2015年09月

 ずいぶん前、たぶん5~6年前だと思うが、Y君に借りたマンガがある。
 辛気くさいおっさんが、一人で飯を食うだけのマンガで、心の中の声だったり、実際のつぶやきやぼやきだったりを発しながら、まあとにかく、一人で飯を食う、それだけのマンガ。それが、今やすっかり人気マンガとなった『孤独のグルメ』だ。2012年にテレ東で映像化され、主人公・井之頭五郎を松重 豊が絶妙に演じたことで、一気に人気も上がり、ドラマは既に4クール放送されて、さらに今年も10月から、Season5が始まるそうである。も一つおまけに言うと、ドラマ(の大筋というかフォーマット)は中国に輸出されているそうで、中国版もあるそうな。
 まあドラマについては、公式Webサイトでも見てもらうとして、やっぱり本筋は、原作のマンガである。もともと、「SPA!」を出版していることでおなじみの扶桑社の雑誌(と言ってもとっくに休刊)、「月刊PANJA」に1994年から1996年にかけて連載されていた作品なので、もう、20年前の作品である。その、まあ普通の人なら絶対知らないようなマンガだったのが、2009年あたりから「SPA!」でたまーに新作が載るようになり、なんとこのたび、18年ぶりに単行本の第2巻が発売になった。既に、このマンガのファンとなっていた私としては、もはや買わない理由はなく、おとといの発売日に購入した。Y君は電子待ちとのことで、先にわたしが紙の本を買う事にした。
孤独のグルメ2
久住 昌之
扶桑社
2015-09-27

 この「孤独のグルメ」は、何とも説明しにくいので、まずは読んでもらった方がいいと思う。今、2巻の最初の1話が無料公開されているので、こちらをまずは読んでみてほしい
 このマンガ、女子が読んで面白いのかさっぱりわからないが、わたしのようなおっさんや、Y君のようなおっさん予備軍――特に一人飯が普通の男ならばなおさら――には、ジャストミートである。
 たいてい、ひと仕事区切りがついて、お昼に(たまに夕方)「小腹がすいたな」みたいなつぶやきから話は始まる。個人貿易商として営業に回っている主人公が街をうろつき、店を見つけ、入ってみる。そして、店に入ると、次々とオーダーして、結果的にすごい量を食べる。そして、毎回ではないが、かなり頻繁に、食いすぎてしまい、若干後悔する。読者としては、思わず「そりゃあんた食いすぎだよ!」と突っ込みたくなり、つい、クスッと笑ってしまう。それだけの話なのに、こんなに人気になるほど面白いのはなぜか?
 それはやはり、ひとえに主人公・井之頭五郎のキャラクターにあると言ってよいだろうと思う。主人公の五郎について読者が分かっていることは、
 ■個人で貿易商を営み、たまに海外に行く。店はなく事務所のみ。
 ■下戸。酒は飲まない(飲めない?)。
 ■タバコは吸う。
 ■結婚歴はない模様。ただし、昔の恋人(?)は回想でたまに出てくる。
 ■行列は嫌。2巻によれば「食べている時、後ろで誰かが待っているという状態が嫌」
 ■食べたいときに食べる。
 ■姉がいて、その息子「太」は高校球児
 ■たまに喧嘩をする。強い。
 とまあ、こんな人物なのだが、基本的に毎回腹ペコである。まあそうでないと話が始まらないので、そりゃ当たり前だが、その腹ペコ具合がハンパない。ちっとも、「小腹がすいたな……」で済むレベルじゃない。また、「食べる」ことへのエネルギーのかけ方も、またハンパない。彼は、腹が減ると、食べる、という動詞を使わず、何か腹に「入れとくか」みたいなことをつぶやく。料理を腹に「入れる」。こういう、言葉遣いが毎回面白い。しかも、食べながらずっと、考えていることが文字化されるので、その頭の中のつぶやきも毎回見逃せない。どんどん一人で盛り上がっていく様は、誰しもがあるあると思うものだろうし、何言ってんだこのおっさん、と突っ込みたくなるものもある(もちろん頭の中で考えているので「言って」はいないけど)。また、絶妙なオヤジギャグも飛び交い、完全に滑っているのに、読みながら読者たる自分もにやけてしまう時点で、完全に作品の虜である。

 今回の2巻では、またも名言がかなり多く飛び出している。てゆうか、全部の話で名言があって、全部を取り上げると大変な量になってしまうが、わたしが今回気に入ったのは、「孤独のグルメ」というタイトルを若干否定しつつも、まさしくタイトル通りの一言だ。
 主人公は、下北沢の路地裏で、やや古めかしいピザ屋を発見し、さっそく入ってみる。その独特の注文方法に戸惑いながらも、ピザを完食。コカ・コーラも2本飲む。と、カップルがピザとパスタを頼んで、半分ずつ分け合っている。満足して店を出た後、主人公はこう心の中でつぶやく。

 (こんな若者だらけの街なのに ナイスな店見つけた。でもピザ 外食独り食いにはやっぱり少々サビシイかな……)

 この最後の変な余韻が、この作品の一番のポイントだろうと思う。
 また、別の話では、主人公は鳥取に出張で来ていて、現地の人にお勧めしてもらった素ラーメンを食べに行く。そこで、素ラーメンを食べた後、さらにカレーも注文しする。そのカレーを食べながらの心中を表す一言がこれ。

 (なんだかちょっぴりさびしんぼ)

 料理には満足したし、腹も膨れた。
 しかし、こころは、若干満たされていない。
 そんな「孤独のグルメ」を表現した名言とわたしは感じだ。

 そして今回、わたしが一番笑ったのは最終話の、パリでの風景だ。
 たぶん買い付けかなんかだろうと思うが、主人公はパリに出張中。そこで、かつて行ったことのあるアルジェリア料理屋に入る。そして、またいつもの通り、次々にオーダーして、もりもり食べる。が、「クスクスって歯ごたえが乏しすぎる」ため、どうしても、最後に米が食いたい。そこでサフランライスをオーダーする。そこからのセリフと心のつぶやきが最高だ。

 「やっほーーーっ 飯だ 米だ!!」
 (うん、黄色いけど飯だライスだ とどのつまり米ですよ我々 主食に菜、そこにおかずと、汁! この三本柱があればどこでもニッポン ここ……どこだっけ パリだったよな)

 どこだっけって忘れるほど、主人公の頭には飯のことしか頭にない。このとぼけた様子がとてもおかしい。非常にいいオチだと思った。

 というわけで、結論。
 まあとにかく、わたしがいくら言葉を費やしても、このマンガのよさは伝わらないと思うので、是非読んでみていただきたい。たぶん、外食独り食いが多い人には、なにか心に残るマンガとなるのではないかと思う。わたしはこのマンガが、好きです。

 ↓ 主人公が訪れた店を「巡礼」する本まで出てるんですな。ちなみに、「ガイド1」の方は、TVのSeason1~3で取り上げたお店、「ガイド2」の方は、TVのSeason4と、今回の単行本2巻に出てきたお店、だそうですよ。
孤独のグルメ 巡礼ガイド (扶桑社ムック)
週刊SPA!『孤独のグルメ』取材班
扶桑社
2014-07-24

孤独のグルメ 巡礼ガイド2 (扶桑社ムック)
週刊SPA!『孤独のグルメ』取材班
扶桑社
2015-09-27


 

 

 本当なら、黒部ダム周辺をいろいろ散策して、紅葉には早いが大自然を満喫しようとは思ったのだが、今日はまあ偵察という事で、人で混雑しないうちにさっさと黒部ダムは離脱した。戻ってきたら、来た時は10台ぐらいしか止まっていなかった駐車場も、結構混んできていた。ちなみに、写真の駐車場が、駅のすぐ前の有料駐車場で、料金1,000円ナリ。少し下に下がったところには、無料駐車場もあるが、そこはもう帰りには満車だった。
kurobe_parking
 で。 この時点で、時刻は11時前ぐらいだったと思う。車に戻り、ナビを「四季演劇博物館」にセット。距離は扇沢から11kmほど、20分もあれば着く。途中、「七倉ダム」「高瀬ダム」に至る分岐点があったが、今日はスルー。しかし、帰って来てから調べて知ったのだが、「高瀬ダム」は、黒部ダムに次ぐ日本第2の大きさを誇るダムで、しかも、今月初めの山口県で見たのと同じ「ロックフィル方式」で、日本最大のロックフィルダムなんだそうだ。おまけにそこには自家用車では行けず、環境保全のため(?)だと思うが特定タクシーに乗っていくしかない、かなり秘境度の高いスポットらしい。その建築の過酷な状況は、曽根綾子先生による小説「湖水誕生」に描かれているそうだ。うーん、行ってみればよかったかも……。
湖水誕生 (中公文庫)
曽野 綾子
中央公論社
1988-04

 と、そんなことも知らずに、分岐を通り過ぎ、あっという間に第2の目的地である「四季演劇資料館」に到着した。しかし……ほんとに我ながらアホすぎるのだが……テンション上がってて、全然写真を撮るのを忘れてて、はっ! いっけねえ!! と気が付いた時は既に次の目的地に向かっているところで、かろうじて、あっ! と撮影したのがこの写真。
siki_kanban
 まあ、詳しくは、劇団四季の公式Webサイトを見てもらった方がいいと思う。黒部ダムのWebサイトにも、周辺地域の紹介ページに結構詳しく載ってます。ちなみに、入館料は下の画像の通り600円ほど。熱心な劇団四季ファンにとっては、ある意味聖地的位置づけかもしれないが、わたしも興味深く見学させていただいた。
siki_ticket
 わたしは、大学院では、ドイツ近現代戯曲を専門にしており、指導教授は、もう亡くなってしまったのだが、翻訳や演出では有名な男だったので、日本の戦後黎明期の築地小劇場などの演劇については良く話を聞かされたものだ。浅利先生にも、石原慎太郎と日生劇場を作るときの話を伺ったことがある。劇団四季は1953年に結成され、もう60年ほどが経過している。もちろん、近年では輸入ミュージカルでおなじみだが、当然ストレートプレイもオリジナルも、ずっとずっとやってきた老舗だ。この「四季演劇資料館」は、その歴史について学べる、貴重な場所である。また、広大な敷地内には、巨大な倉庫がずらーーーーーっとあって、うおー、マジか、すげえなー、という景色が広がっている。倉庫内は見学できないが、その規模はただただ、すげえ。と思わざるを得ない。
 以下、もらったパンフのスキャン画像を置いときます。劇団四季ファンは、一度行ってみるといいと思うな。
siki_panph
siki_panph02
 なお、冬の間は閉館となっていて、見学できるのは4月最終土曜日から、11月の最終日曜日まで、だそうだ。まあ、要するに閉館期間は雪深く、とてもじゃないが、スタッドレスも持っていない東京もんが近づけるところではないのだろう。ということは、また行けるのは来年の春以降か。
 と、言うわけで、四季演劇資料館も、滞在時間は1時間ぐらいだったかな。すぐそばに日帰り温泉施設なんかもあり、曇り空だったのが残念だが、晴れた日にはまわりの山々の景色も非常にきれいで、開放感があって素晴らしいロケーションだと思う。また、思い立ったら行ってみよっと。

 次に向かったのは、今回の最終チェックポイントである「大王わさび農場」である。四季演劇資料館から25kmほど、まあ30分ほどで行けそうな距離である。道も、行きに来た道を戻れば大丈夫なので、のんびりとドライブ。道中は、そば畑と水田が広がり、所々で稲刈りが始まっていて、コンバインがせっせと仕事をしているような感じだった。そんなカントリーロードを『耳をすませば』ばりに鼻歌まじりで車を飛ばし、ごくあっさり「大王わさび農場」に到着。が、しかし、この時点ですでに12時半ぐらいで、農場は人であふれ、わたしとしてはかなりうんざりモードになっていた。こりゃ、あかん。もういいかな……別に……と一瞬さっさともう帰ろうかなという気持ちになったのだが、せめて、一度は訪れたかった「水車のある村」だけは見たいな……はてそれは一体どこじゃろか、と探そうと思ったら、駐車場の横の清流がまさにそれで、おお、これだこれ、まさしくここだ! と発見して一気にテンション上昇、大興奮、である。↓ こんなところ。すごくない? 超Beautiful!
Azumino
Azumino02
Azumino03
 これがまさしく、黒澤明監督作品、『夢Dreams』の最終話に出てくる村の風景で、すげえ、こりゃきれいだ!! いやー、来てよかった。と、あっという間に気分もよくなった。Wikipediaによれば、後年、かの宮崎駿氏は、このシーンの美術をやりたかったなーと発言しているそうだ。たしかにジブリっぽさもあって、日本の原風景めいた、ぼんやりと眺めているだけで落ち着く風景だと思う。
 なお、2枚目の写真にもちらっと写っている通り、どうやらゴムボートで遊覧できるらしい。が、やはり人出が多く、今回はやめておいた。それと、この風景はもうすでにかなり狭い範囲しかなく、しかも人出が多いので、あまり長時間ぼんやりとはできない感じでした。やっぱりボートに乗るべきだったかも……。

 以上で、すべての目的地を堪能し、大王わさび農場で蕎麦(ごく普通のうまさで、特に感動はナシ)も食ったところで、さっさと帰ることにした。 農場から安曇野インターまではすぐなので、そこから長野道→中央道→首都高とほぼ渋滞もなく、帰ってきたのが16時半ぐらい。高速は混んでなかったのに、高速を降りてからうちまでが慢性的に混んでいて、一番イライラしたのが、毎度のことながら残念だ。

 というわけで、3回にもわたって無駄に長くなってしまったが結論。
 黒部ダムは、朝イチに家を出れば、日帰り余裕である。意外と近く……はないけど、超遠いと言うほどでもなかった。ただ、やっぱりちょっと、日帰りはもったいなかったかもね。もっともっといろいろ、楽しげなスポットはあるようなので、今後は毎年1回ぐらいは訪れてみたいと思う。とても魅力あふれたところだった。

 ↓ マズイな……なんだかどんどん、ダムカードが気になってきた……イケナイ道に迷い込みそうな気がしてならない……
ダムカード大全集
宮島 咲
スモール出版
2012-04

 ↓ てなわけで、コイツも気になってしょうがない……もはや買うしか……!

 というわけで、結構あっさり黒部ダムに到着することができた。これなら、ふと思い立ったときにまた来れるなと思い、今日はさっさと撤収。だいたい1時間ぐらいしかいなかったが、面白かった。
 本当は、わたしがずっと行ってみたいと思っている「日電歩道」から「水平歩道」を歩いて、欅平まで歩いてみたいのだが、今日はあまりに突然思い立ったのでおとなしくやめておいた。まあ、とりあえず黒部までの道のりは良くわかったので、また機会があれば日電歩道~水平歩道の旅も挑戦してみようと思う。どんなところかは、このNaverまとめでも見といて下さい。ここ、すごくね? 超行ってみたいわ。
 
 わたしは、どうも旅に出ても写真を撮る習慣がないので、今回もろくな写真がない。テンションが上がってて、撮影し忘れることが多く、ちょっとあとで残念に思うことしきりである。 
 ↓ これは、トロリーバスのチケット。往復で2,750円ナリ。これは……高……ええい、このトンネルを掘削した苦労を考えれば安いと思う事にしよう。 わたしはこのトンネルをチャリで爆走したかったが、当然NG。トロリーバス専用道である。
bus_ticket
 トンネル内部がどんなかと言うと、↓ こんな感じ。バスの幅目いっぱい。途中で、すれ違いのための待機所があるので、一時停止する。写真は出発したばかりのポイントで明るいけど、進んでいくとトンネル内は真っ暗に。幅も、あまり余裕なし。
kurobe_Busnaka
 で、↓これがダムの壁の上。真ん中へんにある展望台が分かるかな? ちなみに、かの有名な「黒部ダムカレー」は、右下のレストハウスと、扇沢のバスターミナルと、さらに扇沢から車で5分ほどのところにある「くろよんロイヤルホテル」で食べられるらしいが、華麗にスルー。興味なし。
kurobe_damue
 ↓ これは、壁の上から、黒部湖側と放水側をそれぞれ撮ったもの。
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 黒部ダムと立山を結ぶ、いわゆる「立山黒部アルペンルート」は、まずこのダムの壁の反対側にケーブルカーの駅があって、そのケーブルカーでまた山をくりぬいたトンネルを通過し、「黒部平」に行く。次に、そこから「立山ロープウェイ」で「大観峰」に行き、
立山連峰をくりぬいたトンネルを通る「立山トンネルトロリーバス」で「室堂」へ。そこからは高原バスで「美女平」まで下って、最後は「立山ケーブルカー」で立山に降りるというルートだ。ちなみに、毎年ゴールデンウィークあたりにニュースでよく取り上げられる「雪の大谷」は、室堂からの高原バスで通る道の頂上付近にある。あれも一度行ってみたいものだ。なお、「日電歩道」をずっと歩くと、宇奈月温泉から出ている「トロッコ列車」の終着地である欅平に着く。それも行ってみたいのう……。
 ところで、今、興味本位で調べてみたのだが、黒部ダムまでを公共交通機関で行くとどのくらいの時間と料金がかかるのかを調べてみた。まず、東京駅から信濃大町までだが、長野まで新幹線を使う最速ルートで検索してみると、3時間34分、10,210円で行けるようだ。信濃大町から扇沢までは、タクシーなら27分、5,680円ほどらしいし、路線バスでも40分、1,360円ほどだそうだ。車で行くと、どうしてもスタート地点の車を置いた場所まで戻らなくてはいけないので、立山黒部アルペンルートや、あるいは日電歩道もワンウェイで行くとなるとどうしても公共交通機関を使わざるを得ないので、いつか行くときのための備忘録として、自分用にメモっておいた。まあ、扇沢から立山や宇奈月まで、車の回送サービスをやっている会社があるようだが、きっとヘトヘトだろうから、楽に帰るには車で行くなってことだろう。アルペンルートについては、このページにまとまってるのでどうぞ
 ちなみに、↓ これが扇沢のトロリーバスの駅。 kurobe_ohgisawa
 うーん、ガラガラ……。

 なんか、他にめぼしい写真がないので、今日はここまで。
 四季演劇資料館と大王わさび農場についてはまた明日。サーセン。

 ↓ちゃんと予習していくべきだったかもな……と若干悔やまれる……ま、また行けばいいや。

 

 昨日の朝、このBlogのアクセスログを眺めていたら、どういうわけか圧倒的に劇団四季で検索してきた人が多いことが分かった。あ、そうなんだ。とまあ、ふーんと思ったのだが、劇団四季を調べてみたら、なにやら長野の大町市というところに、「四季演劇資料館」なるものがあることを知った。へえ。なるほど、倉庫にもなってるわけか。へえ。すごいなーと、漠然と思ったのだが、具体的なロケーションを調べてみると、どうやら黒部ダムへの玄関口で知られる扇沢というところから、車ですぐらしいことが分かった。

 ほほう……じゃ、行ってみっか。

 というわけで、今日、日曜日を利用して、ちょっと車を飛ばして行って来た。

 とりあえず、黒部ダムも行ったことないし、目的地としては、黒部ダム、四季演劇資料館、そしてついでに安曇野に行くなら、ずっと行ってみたかった「大王わさび農場」も行ってみよう。

 ということを3分ぐらいで決め、まずはナビのセットだ。わたしの車のナビは、Webで目的地をセットすると車側で連動してくれるので、PCで目的地を設定した。まずは、「扇沢トロリーバス乗り場」にセット。どうやらうちから300Km弱。標準タイムは4時間半程度らしい。中央道をぶっ飛ばして諏訪湖の先で長野道へ入り、安曇野インターを降りて1時間チョイってとこか。なら、うーん、うちをAM5時に出れば、黒部ダムを見物しても余裕で午前中で片がつくぞ、と。それから四季演劇資料館に寄り、大王わさび農場は安曇野インターからすぐだから、帰りに寄ればいいと。昼飯もそこで行けるかな。で、昼飯食ったらさっさと帰れば、夕方前には帰ってこられるな、なんてテキトーなプランを立てた。ちなみに、なぜ大王わさび農場に行ってみたかったかというと、映画オタクならピンと来ると思うが、ここは、かの黒澤明監督の『夢 DREAMS』の最終話、「水車のある村」のロケ地なのだ。エンドクレジットで映されるあの清流と水草が印象的なあそこが、実は大王わさび農園なのである。まあ、有名なのかな。かなり観光地化されていてわたしとしてはあまり近づきたくない場所だが、ずっと憧れの風景だったので、近くを通るなら絶対に行かないとダメだろ、と内なる声が聞こえてきたので、行くことにした。 
 
 往復で600Kmほどなので、満タンで、かつ高速での燃費のいい移動行程ならば、おそらく行って帰ってくるまでガソリンはもちそうだ。てことは、ガソリン入れてこよう、など、ばたばたと準備をし、あとは天気が良ければ言うことなし、天気が悪くても……まあそうなったら人出も減るから良しとするか、というわけで、あっさり準備は完了。あとは、朝ちゃんと起きられるかだな、と思ったが、わたしは、もう老人クラスに朝型なのでいつもよりちょっと早いぐらいだから大丈夫であろう、と22時にはさっさと寝た。

 で。今日はAM4時に起き、パンを焼いて食い、熱いコーヒーを飲んであっさり30分ほどで準備完了。AM4:45には家を出た。うちから首都高に乗って、高井戸から中央道に入り、そのまま真っ直ぐぶっ飛ばすだけ。大月を過ぎ、甲府を過ぎ、八ヶ岳SAでちょっと休憩。今のところまったく渋滞ナシ。そしてこの先も渋滞はない模様。渋滞は誰しも嫌いだと思うが、このぐらいの時間に出れば、まあ、たいてい渋滞には出会わないで済む。順調順調。その後、そのまま中央道を突っ走り、諏訪湖を過ぎ、長野道に入り、安曇野ICで高速を降りた。そこからは一般道で、結構距離はあるのだが、まったく道に迷うことなく、AM8時チョイ過ぎぐらいには、ほとんど人のいない「扇沢」に着いた。駐車場もガラ空き。ふいー。やれやれ。
 途中、相模湖のあたりですっごい激雨で、こりゃあかんと思ったが、扇沢は曇りではあったが雨は降っておらず、涼しく快適でありました。
 扇沢から黒部ダムに行くには、「トロリーバス」というのに乗る。ええと、どういうのかというと、電車のようにパンタグラフがついていて、そこから電力供給を受けてモーターで走る、要するに電気自動車だ。山をくりぬいたトンネルが通っていて、そこを通る専用車両がトローリーバスである。乗客は20人とかそんなもんだったかな、ガラガラで快適でした。たぶん、あと2週間もすれば、紅葉でものすごく人であふれるんだと思う。あと、これは帰りに分かったことだが、どうやらやっぱり時間が早かったことが良かった様で、わたしが帰るときの扇沢の駐車場は満杯だった。早起きは三文の得なり。

 で。トロリーバスは30分間隔で運行されていて、08:30発に乗る。乗車時間は16分だそうだ。意外と早いというか近い。が、しかし、このトンネルを作った苦労はすさまじいものだったことは、かの『黒部の太陽』を観ればわかる。石原裕次郎と三船敏郎が共演したあのすごい映画の舞台へこれから行くんだと思うと、どんどんテンションがあがってくる。
 そしてトロリーバスは「黒部ダム」駅に到着。そこから、なんでも220段の階段を登ると展望台に行けるし、60段の階段を下りると、ダムのあの壁の上に行けるという案内があったので、迷うことなく220段を駆け上がる。そして、展望台に上がると、黒部ダムの全貌が目の前に現れた。
 ↓ こんな感じ。
Kurobe_DAM
 いやー。はるばる来た甲斐があった。すげえすげえすげえ!!!
 で、この写真に写っている、ダムの壁の上にも当然行きました。階段をまたかなり下りなきゃいけないんだけど、まったく苦にならない。

