もうかなり記事も多くなってしまったので、目次を作った。なお、一番上に固定するために、日付を2025年と適当にした。記事は以下のような分類なので、興味のあるカテゴリーがあればどうぞ。
00_メモ
  └002_PCガジェット類
  └003_旅
  └004_チャリ
  └005_TV番組
  └006_街と店
  └009_どーでもいいこと
01_書籍
02_映画
  └021_洋画
  └022_邦画
  └031_宝塚歌劇
  └032_劇団四季
  └033_東宝帝劇系ミュージカル
  └034_ブロードウェイ
  └035_ストレートプレイ
  └041_絵画アート系
  └042_博物歴史科学系 
 基本的に、オレの、オレによる、オレのための備忘録なので、他人が読んで面白いのか全く不明です。アクセスログによると、今や7割方がスマホからのアクセスですが、PCブラウザでの閲覧を想定してますので、毎回くっそ長い駄文です。書く時にわたしが思ったことを書き連ねているだけなんで。サーセン。 

 わたしは大学時代、19歳で中型自動二輪免許を取って以来、10年ぐらいバイクに乗っていたのだが、20代後半に父が亡くなった時、やたらと車を運転しなくてはいけないことが多くなった。その当時の家の車は、トヨタの9代目(8代目かも)クラウンだったのだが、その当時のクラウンは、とにかくハンドルもサスペンションもふわっふわで、なんつうか接地感がなく、恐ろしく運転がしにくい車だったため、くそう、やっぱオレの自分の車が必要だ、と思うに至り、わたしは人生で最初の「自分の車」としてマツダの初代デミオを買うことにしたのだった。
 以来、もう20年以上、わたしは自分の車を途切れることなく所有しているが、若かった当時は車よりバイクの方が楽しかったけど……いざ自分の車を持ってみると、バイクと比較してとにかく楽であり、荷物も人も積めるという点でも圧倒的に便利であるため、今やすっかり車の方が好きになってしまった。
 もちろん、ドライブも大好きだし、車の運転で疲れることもあまりない。バイクの時は(タンク容量が小さいので)180km程度でガソリンの心配をしなきゃいけないし、バイクに乗っている時特有の、360度全周囲への注意力に比べると、とにかく車は楽だ。
 そんな、今やすっかり車好きのおっさんと化したわたしは、ほぼ毎日車情報サイトをチェックするなど、恐らく普通の人以上に車に詳しいつもりだが、今週末から公開になっている映画『FORD v FERRARI』は、その題材は勿論超興味あるし、そして作品の出来としてもとても評判が良いこともあって、公開前から楽しみにしていたのであります。
 というわけで、さっそく観てきたのだが、噂にたがわぬ素晴らしい演技や、迫力あるレースシーンとその爆音、そして、なんつうかな、画面から感じられる「ガソリンの匂い」に酔いしれる153分であったと思う。わたしはもう、超大満足であります! もう、1991年のMAZDA 787B優勝の物語も映画にしてほしいわ!!

