相当時系列を無視した編集がなされていることだけはつっこんでおこう。まあ、大体の物語は、上記予告から想像される通りと言ってもよさそうだ。そしてこの予告から、何故わたしがこの映画を観たいと思ったか、もうお分かりですね? そうです。わたしの大好きなMARVEL CINEMATIC UNIVERSの”ホークアイ”でお馴染みのJeremy Renner氏と、ワンダこと”スカーレット・ウィッチ”でお馴染みのElizabeth Olsen嬢が出演するから、である。この二人の共演に、ほほう、コイツは観たいかも……とまずは思ったのであった。
 物語は、冒頭、雪の山を「裸足」で、何かから逃げるように猛ダッシュする女子の様子から始まる。そしてこの女子は翌日には死体となって発見されるのだが、一体彼女に何が起こったのか、という事件捜査ミステリーである。
 しかし、ミステリーと言っても、トリックや叙述ミステリーのような仕掛けはなく、まったくオーソドックスに捜査の模様を追っていくだけなので、そこには別に、な、なんだってーー!? と驚くようなものはない。ある意味淡々と、ジワジワと事実が分かっていく展開なので、ストレスなく物語に身をゆだねることはできる。そこを物足りないと思うかどうかは微妙だが、わたしとしてはいろいろと、この映画を観て初めて知った事実があって、大変興味深かった。ちょっと、わたしが知らなかったことをまとめてみよう。
 その1)極寒の氷点下の元で全力疾走すると死ぬ。
 この死ぬ、は、文字通りの「死」である。本作では氷点下20℃(30℃?)という設定だったが、そのような状況で全力疾走を続けると、肺に取り込まれた冷気が露結し、肺に水が溜まって肺胞が破裂、出血を起こし、「窒息死」するんだそうだ(パンフには肺が凍結すると書かれている)。おっかねえ……壮絶な死因だよな……とわたしは非常に恐怖を感じたすね。そして本作では、その死因が大問題で、死体で発見された女性の死因が、氷点下の中で全力疾走を続けたことによる窒息死であるため、それすなわち「他殺=殺人」ではない、ということになってしまう。そうなるとどうなるか。これが次の知らなかったことその2)だ。
 その2)インディアン保留地での警察権
 雪山での死体発見、ということで、当然捜査が行われるわけだが、他殺(=殺人)ならばFBIが捜査にあたり、殺人でないならインディアン保留地を管轄する専門警察が捜査にあたる、というルールらしい。なので、せっかくやってきたFBI捜査官も、これ以上捜査ができないことになってしまうのだが、女性はレイプされ、ひどい暴行を受けており、許せることじゃあない、けど、地元の保留地警察はまったく人員が足りてないし、そもそも土地は広大かつ峻厳で……と困難に突き当たることとなる。
 その3)ワイオミング州とインディアン保留地
 舞台はワイオミングの険しい山に抱かれた「ウィンド・リバー保留地」である。ちなみにどうやらこの作品は全編ユタ州で撮影されたようだが、それはともかくとして、ワイオミング州はWikiによると全米50州の中でもっとも人口の少ない州だそうで、行ったことがないからわからないけど、未知との遭遇でお馴染みの「デビルズタワー」国定公園やイエローストーン国立公園などのある、大自然の地、のようだ。そしてワイオミング州は「カウボーイ州」としてもお馴染みだそうで、どうやら大自然に加えて白人とインディアン部族のキナ臭い歴史も何となく想像は出来るように思える。そして、冒頭にInspired by True Eventと出るし、エンディングでも字幕で説明されるのだが、インディアン居留区では非常に多くの女性失踪事件が現実に起こっているそうで、それらの多くが未解決なままなのだそうだ。その、失踪の原因はいろいろあるんだろうけど、未解決のまま、な理由は、この映画を観るとよくわかると思う。そこにあるのは、やっぱりどう考えても差別であり、格差であり、インディアンのことはインディアン(保留地警察)に任せとけば? という「無関心」だろう。前述のように他殺でない限りFBIは介入せず、失踪だけでは地元警察が動くしかなく、そして全く手が足りてない、そして広大&峻厳すぎる、という極めて厳しい状況のようだ。なんつうか……わたしはこの映画を観ながら、あまりな扱いを受ける人々に悲しくなっちゃったす……。アメリカ合衆国という国は……ホントに世界の一流国なんすかねえ……。。。