 というわけで、今日はここまで。
 四季演劇資料館と、大王わさび農場はまた明日書きます。サーセン。

 ↓ いやー、やっぱりこいつはもう一度見ようかな。たしか録画したのがあったはず。
黒部の太陽 [通常版] [Blu-ray]
三船敏郎
ポニーキャニオン
2013-03-20

 ↓ そういやこれもあったね。
プロジェクトX 挑戦者たち 厳冬 黒四ダムに挑む ~断崖絶壁の輸送作戦~ [DVD]
国井雅比古、久保純子、膳場貴子 ほか
NHKエンタープライズ
2011-01-21

 

 もはや説明の必要はなかろうと思う。
 『MALEFICENT』は、近年のディズニースタジオによる童話(?)というかディズニーアニメの実写化作品では2番目の興収をあげた大ヒット作だ。全世界興収をちょっと復習しておくと、1位の『Alice in Wonderland』が1,025M$とダントツ。日本でも118億のビックヒットとなった作品だ。そして2位がこの『MALEFICENT』で、全世界興収は758M$。日本では65.4億とその年では『Frozen』(=アナ雪)に次いだ数字になっている。3位はたぶん今年の春の『Cinderella』 で542M$であろうと思う。
  実のところ、わたしはこの辺の映画にはあまり興味が持てず、劇場に行く気にはあまりなれないのだが、先日WOWOWで放送されたのを律儀に録画してあったので、上映時間も1時間半チョイと短めだし、ちょっと観てみるかという気になった。 そして、なるほど、これはやっぱり良く出来ているものだと思うに至ったのである。

 この予告編からして、 Angelina Jolieのビジュアルイメージ、演技ぶりはもう完璧である。背後に揺らめく緑色の光まで完璧に再現しており、アニメでの恐ろしいマレフィセントそのものだ。現在、日本においては、漫画やアニメの実写が相次いでいるが、やはり、一番重要なのはそのビジュアルイメージであろうと思う。その再現度が高ければ高いほど、興収も良い数字がはじき出せる傾向にあると思う。結局、先行している漫画やアニメで、絵としてキャラクターが定着している以上、そのイメージを損なうことは非常に危険で、はっきり言えばわざわざ既にあるビジュアルイメージを壊すことに何の意味もない。出来るだけ似せようとするのが当たり前だと思う。まず、この、「ビジュアルの完コピ」を最高のクオリティで仕上げたという点において、『MALEFICENT』という映画は極めて高い共感を得られることが約束されていたともいえるのではないかと思う。
 
 一方で、物語はどうかというと、ここがこの映画の最大のミソだが、アニメの『眠れる森の美女』とは大幅に異なっており、アニメでは悪役だったマレフィセントを堂々の主役に据えている。これは大きな改変である。果たしてこれでうまくいくのか? とまあ、観る前から思っていたわけだが、結論としてはまったくもって問題なく、むしろ大成功と称すべき物語となった。
 元々マレフィセントは、決して悪の魔女ではなく、うっかりチャラ男に騙されて翼をもがれた、気の毒な純情女子として描かれており、つい、カッとなってチャラ男の子供に呪いをかけてしまったけれど、すくすくとかわいらしく育っていくオーロラ姫にすっかり魅入られ、後悔すれど呪いを解くことは自分にも出来ず、困っちゃう、という話である。
 こうまとめると、なんだかなー、という話になってしまうが、Angelina Jolieの熱演と、オーロラ姫を演じるElle Fanningちゃんの、若干のブサカワ振りがかわいらしくて、観客としてはまったく気にならない。また、マレフィセントの忠実な手下であるカラスのディアヴァルもなかなかなナイスキャラで好感が持てる。ちなみに、この気が利くけどさんざんこき使われる、ちょっと可哀想なカラスを演じたのはSam Rileyという若い役者なのだが、わたしは観ながら、この見事な富士額はどこかで観たことあるな、と思って調べてみたら、わたしの大好きなセクシーハゲ野郎でおなじみのJason Statham主演の『13』(邦題:『ロシアン・ルーレット』)で散々な目に遭ったあのかわいそうな青年を演じた男だった。

 そして、最大の改変ポイントは、「True Love Kiss」である。いわゆる、「真実の愛のキス」。アニメでは永遠の眠りについてしまったオーロラ姫を唯一目覚めさせることができる鍵で、当然、王子様の役割だ。が、この作品では王子様の出番にはならない。まあ、ネタばれだが既に日本国民の10%以上が『Frozen』を観ているので想像は出来ると思うし、わたしも観ながら、予想は十分できたことだが、オーロラ姫を目覚めさせる「真実の愛のキス」をするのは王子様ではない。
 たしかに、意外と現実的だと思うが、一度森の中で出会っただけの男に、「真実の愛」なんて言われても困る。急にそんなこと言われても、若干ストーカーめいてさえいるのではないか。そういう現代性を求めたわけではないと思うが、この映画でオーロラ姫に真実の愛のキスを贈れる人はただ一人しかいないので、アニメとは違う展開だが、納得性は十分であり、非常に美しく物語はまとまったと言えよう。お見事、である。
 わたしは、『Frozen』を始めて観た時は、ハンスはちょっと怪しい、きっとクリストフが王子様的役割を演じるんでしょ、と思いながら観ていて、最終的に凍ったアナを溶かした存在がエルサだという展開に、ちょっと驚いた。ああ、ディズニーは今はこういう方向なんだ、と素直にすごいと思った。男女の恋愛<家族愛。なるほど、これが現代アメリカか、と非常に勉強になった。その方程式は、本作でも健在であった。これは、なんだろう、現代アメリカの教育方針なのか、それともディズニーのファミリー層取り込み戦略なのか……まあ、両方なのか……それとも、それが愛というものの本質だというディズニーの主張なのかな。いずれにせよ、わたしとしては十分アリだと思う。

 というわけで、結論。
 うーん、やっぱり劇場で観るべきだったかな。美しく妖精が舞う姿は、大スクリーンで3Dで観たかったかも。
 しかし、王子……まったく出番なしで、いいのかアレで……w


 ↓ 3D版はもうプレミア価格が付いてる……。最近のディズニー作品(MARVEl物も含む)は初回しか3D版を出さないんだよな……そういうのやめて欲しいもう。

 昨日から、『グラーグ57』という作品を読み始めている。この作品は、以前紹介したとおり、『チャイルド44』の続編である。新潮文庫では上下巻になっており、総ページ数は770ページぐらい。現状まだ、250ページを超えたところで、上巻の6割ぐらいといったところか。
 前作、『チャイルド44』の3年後、1956年の話で、主人公レオは、前作の終わりで昇進と引き換えに願った殺人課の設立を叶え、政治犯ではない、普通の、といったら変かもしれないが、現代的な警察捜査に日々頑張っている。もちろん、「殺人」は前作同様に社会に認められない世界なので、その存在は公にはなっていない。 なので、味方はほぼいない。前作のラストで殺人課設立を願ったのと同時に要請した、前作の事件で協力してくれたネステロフ将軍を現在は部下として引き抜くことにも成功していて、彼が唯一の味方となっている。ちなみに、ネステロフ将軍とは、映画ではGary Oldmanが演じたあのおじさんのことだ。また、奥さんとの関係も一応は良好になっていて、前作では実は主人公が大嫌いだった奥さんも、今はレオを愛しているらしい。しかし――。前作のラストで示された、幼い姉妹との関係は――うまくいっていない。そりゃそうだろうな。

 そんな状況の中、ソヴィエトにとって、いや世界史上においても、1956年という年は、極めて重要な年だ。 スターリンが1953年に死亡して後継者となったフルシチョフが、1956年の第20回党大会の「秘密報告」で、猛然とスターリン批判をしたのだ。要するに、スターリンという個人を崇拝するのはけしからんし、スターリンの独裁と恐怖政治もけしからん、これからは集団指導で平和共存じゃー! という事を言い出したわけで、その結果、いわゆるデタントと呼ばれる冷戦の緊張緩和がちょっとだけ生まれたし、逆に中国なんかは、フルシチョフ(の主張する「修正主義」)はけしからん! と緊張状態に陥ることになる。
 その、第20回党大会の「秘密報告書」が今回の作品では非常に重要で、それが国内で公表された結果、それまで政治犯をバンバン逮捕していた、国家保安省の非人道的な逮捕拷問などの行動すべてが、一転して非難の的となってしまう。 どうやら数多くの細かい事件が、あれは冤罪だったと書かれているらしくて、共産党最高指導者がそれを認めちゃったことは、ソヴィエト国内だけでなく世界中がすごい驚いたことだと思う。もちろん、ソヴィエト国内の大混乱も想像に難くない。
 ちなみに、ソ連国家保安委員会、通称KGBは1954年に設立されていて、前作ではまだ存在しなかったKGBが今回はすでに発足・活動している。いずれにせよ、主人公レオは、1956年段階では国家保安委員会からは離脱しているのだが、当然、過去の行いによって極めてマズイ立場に陥る。そして、とある男の逮捕に関与していたことで、復讐の対象となってしまい――まあ、またも大変な目に遭うわけだ。
 これを、自業自得と我々は見なしていいのか、今後の物語の進展を楽しみに読み進めて行きたい。
 
 ところで、復讐というもの――少し言い換えると、憎しみの連鎖というものは、果たして断ち切れるものなんだろうか? 復讐は何も生まない、憎しみの連鎖が続くだけだ、とよく言われる。当事者でなければ、そりゃそうだ、憎しみの連鎖は断ち切るべきだ、ということはもちろん普通に思うところだろう。だが、当事者は、どうやってそれを理解し、納得し、矛を収めることができるんだろうか? このテーマは非常に多くの作品で語られるものだが、人類の歴史を考えてみると、どうもいまだに解決されていない、重いテーマであることは間違いない。もちろん、普遍的な解決策は、罪には罰を、ということなんだろうが、当事者一人ひとりの心の問題でもあり、全人類が納得の行く解決策はありえないのかもしれない。ありえるのかな? どうなんだろう?
 果たしてこの物語が、どんな道筋をたどり、主人公レオは、そしてレオを狙う復讐者たちは、共に救われるのか。非常に先が気になるところだ。

 というわけで、結論。
 今のところ、前作よりかなり面白い。命令されたからやった、もちろん今は後悔している、というのがレオだ。これって、まあ、相手からしたら通用しないよな。一体レオは、どう落とし前をつけるのだろうか。先が非常に気になる。

 ↓ なんとフルシチョフによる「秘密報告」は、日本語で読める。つーか、文庫になってた! これ、一度ちゃんと読んでみないとダメかもな……すごい内容が気になる。ああ、でも絶版か……探してみるかな……。

 ええと、タイトル通りなんですけどね。

 わたしは現在、いわゆる週刊少年漫画雑誌を2誌、毎週せっせと買っている。
 『週刊少年ジャンプ』は、もう35年ぐらいは毎週買っていると思う。が、今現在、『ジャンプ』はほぼ惰性で買っており、こいつを毎週早く読みたいんだよ! とわたしを熱くさせるマンガはほぼない。そうだなあ、現在連載中の漫画では、ソーマ、火ノ丸、ニセコイ、という順番でわたしは読んでいるような気がする。
 集英社もすっかり連載本誌ではなくて、単行本とアニメ化とグッズに頼った、オタクビジネスのうまみを知ってしまったので、いわゆる女子人気をあてにしたり、なんというかかつてのジャンプの持つ熱気はすっかり失せてしまったように思う。一読者としては。ならもう、本誌は買わなくていいかもな……と思いつつ、買うのをやめるきっかけがなんとなくなくて、なんとなく買い続けている状況である。

 一方。
 今、わたしが毎週発売日を楽しみにしているのが、『週刊少年チャンピオン』である。
 きっかけは、『弱虫ペダル』だが、意外と面白いマンガが豊富で、少なくとも私には、『ジャンプ』よりも楽しみにしているマンガの数は多い。ちょっと『ジャンプ』と『チャンピオン』の、直近号の連載漫画を数えて比較してみようかな。
 ■掲載マンガ(連載だけじゃなく読切含む)
  →ジャンプ21本/チャンピオン23本
 ■冒険・ファンタジー・SF・学園バトルもの
  →ジャンプ8本
    ONE PIECE(非地球・冒険ファンタジー)
    僕のヒーローアカデミア(学園バトルファンタジー)
    暗殺教室(学園バトルファンタジー?)
    ブラッククローバー(魔法系ファンタジー)
    トリコ (冒険ファンタジー)
    ワールドトリガ― (学園SFバトル)
    BLEACH (バトルファンタジー?)
    カガミガタリ (退魔系バトルファンタジー)
  →チャンピオン4本
    スメラギドレッサーズ(学園魔法バトルファンタジー)
    マジロマジカル (魔法バトルファンタジー)
    兄妹(学園探偵ファンタジー)
    バイオハザード(ゾンビバトルファンタジー)
 ■スポーツ・格闘もの
  →ジャンプ4本
    火ノ丸相撲(相撲・高校)
    ハイキュー!!(バレーボール・高校)
    背すじをピン!と(競技ダンス・高校)
    ベストブルー(水泳・高校)
  →チャンピオン8本
    鮫島、最後の15日間(相撲・プロ)
    弱虫ペダル(自転車ロード・高校)
    ハリガネサービス(バレーボール・高校)
    刃牙道(格闘・プロ? ※これは別カテゴリーかな?)
    少年ラケット(卓球・中学)
    錻力のアーチスト(野球・高校)
    ドカベン(野球・プロ)
    羽恋らいおん(バドミントン・高校)
 ■学園ラブコメ
  →ジャンプ、チャンピオンとも1本ずつ
    ニセコイ(ジャンプ・高校)
    実は私は(チャンピオン・高校)
 ■料理漫画
  →ジャンプ、チャンピオンとも1本ずつ
    食戟のソーマ(ジャンプ・高校?)
    ニコべん!(チャンピオン・高校)
 ■ギャグ・コメディ漫画
  →ジャンプ5本
    銀魂
    斉木楠雄のΨ難
    左門くんはサモナー(新連載・学園退魔系?)
    こち亀(※ギャグだよな……?)
    磯部磯兵衛物語
  →チャンピオン5本
    侵略!イカ娘(※ギャグだよな……?)
    毎度!浦安鉄筋家族
    マツタケART
    吸血鬼すぐ死ぬ
    木曜日のフルット(2P短編)
 ■ヤンキー漫画
  →ジャンプ0本
  →チャンピオン2本
    クローバー
    Gメン
 ■カテゴリー分け難しい
  →ジャンプ1本
    ものの歩(将棋プロを目指す少年成長型)
  →チャンピオン1本
    囚人リク(監獄脱獄型)
 ■読み切り
  →ジャンプ、チャンピオンとも1本ずつ
    バクマン。abe13(ジャンプ・映画合わせの外伝)
    こむぎけーしょん(チャンピオン・新人?)    

 こうして一覧にしてみたのは、 両誌の傾向が似ているようで微妙に違う事を自分でも整理したかったからなんだが、やっぱり、今のチャンピオンの主軸はスポーツ系であるのは明らかだ。それと、きちんと学園ラブコメや料理系も1本ずつ入れてトレンドをつかんでいるし、ジャンプ得意の冒険ファンタジーが少ない代わりに、今でもヤンキー喧嘩系が2本あったりと、チャンピオンらしさは健在だと思う。
 ちなみにわたしが推す、『弱虫ペダル』以外のチャンピオン連載漫画は、4本ある。
 1)『鮫島、最後の15日間』
 最高。この漫画は本当に面白い。実のところ、この漫画は『バチバチ』『バチバチBurst』という前作があって、その中では主人公の青年が16歳で相撲部屋に入門するところから幕下までが描かれておおり、現在の『鮫島~』でようやく幕内力士として戦っているのだが、この漫画の面白さは、その前作を読んでいることが前提となる。この最終章となる『鮫島~』は、どう終わりに持って行くのか、毎週非常に楽しみである。現状、わたしの中では名作の予感がヒシヒシと伝わってきてるが、すべての評価は完結時に判明すると思う。とにかく熱くてカッコよくて泣ける、超おすすめの相撲マンガである。わたしとしては、『弱虫ペダル』よりも先に、一番に読むマンガだ。もちろん、応援のために紙と電子の両方で単行本を買っている。きっちり最後まで描ききってほしい。
 2)『ニコべん!』
 正直なところ、非常に地味である。どうにも性格的にオドオド君で、友達少ない系の少年が、とある無口な地味ガールの笑顔を見るために、得意の料理スキル全開でキャラ弁を作ってあげる話。絵のレベルは結構高いと思う。いい意味で線が省略されていて、少年漫画として王道の絵力があると思う。演出のコマ割りも悪くない。キャラ付けも、もうちょっとメリハリが欲しいかもしれないが、わたしは嫌いじゃない。いかんせん、話が地味であるのが残念だが、これはモチーフ的にどうにもならないかもしれない。長く続いてほしいものだが、非常に心配だ。それでも、毎週わたしは楽しみに読んでおり、応援のためにも単行本を買う事にしたいのだが、電子でもいいですか……?
 3)『囚人リク』
 この漫画は、既に単行本が24巻まで出ており、たぶん、現状のチャンピオンの中では長寿作品に入ると思う。これまた地味というか、主人公の目標達成までの道のりが果てしなく遠い物語なのだが、きちんと話は少しづつだが進んでおり、決して停滞しているわけではない。が、一つのことをクリアするのにすごく時間がかかってしまうのだ。なので、毎週見逃せないマンガである。
 4)『スメラギドレッサーズ』
 この漫画は連載が始まってまだ間もないところで、まだ単行本も出ていない。はっきり言って、絵は上手なんだが、構図が悪かったり、線が多すぎたりで、非常に読みにくい。また、ネームもかなり多いのも読みにくさを増幅している。なので、非常に先行きは心配なのだが、キャラクターが非常に良いとわたしは思っている。なんとか、もうちょっと線を整理して、コマ割りももう少し大胆に大きくしてもいいような気がする。あと、ネームが多いのも何とかしてほしい。この漫画は、現状のチャンピオンで唯一、お色気シーン(?)があるので、頑張ってほしいのだが……先行きが本当に心配だ……。

 というわけで、結論。
 今のチャンピオンは非常に勢いがある。もちろんそれをけん引しているのは『弱虫ペダル』ではある。が、それ以外にも面白いマンガが、少なくとわたしには『ジャンプ』より多い。今後も応援していきたい。
 でも……今週のチャンピオンは、完全に『刃牙道』にもってかれたわw
 範馬勇次郎の顔芸だけで笑わせるのは反則ですよ、板垣先生!! (※実は今日はこれだけを言いたくて、無理やりいろいろ書いたw) 

 ↓ 『バチバチ』『バチバチBurst』最高です。


 というわけで、ちょっと時間がかかってしまったが新潮文庫刊『チャイルド44』上下巻を読了した。
 結論から言うと、映画とはかなりの点で相違が見られ、もちろん描写は小説のほうが深く、密度が高いと感じたが、肝心の物語の進行については、ズバリ映画のほうが良いと思う。小説では、最後に犯人の動機について語られているシーンがあり、それが映画にはまるでなかったのだが、正直なところ、はあ?? という首を傾げざるを得ないもので、まったくもってがっかりした。 映画では、犯人の正体については、なんとなくしか描かれておらず、そこが微妙だとは思ったが、小説では、え! マジか!? という正体が用意されていた。が、これはないな、と思うもので、なんとも後味は悪かった。 下巻の前半部分で、まさか? と思った人物が結局犯人で、正直なところかなり無理があるというか、スーパー偶然と言うか、なんとも唖然とする幕切れだったのが極めて残念だ。
 あと、主人公と奥さんの関係については、やはり想像通り小説にはかなりの分量にわたって描写されており、映画よりも深い理解が得られたが、それもやっぱりピンと来るものではなく、映画での描き方で十分だったかな、という気がしなくもない。また、元部下が主人公を執拗に嫌ってひどいことをする展開は映画と同じだが、その動機については正直なところ映画のほうが明確というか端的に描かれており、小説のほうはかえってピントがずれているようにも思える。 

 というわけで、今日は全然短いけど結論。
 あまり面白くなかった。というと厳しいかもしれないが、期待してたほど面白くなかった。映画で十分、というか映画のほうが面白かったです。 明日から、続編を読み始めます。面白いことを期待して。 

 現状、ハリウッド女優の中でわたしの一番のお気に入りは、ダントツでJennifer Lawrenceちゃんである。1990年ケンタッキー州ルイビル生まれの25歳。身長179cmと非常に長身で、ややむっちり系の笑顔がかわいい娘さんである。この女優をわたしが初めて見かけたのは、『X-MEN:First Class』で、若き頃のミスティークをかわいらしく、そして悲しく演じていたのが非常に印象的で、この娘はいい! と思ったのが始まりである。
 その時は、前年に出演した『Winter's Bone』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされていたことを知らず(※『Winter's Bone』の方が『X-MEN』よりも日本公開は遅かった)、後に、ああ、10代で主演女優賞にノミネートされて話題になってたのはこの娘だったか、と認識するに至った。その後、2012年に『The Hunger Games』で主人公のカットニス・エバディーンを演じてアメリカ国内では未曾有の大ヒットとなり、人気を不動のものとしたわけだが、さらには同年の『Silver Linings Playbook』(邦題:『世界にひとつのプレイブック』)の好演でとうとうアカデミー主演女優賞を受賞。今やハリウッドきっての大女優となってしまった。この授賞式のときのJenniferちゃんも非常に可愛らしく、ステージに上がるときにつまずいて、すっ転びそうになったところをウルヴァリンことHugh Jackmanに支えてもらったのもご愛嬌だ。
 そんな彼女の魅力は、わたしとしては2つある。ひとつは、そのいやにハスキーというか、ガラガラな低い声である。前日にカラオケでちょっとハッスルしすぎたんじゃね? というぐらい見事なガラガラ声。これが地声で、本人は人前で歌を歌うのが嫌なんだそうだ。だが、それがいい。 声フェチとしてはたまらんのである。まったくもって蛇足だが、かつて会社の近くのコンビニでバイトしていた、すっごい華奢で地味な女子の声が、またひどくガラガラで、わたしはひそかに「ガラ子」というあだ名を献上して、毎日その女子を狙ってレジを打ってもらうという、ちょっとした変態行為をして喜びを見出していたが、それほど声に特徴がある女子には弱い。
  もうひとつの、Jenniferちゃんの魅力は、そこはかとない「幸の薄さ」である。Jenniferちゃんの笑顔が素晴らしいのは間違いないのだが、どうやらそれは、いつもはひどく不幸な状況なのに、その中でもたまーに見せる笑顔が可愛いからなのではないかと思う。見事アカデミー賞を受賞した『Silver Linings Playbook』ももちろん素晴らしかったが、彼女の演じる役は、やたらと幸薄いキャラが多い。そのしょんぼりフェイスの表情に、ぐっと来るわけである。その最たるものは、19歳でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた『Winter's Bone』であろう。ひどく幸の薄い、暗~い映画である。だがはっきり言ってJenniferちゃんの演技は素晴らしかった。

 というのが、昨日までのわたしの評価であるが、今日観た映画で、少し、評価を増加させねばなるまいという事態が生じた。今日観た映画でのJenniferちゃんは、『Winter's Bone』並にひじょーに幸薄く、なんとも可憐であったのだ。その映画のタイトルは『The Burning Plane』(邦題:『あの日、欲望の大地で』)である。