 まあ……なんつうか、いつものFOXクオリティの予告はアカンというか……この予告のラストに、当時のFORDの社長(=Henry Ford II氏。FORD創始者Henry氏の孫)を「FORD GT40」に乗せて、泣かすシーンがあるじゃないすか。このシーンは、この予告では何かふざけた?ツッコミを入れているけれど、本編では超グッとくるシーンなんすよ! 泣きながら、「おじいちゃんにこの車を見せたかった、この車におじいちゃんを乗せたかった!」と感極まっているところで、これで主人公は社長の信頼を得る、重要なシーンなのに! FOX JAPANのセンスを疑うわマジで。
 ともあれ。
 物語は、1966年にFORDが念願の「ル・マン24時間」に勝利するまでの経緯を描いたプロジェクトXめいたお話である。まあ、その経緯はもはや伝説として有名かもしれないけれど、車好きのわたしでも知らなかった点が多くて、わたしはとても楽しめた。
 また、本作は、いわゆる「突き詰めた才能を持つ男」VS「大企業」の方がメインで、FERRARIはその男たちが超えることを誓った目標に過ぎず、男たちの本当の敵は「大企業=FORD社」の方だ。
 1960年代初頭、時代はオイルショック前。天下の大企業FORDも車が売れなくなってきており、打開策として、1945年の終戦を迎えた兵士たちが帰国して、いわゆるベビーブームが始まる直前に、その1945年以降に生まれた若者たちにアピールする車の開発が必要だった。そしてそれは、マーケティング的には「速くて強くてカッコいい車」が最適であり、そのためにFORDは、当時ル・マンを3連勝していたFERRARIをぶっ飛ばすのが一番の宣伝になると考えていた。
 さらに、当時FERRARIも深刻な経営危機に陥っていて、大企業FORDは、FERRARIを買収してレース部門を任せればいいじゃん、という案をひらめく。そしてすぐにイタリアに渡り、FERRARIの創始者Enzo Ferrari氏に合併話を持ち込むが……土壇場でイタリアのFIATがFERRARI救済に動き(※今でもFERRARIはFIATの子会社です)、合併はご破算に。あまつさえEnzo氏は、「FORDは醜い車を醜い工場で大量生産してればいい」とか捨て台詞を吐く。それを聞いたFord社長は激怒、フェラーリをぶっ飛ばせ! という方向に会社は舵を切る。ちなみにFORDのお偉方の大半はレース参戦に反対していたが、当時マーケティング担当役員だったLee Iacocca氏(=のちのFORD社長でMUSTANGを作った人、だけど、この人も凄いドラマがあるのでWiki参照)が社長のフェラーリブッ殺せ宣言をバックにのし上がると。
 で、Iacocca氏が目をつけていたのが、当時アメリカ人で唯一ル・マンを勝った男であり、自ら手掛けた車をデザイン設計販売まで行う会社も経営するCaroll Shellby氏だ。車好きなら絶対に知ってる名前でしょう、かの「シェルビー」のご本人ですよ! そして彼は心臓の持病でもうレースから離れていたため、開発のメカニック兼レーサーとして抜擢したのがKen Miles氏だ。イギリス人であり、偏屈なMiles氏はFORD重役たちと話が合うわけもなく、間にShellby氏が立って、何とかル・マンを戦う車FORD GT40を仕上げていく。たけど常にFORDの重役の邪魔が入ってさまざまなドラマが展開する様相は、非常に現代にも通じる「大企業病」のようで、観ていてほんとイラつくっすね。だけど、そんな様々な障害を乗り越えて勝利する様は、観ていてとても胸がすくし、フェラーリをブチ抜いた時はもう一緒に、グッと拳を握っちゃったぐらいだ。
 だけど、物語はラスト、非常にビターな展開になる。これはもう、劇場で見て確かめてほしい。Miles氏の、駆け抜けた人生は、とてもドラマチックで、非常にグッと来たっすわ。
 そしてそのドラマを盛り上げた役者陣の演技がもう本当に素晴らしくて、実に最高だったと思う。
 ◆ケン・マイルズ:イギリス人として第2次大戦に出征、壊れた戦車でベルリン陥落に乗り込むなどの経験あり。戦争後は、アメリカでしがない自動車整備工場をやりながらレースに参戦していたが、経営破綻したところでシェルビーに「FORDル・マン制覇PJ」に誘われる。天才肌のメカニックでもあり、車と対話しながら最強の車を作り上げ、自らレースに挑むカッコイイ男。車にのめり込んでいるけど、家族を愛した良き夫であり良き父でもあった。演じたのはChristian Bale氏。超熱演。まず喋り方からしてイギリス訛りがすごいというか、いつもと全然違うのに驚き。いい演技でしたなあ、ホントに。自らに「譲れないモノ」を持つ男ってのはカッコイイですなあ。Bale氏の徹底的な役作りは本作でもいかんなく発揮されており、変わり者の天才だけど愛妻家で息子を愛する父でもあって、ル・マンでの最後の決断と裏切られた表情は極めて上質だったすね。実にカッコ良かったよ!