 その4)全く物語に関係ないけど……
 わたしは冒頭の製作会社とかのロゴを観ながら、あ、そういうことか、とひとつひらめいたことがあった。本作は、WEINSTEINの作品で、しかも去年の夏US公開ということは……まさしく去年の秋ごろに発覚した大問題、後にMe Too運動のきっかけ(?)となったワインスタイン・セクハラ問題のせいで、お蔵入りになりかけたのかもな? とどうでもいいことに気づいた。帰ってから調べたところ、本作はUS本国ではまったく売れなかったようで、その点は映画の出来に反して大変残念だったと思う。ちなみに、映画としての評価はRotten Tomatoesによるとかなり高いみたいですな。この高評価は、わたしも同意っす。
 さてと。それでは、登場キャラクターを演じた役者とともにまとめておこうかな。
 ◆コリー:主人公。白人。FWS(合衆国魚類野生生物局)に属し、ウインドリバー保留地での(狼とかピューマ?といった)害獣駆除を受け持つハンターで遺体の第一発見者。凄腕のスナイパー。演じたのはホークアイことJeremy Renner氏。コリーはちょっと複雑なキャラで、白人だけどインディアン女性と結婚し、娘と息子をもうけるが、娘が16歳?だかの時に、失踪、翌日死体で発見されるという悲劇を味わっている。その事件はまったく未解決のまま、なんとか哀しみと折り合いをつけて毎日を過ごしているが、妻とは離婚・別居中(まだ協議中だったかも)。そして今回の事件の被害者の18歳の女子は、娘の友達であり、その両親とも親しく、まったく他人事ではないため、事件捜査に手を貸すことに。Renner氏は、これまでの役柄的にちょっと生意気というか不敵なキャラが多かったので、わたしはあまり好きではないのだが、実のところ芝居的にはかなり上質で、今回も非常に静かで、ハートは熱く滾る男を見事に演じていたと思う。なによりも、娘を亡くした父親同士のふれあいのシーンは、猛烈にグッと来たすね。言葉は少ないけど、その朴訥な慰めはとても感動的だったと思う。お見事でした。
 ◆ジェーン・バナー捜査官:派遣されてきたFBI捜査官。白人。たった一人しか寄越さないFBIもアレだし、ジェーンもまるで薄着でナメた格好でやってくるため、コリーたちはイラッとするが、実際とても正義漢で一生懸命に捜査する女子。演じたのはElizabeth Olsen嬢。足手まといにならないよう頑張るOlsen嬢はなかなか可愛かったですな。
 ◆ベン:地元の保留地警察の署長。インディアン。いい人。演じたのはGraham Greene氏ですよ! わたしはこの方の顔を見て、おっと、この人ってひょっとして……と終わってから調べたところ、まさしく名作『Dances with Wolves』の「蹴る鳥」のあの人ですよ! え、知らない!? うそ! ちゃんと観て! 名作だから! 「蹴る鳥」をこの役にキャスティングしたのはかなりファインプレーだとわたしとしては称賛したいす。
 ◆マーティン:遺体で発見された女子の父親。インディアン。超いかついけど、超優しいお父さん。コリーに慰められ号泣するシーンはマジ泣ける。そしてエンディングでは、娘をなくした絶望で、銃を手に、顔にペインティングして登場するのだが、あの二人のシーンもホントグッと来たっすねえ……。
 「何だその顔」
 「死に化粧さ……」
 「そういうもんなんだ」
 「知らねえ。テキトーにやってみた。教えてくれる人がもういないからな」