 この映画は、2009年の公開なので、実のところ『Winter's Bone』よりも1年前である。当時、まったく無名だったと思うが、Jenniferちゃんはこの映画の演技によって、ベネツィア映画祭の新人俳優賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)を見事受賞している。いや、ほんとに素晴らしい演技だったのだが、わたしは全然ノーチェックだったのが恥ずかしい。既に世は2009年時点でJenniferちゃんに注目していたのだ。うかつだった……。わたしもこの映画をずっと観たいなーと思っていたのだが、その機会がなく、先日なぜか今頃WOWOWで放送があり、やったーとばかりに録画し、やっと今日、観てみたわけである。
 この映画の脚本は、Guillermo Arriagaというメキシコ人で、監督もやっている。もともと脚本家で、『21Grams』や『Babel』の脚本で有名な男だ。複数の人物を追いながら最終的にひとつに話が合流していくパターンを得意としており、この映画もまさにそのパターンだ。最初に描かれるのは、Cherlize Theron演じるアラフォー女子の模様だ。どうやら、きちんと仕事をしている一方で、なにか心の病をかかえているようである。そして次に描かれるのは、10代の男の子二人。父親が不倫の果てに事故死したらしい。その不倫相手の娘としてJenniferちゃんが登場する。そして少し時は戻って、不倫相手、すなわちJenniferちゃんの母がKim Basingerであることがわかる。そう、この映画は、Cherlize TheronとKim Basingerというふたりのオスカー女優が素晴らしい演技を見せてくれる映画だ。そこにJenniferちゃんが加わり、時間軸が入れ替わりながら話が進むのだが、わたしは最初の15分ぐらいでなんとなく時間軸と人物関係のからくりが見抜けたけれど、非常に巧妙で、上手に観客をだましながら物語は展開していく。あれっ! なんだよ、上に貼った予告編、思いっきりネタばれしてるような気がする。うーーん、まあ、いい……のかな? 公式予告編だし、ま、いっか。

 この物語も、『Winter's Bone』同様に、アメリカの片田舎を描いていて、風景が非常に印象的だ。『Winter's Bone』では、中西部の寒々しい色合いの森林地帯であったが、今回は、メキシコ国境に近い南部の乾いた砂漠で非常に対照的だ。Jenniferちゃんは、そういった荒れた大地がよく似合う女優だと思う。そういえば、今回の映画でも、『Winter's Bone』でも、そして『The Hunger Games』でも、なぜか共通しているのだが、3作ともにJenniferちゃんは幼い兄弟のいる長女のお姉ちゃんを演じていた。どれも、親を頼りとしないできちんと妹や弟の面倒を見る、出来た子、である。そういう、芯の強さや意志の強さが、幸薄い中にも明確に現れており、運命に抗おうとする姿となって心を打つのではないかと思う。それゆえに、わたしとしても、いつのまにか応援する側につき、感情移入してしまうのではないだろうか。劇中でとあることをやってしまったときの、しまった、どうしよう、という表情が、今回のベストショットであろう。素晴らしかった。
 なお、今回の映画では、Cherlize TheronもKim Basingerも非常に良い。3人とも、過去や現在に対して、何かしらの「やましさ」をもっていて、どこか魂がさすらっている女性である。わたしの生きる信条は、お天道様に顔向けできないようなことはしない、というものだ。と言ってもまあ、残念ながらその状態からは程遠いような気がしなくもないが、とにかく、何か、やましいと思うことは、なるべくしたくないと思っている。だから、どうもそういう、やましさを抱えている人には、何というかほっとけない気分になる。ま、程度の問題ですがね。真っ黒な奴には近寄りたくもないし、できればさっさと死ね! とさえ思うこともあるので、わたしもまだまだ、つーかまったくもって修行が足りないっすな。

 というわけで、結論。
 Jennifer Lawrenceは、幸薄いしょんぼりフェイスとアメリカの荒涼とした背景ががよく似合う。レッドカーペットなどでのキメキメなメイク&ドレスより、ノーメイク&ジーンズの方がずっと可愛い、素敵なアメリカンガールである。素の彼女は一体どんな人間なんだろうか? インタビューなんかでは、普通の陽気なイマドキ・ガールだけどね。可能であれば、一日京都観光にでも連れ出したいものだ。いや、どう考えても可能じゃねーし。

 ↓ 超・幸薄し。おそろしく可哀想で、観ててつらい……。
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2014-04-02

 

 最近、やけにこのおっさんを見かけるような気がする。
 ↓ この人
MarkStrong
 どうでしょう? この人はMark Strongという俳優なんだが、最近では『Kingsman』でも若者たちの教官役で出てたし、Wikiで過去の出演作を見てみたら、2010年から2014年の間に13本の映画に出ているらしいけど、その中でわたしは11本見てることが判明した。ああ、そりゃ目にも付くわな。これは……いわゆるセクシーハゲって言っていいんですかね? まあ、この人はWikiに「ハリウッドの悪役イギリス俳優の代表格」と書かれちゃうぐらいで、いつも悪役か、主役のサポート役かどっちかなんだけど、今日観た映画では、堂々の主役だった。
 今日見たのは、『MINDSCOPE』(日本公開タイトル:『記憶探偵と鍵のかかった少女』)である。これも、先日WOWOWで放送されたのを録画してあったので観た。

 「記憶探偵」という職業が普通にある世界。それは冷戦期からESP能力者を集めていたという背景から、現代では人の記憶を観ることができる能力者がいて、未解決事件や難事件の捜査を行っているという設定。民間会社で、物証や目撃証言よりも証拠能力は低いものとされているが、社会的にそういう職業が認知されているという、ちょっとだけ変わった世界の話。主人公は当然その「記憶探偵」で、とある少女の記憶を見て事件の捜査を依頼されるわけだが、その少女がかなり問題のある女の子で、まあえらい目に遭うという話。
 結論から言うと、まあイマイチかな、というぐらいのものだったのだが、この記憶探偵という設定は面白かった。なにしろ、「人は記憶を改ざんできる」という心理的な問題があるので、どれが本当なのか分からず、映画を観ている我々はまんまとだまされるという筋立てだった。
 ちょっと、わたしの嫌いな叙述ミステリーめいたところがあって、どうなんだろう、普通の人はこれを観て面白いと思うのか、ちょっと自信がない。だが、主役のMark Strongはかなり良かった。セクシーハゲといえばJason Stathamを思い出すが、そういやちょっと似てるかも。このMark Strongは、今後ちょっと応援していきたいと思った。ちなみに、彼を観るなら、わたしとしては、以下の2作をお勧めする。
 ひとつは、『Tinker,Tailor, Soldier,Spy』(邦題:『裏切りのサーカス』)。かなりいいです。もうひとつは、どうだろう、ちょっと古いけど、Ridly Scottの『Body of Lies』(邦題:『ワールド・オブ・ライズ』)かな。この映画では、結構いい人役で泣かせる。DiCaprioのサポート役のヨルダン人を熱演している。ただしこの映画自体は、そんなにめちゃくちゃ面白いというほどでもないので、あくまで、Mark Strong観賞用ということでお勧めしておきます。
 あと、今回の「鍵のかかった少女」を演じたTaissa Farmigaちゃんという女子は非常に可愛かった。どうやら、Sofia Coppola監督の『The Bling Ring』に出てたらしいが、観てないんだよな……。ハーマイオニーことEmma Watsonちゃんが出てるので観たかったのだが、見逃してしまった……。ちなみに、Taissaちゃんのお姉さんはVera Farmigaという女優で、『The Departed』のヒロインだし、George Clooneyと共演した『Up in the Air』(邦題:『マイレージ、マイライフ』)でアカデミー助演女優賞にノミネートされている実力派だ。まあ、わたしとしてはこのお姉さんは『Source Code』(邦題:『ミッション:8ミニッツ』)のグッドウィン大尉としておなじみだ。あのグッドウィン大尉に妹がいたんだ、というのは初めて知った。似てるような……いや似てないな。

 というわけで、結論。
 『MINDSCOPE(記憶探偵と鍵のかかった少女)』は、ミステリーではあるけど、ちょっと製作陣のしてやったり感が感じられて、わたしとしてはイマイチです。ただ、Mark Strongというおっさんと、Taissa Farmigaちゃんという女の子は、今後要注目です。


 ↓ エース編集Mくんが超お勧めする『ミッション:8ミニッツ』。確かに面白いけど、わたしはこれを飛行機の機内でドへたくそな吹き替えVerで観たので、それほどでもないんだよな……。でも、『記憶探偵』よりは面白い。
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2013-01-23


 わたしは2003年の夏以来、毎年富士山に登っている。今年で13回目となり、もはやすっかり慣れた。もう今年はいいかな、と思うこともあるけれど、やっぱり毎年夏が近づくと、やっぱ今年も行っとくか、という気になる。マラソンやトライアスロンは、もうレースに出ていないので、まあ実際のところ引退してしまっているのだが、冨士登山はまだまだ現役として毎年タイムを計り、そのタイムが前の年より短縮できれば嬉しいし、悪いとすごくしょんぼりする。現状では、2011年の2時間17分がわたしのベストラップで、以降、だいたい2時間半は切らないぐらいを維持しているが去年は2時間29分45秒と過去最悪タイムで、もう引退しようかなと思って今年に臨んだところ、2時間25分25秒と少しよかったので、ちょっと安心した。来年はまた2時間20分を切りたいものだ。
 こういう話をすると、え、富士山ってそんなもんなんですか、と勘違いする人もたまにいるが、普通の人はまあ4時間以上はかかるんじゃないかな、と思うので、それなりに早いと思う。わたしも、初めて登ったときはコースもよく分からないし、天気も悪かったし、なにしろいわゆる「ご来光」を目指しての深夜登山だったので4時間半ぐらいかかったものだ。わたしはもう、8年ぐらいはご来光は目指さず、朝の5時登山開始でもう日が出てから登っているので、装備も重いのは水くらいだから、登坂スピードも全然速くなった。まあ、素人は絶対それいらないだろ、という物を無駄にいっぱい抱えて登るので、大体装備とか服装とか靴をチラッと見れば、ああ、この人は経験が浅いのかなと分かるものである。わたしの場合、家を3時くらいに出て、5時から登り始め、10時にはもう下山して、温泉に入って、昼過ぎには家に帰ってきている。ま、チョロイっす。
 そんなわたしだが、さすがに憧れてはいても、まあ生涯そのチャンスはあるまいと思っているのがヒマラヤ、エベレスト登頂である。なんでも、アメリカには10万ドルぐらい出せば、1年ぐらいのトレーニング込みでエベレスト登頂のツアーがあるそうだが、うーん、それはちょっと、難しいだろうな……体力的に、やるならわたしの場合は今が人生最後のチャンスだとは思うが、まあ、おとなしくあきらめておこうと思っている。
 というわけで、わたしが今日観た『Beyond the Edge』(日本公開タイトル『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』)という映画は、人類史上初のエベレスト登頂を成し遂げたヒラリー卿のお話である。 

 エベレストの高さは、富士山の倍以上、標高8,848メートルであり、いわゆる「デス・ゾーン」である。特別な装置がなければ、人間は生命維持することが出来ない場所だ。まあ、人類は既に航空機という発明を成し遂げているので、単純な眺めという点では飛行機に乗ればエベレストより高いところから地球を眺めることが簡単に出来る。エベレストだって、ヘリをチャーターすれば(=金を出せば)、山頂に降り立つのは相当難しいというか出来ないのかもしれないが、山頂近くの風景は見ることができよう(2015/11/08追記:ヘリは8000Mは無理らしい。エベレストの第4キャンプ付近ですら無理っぽい)。実のところ、富士山レベルで大変恐縮だが、富士山頂からの眺めを見ても、さほど感動はない。むしろ、意外と下界が近く見えて、ああ、こんなもんなんだ、と思う人のほうが多いんじゃなかろうかと思う。じゃあ、何で登るんだということになるが、わたしが思うに、やはり登山はその過程と、山頂というゴールに意味があるのだと思う。困難を乗り越えたという達成感、それに尽きると思う。ここまでオレは自分の足で来た、という点が非常に重要なんじゃないだろうか。
 
 わたしは、この映画を観て、まったく無知だった自分にあきれてしまった。
 まず第一に、人類初のエベレスト登頂を果たしたヒラリー卿についてだが、わたしは今まで、イギリス人だとばっかり思ってた。でも、実際は、ニュージーランド人だったことには驚いた。あ、そうだったんだ。へえ~。みたいな。もちろん、エベレスト遠征隊はイギリス隊なんだけど、正確にはイギリス連邦と言えばいいのかな、ニュージーランド人として2人参加したうちの一人が、エドモント・ヒラリーであり、エベレスト登頂によって「卿」となったんだそうだ。これって常識かな? わたしは恥ずかしながら知らなかった。
 それと、登頂に成功したのが1953年5月29日AM11:30のことで、この映画はそこから60周年記念として2013年に公開された作品だそうだ(日本公開は去年。そしてわたしは最近WOWOWで放映されていたのを録画しておいて、今日観た)。この映画は、ちょっと不思議な映画で、実際の記録映像と、役者を使って再現したものとが入り混じり、ほぼ役者の台詞はゼロで、関係者のナレーションで全部説明と言うか、オーディオコメンタリー風の音声がずっと入っている。そのナレーションは、ヒラリー本人だったり(なお本人は2008年に亡くなっている)、相棒のシェルパの息子だったり、当時の関係者本人やその遺族がずっと語っている。映像も、単に画質を落として本物の記録映像っぽくしてるだけのような部分もあって、再現なのか記録映像なのかよく分からないのだが、雰囲気としては非常にライブ感がある。
 
 しかし、あらためて考えてみると、人類がエベレストに登頂してからまだ60年チョイしか経っていないわけで、戦後の70年というのは人類の歴史の中でも本当にいろいろなことが発達した、激動の、特別な期間なんだなということがよく分かる。この映画で見る遠征隊の装備は、今のわれわれの眼からするとかなり原始的で、今の装備と比べれば性能的に数倍も劣るものだが、どんなに装備が発達して軽量化・小型化がなされても、エベレストは今でも誰もが到達できる場所ではない。登頂を成功させるのは、人間の足と、精神力だ。それは60年経った今でも変わることはない。われわれとしては、すげえなあ、と思うしかない。

 ところで、1953年というのは、現在のエリザベス女王の戴冠式があった年なんだそうだ。即位したのは前年の1952年だが、ウエストミンスター寺院での戴冠式は1953年6月2日のことだそうで、まさにヒラリーによる人類初のエベレスト登頂が達成された直後で、戴冠式に花を添えたんだそうだ。で、同年6月6日にナイトの爵位を授与され、Sir となったんですと。映画では、ヒラリーは第1アタック隊(※隊、といっても2人組のペア)に選ばれず、第2アタック隊だったことが描かれていたが、いろいろな要因から彼が最初の登頂者になった。運も持っていたんでしょうな、この人は。

 というわけで、結論。
 まあ、結構面白かったです。劇場公開時は3Dだったらしいので、その3DVerを観てみたいものだ。

 ↓ 11/6公開の『EVEREST 3D』はハリウッド作品なので、相当に派手な感じです。まあ、観るけどね。 ※11/08追記:この映画観ました。超壮絶。まったく想像と違って実話だった。ものすごく怖い


 

 以前のこのBlogの記事で、さんざんDCコミックヒーローの話を書いたが、一方のMARVEL作品についてはまだなにも書いていない。とにかくもう、カッコよくて楽しめればいいから、なんか書くことがないので困っている。ちなみに、どのくらいわたしがMARVELヒーローが好きかというと、2010年の『IRONMAN2』は香港で観たし、同じく『CAPTAIN AMERICA:The First Avenger』は台湾で観た。両方とも日本公開よりも2~3ヶ月ぐらい前の時期で、まあ、その現地公開タイミングにあわせて旅行計画を立てて行ったのだが、2012年の『MARVEL'S THE  AVENGERS』は、この映画を観るためだけに台湾のIMAXシアターに出かけ、2泊で帰ってきた。日本公開よりも3ヶ月前で、早く観たくてもう我慢できん! と思ったからだ。
 現在、MARVEL CINEMATIC UNIVERS(長いので、以下MCUと略します)というシリーズが進行していることは、既に先月の記事でも書いたとおりだが、2008年公開の『IRONMAN』から2012年公開の『MARVEL'S AVENGERS』までをフェイズ1と呼び、2013年公開の『IRONMAN3』から、この夏に公開された『Avengers : Age of Ultron』を経て、今日公開された映画でフェイズ2が締めくくられた。そのフェイズ2のしんがりを務めたヒーローの名は、『ANT-MAN』である。
 
 『ANT-MAN』は、日本語で言えば「蟻男」である。まあ、『IRONMAN』は「鉄男」だし、『CAPTAIN AMERICA』は「アメリカ大尉」である。『AVENGERS』に至っては「復讐者達」だ。これ、香港や台湾ではどんなタイトルかというと、現地で撮影した写真を見れば一発で分かるのでお見せしよう。
ironman2
CapAmerica
Avengers
 こんな感じ。まあ、そのまんまですな。ちなみに、『Avengers』を台湾で見たときは、映画館で「アベンジャーズ」と何度言っても通じず、仕方ないので紙に「復讐者」と書いたら通じた。そんなにわたしの発音はダメだったの? へこむわ……。なお、わたしの経験では、香港は英語が通じるが、台湾では、観光地ではかなり日本語が通じる一方で、都市部では英語が意外と通じない。まあ、台北のメイド喫茶ではめっちゃ日本語通じたけどね。

 そんなことはさておき。「蟻男」こと『ANT-MAN』である。
 タイトル通り、ありんこ並のサイズになれる特殊スーツを着た、小さなヒーローである。わたしはこの映画に対しては、半年以上前から超期待しており、予告編が公開された時はいろんな人に、やっべえ、ANT-MAN超かっけえ! つーかANT-MANスーツ欲しいッ! ということを訴えていたのだが、どうにもわたしの周りは冷たいリアクションであった。Y君は、「蟻、っすかw」とバカにし、A嬢は「弱そうですよね。ぷちっとやられちゃいそうw」と冷笑する始末で、ホンッットにわかってねえな君たち! とわたしも憤死寸前まで行きかけたものである。何がすごいか。ありんこサイズまで小さくなれる、そしてパワーはすごい、というのは、要するに見えなくなるということで、つまりは透明人間と同じようなものだ。いかに最強のThorやIRONMANでも、見えない敵とどう戦う? テクノロジー的にも、これは劇中の台詞にもあるのだが「IRONMANスーツよりもすごい発明」である。
 もちろん、これはMARVEL作品であるので、その小さくなれる技術については、ほぼ説明はない。なのでSFではない。ファンタジーである。でも、それでいいのだ。だって別に、必要ないでしょ、理屈なんて。この姿勢がMARVELの特徴であり、成功の秘密だとわたしは考えているが、詳しい考察はまたいつか、別の記事でやろうと思う。
 ところで、今回の『ANT-MAN』を観るにあたっては、知っておいたほうがいい設定があるので、ある意味ネタばれかもしれないが、事前予習としてここに記すことにする。なお、パンフレットに結構詳しく書いてあるので、ちゃんと知りたい人はパンフを買うといいと思うよ。
 まず、『ANT-MAN』は、原作上は、初代Avengers創設メンバーの一人で、重要なヒーローの一人である。ハンク・ピム博士が開発した特殊スーツを着て戦うのは説明不要だと思うが、実のところ、ハンク・ピム博士こそがANT-MAT本人である。つまり、今回の映画の主人公であるスコット・ラングは、ピム博士にスーツを託された、2代目ANT-MANなのだ。これは、映画の冒頭ですぐに分かることでもあるが、そもそもピム博士がANT-MANスーツを開発したのは1960年代であり、元々はS.H.I.E.L.Dの科学者だったピム博士は、その発明がたとえS.H.I.E.L.Dであっても他人に渡すことは非常に危険であるとして封印していたものだ(これは今回の映画での設定)。だから、映画の冒頭には、S.H.I.E.L.D.創設メンバーである、CAPの永遠の恋人ペギー・カーターと、スターク父ことハワード・スタークも出てくる。しかもちゃんと役者は、『CAP1』でペギーを演じた女優だし、ハワードは、『CAP1』に出てきた若き頃の役者(=ドミニク・クーパー)じゃなくて、『IRONMAN2』の記録フィルムに出てきたおっさんのほうである。そして、その時点で既に、どうやらS.H.I.E.L.D.には現状のMCUの悪役であるハイドラの影がちらついていることも示唆されている。
 非常に短いシーンだが、冒頭の若い頃のピム博士の場面は非常に重要だ。今回ピム博士を演じているのは、あのMichael Douglasである。それが現在シーンでは、おそらく本人の素よりも若干の老けメイクで演じ、この過去シーンでは若く演じているのだ。あれ、CGだよな? わからんけど、パンフレットには、鬘だけつけたというインタビューが載っていたので、メイクだけかなのもしれない。よく分からなかったが、かつての80年代に活躍してた頃そのままの彼を観ることができるので、その点でも要チェックであろう。現在70歳だそうで、ということは、『BLACKRAIN』で大阪の街を高倉健や松田優作と走り回っていたのが26年前だから……あの当時のMichael Douglasは今のわたしとほぼ一緒ということになる。マジか……時の経つのは早いのう……。
 ま、そんなこともどうでもいいが、もうひとつ、『ANT-MAN』には、「Wasp(=スズメバチ)」という相棒がいることも知っておいたほうがいいだろう。同じくピム博士の発明による特殊スーツを着て戦う女性ヒーロー(そういうのをヒロインっていうのか?)で、この映画でもその点は触れられる。なのでこの「Wasp」も覚えておいたほうがいい。おそらくは、今後のMCUにも登場するのはほぼ確実だ。これはネタばれと怒られることを承知で書くが、MARVEL作品でおなじみとなった本編終了後のチョイ出し映像は、今回は2回ある。ので、劇場が明るくなるまで席を立ってはダメだ。両方とも、確実に今後のMCUにつながる重要なネタが提供されている。次のMCU作品は、来年5月公開の『CAPTAIN AMERICA:CIVIL WAR』という作品で、そこからフェイズ3が始まる。お話としては、『Age of Ultron』で分断してしまったCAP派とスターク派の全面対決が予想されているが(でも結局ハイドラという共通の敵と戦うんだろうなと思うけど)、今回の『ANT-MAN』がどっちサイドに付くのか、その点も今回の映画で示唆されている。途中、とあるミッションでANT-MANがMCUのとあるヒーローとちょっとだけ戦うシーンがある。このヒーローのビジュアルがわたしは大好きで、アレは非常にカッコイイ。今回の、ほんのちょっとの戦闘シーンも抜群にカッコ良く、アレ欲しいわマジで……と思うのだが、それはともかく、MCUフェーズ2が今回の『ANT-MAN』で締めくくられているので、MCUにおける今回の作品の位置付けはなにげに重要だと思う。
 
 そいうわけで、『ANT-MAN』はMCUにおいて意外と重要な作品なのだが、単体として観た場合、面白かったのかどうか。ズバリ、面白かった。いろいろな宣伝や事前レビューでは、等身大ヒーローとか、ヒーローとなる動機が「娘のため」という父と娘の物語、だとか言われているけれど、ま、そんな評価はどうでもいい。確かに、今回の映画では、2代目ANT-MANとなるスコット・ラングは「カッコイイパパであるため」にANT-MANになることを了解するのだが、それよりもなにより、彼がANT-MANとなったのは、正義感の強い彼が、義憤の末とはいえ犯罪を犯してしまい、元々頭も良くて運動神経も抜群なのに、前科者となってしまったことで職を得ることができず、困っていたからだ。たぶん、前科者であってもちゃんと雇ってくれるところがあれば、彼はANT-MANにはなっていなかったはずである。劇中でも、「そんなのアベンジャーズの皆さんに任せとけば?」という台詞もある。言ってみれば、「仕事」としてANT-MANになることを承諾した普通の男である。その点が、他のヒーローとは違う。
 もうひとつ、他のヒーローとちょっとだけ違う点がある。なんとANT-MANは、ピム博士の発明した謎システムによって、蟻――本物の昆虫の蟻――と意思疎通ができるのだ。この蟻んこ軍団の活躍も、見ていて非常に楽しい。もちろん、この謎システムもなんとなくしか説明されていない。なんでも、蟻は触覚からお互いの意思疎通電波(?)なるものを発していて、それを捕捉・発信できるシステムらしい。なんじゃそりゃ! と思わず突っ込みたいが、何度も言うけど、それでいいのだ。別に細かい仕組みなんてどうでもいい。蟻と意思疎通ができ、仲間として一緒に戦えるなんて、すごいカッコイイじゃんそれ! と、そういうものでいいのだ。だってこれ、漫画だよ? そこを突っ込んでもしょうがないというか、別に気にならないし。そういうことが許されるのがMARVELヒーローの特徴である。物語の流れとしては、まったく問題なし、である。

 物語上でわたしが気になったのは、やはり敵方の「イエロージャケット」開発に関しての流れだろうか。あそこは、もうちょっと説明というか描写があってもよかった。キーとなる生物の縮小化が、ピム博士でなくても実現してしまっているのは、ちょっと問題がある。あそこは、もうちょっと、「ピム粒子」あるいは「ピム粒子生成法」の争奪戦があっても良かったのではないか。「ピム粒子」は、IRONMANでいうところの「アークリアクター」と同じく、一番のカギであるので、ピム博士以外の人間には作れないものでないといけないと思う。ここが、『Age of Ultron』でのウルトロン、あるいはビジョンの誕生シーンと同様に、なんかよく分からないけどすごいの出来た! のようななふんわり描写しかないのがわたしとしてはやや不満である。あれって、ピム博士の家から盗んで行ったってことなのかな? そんな気もするが良く分からなかった。

 ちなみに、ピム粒子ってなんだ? という方に説明しておくと、そもそも縮小化を実現しているのは、ANT-MANスーツじゃなくて、ハンク・ピム博士が発明した謎の「ピム粒子」によるものである。「ピム粒子」を摂取あるいは投射されることで物体の縮小化が起きるわけで、スーツは、そのピム粒子を充填して逃さないためのものであるし、マスクも、縮小化した状態では酸素分子がデカすぎて摂取できず、また大気中の微粒子が肺に詰まってしまうから、かぶっているものであるそうだ。なんか変なところはリアルなのがまた面白い。あと、今回の映画化では、蟻んこサイズの「その先」の小ささについて、ちょっとしたカギになっているのだが、あそこの説明も、もはやファンタジーで、SF好きなY君はきっといろいろ文句を言うことであろうと思う。でもさ、「それを言っちゃあ、おしめぇよ」ということでご理解いただきたい。


 というわけで、切りがイマイチ良くないが結論。
 『ANT-MAN』は超カッコイイ。バカにしたY君もA嬢も、ちゃんと劇場に行きたまえ。
 そしてわたしは、ANT-MANスーツが欲しい!