 ◆キャロル・シェルビー:元々天才肌のレーサーでアメリカ人として初めてル・マンを勝った男(その時の車はアストンマーチン)。しかし心臓の持病でレーサーを引退、その後は自らの会社をたててスポーツカー「シェルビー・コブラ」などを作って販売していた。FORDにスカウトされ、「打倒フェラーリ」の陣頭指揮を執る。演じたのはMatt Damon氏。現場もよくわかってる、けど大人として(?)、お偉いさんたちへの対応もこなして間を取り持ち、まあ相当ストレスはたまったでしょうなあ。非常に素晴らしい演技でありました。FORDには「シェルビー」を関する名車がいっぱいあったわけで、自動車好きなら絶対知ってるお方ですよ。FORDはもう日本から撤退してしまったけれど、ホントはわたしが一番欲しい車はFORD MUSTANG GT Shellbyなんだよな……現行車は世界で一番かっこいいと思うすね。イギリス仕様の右ハンドル車が欲しい。。。
 ◆モリー・マイルズ:ケンの奥さんであり、ケンの理解者。非常に魅力的な女性で、「ゴムの焼ける匂いとガソリンの匂いが大好きな女よ!」と言って現れた時は、その台詞にグッときましたね。そしてケンが何も言わないでいろいろやっちゃうことにブチ切れて、ケンを助手席に乗せて一般道をぶっ飛ばすあのシーンも最高でした。舐めてんじゃないわよ!!とキレられたら、さすがのケンも、サーセン、俺が間違ってました! と認めざるを得ないすね。素晴らしい女性です。演じたのはCatriona Balfeさんで、モリーをとても魅力的に演じてました。Balfeさんは、アイルランド人か。すごい訛りのある英語だったけど、ありゃアイルランド訛りだったのか? 米語ではなかったすね、明らかに。いずれにせよとても良かったす。
 ◆リー・アイアコッカ:FORDのマーケティング担当役員で、一応、ケン&シェルビーコンビのFORD側の唯一の味方、と言っていいのかな。いや、実際は自らの野望のために味方したというべきかも。演じたのはテレビ版『PUNISHER』でお馴染みJon Brenthal氏。なかなかカッコイイすね。
 そして本作を撮ったのが、かの名作『LOGAN』を作り上げたJames Mangold氏ですよ。この人の撮る、乾いた砂漠っぽい、アメリカ中西部的な広大な景色ってのは味がありますねえ! 砂埃と夕焼けが似合うような画が、とても特徴的だと思う。そしてル・マンをはじめとするレースシーンもとてもダイナミックかつドラマチックで大変素晴らしかったと思います。
 とまあ、映画そのものについては以上かな。
 そして、わたしは本作を見ながら、マジでトヨタとホンダの人間は全員この映画を見てくれ!!と思ったすね。わたしはホンダもトヨタも買ったことがあし、現在もトヨタ製の車に乗ってるけれど、今、はっきり言ってこの車が欲しい! という車がまるでないんだよね。確かに日本では車が売れないし、海外を見据えるのは、そりゃあ企業として止む無いだろうと思う。だけど、自分の作った車に乗ってみてほしい。乗ってて楽しいか? だいたい、幅1845mmはデカすぎて、完全に日本の道に合わないし、メーター回りも古すぎるよ!! 明らかにBMWやAUDIやMercedezに負けてる部分が多いことをちゃんと自覚して、これでいいや、じゃなく、くそう奴らをブッ飛ばしてやる!! というガッツを見せてほしい。セダンが売れないから作らない!? そうじゃねえんだよ! 乗りたいセダンがないから、しょうがなくSUVに乗ってんだよ!! 次のISがまたデカくなっちゃったら、わたし、もうNXたたき売って次はLEXUS買ってやらんからな!!