 「(亡くなった女子の)弟にやさしくしてやってくれよ(※弟はヤク中で警察にいる)」
 「ああ……このバカげた化粧を落として……迎えに行かなきゃな……」
 台詞は正確じゃないけどこんなやり取りのラストシーンは、大変胸が熱くなったす。演じたGil Birmingham氏は他の映画でも何度か見かけたお顔すね。大変いい芝居でした。
 ◆ナタリー:遺体で発見された女子。インディアン。氷点下の中、裸足で10kmの山を走り切って息絶える。その亡骸は戦う意志の表れで、逃げたんじゃあないと分かるくだりはとても感動的であったと思う。演じたKelsey Asbilleさんはとてもかわいかったすな。生きているシーンはごくわずかだけど、非常に印象に残ったすね。
 ◆マット:ナタリーの彼氏で、山深くの掘削場(?)の警備員。白人。まあ、事件のネタバレをすると、要するにナタリーとイチャついていたところを泥酔した掘削場の作業員たちに見つかり、大喧嘩となって……という痛ましくも単純な話なのだが、わたしとしてはどうしてもこの「掘削場」なるものの意味がよくわからなかった。まず第一に、何を「掘削(?)」してる現場だったのかわからんし、ラスト近くで、作業員?のクソ野郎どもが主張する権利(ここはなんちゃら局の管理地だからお前らに従ういわれはない!とほざいて保留地警察に銃を向ける)も、何のことかさっぱりわからなかった。アレって何だったんだろうか……。で、マットを演じたのはJon Bernthal氏で、この人はTV版のMARVELヒーロー・パニッシャー役でもお馴染みですな。最近売れっ子ですが、彼も生きてるシーンはごくわずかす。
 ◆ピート:掘削場の男の一人で、事件の発端となった泥酔してマット&ナタリーにからんだゲス野郎。何で回りは止めなかったんだよ……。結論から言うとキッチリ死ぬのでざまあとスッキリなのだが、主人公コリーがコイツに下した刑が超ヤバイつうか怖い! まあ、悪党は死ねってことで、わたしとしてはアリです。演じたのはJames Jordan氏。主にTV方面の人みたいすね。知らんので省略。
 とまあ、こんなところか。で、本作の脚本/監督がTaylor Sheridan氏で、『SICARIO』の脚本を書いた人だそうです。お、マジかよ、役者としても結構キャリアがある人なんですな。あ!おまけに今年観た『12 STRONG』にも出演してたんだ! へえ~。48歳か。若いというほど若くないけど、今後も期待したい俊英ってことで、名前を憶えとこうと思います。

 というわけで、もう長いので結論。
 ファーストデーということで、ふと映画を観て帰ろうと思ったわたしが観た作品『WIND RIVER』は、US本国での公開から約1年経っての日本公開となったわけだが、まあ、かなり面白かったというのが結論である。この映画が全然スクリーン数が少ない小規模公開なのはとても残念に思う。夏休みということでお子様映画ばっかりな日本の映画興行だが、なんつうか、もうちょっと大人向けもちゃんと公開してほしいな、と思った。だって映画興行を支えてるのは、もはやシニアのおっさんでしょうに。ちなみにわたしが観た、有楽町の角川シネマは、まあファーストデーだからかもしれないけれど結構お客さんが入っていて、しかも年齢層高めでした。しかしそれにしても……アメリカ合衆国って国はなんつうか……ホントに問題山積なんだなあ……と能天気に思ったす。つうかですね、やっぱり広すぎですよ、あの国は。まったく行き届いてないんだもの。ホント、あの国の田舎には行きたくねえすね。何が起こってもおかしくないな、実際。アメリカ……恐ろしい国……というのが結論かもしれないす。以上。

↓ わたしの2018年ナンバーワン作品は今のところコレですが、何気に、テーマとしては近いものがあるような気がします。どちらも現代アメリカの田舎が抱える問題点、でしょうな……。

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