 ↓ 今回の映画の前日譚だそうです。そうねえ……わたしが部決するなら3,000部ってとこか……。いや、今はもう市場が変わってもっと売れるのかな……。
アントマン:プレリュード(仮) (ShoPro Books)
ウィル・コロナ・ピルグリム他
小学館集英社プロダクション
2015-08-26

 去年の暮れに、とあるAndroid Tabletを購入して以来、わたしはすっかり電子書籍野郎になった。正直なところ、小説を読むには、やっぱりまだ紙の方の方がいいな、とは思っているが、電子で買えるものは基本的に電子書籍で買っている。が、ことコミック、漫画に関しては、もう完全に電子書籍の方がわたしには都合がいい。わたしにとっての最大のメリットは、「買ったものを置く・しまうための物理的空間を要しない」ことである。サイバーな元部下のY君は、わたしに何度もそのメリットを主張してくれていたのにもかかわらず、それがどんなに素晴らしいことか、実際に電子書籍を買い始めるまではちょっとピンと来ていなかったが、完全に昭和の男であるわたしも、今やすっかり電子書籍万歳派である。Y君としては、「だから僕は散々そう言ってきたじゃないですか」とあきれるしかなかろう。ごめん。まったく反論できない。悪かった。

 ただ、困ったことに、わたしの購入したTabletは、32GBのWifiモデルなのだが、MicroSDカード等の外部ストレージスロットがなく、拡張できない。そして、すでに電子書籍を今日現在583冊(そのうちマンガが500冊ぐらい)買っているわたしの場合、完全に32GBを超えてしまっているのだ。Y君は、「読むときにダウンロードして、もう読んだものは一回削除すりゃいいじゃないですか」と言う。いやいやいや、ちょっと待ってよ。オレは、いつでもどこでも、パッと読みたくなった時に読みたいの! と主張しても、「じゃあ、その時はテザリングでもすりゃいいじゃないですか」と全くの正論を言う。まあ、全くその通りなのだが、じゃあ、アメリカでも旅してる時にだよ、急に『JOJO』とか『北斗の拳』が読みたくなったらどうすんだよ! と軽く理不尽にキレてみても、「いや、だって絶対アメリカで使えるルーターとかSIMを用意して行くでしょ? 」としたり顔で言う。アッハイ。全くその通りなんだけどね。Y君とはこういう、全く不毛でほぼ意味のない会話をよくするのだが、大抵の場合、わたしがぐぬぬ……と負ける。実に腹立たしい。

 そして、こと面白いマンガ発掘に関してY君の目はなかなか確かで、かなりの数の作品を教えてもらっているのだが、今年の3月ぐらいに、Y君が「ちょっとこの作品、キてるような気がしてならないんすよね……」と教えてもらった作品があった。そして、お互い買ってみて、こいつは面白い! と意見が一致した作品がある。今日、その作品の2巻が電子書籍でやっと配信開始になったので、さっそく購入し、読み、抜群に面白かったので紹介したい。その作品のタイトルは『ノー・ガンズ・ライフ』という。


 集英社のコミックの場合、レーベルによってちょっとばらつきはあるみたいだが、だいたい紙の本が出てから1か月後ぐらいに電子書籍の配信を始めるようで、今日、2巻の電子版がやっと出てくれた。既に先月、本屋さんで紙の本で見かけたときは、くそーーー読みたい! すごく! ぐぬぬ……! と、いいからもう買って、後で置き場所がないことを後悔しても構わんッ! というところまでわたしの精神内部では葛藤があったのだが、深い意味もなくググッと我慢してしまい、やっと今日読むことができた。まあ、作品を応援するためには、紙でも買い、電子でも買う、というのが本来は一番正しいやり方だが、集英社を儲けさせてもアレだし、天下のウルトラジャンプの作品(※実はさっき、連載してるのはヤングジャンプじゃなくてウルジャンであることを知った)なら、そこまでわたしが応援しなくても大丈夫だろうと無責任に思う。ちなみに、「集英社のマンガ情報が全てわかるポータルサイト」というふれこみの「S-MANGA.net」では、ちょっとだけ試し読みができるので、気になる人はまずちょっと読んでみてほしい。直リンクしていいのかわからんが、URLはここだ→http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-890124-4.html 。2巻も冒頭の試し読みがあるが、1巻を全部読んでいないとほとんど意味不明だと思うので、URLはここに載せないでおく。

 で。どんな物語かと言うと、きわめて純度の高いハードボイルドSFである。「大戦」が終わり、戦時中に開発された「身体機能拡張技術」を施された「拡張者(エクステンド)」が街には存在していた。この「拡張者」とは、要するにサイボーグと思っていい。体の機能を機械と「補助脳」によって拡張した人々のことだ。そして、主人公の乾 十三(いぬい じゅうぞう)もまたその拡張者の一人であり、拡張者による問題処理屋として名の通った存在である。十三の一番の特徴は、その見かけであり、なんと頭は、「銃」の形をしている。ちょっと↑の書影が小さいので拡大してみよう。こんなの↓。
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 ちょっとカッコよくないですか? ビジュアル的に。で、この十三はつまり探偵みたいなもので、正統派ディテクティブ小説の作法通り1人称で語られるハードボイルドである。そして十三は、10年前の大戦中に軍によって施された「過剰拡張者(オーバーエクステンド)」の一人であり、処理前の記憶はなくしている元軍人だ。趣味は部屋の掃除、嫌いなものは子供と湿気(錆びちゃうから)。そんな十三は誰かから依頼を受け、基本的には誰かを守る、みたいな展開なのだが、最初は1話完結なのかと思ったが意外と話は続いていて、どうやら拡張者を生み出した大企業、ベリューレンという大きな敵に向かって話は進むようだ。
 とにかく、十三の言動がいちいちカッコよく、
 「酒と女は男を狂わせる。オレにはこいつ(=タバコ)で十分さ」
 「オレは依頼とその依頼人は必ず守る。特に報酬が未払いの場合はな」
 「てめぇの願いはオレが叶えてやる 「弾丸(ねがい)」は込められた」
 みたいな、まあカッコイイことを言うわけです。そして、十三の体は、ガンスレイブユニットというシリーズ製品(?)らしく、自分の頭の銃は自分では引き金を引けず(※上の絵ではわからないと思うが、後頭部にはグリップとトリガーがある。けど、自分の手は届かない)、「射手」、要するに相棒が必要らしいのだが、過去にどうやら相棒はいたらしいことはちょっとだけほのめかされているものの、まだ十三の過去は描かれていないので不明である。
 1巻は、最初の大きな話がひと段落したところまで、そして今回の2巻は、1巻を受けてさらに話は進み、「拡張者対策局」という警察的な組織との関係や、その局長でちょっと十三に気のある女子オリビエ、その部下で拡張者を嫌うクローネン、また先輩過剰拡張者の戦争の英雄(メガアームド斎・時定というおじいちゃん)といった新キャラも登場し、ますます物語は面白く、盛り上がってきている。そして2巻のラストも、非常に切りがよく、かつ次巻へのヒキもきっちりあって、とてもいいところで終わっている。
 この作品は、ひょっとしたら小説で読んでも面白いかもしれない。実際、なんだか海外翻訳小説のような雰囲気もあるし、わたしとしてはハリウッド実写化を切に望むが、やっぱり十三のインパクトを最大限に伝えることができるのは、日本の漫画というメディアであろうと思う。絵はまだまだ成長の余地があるとは思うが、現段階でも非常に完成度は高く、セリフのセンスも抜群にいい。また、コミックで一番重要な演出である、コマ割りも悪くない。この作品の今後を、最大級の期待をもって見守りたいと思う。

 というわけで、結論。
 『ノー・ガンズ・ライフ』という漫画は、「買い」です。
 非常に先が気になる、きわめてマンガ力の高い作品だと思う。
 
 ↓ うーん、やっぱり十三の頭の基本デザインは、S&W M36チーフススペシャル、だよね? かのフィリップ・マーロウも使ってた銃だし。

 これまでわたしは、まあ相当な数の映画を観ているが、エンドクレジットで、えっ!? と驚いたことが2回ある。もちろん、MARVEL作品のおまけ映像はどうでもいいので(いや、好きだし、マジか!と思うこともあるけど)、あれではないですよ。
 ひとつが、David Fincher の『SEVEN』だ。どう驚いたかというと、まあ、映画自体のストーリー、特に最後のオチも相当ショッキングで話題になったが、わたしはそれよりも、「エンドクレジットが上から降りてくる」ことに、非常にびっくりした。普通の映画は、キャストやスタッフなどのクレジットは、下から上に流れていく。しかし、『SEVEN』では、上から降ってきたのだ。気になる人は、ちょっとチェックしてみて欲しい。これまでに観た映画の中で、エンドクレジットが上から流れてくるのは、そりゃ他にもあるのかもしれないが、わたしは他に知らない。公開初日の日比谷(旧)スカラ座で観たが、マジでビビッたことを良く覚えている。 
 そしてもうひとつが、今日取り上げる『AMERICAN SNIPER』である。この映画のエンドクレジットは、まったくの無音、音楽一切ナシ、である。まさしく、黙祷をささげるにふさわしいエンドクレジット。Clint Eastwoodという男は、音楽の重要性を現役監督で一番分かっている男、そして映画音楽を最も巧みに操る男として、わたしは大ファンだが、またもすげぇ名作を完成させたのだ。わたしは数あるEastwood作品の中でも『UNFORGIVEN』『MILLION DOLLER BABY』が別格に素晴らしいと思っているが、『AMERICAN SNIPER』はその2本に並ぶ、スーパー大傑作、完璧な作品だと思う。
 
 この映画が公開されたのは、今年の1月。もちろん、超期待して初日に観に行ったのだが、当然、Dolby Atmos版を観た。アカデミー賞に6部門(かな?)ノミネートされたが、受賞したのは音響編集賞だけで、非常に残念だったが、DolbyAtomsでは戦場の臨場感をすさまじい音響で再現しており、見ごたえはさらに倍増していたと思う。
 ところで、なんで1月に観た作品を今頃取り上げるかというと、おととい観に行った『The SOUND OF MUSIC』に猛烈に感動したわたしは、結局昨日の帰りにヨドバシAKIBAに寄って、『The SOUND OF MUSIC』の公開50周年記念VerのBlu-rayを買ったわけで、その時に、つい、この『AMERICAN SNIPER』のBlu-rayも買ってしまい、今日改めて再び観て、またも大傑作であることを確認したからだ。ちなみに、 『The SOUND OF MUSIC』の映画もやっぱり素晴らしく、平原綾香ちゃんの声優振りも非常に上手で驚いた。歌の部分はもちろん素晴らしいし、普通の会話部分もまったく問題なし。ヤバイ。どうしよう。どんどん好きになってきたんですけど。
 ま、平原綾香ちゃんの話はどうでもいい。『AMERICAN SNIPER』である。 
 この作品も、実話というか実在の人間を扱ったものである。もちろん、映画としての物語という中では、事実と異なるところも多々あるだろう。例えば敵スナイパーのムスタファという男の射殺に至るシークエンスはまったく虚構であろう。全然関係ないが、「ムスタファ」と聞いたら、教養ある人間ならトルコの初代大統領を思い出すだろうし、映画オタクなら、100%間違いなく『STARWARS』を思い出すはずだ。思い出さない人間が映画好きを名乗ったら、笑われるぜ。そう、『Episode III』のラスト、暗黒面に落ちたアナキンと、オビ=ワンが最後の戦いをしたあの火山の惑星の名前も「ムスタファ」である。どうでもいいことが気になるわたしは、調べてみたのだが、「ムスタファ」とは、アラビア語で「選ばれし者」という意味なんだそうだ。オビ=ワンの悲痛な叫び「You were the Chosen ONE!! (お前は選ばれし者だったのに!!)」が耳に蘇るよね、こういう調べものをすると。
 いかん。どんどん脱線していく。

 『AMERICAN SNIPER』がスーパーウルトラ大傑作であることは、わたしにとっては疑いようのない事実なのだが、アカデミー作品賞と監督賞と主演男優賞を逃したのは、非常に残念に思っている。この映画について、本国アメリカや日本でさえも、戦争賛美だとか、戦争肯定だとか、なんでもそういう方向に話を持っていく残念な人々がいるようだが、それはもちろん観た人それぞれの感想であって、戦争賛美の映画だと思うなら、まあ、へえそう思うんだ、ふーん、と、おそらくそいつとは永遠に分かり合えないだろうな、と思うしかない。もちろん、反戦映画だと言う人もいて、それもわたしにはちょっとピンと来ない。そう思うのも自由なので、別に勝手にどうぞ、としか言いようがなく、実際のところ、そういう評価は別にどうでもいい。わたしが傑作であると思う作品というのは、ずっと忘れられないものであって、作中で描かれたキャラクターの生き方が、観た者の生き方において何らかの影響を与えるような作品のことだと思う。大げさかもしれないが、観た人の魂を揺さぶり、観た人の生き方を変える作品。そういうのを傑作というのだと思う。だから、この映画で、やれ戦争賛美だ、やれ反戦だ、という評価を下すのはどうでもいいから、だから何なんだ、観て、お前の生き方は何か影響を受けたのか? ということわたしとしては聞かせてほしい。
 わたしは間違いなく、この映画を観て、主人公Chris Kyleという男を知り、その生涯を知り、影響を受けた。わたしは彼を尊敬する。凄い奴だ。わたしより、ちょっと年下という点も恐れ入る。テキサスに生まれた彼は、おっかない父親に「この世には、人間は3種類いる。羊と狼と、番犬だ。お前は、羊を守る番犬、Sheepdogになるんだ」と言われて育つ。大人になり、軍とは無縁に暮らしていた彼も、1998年のケニアアメリカ大使館襲撃事件をTVで見て、入隊を決意する(このくだりは、事実なのか良く分からん)。そして9.11が起こり、Navy SEALs TEAM3に所属していた彼も、とうとうイラク出征のときが来る。Navy SEALsというと、最近ではTEAM6が有名だが、彼らは対テロ特殊部隊であり、Chris Kyleの所属するTEAM3は中東地区担当のチームである(※SEALsはTEAMごとに担当地域が割り当てられている。詳しくはWikipediaでも読んどいてくれ)。イラクで事が起きれば、海兵隊と共に真っ先に出陣する部隊だ。そこで彼は4回従軍し、殺害した人数が160人という、伝説の狙撃手として恐れられる(※仲間からも「Legend」と呼ばれてた)。しかし、当然、人間は人間を殺害することに対しては相当なストレスというか、高い心の障壁があるようで、これは『ヒューマン なぜヒトは人間になれたか』にも書かれていたが、飛び道具、要するに銃というものはその心の障壁をかなり低くする代物なんだそうだ。だが、160人も殺していれば、誰だって心がおかしくなる。そして、決してマシーンではなく、人間そものもであるChris Kyleも、当然おかしくなる。そりゃそうだ。そして、4回の出動から帰ってきたアメリカで、自分の子どもにじゃれ付く犬に、突如ブチ切れ、犬に襲い掛かってブッ殺しかける。その時の、はっと我に返る表情が、この映画一番の見所だとわたしは思った。羊を狼から守る番犬のつもりだったのに、オレはいつの間にか、狼になっていたのか? と自覚するシーンだ。この場面を指摘する同じようなレビューをWebで幾つか見かけたが、つくづく、アカデミー賞を獲れなかったことは残念だ。Bradley Cooperの演技は本当に見事だった。
 でも、ここがアメリカ的なのかな、と思うのは、そんな心のバランスを崩した夫に対して、奥さんが超冷たいんだよな……もうちょっと分かってあげてよと思うのは、男の身勝手なんですかね……。はっきり言って、奥さん役のSienna Millerの演技はフツーにいいレベルである。なので、別にわたしとしてはどうでもいい。が、ある意味無理解なといったら失礼かもしれないし、理解出来っこないのも当然だが、そんな奥さんとの関係に傷つきながらも、再び戦場に戻るChris Kyleの姿は、非常にレベルの低い話かもしれないが、わたしには日本のサラリーマンのようにも見えた。もちろん、サラリーマンは命を懸けていないし、職場で死ぬこともまずない。同等に語ることは、許されざる侮辱かもしれないが、信念に従って懸命に戦っているのに、その戦いの意味を見失いかけ、あまつさえ家族には理解してもらえない姿は、わたしにはもう、完全に自分に重なって見える。こう書くと、ちょっと自己陶酔に浸ってやしませんか? という自らの内なる声が聞こえてきて我ながら恥ずかしいけれど……。もちろんわたしは英雄でも伝説でもないし、おまけに言えば家族もいない、よく言っても普通のダメ人間だ。だが、わたしがこのChris Kyleという男の生き様に対して猛烈に共感できてしまったのは事実である。わたしも、そしておそらくはChris Kyleも、自分が当たり前と思っていることを当たり前に行っているだけなんだが、どうしてもそれは、他人にはそう映らないらしい。とある決着をつけ、帰国し、帰国したのに家に帰れず、奥さんに「I'm coming home」と電話で伝えた時の、Chirsの涙は、ちょっとした人生の岐路にあるわたしには、もう泣くしかないほど心に響いてくる。あんたは本当によく戦った。もう、おうちへお帰り。わたしは心から、そう言ってやりたいと思った。
 そして、除隊し、平和に生きるはずだったChrisを襲った悲劇。
 わたしは、エンドクレジットに、一切の音楽をつけず、黙祷をささげたEastwoodに対しても、深く敬意を表したい。Eastwoodは、自分で作曲もしてしまう男で、Eastwoodの映画は常に音楽が非常に良く、特に、エンドクレジットで流れる曲はいつも心に深く残るものなのだが(この点で『UNFORGIVEN』と『MILLION DOLLER BABY』は、すぐには劇場の椅子から立ち上がれないほどシビれる)、そのEastwoodが音楽をつけなかった。そもそも、本編内でもSEも最小限でほぼ音楽ナシ。明確に音楽が付くのは、最後の、あの実際の記録映像シーンだけ(まあ、あれもエンドクレジットの一部ではあるけど)。すごい決断だと思う。本当に、この映画は完璧だ。

 ちなみに、まったくどうでもいい豆知識だが、『AMERICAN SNIPER』というタイトルだが、意外とChris Kyleはスナイパー以外の、通常の近接戦闘・掃討任務もこなしているシーンが出てくる。これはWikiが正しいなら、事実らしい。まあ、狙撃手について知りたい人は、『Point of Impact』(邦題:『極大射程』)を読むといいと思います。狙撃主がどんな特殊な人種か良く分かると思う。映画版は、かなり面白いけど、まあ原作とは別物かな。時代が違うし。もちろん、映画は凄く上手に現代化してあるので、実際面白いです。
 あと、Navy SEARLsについては、『LONE SURVIVOR』も、主人公たちはSEALs隊員なので、見比べてもいいです。これは、SEALs創設以来最悪の悲劇といわれる、アフガニスタンにおけるレッドウィング作戦を描いたものだが、壮絶の一言に尽きる。この映画も、非常にクオリティは高い。こちらもぜひ観てほしい。ちなみに、まったく偶然だけど『極大射程』映画版も『LONE SURVIVOR』も、両方とも主役はサル顔でおなじみのMark Wahlbergです。

 というわけで、結論。
 もう言うことないな。完璧。『AMERICAN SNIPER』にはそれしか言えない。



 ↓ これが『極大射程』。ボブ・リー・スワガーという主人公で、実はこの主人公の作品シリーズはもうすでに結構な巻数出てます……が、最近のはあんまり面白くない。直近作はまだ読んでないや。
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扶桑社
2013-06-29

↓ こっちもお勧めです。
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2013-08-23





↓ こちらはすさまじく壮絶。とにかく全力で基地まで逃げるべきだったんだろうな……。
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マーク・ウォールバーグ
ポニーキャニオン
2014-09-02

 突然だが、この歌をご存じだろうか。
 「ド~はドーナツのド~♪ レ~はレモンのレ~♪」 
 もちろん知ってるだろうと思う。おそらくは、日本人の97.5%ぐらいは確実に知っているであろう、「ドレミの歌」だ。総務省統計局のWebサイトで公開されている「日本の統計2015」によると、現在の日本の人口は127,298千人で、そのうち0~2歳児が3,151千人で2.5%である。まあ、そのぐらいのちびっ子は除外するとして、残りの97.5%の日本国民は全員知ってるのではないかと、まあ根拠なく思ったのである。
 でも、実際のところ、その97.5%のうち、この歌がそもそもは、とあるミュージカルの劇中歌であることは、半分以上の皆さんは知らないのではなかろうか。また、そのことを知っていても、おそらくはさらに半分以上の方は、映画化された方をオリジナルだと思っているのではないかと思う。これも根拠はないですが。
 というわけで、わたしが昨日観てきたミュージカルは、劇団四季による『サウンド・オブ・ミュージック』である。 
   
 たいていの人が、ああ、映画は観たわ、と言うかもしれないが、そもそもは、ブロードウェー・ミュージカルがオリジナルである。 音楽は、Richard RodgersとOscar Hammerstein IIのゴールデンコンビで、 今年の初めにKEN WATANABEこと渡辺謙のブロードウェー挑戦で話題となった『The King and I』「王様と私」もこのコンビによる作品であり、誰もが知っているいろいろな曲が、実はこの二人の作品だというものがたくさんあるすごいチームだ。『サウンド・オブ・ミュージック』でも、もちろん多くの歌が生まれ、「ドレミの歌」だけでなく「エーデルワイス」もそうだし、「わたしのお気に入り」も、たぶんこれはJR東海の「そうだ、京都、行こう」のCMで使われている曲なので、歌の歌詞は知らなくても曲は絶対に、誰もが知っていると思う。「エーデルワイス」なんて、え、どこかの国の民謡的なものじゃないの? と思っている人だっているような気がするが、実は『サウンド・オブ・ミュージック』から生まれた歌なのだ。
 そんな名曲だらけの『サウンド・オブ・ミュージック』だが、実のところ私も映画しか観たことがなく、今回が初のミュージカル版の観劇となった。そして、あらためて劇団四季のすごさを実感するに至ったのである。いやもう、ホントにブラボー。素晴らしかった。子役も先生も、とても魅力的で、もうね……抱きしめたいわもう! ――っと、これ以上言うと完全に事案発生→逮捕なので、サーセン自制します。

 というわけで、大いに感動し、なんだかもう非常にうれしくなってにやけて(※我ながらキモイ)帰ってきたわけであるが、帰りの電車内でいろいろ調べてみた事実をちょっと備忘録的に記してみよう。
 まず、第一に、この作品は実話がベースになっているということ。これは、大変恥ずかしながら知らなかった。ただ、相当な脚色によって、遺族・関係者はえーーっ!? と思ったらしいが、まあ、インスパイアされた実話があったという事らしい。舞台は1930年代後半のオーストリアである。ちなみに、それだけでもう、悲劇が想像できないと、最低限の教養はあるとは認定できないが、要するにナチスが確実に物語でからむであろうことは想像に難くない。まあ、実際にそうなる展開なのだが、一人の修道女希望の女子が、修行のため(?)に近所の軍人邸に家庭教師に出向くことになる。そこでは、厳格なしつけをなされた7人の子どもがおり、母を亡くし、父はオーストリア海軍の軍務で忙しく、と、愛に飢えた子どもたちであった……という話なので、ここから先は展開が想像できると思う。おそらくは、その想像通りの展開で合っていると思うよ。なお、正確には「退役軍人」なので軍務で忙しいわけじゃないみたい。

 ところで、どうでもいいことが気になるわたしとしては、オーストリア、当時のオーストリア=ハンガリー帝国……って海に面してないよな? 海軍って、あったんだ、いやそりゃあったんでしょうな? という事が気になり、調べてみたところ、どうやらトリエステなどのアドリア海沿岸の一部はオーストリア領だったらしい。へえ~。しかも、第1次世界大戦では、潜水艦部隊が対イタリア戦で活躍したんだそうだ。へえ~。そうなんだ。しかもこの物語の軍人さんも潜水艦乗りで、英雄として実際に有名だったらしく、その名声をナチスは欲しがっていたということらしい。
 で、先生と子どもたちの心の交流があり、その軍人さんと、先生としてやってきたヒロインが出会い、まあ、出会ったらそりゃ恋をしますな。そこからの展開は、まあ、観ていただいた方が良かろう。何ともほほえましく、おっさんとしては、ええのう……とつぶやかざるを得ない。そしてまあ、予想通りナチスが絡んでくるわけだが、この辺の展開は、『最後の授業』を少し思わせるものだった。
 『最後の授業』って……知らない人はいないよね? 大丈夫? なんとなく大丈夫じゃないような気がするので、ちょっとだけ説明しよう。この作品は、小説なんだが、教科書にも入っている話なので(少なくとも私は教科書で読んだ)知っている方は多かろうと思う。舞台は1870年代のフランス、アルザス地方の片田舎。これだけでピンと来たら、十分に教養アリとして合格。そう、アルザス・ロレーヌ地方といえば、1871年の普仏戦争で、敗戦国フランスがプロイセンにぶん捕られた部分だ。ストラスブール(ドイツ語でシュトラースブルク)が有名な街ですな。要するにこの小説は、超適当に要約すると、プロイセンに併合されるので、フランス語の授業は今日が最後、明日からはドイツ語の授業をやりまーす、だけど、フランス語は世界一美しい言語なんだぜ、と先生が最後の授業をするという感動作である。あれっ!? ちょっと待って。今、Wikipediaで調べたところによると、1985年以降の日本の教科書には採用されてないだと!? てことは、40代以上じゃないと知らないか……マジかよ……。サーセン。てことは知ってる人の方がもはや少ないか。時代は変わったのう……。
 まあ、そんなことはともかく、その後の展開の方が、実話の方では重要で、おそろしい苦労があったのだろうという事は想像できる。その点は『サウンド・オブ・ミュージック』においては、まあ、美しくふわっとしか描かれていないので、遺族も驚いたんだろうと思う。ただまあ、ミュージカルあるいは映画版では、そこを重くリアル描いても前半の美しい物語が損なわれるので、やむなしと割り切っていいのではないかと思う。遺族の皆さんには若干心苦しいが。

 で。わたしは劇団四季の作品を観るのは、これで4作目。熱心な四季ファンの方から見れば、全くのド素人同然の身分である。しかし、劇団四季は素人でも、これまでに数々のミュージカルやストレートプレイ、あるいは映画などを観てきたわたしには、明確にわかることがある。それは、劇団四季という集団が、きっちりと訓練された明確なプロフェッショナル集団である、ということだ。わたしが思うに、日本演劇界の中で、本当のプロ集団と呼べるのは、宝塚歌劇と劇団四季だけだ。この2つの団体は、共通点と相違点があって非常に対照的である。(※本当ならここに、歌舞伎も加えるべきだという事は十分承知している。けど、恥ずかしながら歌舞伎は2回しか行ったことなくて、まだ全然勉強不足なの……ちゃんと歌舞伎も勉強せねば……)

 まず共通点は3つある。ひとつは、きっちりと訓練されたプロであり、キャストの力量にあまりばらつきがないことである。もちろん、主役級とアンサンブルメンバーでは経験の差があるので力量も違うが、少なくとも、普通のいわゆる劇団に見られがちな、ばらつきはない。あの人うまいけどあいつは全くダメだな、というのがない。舞台に上がっている全員が、非常にレベルが高いのが共通点の一つ目である。もう一つは、専用劇場を持っていることだ。専用劇場を持っていることは、ハコの都合を考える必要がなく、ロングランできるというメリットがある。ロングランできるという事は、舞台装置や衣装にも金がかけられるということだ。それは非常に大きいことで、その結果、きっちりと利益が出る=黒字になるということである。 以前にも書いたが、赤字は明確に悪である。赤字では、プロとは言えない。素人だ。そして3つ目の共通点は、そのロングランを支える土台でもあるのだが、劇場稼働率が高い=空席率が低い=常に満席に近い=リピーターが多い、という点である。まあ、どちらが先かという気もしなくもないが、劇場稼働率の高さは、たぶん知らない人が聞いたら驚くと思う。その数字を公開するわけにはいかないが、最近行った映画の、客の入りを思い出してほしい。6割でも入っていたら、結構すごい入ってるなーと感じるのではないか。それだけ 高い集客ができるコンテンツは、わたしが知る限り宝塚歌劇と劇団四季が日本の最高峰だ。もちろん、普通のコンサートやイベントでも、くそー! チケット取れなかった! という事はいっぱいあるが、1Dayや3Daysのイベントなら、そんなのは当たり前だ。1年間、ほぼ毎日満席に出来るのは、宝塚と四季以外にはないと思う。

 一方で、明確な相違点が一つある。それは、役者に対する思想の違いである。 非常に対照的で、宝塚が誰もがご存知の通り「スター・システム」を採用し、特定のTOPスターを設定し、しかも定期的にそのTOPを入れ替えることで長きにわたってファンを育成しているのに対し、四季の場合は、まず役者の個性を消すことから訓練が始まるんだそうだ。つまり、四季にはスターは不要である、という思想である。これは、独特の「母音法」という発声から始まり、徹底的に、誰もが同じことができるように訓練されるらしい。もちろん、誰もがというのは言い過ぎかもしれないが、一つの演目で主役を演じる役者は、ダブルキャストどころか5人ぐらいいるのもあたりまえの状況だ。1998年からずっとロングランを続けている『ライオン・キング』の主役が、これまでに延べ何人になるか、調べてみようと思ったが、データがなくてわからなかった。18年×4人=72人×(1-重複率30%)として、少なくとも50人以上が同じ役をやっていることになる。こりゃすごい話だよね。もちろん、宝塚も、同じ演目の再演はあるので、同じ役を別の人がやるというのは当然ある話だが、ずっと連続してロングランをしているわけではなく、ちょっと比較はできない。実際、劇団四季は誰もが知っているのに、四季の役者さんとなると、知っている人は全然いないでしょ。まあ、それを言ったら宝塚も一部のファンの人でないと、宝塚のスターを知っている人も全然いないので同じかもな……。
 いずれにせよ、役者の人気に頼らないという劇団四季の思想は、その創立者の一人である浅利慶太氏の思想であるようだが、ややもすると、牛丼チェーンやファミレスチェーンのような、どこでも同じ味、と同じでは? と思われるかもしれないが、食べ物のように、絶対に必要で、あったから入る、というものでは断じてない。ズバリ言えば、なくてもいいし、別の代替えが効くエンターテインメント業界というものは、明確に、「観たい」「また行きたい」という意志と、それなりに高いチケット代を払ってもいいという意志を持ってもらうことが必要だ。それは、高いクオリティと、それによる満足を与えられるかどうかにかかっている。劇団四季と宝塚歌劇は、方法論は対照的だが、結果的に同じく成功している、日本における最高水準のエンターテインメントなのである。

 ところで。昨日わたしが観た公演では、主役のマリア先生は鳥原ゆきみさんという方が演じていたが、この方は元タカラジェンヌだったそうだ。とても可愛い、そして歌が抜群に上手な素敵なマリア先生だった。そしてもう一人わたしが非常に気に入ったのは、7兄弟の長女、リーズルを演じた長谷川彩乃さんである。もうね、すっげえ可愛い。歌も超うまい。いくつぐらいの役者さんか全くわからないのだが、たぶん、わたしの娘でも全くおかしくない年齢だと思う。あんな娘がいたら、父としては溺愛せざるを得ないだろうな……。本当に、素晴らしかった。

 というわけで、結論。
 劇団四季は、やっぱりすげえ。本当のプロ集団だ。この『サウンド・オブ・ミュージック』は、今年の東京公演が始まったばかりなので、まだ当分上演されるんだろうと思う。子持ちのみなさん、絶対に観に行った方がいい。絶対に感動すると思う。わたしも、また観に行きたいと思っている。


↓ ジュリー・アンドリュース版公開50周年だそうで、ううむ……こいつは買いかな。最新日本語版では、平原綾香さんがマリア先生を演じている。またひどい中傷めいたレビューがいっぱいあるようだが、わたしは十分アリだと思う。なぜなら、わたしは平原綾香さんが結構好きだからだッ! 文句ある?
サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray]
ジュリー・アンドリュース
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2015-05-02


↓ 平原綾香ちゃんVerの「ドレミの歌」。わたし的にはアリ。

 今日はこれから出かけて遅くなるので、今後の自分の予定をメモって終了します。

 【映画】
 『ANT-MAN』 超期待。ムビチケ購入済み。今週末。
 『FANTASTIC-4』 評判は悪いみたいだけど超期待。ムビチケ購入済み。 10/9公開
 『図書館戦争―THE LAST MISSION―』10/10公開。観ます。
 『GAMBA ガンバと仲間たち』10/10公開。日本の3DCG技術の確認のために観るかも。
 『The Divergent Series:Insergent』10/16公開。原作はクソだった。どうすべ・・・。
 『Maze Runner:The Scorch』10/23公開。原作は前作しか読んでない。どうすべ・・・。
 『The Visit』10/23公開。シャマランのクソ映画ファン待望の新作。観るべし。
 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN II』10/31公開。超期待。
 『EVEREST 3D』11/6公開。超期待。
 『The Monuments Men』11/6公開。G・クルーニー監督主演。観る・・・かな。 
 『The Man from U.N.C.L.E.』 11/14公開。ガイ・リッチー監督新作。観るか?
 『The Hunger Games:Mockingjay-Part2』11/20公開。まあ最後まで付き合うよ。
 『レインツリーの国』11/21公開。観ます。
 『STARWARS Episode VII:The Force Awakens』12/18公開。生きててよかった!

 【ミュージカル】
  劇団四季『Sound of Music』 今日これから行く。
 「宝塚星組公演」チケット手配済み。行くべし。
 「宝塚花組公演」行くと思う。
 『Prince of Broadway』シアターオーブ。チケット入手済み。行く。

 【本】
 トム・ロブスミスの「捜査官レオ」シリーズ×5.5冊
 電撃文庫・川原礫、佐島勤の新刊(10月、11月、12月予定)
 フィリップ・K・ディック『高い城の男』電子書籍で買う。Amazonにてドラマ配信予定。

 【絵画展・博覧会】
 「モネ展」 東京都美術館にて。9/19より
 「春画展」永青文庫にて。9/19より。エロイラストの起源を勉強すべし。
 「始皇帝と大兵馬俑」国立博物館にて。10/27より。ちょっと気になる。
 「過去5万年間の時をはかる」科学博物館にて。9/8~10/12。ちょっと気になる。

 【ゲーム】
 「STARWARS Battlefront」11/19発売。このためにPS4を買うか超悩み中。
 ↓ このクオリティ、信じられる? 実写じゃないよ。CGだよ?


 とりあえずこんなところです。

 というわけで、結論。
 けっこう金がかかるのう……。
 ↓ しかし悩む……こいつを4K-TVでプレイしたら、すごいことになると思うんだ……。


 日本でもおなじみのゲームキャラが地球を攻めてくる!
 ということで、予告からして話題になった『PIXELS』だが、映像面では物凄いのは間違いなく、もちろん、わたしも作中に出てくるゲームはだいたい知っている(意外にも知らないキャラもいっぱい出てきた)おっさんであるので、こいつは楽しそうだと思って見に行ったのだが……結論を言ってしまうと、まあ、なんというか、完全に一発ネタムービーであった。正直なところ、オタク度でも、物語でも、もうちょい工夫が欲しい。しかし、この映画には原作キャラへの愛と、そして魂があるのは間違いない。日本の映画製作者はこの映画を観て、ちっくしょーーー!! と地団駄踏んでしかるべきだ。

 ↑ この予告で示されるように、映像はものすごい。とてもじゃないが、日本のCG技術では不可能だ。 また、何よりこの映画ですごいのは、任天堂、ナムコ、コナミ、タイトーといったゲームメーカーがよくOKしたな、という点である。日本でやろうとしても、無理なんじゃなかろうかという気がする。やれるのかな? ハリウッドだからこそのOKなのか、そこのところは関係者に聞いてみたいものだ。
 ゲームキャラクターが登場するといえば、 2012年に公開された『Wreck-It Ralph』(※日本公開は2013年、邦題は『シュガー・ラッシュ』)を思い出すが、あれも、日本製ゲームキャラ満載で、まさかベガとザンギエフが日夜悪役稼業に悩んでグループセラピーに参加しているとは、という驚きを提供してくれたが、あの映画は、ドット絵で描かれる懐かしキャラと現代ポリゴンCGで描かれるキャラの双方が入り混じって、全体のトーンは3DCGで描かれたアニメーションだったが、今回の『PIXEL』は、実写とドット絵キャラの戦いである。やられるとボロボロと崩れるピクセルというかポリゴン(Y君曰く、ああいうのは「ボクセル」というらしい)の表現はすさまじいCG技術と言ってよいだろう。ありゃすげえ。

 しかし。残念ながら、ストーリーはまるで見るものがない。ズバリ言うと、予告で示される映像ですべて語られていると言ってもいい。まったくもって予想通りの展開であり、そこに驚きや、マジか! いいぞもっとやれ! という熱くさせるものは皆無であった。
 物語上の問題点として、地球に攻めてくるエイリアンの姿が一度も出てこないのが、わたしとしては不満である。いや、もちろん、予告編の通り、ギャラガやパックマンのキャラが出てくるのだが、あれは宇宙人そのものではなくて、ある意味、侵略兵器である(そうだよね? 違うのかな?)。侵略してくる宇宙船の母船の中に、きっといるであろう、謎のエイリアンたちの姿を出してほしかった。例えばそれが何かのゲームキャラの姿をしていてもいい。主人公たちとのファイナルバトルは、ちゃんと宇宙人そのものであってほしかった。そして、負けたぜ! お前たちの勝ちだ! と最後はグッと握手でもして分かり合ってほしかったのだが、残念ながらそんなシーンはない。最終バトルとなる「ドンキーコング」対決では、当然主人公は勝つわけで(いや、観てない人も負けるわけないと思うでしょ? これネタバレじゃないよね?)、その勝利のカタルシスが非常に薄いのがわたしとしては残念に思った。たぶん、これは、敵側のキャラクター性が見えず、きわめて無機質だからだと思う。敵側に対する思い入れの持ちようがないのだ。

 それと、主人公の友達の、陰謀マニアのキモオタ野郎は、もうちょっと使い道があったと思う。正直、まるでいらないキャラになっているし、若干、主人公のもう一人の親友(そういえば成長後の彼の職業には驚いた。なんで、どうやってその職に就いたんだ?)と、キャラがかぶってる。もう少し、面白くできたと思うのだが……。あと、このキモオタ野郎がずっと恋い焦がれていた女子ゲームキャラがいるのだが、そのキャラについてはわたしも知らないキャラで、何のゲームなんだろうとさっきパンフレットで確認したら、この映画用のオリジナルキャラだと。分かってねーなー。彼女こそ、まあ何でもいいけど、ピーチ姫でも、春麗でも、この女子キャラこそ、誰もが知ってるゲームキャラにしないとイカンでしょ、などと無責任に思った。まあ、春麗だと時代が違うか……。でも……誰も知らない映画オリジナルキャラはないだろ……。全然感情移入できない。

 以上のように、まあ、物語上では文句の付けどころはそれなりにあるが、とにかく映像はすごい。ので、これはこれでアリか、とわたしは納得することにした。今回は、監督や役者についてはもう触れない。しかし、「ゲームキャラが攻めてきたら面白くね? テトリスブロックが降ってきて、がしゃんと建物が1ライン消えたら最高じゃん?」という一発ネタをここまでの映像で見せることができたのは、監督や脚本家といった、この映画にかかわる製作陣の努力と熱意のたまものだ。その点は、大いに尊敬に値する。絶対に、今の日本ではできないことだから。
 
 というわけで、結論。
 物語はないけれど、この作品には魂はあると思う。その魂は確かに受け取った。


 ↓ 『Wreck-It Ralph』(シュガー・ラッシュ)は、まあまあ、わたしとしては特に好きでも嫌いでもない。
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2013-07-17

 

 わたしの家に、40年以上前から本棚に置かれている小説がある。この小説は、わたしの三兄弟全員が、だいたい小学生4年から6年ぐらいに一度は読んで、読書感想文のネタにする小説だ。
 作者は、アレクサンドル・ベリャ―エフというロシア人で、19世紀末に生まれ、第2次世界大戦の最中に亡くなっているロシアSF界の大家で、いわゆる知る人ぞ知る作家である。
 この人の一番有名な作品は、たぶん『ドウェル教授の首』という作品で、ずいぶん前にわたしは東京創元SF文庫の復刊フェアみたいなので買って読んだことがあり、その本を読んだとき、なーんかこのベリャーエフって聞いたことがある作家だなーぐらいの記憶で調べてみたら、なんとわれわれ三兄弟が読んだ、あの作品の著者じゃんか、ということが分かって驚いたことがある。
 その作品が、昨日から今日にかけて読んだ、『永久パン』という作品である。 
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 ↑こんなやつ。 
 版元は児童書の専門出版社である岩崎書店だ。判型はB6判で定価は380円である。この本がいつからうちにあるのか、わたしもさっぱり記憶にないが、たぶん一番上の兄が買ってもらったものだと思う。奥付を見てみると、発行は1963年11月20日となっている。わたしも生まれていないころだ。真ん中の兄もまだ生まれていない。一番上の兄さえまだ赤ん坊だ。ということは、よくわからないが、初めての子供が生まれてテンションの上がった親父が買ったものなのかもしれないし、一番上の兄が小学生の頃に課題図書にでもなって買ってもらったのかもしれない。また、この本は「ベリヤーエフ少年空想科学小説選集」というシリーズの第6巻なのだが、他の巻は、うちにあったのかもしれないが読んだ覚えはないし、現在はこの『永久パン』しか残っていない。

 で。
 なんでまた、今この本を読んでみようと思ったかというと、昨日『BLACK HAWK DOWN』を見て、もしこの地球上から「飢餓」がなくなったら、人類の歴史から戦争は消えてなくなるんだろうか、とふと思ったからである。まあ、小学生並みの考えではあるけれど、確かそんな小説があったな、そうだよ、『永久パン』だ! と思い出したからである。人は、基本的に満腹になると、大抵のイライラやストレスは一時的には消えるものだと思う。眠くなるのも生物として自然な反応だ。食い物さえあれば、意外と平和になるんじゃね? というのは、誰しも一度は夢想したことがあるんじゃなかろうか。

 改めて読んでみて思い出したが、この小説が描く、「満腹の世の中」は決して平和ではない。あらすじは、冒頭の「はじめに」というページにこの本の翻訳者によってかなり明確に書かれていて、しかもネタばれというか結末まで書かれているので、それを引用してみよう。どうせ、みんなこの本を読まないでしょ?

 「『永久パン』は1929年の作、舞台はドイツになっています。プロイエル博士は、微生物から人間がいくら食べても、あとからあとからふえてくる「永久パン」をつくって、人類を飢えと貧困から救おうと志し、ついにそれを作ることに成功する。しかし、博士の期待に反し、人間はただ食べることだけでは満足しなかった。彼らの欲望はいっそう激しくなって、たがいに争い、殺しあうようになった。おまけに、博士の発明は資本家に盗まれ、独占されて、労働者の状態はいっそう惨めになった。不幸はそれだけではない。気温が上がるにつれて、「永久パン」は異常膨張をはじめ、ついに地球いっぱいにあふれて、人類を滅亡させそうになる。そして、すべての罪はプロイエル博士の上にかぶせられた」

 こんな物語である。わたしもよくもまあ、こんな小説を小学生のときに読んだものだ。 この本の訳者による解説によれば、要するに、だから資本主義はダメなんだ、というソヴィエトの思想の影響を受けているらしいのだが、それが正しい解釈なのかどうかはともかく、この物語はやけにリアルであり、人間の本質(と言ったら大げさかもしれないが)を描いているがゆえに、だから共産主義も夢に過ぎない、ということも同時に言えそうな気がする。いずれにせよ、物語後半の、「永久パン」がどんどん増殖するさまは、子供心に相当恐ろしいイメージを与えたことは覚えている。全然関係ないが、80年代アニメの代表作、『うる星やつら』に、とろろイモが攻めてくる話があって、シャワーからとろろがにゅるーりと出て来るシーンがあるのだが、それを見たときも、これはあれだ、「永久パン」だな、と思った覚えもある。『うる星やつら』のこの話では、最終的にどういうオチでとろろを撃退したか、すっかり忘れちゃったな……。覚えている人はぜひ教えてください。

 まあ、結局のところ、「永久パン」的な食料が発明されても、戦争はなくならないし、人類は決して幸福にはならないのだろう。『BLACK HAWK DOWN』の冒頭でも、せっかくの国際救助物資がすべてアイディード将軍に略奪されてしまうシーンがあったように、食糧供給を図ってもそれをいきわたらせるのは難しく、そう簡単には解決になりそうもない。
 じゃあどうすればいいのか。わたしには解決策は思い浮かばない。でも、そうだなあ、やっぱり、人類を救う道は「教育」しかないんじゃないかなあ……。もちろん、わたしのいう教育は、現代日本の受験教育だけではなく(それはそれで必要。わたしは受験教育肯定派)、もっと、人間としてやってはいけないことがあるということをしっかり心に刻ませることも含む。もちろんそれが洗脳になってしまったらマズイわけだが、それでも、人間に普遍的に共通する心をきちんと教えていくことはできるんじゃないかと信じたいものだ。災害が起きると、よく海外では暴動になって略奪が始まるけど、日本は悲惨な出来事が起きても、そんなことにはまずならない。それは、日本の教育レベルが高いからだと思うんだが、その教育を行き渡らせるのが難しいわけで、うーーーん……どうしたらいいんだろうなぁ。。。

 というわけで、結論。
 久しぶりに読んだ『永久パン』は、やはり恐ろしく、覚えていたよりもずっとリアルなSFでありました。これは子供の頃に読んだほうがいいと思うな。いろいろ、示唆に富んだ優れた小説だと思う。


 ↓ 冒頭で言った、わたしが持ってる文庫がこれ。すげえ面白い。超SF。
ドウエル教授の首 (創元SF文庫)
アレクサンドル・ベリャーエフ
東京創元社
1969-01



 

 その映像を見ただけで、あ、これはあいつが撮った映画だな、と分かる監督が、わたしの場合数人いる。この『BLACK HAWK DOWN』という2001年に公開された大傑作を撮ったRidley Scottも、その中の一人だ。おそらくは、光と影とスモークを自在に操るという点では、世界最高の技術とセンスを持つ監督だとわたしは思っている。出世作の『Alien』における、見えそうで見えない影の演出と、ところどころで吹き上げる蒸気、もちろんそれは『Bladerunner』のような未来世界や『Black Rain』のような現代の大阪でも常に発揮される、Ridley Scottの目印だ。最近でははっきり言ってイマイチな作品が続いているが、世界最強監督の一人であるという評価は、いまだ変わらない。

 というわけで、今日は久しぶりに『BLACK HAWK DOWN』を観た。というのも、この14年前の映画に、A嬢が現在イチオシのTom Hardyが出ていることを知ったからだ。ちなみに、エンドクレジットではThomas Hardyと表記されていた。役名はトゥオンブリーという若いレンジャー隊員で、物語のメイン目線のひとつであるエヴァーズマン軍曹(演じるのはJosh Hartnett)の部下の一人である。途中で、エヴァーズマン軍曹と離れ、車両隊にも置いてけぼりにされ、仕方なくブラックホーク墜落現場へと先行したエヴァーズマン軍曹たちと合流しようと仲間二人で移動を始める、劇中で唯一、コメディタッチとまでは言わないが、ちょっとおかしな珍道中をする二人組のうちの一人である(ここまで書けば、観てみればすぐ分かると思うよ)。ちなみにこの二人組は無事に合流できるのだが、途中でTom Hardy演じるトゥオンブリーが相棒の耳元でライフルを乱射して、相棒はその後ずっと耳が聞こえなくなってしまう。あの二人組の一人である。
 
 わたしは当然、この映画は公開時に劇場で観ているし、その後もおそらくは7,8回は観ているのだが、観るたびにいろいろ発見がある。まあ、今回観るまでは、Tom Hardyがどんな役で出ていたかも覚えておらず、というかそもそも出演していたことも知らなかったわけで、観てみたら、あ、なんだ、トゥオンブリー役だったのか、とあの特徴のある唇で一発で分かった。でも、体つきはすごく華奢で、今現在はマッチョ系であるTom Hardyと同一人物とはちょっと思えなかった。あと、何度観ても、登場人物が多くて、名前もいっぱい出てくるので、なかなか覚えられないのだが、冒頭の、出撃前の各隊員のリラックスした表情を追うシーンが、後の戦闘でそれぞれ戦死したり、キーになるキャラクターばかりを追っているので、冒頭で出てくる名前と顔は、なるべく覚えておいたほうがいい。特に、冒頭ではチラッとしか出てこないランディ・シュガートとゲイリー・ゴードンという二人の隊員は覚えておいて欲しい。
 この映画は、冒頭に示されるとおり「BASED ON AN ACTUAL EVENT」、すなわち実話を基にしている。ゆえに、物語は存在していない。起こった出来事を、極めてクールな映像で、そしてRidley Scott独特の光と影とスモーク(今回は砂埃)によって再現した、戦争そのものを描いたスーパーウルトラ大傑作である。

 部族衝突を始まりとして、30万人の餓死者を出したソマリアの「内戦」に対して、国連は当然介入するもパキスタン兵が虐殺される事態を経て、とうとうアメリカが本気を出すことになった。が、どうしても首都モガディシオを制圧するアイディード将軍を捕らえることが出来ない。3週間で帰るはずのアメリカ軍はどんどん泥沼にはまっていくわけだが、その始まりとなった戦闘が舞台となっている。当初、1時間もかからず終わるはずだった作戦が、どんどん崩壊していくさまは、見ていて本当に恐ろしい。まったくもって、待ったなし。とても個人の力でどうなるものでなく、一瞬も止まることのない情勢の中で、投入された軍人たちはとにかく目の前の民兵を撃ちまくるしかない。もちろん、だからと言って、ソマリアの民兵(=要するに訓練を受けた軍人ではないし、普通の住民も含まれている)が悪役なのではない。お互いの正義があり、そこには正邪の区別はない。だから、ソマリアのとある男が言う。「This is Civil War. Our War, Not Yours」と。
 しかし、冒頭の字幕で示されるとおり、「飢餓を武器にした」ことで、30万人の餓死者を出したアイディード将軍はもちろん許される存在ではない。アメリカは、人道的に許せないから戦ったわけだ。このアメリカの行動を、我々は傍観しているだけでいいのかどうか。他人の国の内戦なんだから、ほっとけばいいじゃん、で済む話なのか。それは、見る人に容赦なく突き刺さる問いかけだ。東京ドームが満員になれば、だいたい55,000の人で埋まる。その6倍の数の死者が出ている。東京ドーム6杯分の死者。しかも餓死だ。それがどれだけ恐ろしいことか、どんなに想像力にとぼしいゆとり世代にも、分かることだろう。誰かが止めないといけない。でも、その誰かって、誰だよ。そういう話である。

 というわけで、結論。
 とにかく、この映画は本当に恐ろしい。14年たった今でも、モガディシオは地球上で人命が最も軽い場所のひとつだ。しかし、この映画から目を背けては、決してならないと思う。


 ↓ やっと日本版のBlu-rayが出た。わたしが持っているBlu-rayは、当時まだ日本で発売されていなかったので、ハワイでA嬢に買ってきてもらったUSA版です。
ブラックホーク・ダウン [Blu-ray]
ジョシュ・ハートネット
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2014-11-12



 

 今回はもう、結論から言う。『ジョジョリオン』のセリフをパクって表現すると、
 「グロ注意ッ!! グロ注意ッ!! 頭がブッ飛ぶぞォ!
 今日わたしが見た映画、『Kingsman:THE SECRET SERVICE』という映画は、そういう映画であった。

 本作は、アメリカ版予告を見たときから、こいつは観ないとな、と思うほど、わたしは期待していた。なにしろ、監督はあの『Kick Ass』で一躍注目を浴び、その後、X-MENムービー最高傑作とわたしが認定している『X-MEN: The First Class』を撮ったMatthew Vaughn監督である。バリバリのイギリス人である彼が、英国スパイムービーを撮るなら、もう行くしかなかろう、というのがわたしの判断であった。 おそらくは、X-MENの大成功で、FOXに可愛がられて、ご褒美をもらったんだろうな、とわたしは思っていた。
 だが、わたしはすっかり忘れていた。
 コイツがあの『Kick Ass』を撮った男であることを。
 そして、事前調査を怠っていた。
 『Kingsman』は『Kick Ass』と同じく、Mark Millerによるアメコミの実写映画化であったのだ。よく考えたら、同じMark Millerの『Wanted』(※Angellina Jolie や James McAvoy主演の、弾丸の軌道を曲げるあの映画)にもちょっと共通した話だった(※なお、Mark Millerはスコットランド人なので、正確には全然アメコミではない、か)。
 ウカツ! そんなことに気付かずに見に行ってしまったとは!
 なので、これを読んでくれている皆さんにはどうでもいいことだが、わたしは今、非常に自分に対して頭に来ているのである。

 何をわたしが言っているか、わからない人に説明しよう。
 まず、Matthew Vaughnの出世作たる『Kick Ass』だ。この映画は、日本でも公開時話題になったハチャメチャヴァイオレンスムービーである。先に述べた通り、Mark Millerなる男によって創作された、いわゆるグラフィックノベル(=まあ要するに漫画)の映画化である。そのキャッチ―さと、キャストの熱演により、金額的にはたいしたことはないが、スクリーン数が少なかったために、それなりに高いスクリーンアベレージをたたき出した小規模ヒット作である。この映画からは、天下のブサカワ・ガールことChloe Grace Moretzちゃんという、今ハリウッドで精力的にバンバン映画に出ている女の子(当時14歳ぐらい、現在19歳か?)と、もう一人、Avengersになり損ねたクイック・シルバーことAaron Tayler-Johnsonという、二人の若いスターが生まれた。そういう意味で、『Kick Ass』は注目に値する作品ではあるのだが、正直なところ、映画としては――まあ元が漫画なので仕方ないといえば仕方ないが――全く無意味な残虐シーンが多く、でたらめな物語であったため、わたしはまったく評価していなかった。首が飛んだり、腕が切断されたり、とにかく血まみれで、最後は全身バラバラに吹っ飛ばす、という展開は、観ていて決して気持ちのいいものではない。だって、ほとんどその死に様の描写に意味がないんだもの。この映画が大好き、という奴とは、おそらく友達にはなれない可能性が高い。
 そういう、無駄な残虐シーンが現在のゆとり青年・スウィーツ女子たち(※両方とも既に死語)の大好物だという事はもちろん承知しているし、そういうのが見たければ『進撃の巨人』でも読んでてくれ、とわたしとしては言いたいところだが、残念ながら、どうやらそういう傾向は全世界的と見ていいのではないかと思っている。なんという、変な世の中になったものだ。人にやさしく(笑)と言いながら、人の死に様を見て喜ぶ。まあ、人類はそろそろ滅ぶんだろう。

 しかし。そのセンセーショナルな(とはいえ薄っぺらな)映像によって、Matthew Vaughnが注目されたのは事実である。もちろん、ここまでやるのは当然計算ずくであり、確信犯であることは間違いなく、わたしもこの監督は今後要観察だな、と思っていた。そんな彼が、かの『X-MEN: The First Class』の監督に抜擢されたと聞いた時は、期待半分不安半分で、確かにこの男なら、コミックヒーロー作品に合うかも、でもまた血まみれにされたらアウトだぞ……思っていたのだが、わたしの心配は、ほぼ良い方に裏切られ、『X-MEN: The First Class』は非常なる傑作として世に登場した。この映画は、何度でもいうが、現状のX-MEN作品の中で最高傑作と言っていいと思う。やはり、Matthew Vaughnは、コミックの実写映画化が得意なのだ。そして、Zack Snyderとはやや異なった画を撮れる貴重な男として、おそらくは今後もいい作品を撮るであろうと、わたしは非常に期待したのである。

 そして今回の『Kingsman』である。ストーリーについては、もはや語るまい。予告編から想像できる範囲で物語は進むのだが、2つ、わたしがまったく考えてもいなかった展開が待っていた。
 そのうちの一つは、重大なネタバレなのでちょっと書けない。申し訳ないが、知りたい人はわたしに直接聞くか、映画を見に行ってくれ。この部分は、ちょっと頭を冷やして考えてみると、まあ、なくはない展開ではあるけど、十分避けられたルートだと思う。どうにも気持ちよくはない。むしろ、えっ!? という驚き以上の何も残らないので、もうちょっと脚本を練る必要があったとわたしは感じている。
 もう一つの方が、冒頭でわたしが言った、「グロ注意ッ!!」である。まーたこの野郎、やらかしおった。しかも、今回はその規模が、『Kick Ass』より上である。ずいぶんとまあ、派手にやらかしている。ので、血まみれや残虐シーンが苦手な方は、避けた方が賢明かもしれない。ただ、ラスト近くの大虐殺は、完全にコミック調の演出で、もはやギャグとして描かれているので、そんなにビビらなくてもいいかな……という気もするので、まあ、心配性ならやめておけばいいし、怖いもの見たさの好奇心旺盛な方は、劇場へ観に行っていただければと思う。マンガなんだからガタガタいうな、ってことで了解すべきなのかもしれないが、それにしても、ホント無意味というか、ギャグなんだよな……死に様が。どうにもわたしには、お腹いっぱいというか胸焼けするというか、もう結構です。

 ちなみに、この映画の製作費は81M$だそうで、1億ドルはかかっていないようだが、日本映画からすればすごい金の使い方である。そのため、映像のクオリティは非常に高い。数々の秘密道具も、英国スパイっぽくてよろしい。かつての007的なアイテムがそろって登場するし、なにより、きっちり体に合ったスーツがカッコイイ。まったく余談だが、Daniel Craig扮する007も、スーツ姿が恐ろしくカッコイイが、あれはトム・フォードというブランドのスーツで、わたしも一着ほしいものだと常々思っている。なおわたしも、現在保有しているスーツはすべてオーダーメイドで、わたしの体形にフィットしたものを着用しているが、とにかくサイズの合っていない服を着ることほどカッコ悪いものはない。スーツはその筆頭だ。一度オーダースーツを着ると、もはや既製品は着れなくなるものだ。できれば、英国製の車にもこだわりが欲しかったが、この作品ではカーアクションはほぼない。出てくるのは、ロンドンタクシーと、なぜかイギリスで大人気の、われらがスバル・インプレッサぐらいである。
 それに、キャスト陣もまずまずの一級線の役者がそろっている。主役の若者は、全く知らない青年だったので、過去にどんな作品に出ていたのか、先ほど調べてみたが、どうやら今回が初めてのビックバジェット作品のようだ。正直、たいしたことはないので、まあどうでもいい。が、『King's Speech』でオスカー俳優の仲間入りを果たしたColin Firth や、Nolan組の常連Michael Caineといった純イギリス人が脇を固めており、一応の安定感と言うか、安心感はある。なお、年末にとうとう新作が控えているSTARWARSだが、かのLuke SkywalkerでおなじみのMark Hamillが、ちょっとした役で出ている。老けるのは仕方ないというか当たり前なので全然いいんだけど、もうちょっと、しゅっとした体形を維持していただきたかったなあ。かのSir Alec Guinness様が演じたベン・"オビ=ワン"・ケノービのような風貌になってほしかった……。
 そして一方で、ジェダイマスター、メイス・ウィンドゥあるいはニック・フューリーでおなじみのSamuel L Jacksonが悪役として出てくるのだが、正直、この悪役はいったい何をしたいのか最後までさっぱりわからなかった。いや、人類を減らしたいのは分かるし、わたしも大いに賛成だが、何でそう思うのか、どうしてそう思うに至ったのかが、極めて弱くて、まったく意味不明であった。また芝居振りも、なんというか悪ノリっぽい妙なハジケ振りで、なんというかもう……あんた何なのよ!? とわたしは見ながらずっと思っていた。ただ、彼の部下たる両足が鋭い刃になってる女子の、くっきりとした太い眉&前髪パッツンぶりは非常にすばらしかった。彼女は、Sofia Boutellaという人のようだが、どうやら元々はダンサーで、かのマドンナのバックダンサーでもあったらしい。スタートレックの次回作にもクレジットされているようなので、今後が期待である。。
 ついでに言うと、Kingsmanという組織自体も、その位置づけや役割が非常にあいまいと言うかフワッとしていて、最後まで何なんだかよく分からなかった。そういう点で、わたしとしては残虐シーンに加えて物語上の適当さが最後まで腑に落ちず、どうにも物語りに入り込めなかったのでありましたとさ。

 というわけで、結論。
 ズバリ言う。残念ながらイマイチかなぁ……。こういう、意味のない血まみれシーンはもうホントやめて欲しい。ああいうのは、なんなんだろう、笑うところなのかな? ギャグシーンなの?? 度を越えていて、わたしには全然笑えねーし。
 あと、予告編のセンスのなさには絶望を禁じえない。上のほうに置いといた2分05秒Verの予告はまあまともなんだが、そのあとに公開された、変なナレーション入りの1分30秒Verの方は観なくていいと思う。このナレーション、すっげえダサくね? やめなよこういうの。


 ↓ これが原作のグラフィックノベル。小プロもホントに凝りねえなぁ……売れっこないのに。


  

 一般社団法人日本映画製作者連盟という団体がある。通称「映連」というものだ。そしてその映連のHPには、毎年10億円以上の興行収入を獲得した作品のランキングが掲載されている。基本的に映画産業は、それほど落ちず、かといって成長もせず、ズバリ言えば停滞している。たまにすごい作品が出ると数字が伸び、あまりいい作品がないと数字が沈む。だいたい、年に2,000億円前後を行ったり来たりしている。
 2014年は、かの『Frozen』、日本公開タイトル『アナと雪の女王』が254.8億円の興行収入をあげたことで、対前年106.6%と若干の伸びを見せたが、まあ、要するに『アナ』がなければマイナスだったという事だ。日本映画も、ここ数年のトレンドだった「TVドラマの劇場映画化」の勢いもかなり減退し、今は「コミック原作の実写映画化」が新たな柱になってきている。それと、やはり強いのはファミリー動員の見込める「アニメ」だ。まあ、いろいろ数字を出すのは簡単だがめんどくさいので、興味のある人は、「映連」でGoogle検索して勝手に調べてくれ。

 邦画に限って言うと、今やシネコン時代となった影響だとわたしは断言していいと思っているが、東宝の一人勝ちの状態である。もちろん、企業としての東映や松竹は、業績的には別に赤字でもなく、普通に、とはいえあまりたいした数字ではないが、まあ、つぶれることなく元気にやってはいる。が、こと映画興行に関して言うと、かつてのなんとか松竹、とか、なんとか東映、みたいな直営館(※なんとか、の部分は地名が入る。例えば渋谷東映とか、上野松竹とか)が姿を消してしまい、東映や松竹の製作・配給作品はよほどの大作か話題作でないと、そもそもの公開スクリーン数が少なくなってしまっていることもあって、興行収入ランクに入らなくなってしまってきている。
 2014年の実績でいうと、劇場公開された邦画は615本あって、そのうち、興収10億円以上のヒットとなった作品が31本。この時点でのヒット率は約5%。で、その31本の内訳は、東宝配給作品が20本、松竹配給作品が5本、東映配給作品が4本、ワーナー配給作品が2本となっている。こうしてみると、東宝以外ダメじゃんというのが分かってもらえると思うが、ちょっと注目したいのが松竹である。たった5本、というのは少ねえなあ、とは思うものの、実は5本の興収10億以上作品が出たのは、松竹にとって2007年以来の久々のことなのである。なので、松竹としては、2014年は、結構がんばった年と言っていいのだ。

 そんな2014年の松竹配給作品で、一番稼いだのは『ホットロード』という少女漫画の実写化作品なのだが、まあ、能年玲奈ちゃんがかわいいのはわたしも全面同意するが、この作品はどうでもいい。去年、おそらくは業界で、「おっ!?」と話題になったのは、2014年の松竹配給作品で2番目の興収となる15.5億円を稼いだ、『超高速! 参勤交代』の方である。

 わたしは、去年この映画が公開されたとき、そのタイトルのキャッチ―さに、ほう、これは、なかなか。売れる匂いがするな、と思っていた。実際、15億超まで伸びるとは思っていなかったが、タイトル一発で興味をそそるというのは、非常に素晴らしいことだと思っていたし、一方では、なんでこういうのをうちで撮れねえんだろうな……ぐぬぬ……という気持ちもあって、すごく観たいけど、劇場に観に行ってやらないもんね、ふんっ! という屈折した心情によって、観に行くことはしなかった。が、先週だったかな、WOWOWで放送があったので、録画して昨日の夜、観てみたわけである。

 この映画は、確かに講談社より小説が発売になっているが、もともとは城戸賞を受賞したシナリオがオリジナルで、最初から映画のために書き下ろされたオリジナル脚本である。その点でもわたしとしては非常に評価したい。ただ、この脚本を書いた土橋章宏という人は、まあはっきり言えばたいした実績もなく、小説もこの人自身の手によるものらしいが、特に売れたと言う話も聞いていないのでどうでもいいし、監督も、どうやら松竹のベテラン監督のようだが、これもまた別にどうでもいい。
 わたしが昨日、この映画を見て思ったのは、やっぱり「タイトル」と「一発ネタ」が重要なんだな、という事である。だって、実際に観てみたところ、まあ、もちろんいいお話だし、キャストの芝居もとてもいいのだが、はっきり言って物語的にはまったくもってイマイチであったからだ。

 おそらくは、このタイトルを見た時、普通の人――といっても、わたし以上のおっさん限定かもしれないが――ならば、「参勤交代が超高速って、一体全体なんのこっちゃ?」と思うはずだ。その時点で、映画としてはまず合格であろう。興味を持ってもらえた時点で、いわゆる「つかみはOK」である。そして、予告編を見せて、「えっ! 5日で江戸まで? これって舞台はどこなのよ? なんでまたそんな目に?」とまで思わせれば、ほぼ勝ちである。その答えを知りたければ、もう劇場に観に行くしかない。その結果が15億もの興収をもたらしたわけである。たいしたもんだ。何度も言うが、どうしてこういう企画を立てられんのだ! 

 ただ、である。物語としてはまったくもって見るところがなかった。なにしろ、冒頭で明示される、物語上一番のカギとなる「5日で江戸まで来い!」と命じられる理由が、あまりに半端なのだ。ここは、100%脚本家の責任と言っていいだろう。0点。もうちょっと、あり得そうな理由か、いっそコメディなんだから常識を振り切った理由でもよかったように思う。
 役者陣の方はというと、主役のお人よしの藩主を演じる佐々木蔵之介の芝居は非常にいいし、西村雅彦を筆頭家老とした、ちょっと間抜けな家臣団も、愉快で素晴らしい。また、腕の立つ助っ人忍者の伊原剛志もカッコイイし、道中で出会う深田恭子も今回は非常にかわいい。だが、悪役陣が、イマイチすぎる。悪の親玉である陣内孝則は、いつものオーバーな芝居のままで、確かにそういうキャラクターだからまあ5万歩譲って良しとしても、その手下たちの隠密連中は、完全にもう素人同然で0点、どころかマイナス▲100点でも足りないぐらいだ。完全にこの作品をぶち壊しているとわたしには思われた。

 まあ、そういうわけで、非常に残念な内容の映画ではあったが、撮影は、あきらかにこれスタジオだろ、という部分以外の、ロケシーンはなかなか悪くない。ああ、こういう風景がまだ日本のどこかにはあるのね、というような懐かしさのある日本を少し垣間見ることができる。舞台となるのは、現在の福島県いわき市にあたる、湯長谷藩だ。磐城平藩の支藩にあたる1万石チョイの小さな藩で、実在の藩である。知ってた? わたしは、大学時代にまさにいわき市出身の奴がいて、話を聞いたことがあったので、偶然知ってた。普通は知らないだろうな……というぐらい小さな藩であろうと思う。が、ロケ自体は日本各所で行われたようで、別にいわき市でだけ撮影されたものではないようだ。
 また、主人公たち湯長谷藩の面々は非常に生き生きとしたキャラクターで、ここは高く評価したい。とりわけ藩主のお人良し具合は、佐々木蔵之介の好演もあって非常に魅力的だ。「情けは人の為ならず」を作品のちょっとした伏線にしているのも、わたしとしては非常に好感が持てる。この藩の面々には、また別の物語で出会いたいものだと思った。ちなみに言うと、佐々木蔵之介の演じる主人公、内藤政醇(ないとう まさあつ)は実在の人物で、劇中でも時の将軍・徳川吉宗に謁見するシーンがあるが、本物の内藤政醇も、暴れん坊将軍こと吉宗に御目見したことはあるそうだ。これは知らなかった。なお本作では、将軍吉宗を、歌舞伎通には「亀ちゃん」の愛称で知られる4代目・市川猿之助が演じている。さすが松竹作品だ。

 というわけで、結論。
 『超高速! 参勤交代』は、ある意味では一発ネタムービーではあるが、まあ、水戸黄門的な勧善懲悪を観て、悪党は死ね! とほっこりするのも悪くない……かも。
 あと、佐々木蔵之介、こいつ、殺陣が結構うまい。非常にキレのある殺陣で、カッコよかった。遣う剣法が居合であるため、静と動のキレが強調されることも影響したのかもしれないが、ひょっとしたら、日本時代劇界は、ズラも似合って殺陣も上手な逸材を発掘したのかもしれない。

 ↓ この映画の脚本家の次の作品らしい。これって、伝説の『まらそん侍』と関係あるのか??





 ↓これが伝説の映画。大学時代、ビデオレンタル屋のバイトしているときに観た。大映ってことは、今版権を持っているのは……この先は言わなくてもわかるね? ↑の小説の映画化は決まってるらしいから、オレなら今のうちにDVD化の準備をするね。
まらそん侍 [VHS]
勝新太郎
大映
1987-09-25


 突然だが私は、「SONY」という会社が嫌いである。
 理由は単純で、15年ぐらい(?)前に、わたしが保有していたSONY株式が暴落して、50万円ぐらい損をしたからだ。もう昔のことなので、当時SONYショックと言われた株価の暴落の原因はさっぱり覚えていないが、そんな出来事があって、SONYが嫌いになった。
 もちろん、SONYの製品はやはり独自性やデザインの面で優れたプロダクツが多く、好きだったから株も持っていたわけで、完全な逆恨みである。わたしの度量の狭さを暴露することでもあるのだが、許せんものは許せん。なので、生涯SONY製品は買うまい、と誓っていた。そして現在の凋落ぶりは、プロダクト面でも当時の輝きは消え失せ、全くほしいと思う商品がなくなり、誓いに関係なく、SONY製品はわたしの買い物リストから勝手に消えていったのであった。

 が、2013年12月のことである。わたしがそれまで私物として愛用していた、東芝製Dynabookが5年使っていよいよ起動も遅く、XPだし、そろそろサヨナラの時が来たかな……という事態が発生した。わたしは、ほぼすべての会議にノートPC(私物)を持参して、文字通りノート代わりとして使用しているため、今さら紙のノートとペンに戻るわけにもいかない。というわけで、次期オレマシンを探す必要に迫られることになった。
 わたしの要求するスペックは、CPUは基本最強(=i7)、メモリは4GB以上、OSは当時の最新OSであるWindows8Proであること、そして、Windows8を使う以上、タッチパネル搭載であることである。そして、サイズはB5サイズ、液晶解像度はフルHD以上、重量は1Kg以下でバッテリーが長持ちすることも必須だ。
 この条件で当時のノートPCを選んでいくと、(たぶん今でもそうだが)残念ながら候補となるマシンは、1つしかなかった。すなわち、SONY製VAIO Pro 11である。

 なお、株式会社林檎製の、Mac Book AirにWindowsをインストールするという手もなくはないが、タッチパネルじゃないし、なにより、株式会社林檎はSONYよりも嫌いである。憎悪していると言ってもいい。とにかく、Apple製品は完全に論外である。DTPをはじめ、もはやAppleマシンでないとできない作業は既に消滅している現在、もっともAppleを憎んでしかるべきコンテンツ業界の人間が、Apple製品を使っているのを見ると本当に嫌になる。アホかこいつら、と、Apple製品を使っている人間すらも嫌いになる。
 おっと、またわたしの人間の小ささが露呈してしまった。失敬失敬。

 ともあれ。2年ほど前にわたしが、新たなノートPCを必要としているときに、その候補がSONY製品しかなかった時のわたしの絶望と嘆きは、大きかった。なんだよちくしょう、ちょっと重いけどASUS製にしようかな……でもASUSのマシンはY君が使ってるしな……お揃いはわたしの主義に合わん! とカラ威張りしても、全く意味はなく、どうしたものか……と悩むこと1週間ほど。ひとつわたしは、とある考えにたどり着いた。
 その1週間の間は、そうだ、Y君に金を渡して、買ってもらって、それをプレゼントしてもらったことにすれば、「SONY製品は生涯買わんッ!」という誓いを破らなくで済むんじゃね? とか、我ながらまったく意味不明のアイディアをY君に話したところ、「まあ、どうしてもというなら、僕が買ってもいいですけど……全く意味ないですね」と軽く鼻で笑われたりして、いよいよもって、ぐぬぬ……と憤死寸前であった。

 という状況で、わたしが編み出した解決案は、「いや、このマシン、SONY製じゃねーし!」と自らを偽れる状況にしちゃえばいいんだ! という、まったくの詭弁である。まったくもって意味不明だと思うので、結論として、わたしが現在使っているマシンの写真をお見せしよう。
NCM_0083
NCM_0082

 どうですか!? まったくSONY製に見えないっショ? 
 (※オレメモ:写真がどうしてもきれいに撮れないので、うちで再度撮影すること)
 つまり、かのSONYロゴを完全に見えないようにラッピングして、自ら「これはSONYじゃないこれはSONYじゃない……」と言い切ることにしたのである。我ながら何たる幼稚な考え!
 実のところ、わたしはどのメーカーのPCを買おうとも、このラッピングをして、いわゆる痛PCを作ろうと思っていたので、素体は、スペックさえわたしの希望に沿うなら、どこの製品でも良かったのである。運悪くSONY製しかオレ基準を満たすものがなかったので、1週間ほど悩んだのだが、まあ、割り切ることにした。なんともわたしの誓いの軽いことよ。

 で。本題はここから。
 このPCデザインを見て、一瞬でわかるでしょ!?
 このデザインが、明らかに『IRONMAN』のものであり、輝くロゴは、主人公トニー・スタークの会社であるスタークインダストリーズのものであることに。なのに! この痛PCを1年半以上、わたしが出席するあらゆる会議に持参して、会議中もバリバリ使ってるのに! 会社で、「あっ! IRONMANだ! カッコイイっすね!」と気づいて言ってくれた人は、たぶん10人ぐらいしかいないのだ。仮にも、仮にもだよ、エンターテインメントを生業としている会社で、なんでお前らIRONMAN 知らねえんだ! だからダメなんだよ! と、ずっとわたしは思っていたので、今日、この場で言えてすっきりした。

 作り方は、まあ貼るだけなのだが、素材の準備は結構大変だった。
【用意するもの】
1)メタリックレッドとゴールドとシルバーのカッティングシート
 いい色がなくて、探すのに苦労した……。ハンズやロフトに行っても目ぼしいものはなく、結局ネット通販でカッティングシート専門店を見つけて発注した。全部で約4,000円。
2)STARK INDUSTRIES のロゴデータ
 これもまた、画像データはネット検索でいくらでも出てくるが、Adobe Illustratorで編集できる「ベクターデータ」がなかなか見つからず、画像データからカッティングシートを切り抜くしかねえと思っていたが、どこかのアメリカ人が作ったベクターデータを発見して、それを採用した。なのでタダ。
【外注すること】
 ロゴの画像データを鏡像反転させて、シルバーのカッティングシートの裏にプリントアウトして、きれいにデザインナイフで切り抜く……のを2回やって美しくできず、くそう! と思ったところで、上記のベクターデータを発見したので、ちょっとだけIllustratorで編集し、版下を作って街の出力屋さんに持ち込み、カッティングを依頼。結果、すげえきれいにできた。費用は、確か2,500円ほどだったと思う。

 結局、発注物が届いて、ロゴを作り、貼って、と完成したのに要した日数は4日ほど。総製作費は6,500円ほどだ。かくして、かっちょいいSTARK INDUSTRIES社製ノートPCの完成である。くどいようだが、このノートPCは断じてSONY製ではないッ! これは、STARK INDUSTRIES謹製のPCなの! だからOKなの!

 なんでこんな、馬鹿みたいに手間をかけたか、おそらくは普通の人には到底理解できまい。理由はいたって単純、ほしかったからだ。なんでほしかったかは、カッコイイと思うからだ。なんでこれをカッコイイと思うかは、わたしがIRONMANが大好きだからだ。
 文句、ある?

 というわけで、結論。
 何度もこのBlogでは表明しているが、わたしはオタクである。
 ほしいものが、あれば買う。なければ作る。 それがオタク道である!
 ちなみに、その後、VAIOを作っていた部門はSONYから独立して、株式会社VAIOになった。もうちょい早く分社してくれれば……名実ともにSONY製品じゃなくなっていたのに。


 ↓ たぶん、買ったのはこれ。わたしはこの会社の自社HPでの通販でメートル買いした。

 というわけで、昨日から読み始めているのだが……うーーーん……のっけからかなり映画と違うんですけど。なんなんだこれ? サーセン。まだ、レビューできない状態です。今のところ、全然面白くない。映画のほうがずっといい。まあ、読み進めていくとまた違うんだろうから、まだ結論は出ない。

 なので、今日はまったく別のことを書こうと思ったが、ネタが思いつかないのでまた明日、考えてみます。
 
 すみません。。。今日はもう寝る。。。 

 元部下のA嬢が、Tom Hardy が好きでたまらないと言う。2代目MADMAXの、あの彼である。曰く、「唇がセクシー」なんだそうだ。
 はあ、そうですか、で会話を終わらすのも若干可哀想なので、じゃあ、『INCEPTION』や『Tinker, Tailor, Soldier, Spy』あたりがお薦めだぜ、と言ってみたところ、『LAWLESS』(邦題『欲望のバージニア』)が見たいという。ああ、劇場では見てないけどWOWOWで観たな、と思ってHDDレコーダーをあさってみたところ、ちゃんとまだ録画したのが残ってたので、Blu-rayに焼いて貸すことにした。わたしも、一度だけ、1.5倍速でざっと観ただけなので、じゃあ、もう一度観てみるかという気になった。

 舞台は、禁酒法時代のケンタッキー州バージニアである。密造酒を作っている三兄弟の 物語で、かなりの暴力シーンというか、血まみれシーンがあるので、「戦争映画は怖くて苦手です~」と日頃のたまうA嬢が果たしてこの映画を最後まで観られるのか、まったく不明だが、まあ、本人のご希望なので貸して進ぜようと思う。

 この映画は、どうやら実話を基にした小説が原作で、原作者自身の叔父の話らしい。まあ、つい30秒前にWikiで知ったことなので、わたしも全く詳しくないが、わたしの場合、こういう映画を見ると、改めて「禁酒法」ってのは何だったのかを調べたくなる。ま、これもとりあえずWikipediaによる知識だが、我々の知る、いわゆる「禁酒法」というのは、ちょっとだけ正確に言うと「国家禁酒法(あるいは「連邦禁酒法」)」というもので、1920年から1933年までアメリカ合衆国内で施行されていたものだ。当時の下院司法委員長であるアンドリュー・ボルステットにちなんで、別名「ボルステット法」というらしい。 この法律を施行するために、憲法すら修正してしまうのだから、まったくもってアメリカ合衆国という国は、なんというか、良くわからん国だと思う。
 時代背景を探ってみると、1920年という事は、第一次世界大戦は終結している。禁酒法導入の一つの理由である、第一次世界大戦による物資不足、は解消していたはずなのに、こういう法律が成立する。現代に生きる我々日本人にはどうにもピンと来ないが、まあ、我々日本も、立法過程は意味不明なものが多いので、余所から見たらわけのわからん国と言われるだろうから、その辺はいいとして、いずれにせよ、この法律は、そもそもは宗教的な背景が強いものだそうだ。曰く、「アルコールは神からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものという明確な社会的コンセンサスがあった」 そうである。
 となると、不思議というかひとつ疑問が沸き起こる。えーと、じゃあなんで、キリスト教の本場であるヨーロッパでは禁酒法的な法律はなかったんだろう? 

 ここから先は、わたしの単なる推量だが、2つ理由が想像できる。
 まず一つ目は、結局のところ、アメリカという国には歴史がないから、なのではなかろうか。酔っ払い、というものは、かなり古くから戯曲を含む文学作品に現れている。わたしが酔っ払いとして真っ先に思い起こすのは、シェイクスピアの『ヘンリー4世』に出てくるフォルスタッフというおっさんだ。まあ、酔っ払いかどうかは微妙だが、大酒のみであるのは間違いない。いや、十分酔っ払いかな。そして酔っ払いは、基本的にいつも主人公を困らせる役割である一方で、主人公をなにげに救う役も多いような気がする。そもそも、飲酒のシーンだけなら、たぶんギリシャ悲劇にも出てくると思う。それほど、酒と人類は昔から縁があり、酔っ払いもまた、昔から存在しているのは確かだ。でも、酒を禁止する、というのを法律化したのは、このアメリカの「禁酒法」以外には、そりゃあったんだろうけど、特に有名な話は聞いたことがない。まあ、聞いたことがないのはわたしの無知ゆえかもしれないが、おそらくは、歴史あるヨーロッパ社会においては、すでに酒は欠かせないものであり、酒を禁じる、という思考を持ち得なかったのではないかと想像する。おそらく、歴史ある国において、これは日本も含めていいと思うが、酒がないという状況は想像すら出来なかったのではないか。日本の場合は、いわゆる神事において酒は不可欠であるし、その際の飲酒も当然不可欠で、法によって酒の製造販売や飲酒を禁じるなどという発想は、たぶん日本人には出て来ないものなのではないかと思う。
 もうひとつのわたしが思う理由は、上記の歴史のなさとやや近いのだが、女性の権利がアメリカではいち早く認められつつあったからではないかと思う。どうやら、Wikiによると、アメリカの禁酒法は、女性団体の後押しが大きかったらしい。なんでも、泥酔した男による暴力に立ち上がった女性団体の力が、法案成立には大きく寄与していたらしいのだ。女性には大変失礼な話だが、歴史ある国ほど、女性の権利が認められたのは遅いような印象がある。歴史がなく、何もかも新しい国アメリカ。それゆえに、禁酒法は成立したんじゃなかろうか。

 というわけで、1920年代のギャング時代を舞台とした本作は、アメリカン・ウィスキーの本場たるケンタッキーで起きた実話を基にしている。ええと、ストーリーはまあ、ごく単純で、ちょっとなにを書いてもネタばれになるのでやめておくが、この映画も俳優陣はかなり豪華である。
 三兄弟のキャストは、長男がJason Clark。『Child44』でも書いたとおり、4代目ジョン・コナーでおなじみの、若干しゃくれた、映画監督のTalantinoをイケメンにしたような男だ。ちなみに、オーストラリア人である。なお、長男は、正直ストーリー上たいした役割を負っていないので、かなり影は薄い。そして次男が、A嬢が愛してやまないTom Hardy。彼はイギリス人。なんか、彼はいつも、七三のぴっちり分けのちょっとクラシカルなカリアゲ・スタイルのような気がする。『INCEPTION』でもそうだったし、『Child44』でも(まあ軍人なのでやむなしだが)そうだった。なんか、彼は別の髪型だとどうなんだろうと気になるが、現代劇のコメディ『Black&White』でも短髪だったので、ちょっとイメージがわかないかも。そして三男が、Shia LaBeoufである。かれはバリバリアメリカ人で、『Transformers』で一躍ブレイクし、その後も順調にキャリアを重ねている。この彼は、一時、松岡修造ばりの謎の暑い熱いテンションで「Just do it!!!!」と叫びまくる動画が話題となり、わたしの中では面白い奴認定されている男だが、元々はコメディアン出身らしいので、まあ、実際面白い奴なんでしょうな。たぶん。
 ↓これね。無駄にテンションが高く、手ぶりも意味不明の動きで、わたし的には大ウケw

 この三兄弟を中心に、とにかく観ていて胸クソ悪くなるような悪党をGuy Pearceが憎ったらしく演じている。彼はイギリス人だがオーストラリアで育った男で、こいつの出演している映画は結構見ているが、まあ、あまり好きではない。別にイケメンでもないし、芸達者系ではあると思うけど、どうでもいいかな。彼を見たいなら、やはりNolanの出世作『Memento』か、『The Time Machine』だろう。間違っても『Ironman3』ではない。あと、男優としては、この映画にもGary Oldmanがシカゴの大物ギャング(?)で出演している。まあ、シーンは少ないので、日本的に言うと特別出演みたいな扱いかな。なんか、わたしには菅原文太兄貴に見えた。
 で、わたしとしては非常に推したいのが、Dane DeHaanである。彼は三男の友達役で出ているのだが、演技も非常によく、今後を注目している男だ。彼が主役を演じている『Chronicle』という映画は、低予算で作られたものだが、大ヒットを記録し、わたしも非常に面白い映画だと思う。だが、この映画を件のA嬢にお勧めしたところ、完全にイマイチ判定されてしまったので、どうやら女子的にはウケないらしい。わたしとしては脚本も役者の演技も非常に高レベルだと思うのだが……ライトノベルを真面目に映画にするとこうなる、というお手本のようなよくできた映画だと思う。
 そして、本作では女優が二人、なかなかいい芝居をしている。一人が、Jassica Chastainである。わたしはこれまでに彼女が出た映画を結構観ているつもりだが、正直、今まで別に可愛いとか、きれいだと思ったことはなかったが、本作で初めて、あれっ!? この娘、可愛いんじゃね? と思った。よーく観ると、Jassicaさんは十分綺麗じゃんか、と改めて思った次第である。今まで大変失礼いたしました。ちなみに、本作では脱いでます(セクハラサーセン)。もう一人が、『Alice Wonderland』でタイトルロールを演じ、ブレイクしたMia Wasikowskaちゃんである。この娘も確かオーストラリア人かな。今回は、超地味っ娘を演じており、五右衛門的には、可憐だ……とつぶやかざるを得ない。結構好きです。こうして見ると、メインキャストで純アメリカ人は少ないですな。ここに何か意味を見いだせるのかどうか、ちょっと良くわからない。

 というわけで、結論。
 肝心の映画のことはあまり書けないが、キャストは豪華であり、演出・撮影も悪くない。ただ、物語的には比較的単純なので、正直なところ、あまり記憶に残る映画ではないかもしれないな、と思います。まあ、嫌いじゃないけど、どうせならもうちょっと、クライマックスへ向けた緊張感と、山場の盛り上げが欲しかったかな。

 ↓ これが原作小説。あまり、読む気にはなってません。
欲望のバージニア (集英社文庫)
マット ボンデュラント
集英社
2013-05-17





 ↓それよりこっちを観てほしい。まさに、能力系シリアスラノベの完全実写化。こういうのを日本人が撮れないのは本当に残念だと思う。
クロニクル [Blu-ray]
デイン・デハーン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-06-18


 

 というわけで、帰って来ましたよっと。
 今日は、朝はまあ、わたしの通常の起床時間に目覚め、安ホテルのマズイ朝食を摂り、さて、どうするか、と一人作戦会議を開催した。ちなみにわたしは、そうだなあ、ここ10数年、まったく目覚ましを使わずに、毎日ほぼ同じ時間に目が覚める。何時に寝ようと、だ。もはや自動的と言って差し支えない。 理由は、よく分からない。ひょっとしたら、何らかの病気かもしれないが、まあ、どうでもいいことだ。そして、今日のホテルの朝食は、今回の旅でもっともマズイ朝食であったことも、備忘録として記しておこう。基本、ジャンクフード好きなわたしだが、アレは……ないな。

 で。
 帰りは、京都のお寺か名古屋の熱田神宮か、どっちかに寄って行こうかなと思っていたのだが、荷物もあるし、雨も降ってるし、どうすっかなー……とイマイチ気が乗らず、「やっぱもう、帰ろう」という結論に至った。なんか、京都も名古屋も、別にいつでも行けるし、雨で蒸し暑い中を行くのも楽しくないので、あっさり、やめて帰ることにした。
 かくして、わたしは8時15分新大阪発ののぞみで東京に戻った。東京着が11時3分。やれやれである。

 4泊5日、わたしとしてはかなり久しぶりの長旅であった。 
 観光らしいことは、あまりしてない。大宰府と、山口県内ぐらいかな。わたしとしてはほとんど知らない地である山口県内はいろいろ連れて行ってもらった。ほんとうに有難うございました。
  今回は、観光ではなく人に会いに行く旅であった。遠く離れていても、縁は続くわけで、健康で生きている限り、そして、自ら縁を切ろうと思わない限り、会おうと思えばいつでも会える。だから重要なのは、「会おうと思う」ことだ。たぶん、相当な期間ご無沙汰している状態と言うのは、すごく冷たく言ってしまうと、お互いに会いたいと思っていない状態なんだと思う。今回、わたしは、ちょっとした人生の転機にあり、遠くで暮らしている人に、なんだかとても会いたくなった。そして相手も、会ってもいいぞと言ってくれ、歓迎してくれた。有難いことだと思う。これも、いわゆる幸せのひとつなんだろう。こういうものは、大切にしないといけないとしみじみ思う。

 いわゆる観光地へ行くと、今は本当に中国/韓国のひとびとであふれている。しかし、人に会いに行き、その人が住んでいる土地を、ほんの一部でも体験し、感じるのは、縁をより深くしてくれるんじゃなかろうか。観光は、また今度でいいや。でも、人に会いに行くのは、今、会いたいから行く。まあ、そんな旅でありました。あと、さっきふと思ったのだが、空路で鹿児島入りしてからは、鹿児島→福岡→徳山→新大阪→東京と、ぜんぶ新幹線を乗り継いで帰ってきた。これって何気ににすごくね?

 というわけで、結論
 お会いした皆様、本当に有難うございました。

 また、会いに行きます。 

 というわけで、わたしの旅も最終目的地へと至った。
 最終目的地は、兵庫県宝塚市である。この地に住むわたしの大好きな人に会うのが、今回のわたしの旅の最終目的である。 
 今日は、お昼まで、山口県に滞在し、かつて大変お世話になった方にいろいろなところへ連れて行ってもらった。特に、末武川ダムというところがわたしとしては非常に面白かった。普通、ダムといえば、黒部ダムやアメリカのフーバーダムのような、コンクリートのそそり立つ風景を浮かべると思うが、ここのダムは、「ロックフィル方式」とよばれているものだそうで、要するに、お城の石垣のような、岩を積み上げて作ってあるダムなのである。どうやら、ダム界では普通にあるタイプらしいが、その辺に全く詳しくないわたしは初めて見るタイプなので、非常に興味深かった。かの「ダムカード」の配布はしていないそうなので、その点が非常に残念であった。
 
 で。
 お世話になった方とは昼過ぎに分かれ、わたしはひとり新幹線へ。そして向かったのが宝塚である。ここまで書くと、すでにズカファンであることがバレているというか自ら告白済みのわたしなので、 当然、宝塚大劇場にも行ったんでしょ、とお思いのあなた。はい、その通りです。前回来たのが2月なので、約7か月ぶりに再びわたしは宝塚に降り立ち、「宝塚大劇場」へ赴いた。まあ、待ち合わせがあこがれの宝塚ホテルのロビーだったからなんですけどね。そして憧れの宝塚ホテルは予約がいっぱいで泊まれなかったんですけどね。さらに、時間的にどうしても現在公演中の星組公演は観れなかったんですけどね。 無念ナリ……。

 ヅカファンは、この兵庫県宝塚市に存在する「宝塚大劇場」周辺のことを「ムラ」と称するのだが、今回わたしはムラ巡礼をしたにもかかわらず、公演は観られなかった。代わりと言っては何だが、ヅカファンには非常に有名な、ムラにあるサンドウィッチ専門店「ルマン」の有名なたまごサンドなどを食し、のんきに、ヅカ友のお姉さまたちに、「わたしは今、ルマンでたまごサンド食ってま~す」的なメールを写真入りで送ってしまったところ、わたしのヅカ師匠たる方から、こんな返事が来た。
 「そこまで行って公演を観ないなんてありえなぁーーーいです」 ※原文ママ
 確かに。全くもってその通りだ。オレは……オレはファン失格だ!!

 そんな、若干の失意を抱えつつも、お会いしたわたしの大好きな方はご夫婦で来てくれて、宝塚ホテルからほど近いところにある、ニュージーランド料理のお店KIWI HOUSEというところに連れて行ってもらった。大変美味で、大満足。そしてやはり大劇場に近いこともあって、ジェンヌさんの写真やサインがあり、わたしの大好きな悠未ひろさん(すでに退団されている)や、紅ゆずるさんも訪れたお店のようで、わたしとしては、実のところ静かに深く大興奮していたのであった。その後も宝塚ホテルのバーに移動してちょっとだけ吞み、再会を期して別れた。
 こうしてわたしの旅の目的はすべて果たされた。あとは帰るだけである。

 というわけで、結論。
 もっと頑張って、ヅカ道に精進します!!!!
 ちなみにルマンの「ミニサンドセット」は、超美味でありました。
20150905171515
 

 というわけで、わたしは今、山口県にいる。昨日の昼、鹿児島を経って福岡に行き、福岡の夜はまた古い友に会い、そして今日は午前中に大宰府などを観光しながら、昼過ぎにに山口へ来た。この山口でも、かつてお世話になった人が現在住んでおり、その方に会いに来たわけだ。で、錦帯橋から岩国城などに連れて行ってもらい、現在はその方の家から車で30分ほど?のところにある、石船温泉というところに連れてきてもらって、さっそくひとっ風呂馳走になった次第である。
 で、今日のお題は、 『大関ヶ原展』である。
 この博覧会は、すでに東京会場での展示が今年の春に行われ、わたしも当然勇んで観に行ったものである。ものすごく混んでいて、まともに見ることもできず、お目当てである本多忠勝の鎧(鹿の角のゴッツイやつ。意外と小さかった)や、井伊家の赤備えの鎧(あの、ひこにゃんがかぶってるアレ)だったり、かの有名な「蜻蛉切」という槍の穂先などはきっちり観たものの、結構ほかの展示物は流してしまった。
 で、その帰りに、この展示が、東京での後に、京都と福岡にも巡回することを知ったのだが、その時入手した、福岡会場版のチラシを見て、わたしは、な、なにィ!?  と思ったことがあった。なんと、8月から開催される福岡会場での展示には、「三成ぶっ殺し隊」のリーダー格でおなじみの黒田長政が、関ヶ原で実際に着用した、あの特徴あるへんな鎧が、福岡限定で公開されるというのだ!! マジか! アレを生で見れるのか!?  そ、そいつぁ……コトだぜ! と春の段階ですでに興奮しており、今回福岡に行くに際しては、大関ヶ原展に合わせて日程を検討せざるを得まい! と思ったのである。
 ↓ちなみにこんなのね。
nagamasa02
 ちょっと画像を小さくしすぎたかな。まあ、福岡は黒田家のご当地であるし、関ヶ原を語る上で、長政の存在は当然無視できない、というか重要人物であるので、よそには出せないけど、福岡会場では本気出しますよ? という事であろうとわたしは受け取った。その意気やよし。ならばわたしも、観に行こうではないか、というのは、わたしとしてはまったくもって自然な、ごく当たり前の思考の流れなのである。
 
 というわけで、昨日の昼過ぎに福岡についた私は、まず宿泊する安っすいぼろホテルに荷物を預かってもらい(時間が速くてチェックインできなかった)、嬉々として福岡市博物館へ赴いたのである。博物館のHPによると、博多からはバスが便利ですよ的な アクセス案内だったので、よかろう、バス乗り場にあないせい! という気持ちでバス乗り場を探し出し、ようし、出発じゃ、と、半ば戦場に赴く武将めいたテンションで会場へ向かった。アホや。
 しかし、まあ渋滞がひでえし、おまけにバスがすごい遠回りっぽいことが判明し、ずっとイライラ状態。加えて、あろうことか、バスがいきなりETCゲートを抜けて高速に乗った時には、おいおいこれホントに正しいバスか!? と急遽不安がもたげてきたが、まあ、時間はかかったものの無事にバスは会場近くにに到着した。

 東京会場は、冒頭に書いた通り、すっげえ混んでいて、実は最初行ったときは2時間待ちでーすとか言われてすごすご帰り、別の日の朝イチに行き直したほどだったのだが、福岡会場は、平日という事もあって、全くガラガラで、まあそのおかげで全品じっくり見ることができた。所要時間約2時間半。ちょっと疲れた。
 もちろん、長政の鎧は、すげえオーラがあって、わたしはもう大興奮。しかも、写真の通り、現存する兜はシルバーなのだが、元々はゴールドだったらしいことが最近明らかになったそうだ。そんな豆知識も入手し、あー来てよかったとしみじみ思った。去年の大河ドラマでは、松坂桃李くんが長政を演じていたが、本物の長政は、どうももっと小柄っぽいですな。意外と鎧が小さい印象でありました。桃李くんは180cm以上あるけど。
 そのほか、今回観た中では、鍋島勝茂の鎧が緑をテーマカラーとして美しくまとめられていて、デザイン的に一番気に入った。 実にシャレオツだと思いませんか?
↓ こんなの。かっこええ……。
nebeshima
 これは非常に美しかった。確か、東京でも展示されていて見たような気がするが、今回はじっくりと、背中までぐるっと全身を観ることができた。また、いろんな文書も展示されていて、けっこう情報戦だった様子も伺えます。

 というわけで、結論。
 武将や戦国オタは、まあ当たり前だが、そうでない人でも、関ヶ原という戦いの意味は知ってていいと思う。すなわち、『大関ヶ原展』は必見である。もう福岡しかやってないけど。。。

 ↓ 武将といえば、当然これですな。何度読んでも最高です。
花の慶次 ―雲のかなたに― 1巻
隆慶一郎
ノース・スターズ・ピクチャーズ
2015-06-08


 

 "There is no murder in paradise"
 昨日の夜観た映画は、この言葉から始まる。この言葉が一番最初にスクリーンに現れたとき、それなりに教養ある男を自負する私でも、これが誰の言葉なのかは知らなかった。が、それはすぐに明らかになる。これは、かのヨシフ・スターリンの言葉なのである。しかし、
 ――「楽園には、殺人は存在しない」。
 昨日観た映画は、この言葉の恐ろしさを嫌というほど教えてくれるものであった。
 その映画のタイトルは『Child44』という。

 結局、昨日は、開始時間がちょうどよかった方の映画を観たわけだが、『Child 44』は、邦題に「森に消えた子供たち」というサブタイトルが付いている。まあ、正直このサブタイトルはどうでもいい。一応ちょっとだけ解説しておくと、この作品は2008年にアメリカでベストセラーとなった、トム・ロブスミスによる小説が原作で、日本でも新潮社から出版されている。なんでも、2009年(?)の「このミス海外編1位」なんだそうだ。海外ミステリ好きなわたしも、話題になっていたことは知っていたが残念ながら読んでいなかった。ちょど今、本屋に行くと、この著者による新作「The Farm」(日本語タイトル「偽りの楽園」)という小説が新潮文庫で並んでいるのを見かけるが、それ以外にも実は『Child44』の続編は既に2作(?)出ていて、今回の映画の主人公の物語はまだ続いているようなので、これは買うしかないかな、と今思っている。 

 で、冒頭の言葉だ。
 要するに、スターリンの規定する共産国家ソヴィエトは、人類の欲望などは超越しており、楽園であると。故に、殺人など起こるはずもない、という意味である。どうですか、ゾッとしませんか? わたしは、その意味を映画の冒頭で知ってこれほど恐ろしい言葉は、なかなかないんじゃないかと思った。だって、あり得ないでしょ。そんなことは。つまりこの言葉は、わたしには完全に人間を、あるいは人間性?といえばいいのかもしれないが、とにかく人間というものを全否定しているように聞こえる。おそらくは、北の将軍様だってそんなこと言わないんじゃないかという気がするが、どうなんだろうか。もちろん、21世紀に生きる我々は、スターリンの夢見た楽園計画が完全に失敗に終わったことを知っている。わたしは、その失敗の原因を端的に物語る言葉だと思った。ははあ、やっぱりスターリンという男は、人間というものを知らない三流思想家だったかと納得のいく言葉だと思う。
 映画の話に戻ろう。この映画というか物語は、一部では子供を狙った連続殺人がソヴィエトで起きて、それを主人公が追う、という話だと思われるかもしれないが、それはあくまで表面的な事象に過ぎない。 この物語は、一人の男の目を通いて、ソヴィエトという狂った社会実験の顛末を追ったものだと解釈した方が良いのではないかと思った。
 
 物語は、主人公の男の幼少時代から始まる。第2次大戦の始まる前の1933年、ウクライナでは毎日数万人がスターリン政権下で餓死していて(しかも計画的飢餓、というらしい。そんなアホな!)、孤児が多く発生していた。主人公もそうした孤児の一人であり、孤児院を脱走し、軍人に助けられ、1945年のベルリンを開放したソヴィエト軍兵士として、偶然ベルリンに最初にソヴィエトの旗――赤字にハンマーと鎌のアレ――を掲げた兵士として新聞に載り、英雄扱いを受けることになる。戦後は、MGB(国家保安省、のちのいわゆるKGB)のエリート将校として毎日を忙しく送っていた、というところから物語は展開していく(ちなみにここまで冒頭の6分ぐらいで語られる)。物語の舞台は、1953年の戦後の冷戦がはじまる頃のモスクワだ。
 物語の流れはいくつかあって、ちょっと複雑なのだが、まず、最初に語られるのが、妻との結婚生活の模様。どうも、主人公は奥さんが大好きなのだが、奥さんはイマイチそうじゃないっぽいことがほのめかされる。もう一つが、スパイ容疑の男を追う話。その過程で部下との確執が描かれる。そして3つ目が、ともに戦争を戦った親友の息子が、「殺人が存在しない国」において「殺される」事件の話だ。

 この3つの流れが一つに合流していくわけだが、とりわけ、3つ目の事件が大きな柱になっているので、変な邦題が付いたのだろう。主人公は、MGB将校であるため、「殺人」という言葉を使う事が許されない。あってはならないことだからだ。故に親友に対しても、「あれは事故である」というでたらめな調書を伝えに行かされるはめになる。もちろん、親友も、特に親友の奥さんは全く納得ができない。だが、「殺人だ!」と主張することは、国家への反逆とみなされ、投獄はおろか粛清の対象にすらなりうる。だから黙るしかない。
 なんて恐ろしいことなんだとわたしは観ていてビビった。これが共産主義、これがスターリン体制下の常識なのか、と。それ以降も、主人公はかなりひどい、ほんとに、もうやめたげて! と言いたくなるような目に遭う展開なのだが、まあ、それは観ていただいた方がいいだろう。これ以上はネタバレなのでこの辺でやめておく。

 いずれにしても、この映画は、「ベストセラー小説を完全映画化!」みたいな惹句で宣伝されていたが、原作を読んでいないわたしとはいえ、それはどうだろう、と実は感じている。というのも、どうにもキャラクターの行動原理がいまいち明確でないのだ。どうしてそうなる、というのがやや説明不足だと思う。とりわけ、犯人の動機と、主人公の奥さんと、イカレた部下のキャラがイマイチつかめなかった。もちろん、それらしき描写はあるといえばあるのだが、うーーん……これはきっと原作ではきっちり描かれているのであろうな……と強く感じた。なのでまあ、要するに原作を読めってことか、と私は了解することにした。
 なので、東京に帰ったら、原作と、続編の2作も読んでみようと思う。
 それは、前述のキャラクター造形の若干の物足りなさが、わたしをそう駆り立てるわけだが、それ以外にも、映画としては全く問題ないきっちりとした終わりであるのは間違いないけれど、この主人公のその後があるなら読んでみたいと単純に思うからだ。結局のところ、わたしはどうやらこの主人公に非常に魅かれたということであり、映画としては非常に面白かったというのが結論であろう。、

 なお、キャストは非常に豪華と言っていい布陣を敷いている。主役のレオは、先日紹介した2代目MADMAXでおなじみとなったTom Hardyだ。イギリス人の彼が、いかにもロシア人っぽい英語をしゃべるのは何とも色気があり、世の女性に人気が出るのもうなずける。その奥さんを演じているのは、スウェーデン人のNoomi Rapaseで、正直彼女は別にうまいとは思えないが、彼女の出世作である『Millennium』シリーズ3部作は、ハリウッドリメイクであるDavid Finchter版よりもずっと面白い。もともとスウェーデンの大ベストセラーである『Millenium』の、かの「ドラゴンタトゥーの女」ことリスベット・サランデル役は、確実に彼女の方が原作のイメージに忠実で、非常に合ってると思う。なお、Noomi Rapaceは、ハリウッド進出のために英語を特訓した努力の人でもあり、今回のロシア人っぽい英語は雰囲気があって悪くない。ほかにも、Gary Oldmanや、4代目ジョン・コナーとしておなじみのJason Clarkeなど、脇もきっちりと有名俳優で固めている。あとヴァンサン・カッセルも出てますな。こいつは別にあまり好きじゃないからどうでもいいや。

 というわけで、結論。
 『Child44』は、わたしとしては十分面白かった。しかし、この面白さを味わい尽くすには、どうやら原作を読むことは必須なんじゃないかな、と思う。興味を持たれた方はぜひ、映画と小説、両方を味わっていただきたい。


↓ 今回の原作(上下巻)。その下が、どうやら2作目、さらにその下が3作目です(※めんどくさいので、いずれも上巻のみ)。

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2008-08-28

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2009-08-28




 
エージェント6(シックス)〈上〉 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2011-08-28



 わたしは今、鹿児島にいる。古い友に会うためなのだが、その人の都合で明日の昼に会うことになったので、今日の夜は全く暇になってしまった。
 というわけで、これから映画を観てこようと思う。
 なんでまた、旅先で映画観るのよ、という突っ込みが聞こえてくるようだが、さっき、調べてみたら、東京でわたしが観たいと思っていて見過ごしてしまった映画をやっていることがさっき分かったからだ。しかも観たいのが二つあって、どっちにしようか、現在決めかねている。劇場で、どっちかに決めるつもり。
 というわけで、ちょっくら行ってくるか。感想は明日書きます。

 ちなみに、今日の鹿児島は 雨。超蒸し暑し。
 そして、食にあまり興味のないわたしは、ホテル近くの店で、黒豚ヒレカツを食った。
 なんというか、普通でした。

 というわけで今日の結論。

 なにやってんだ、オレ?

 わたしが映画オタであることは既に何度もこのBlogにて表明しており、事実として認知いただけているものと思うが、よく、えっ! そうなんですか!? と人に驚かれることが多いのが、わたしがスポーツ、特にランニングや登山、トライアスロンなどとりわけ持久系スポーツをも趣味とする、インドア系・アウトドア系どっちもいける男であることだ。そんなに意外? とわたし本人とすれば若干不本意なのだが、既にわたしは、例えばフルマラソンを3時間チョイ、富士登山を2時間20分台で余裕でこなすという点で、いわゆる普通の人間ではもはやない。もちろん、本気アスリートからすれば、まあちょっと速い市民ランナーレベルではあるが、普通のレベルは大きく超えている。
 そんなわたしの、ベースとなっているのが自転車である。
 中学からチャリンコ通学(片道たった4㎞ほど)を6年間、それ以降も駅まで(たった5㎞ほど)毎日、大学+大学院の7年とサラリーマンの21年間、全て合計で34年間、距離は短くとも常にフルスロットルでほぼ毎日チャリに乗っていれば、そりゃ心肺も鍛えられるというものだ。また、中学・高校時代は、当時はお金がなかったので、有楽町や日比谷までチャリで映画を見に行くことも普通だったし(片道20㎞ほど)、編集部時代はスーツを着る必要がなかったので、週に2回ぐらいはチャリンコ通勤(片道20㎞ほど)もしていた。そんな私にとって、20㎞ぐらいはチャリ行動範囲内と言って差し支えない。もちろん、20㎞ぐらいはママチャリで十分だ。わたしはレースの時と、江戸川サイクリングロードを片道50㎞ほどぶっ飛ばす以外は、ほぼロードマシンには乗っていない。

 ちゃんとしたロードレーサーを最初に買ったのはもう10数年前だが、ロードレーサーは、100㎞以上の距離をストレスなく走るために特化されたチャリンコの特殊車両である。車に例えると、完全にF1と言ってもいいぐらいだ。なにしろ、かのツール・ド・フランスで戦っているマシンが、(金さえ出せば)普通に買えちゃうんだから。なので、そんな戦闘マシンであるロードレーサーで都内を走るのは非常に危険なため、わたしはめったに都内を走ることはないのだが、近年、やたらと目につくようになった。まあ、わたしに言わせれば、都内を走るロード野郎の9割がたはド素人で、正直なところ迷惑千万なゴミどもなのだが(何しろ遅くて邪魔! ママチャリでのわたしより遅い)、そういうなんちゃってロード野郎(最近は女子もすげえ増えた)が増殖する一つのきっかけを作ったのが、この『弱虫ペダル』と言ってもよいだろう。 

 ストーリーは、アニメオタクの少年が、お金を節約するために秋葉原へチャリで通ううち、学校で、本気で自転車競技を行っている男たちと出会い、触発され、ついに自転車競技部に入部し、本気で自転車ロードレースを始める、という話が基本にある。最初、そのストーリーを聞いたとき、なんか聞いたような話だな……ってオレだ! オレはアニメじゃなくて映画だったけど、それ、オレ! とちょっと驚いた。しかも、舞台となる「総北高校」は、わたしの住む千葉にあり(どうやら佐倉あたりらしい)、作中で表現される秋葉原までの道のりが、まさにわたしがかつて有楽町や会社まで通った道と同一なのだ。わたしの場合は、江戸川を渡ってすぐだが、主人公はさらにそこから30km近く奥に住んでいるらしい。
 と、いうような、何とも言えない同一性があって、自転車レースが大好きなわたしが手に取るのはもはや必然だったとも言える。で、読んだ。面白い。ええい! と全巻まとめ買いの大人買いをしたのが、1年目のインターハイの決着直前のあたりだと思う。以降、ずっとジャンプ派だったわたしなのに、週刊少年チャンピオンを毎週買いはじめ、そして電子書籍でもまた全巻買い直すという荒業にも出た。それほど、『弱虫ペダル』にすっかりはまってしまったのである。
 TVアニメも大好評のうちに幕を閉じ、満を持しての劇場版が4日前の土曜日に公開された。TVアニメは、1年目のインターハイの決着までを、きっちり描いてくれた。非常にクオリティの高い脚本で、おそらくはファンにとっては大満足のアニメ化だったと思う。そして今回の劇場版は、原作にはない、オリジナルストーリで登場した。

 オリジナルストーリーとなると、一歩間違うととんでもない地雷と化すが、今回は原作者たる渡辺航先生が書き下ろしたストーリーなので、まあ安心だろうと思い、観に行ったわけだが、なんとうか、うーーん……いや、もちろん別につまらんとは言わないけど、そうだなあ、完全にファンディスクというか、ちょっとファンを――特に女子ファンを――大切にしすぎているというか……ちょっとね、坂道と巻島先輩、いちゃつきすぎじゃね!? というのがわたしの感想です。

 『弱虫ペダル』を知らない人には全く通じないと思うが、知ってる人には、上記のわたしの感想で、ははあ、そういう話ね、とピンとくるのではなかろうか。
 インターハイ後、九州で行われるレースに招待されたチーム総北、主人公坂道は新しいマシンを手に入れやる気満々だったが、大好きで尊敬する巻島先輩が、九州遠征には参加せず、急にイギリスに旅経つことを知り――。みたいな話です。まあ、その辺は原作通りなんだが、インターハイ後に九州遠征があったというのが今回のオリジナル要素。まあ、どういうレースになったかは、観てのお楽しみという事で。

 今まで、チャリンコ漫画というと、わたしのような本気(おっさん)レーサーにとってのバイブルは、1992~1995年に同じチャンピオンで連載していた曽田正人先生の『シャカリキ』なのだが、おそらくはもう、『弱虫ペダル』は『シャカリキ』を超えたと言っていいと思う。いや、もちろん『シャカリキ』は今読んでも十分に熱く、面白い漫画なのだが、もはやちょっと、機材やペダリングといったサイクル理論において、古い。現代ロードレースでは常識となっていることがまだ発明される以前なので、今の『ペダル』から自転車に興味を持った人が読んでも、ちょっとノれないんじゃないかと思う。
 実は、自転車というものは、本当に年々進化していて、ほぼすべてのメーカーは「イヤーモデル」、つまり毎年モデルチェンジしている。もちろん大幅なフルモデルチェンジはそう頻繁ではないが、確実に自動車よりもモデルサイクルは短い。また、乗り方も、いろいろ進化しているのだ。その辺は、自らも自転車が大好きで数々のレースに参加している渡辺先生がきっちり描いてくれているので、コアな自転車乗りでないとわからないかもしれないが、意外とリアルなのだ。
 例えば、『シャカリキ』も『弱虫ペダル』も、主人公は共通して小柄なクライマーなのだが、乗り方は全く正反対だ。『シャカリキ』の主人公テルは、とにかく重いギアをぐいぐい踏んで乗る。これは、当時はそれが当たり前だったからだ。当時は、重いギアが踏める奴が正義だったのである。しかし、現代レーサーは、2000年代最強だった、かのランス・アームストロング(ツールを7連覇するという偉業を達成するも、後にドーピングが発覚してすべての記録が抹消された)が開発した(?)、軽いギアをとにかく回しまくる、高回転型(ハイケイデンス)が主流なのである。あくまでクライマーの場合、ではあるが、『ペダル』の主人公、小野田坂道の必殺技も、まさしく高回転走法である。
 
 一応、かなり本気でチャリに乗っているわたしからすると、小野田坂道の高回転走法は、無理ではない、けど、かなりの条件が必要だとは思う。その条件はずばり、心肺能力だ。高回転に必要なのは、筋力じゃないんだな。いやもちろん筋力も必要だけど、心肺能力の強化の方が重要だ。なぜなら、人間の体の中で、もっとも筋肉量が多いのが太もも、要するに足である。その足を動かすと、当然心拍は上がる。心拍が上がりすぎると、無酸素運動となる。無酸素運動となると、乳酸がたまる。乳酸がたまると、足は動かなくなる。そういう順番なので、心拍を、MAXハートレートの75%程度で維持できなくてはならない。そのためには、強靭な心肺能力がどうしても必要なのだ。本作では、小野田坂道は秋葉原まで50㎞だかの距離を毎週チャリで通って心肺が鍛えられたという設定になっているが、それがありうる話かどうか。わたしは、結構ありうると思っている、だって、オレがそうなんだもの。実体験として、十分ありうる話だとわたしは思う。ただし、ちょっとやりすぎかなー、ケイデンス30上げるのは無理っショ。

 というわけで、結論。
 『劇場版 弱虫ペダル』は、この作品が大好きな人は必見、それほどでも……という人は、まあ見なくても大丈夫だとは思います。ただ、劇中でわたしが思わず「ブホッ!!」と吹いたシーン――なんと今回、金城さんも、今泉くんも、鳴子くんも、「ヒーメヒメッ!」を全員歌います! しかもレース中に!!――がありますので、金城さんの野太い声での「ヒメ!」や、真面目にカッコよく歌う今泉くんの「ヒメなのだ―!」を聞きたい人は、今すぐ劇場へGO!!

↓ これが『シャカリキ』。とにかく熱い!! 私はこの漫画も大好きです。 


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