 というわけで、最後は観ていてムラムラ感じた怒りになっちゃったので結論。

 車好きのわたしとしては非常に期待した映画『FORD v FERRARI』が公開になったので、さっそく観てきたところ、噂にたがわぬ素晴らしい映画でありました。役者陣の熱演も素晴らしいし、監督の技量も大変見事で、非常にクオリティの高い作品だったと思います。車好きは観てて燃えますよ、間違いなく。画面から感じられるガソリン臭はたまらんすね! この映画は、全日本車メーカーの社員全員が観るべきだと思います。そして、熱いハートを取り戻してほしい! 心からそう願います。ガッツあふれるカッコイイ車を作ってください! うるせーお偉方は、車そのものでで黙らせてほしい! 今、車が売れないのは、そりゃあ若者の経済力の問題もあるだろうし、公共交通機関網の発達もそりゃあるだろう。でも、はっきり言っておきますが、最大の問題は、魅力的な車がないからですよ。それはもう断言できるね。日本の道に合った、コンパクトで、カッコ良く、楽しい車があれば絶対売れると思う。圧倒的ナンバーワンであるトヨタが率先しないでどうする! 全トヨタ社員はこの映画を見て、心たぎらせてください! 以上。

↓ 今の愛車。2台乗り継いだISがいつまでたってもモデルチェンジしないので、しょうがなく去年のマイナーチェンジ版を選んだだけ。NXも最高にカッコ良くて気に入ってはいるけど、メーター回りが古すぎる……。。。

 今年2020年1月で、わたしが初めて宝塚歌劇を観劇してから11年が経過した。会社のヅカファンのお姉さんたちがいて、オレも一度見てみたいんすよね……ということで初めて連れて行ってもらったのが2010年1月なので、もうずいぶん経ったもんだ。
 最初にチケットを獲ってくれた美しきお姉さまをわたしは「ズカ師匠」と呼んで崇めているのだが、その師匠が、「あなた、この作品はすごいわよ、絶対観ないとダメよ!」と強く推していたミュージカルが、『フランケンシュタイン』という作品であります。
 本作は、元々韓国産ミュージカルで、師匠はわざわざ韓国にも観に行ったほど気に入ったのだそうだ。日本初演は2017年で、その時に師匠に激推しされたのだが、わたしは残念ながらどうしても予定が合わず、観に行けなかった。そしてこの2020年、待望の再演となったので(※うーん、今回は3回目の再再演だと思ってたけど、どうも勘違いで今回が2回目、再演らしい。そうだったっけ?)、もう半年ぐらい前?からチケットを確保し、今日、日生劇場へ赴いたのであります。
farankenstein
 というわけで、赴いた日生劇場は、1963年に完成した劇場で、以前わたしは浅利慶太先生本人から直接「日生劇場はねえ、ぼくと石原慎太郎で作ったんだよ」というお話を聞かせてもらったことがあるが、もう50年以上の歴史があるわけで、ズバリ、もう建物としてかなり古い。現在駐車場が工事中で使えなくなってました。一瞬、そうだ、日生行くなら駐車場あるから車で行くか、とか思ったんだけど、素直に電車で行ってよかったす。
 で。
 物語は、Mary Shelly女史による原作小説「フランケンシュタイン」とは全然違う、けど、微妙にちゃんと設定を踏襲している点もあって(と言っても、スイスが舞台で最後は北極とかそのぐらいかも)、大変興味深い物語となっていたのが新鮮であった。
 世はナポレオン戦争中のヨーロッパ。フランケンシュタイン青年は幼少期に母を亡くし、その母をよみがえらせるんだ!という生命の創造に憑りつかれ、ドイツに留学し、その後、従軍医師(?)として戦地に赴くが、ある日、アンリという人体接合の整形外科医(?)がフランス軍人(アンリって名前からフランス人か? と思ったけど、何人か不明でした)を治療したとして処刑されようとしているところに出会う。フランケンシュタインはアンリの論文も読んでいたので、アンリを助け、自らの「実験」の助手になるよう説得、アンリは、そんなのは神への冒涜だと反発するが、結局は命を助けてもらったこともあって助手になり、戦争も終わってフランケンシュタインの故郷、ジュネーブへ同行する。
 しかし、戦争が終わっちゃっているので、実験に使える「死体」が調達できず、困っていたところ、そうだ、葬儀屋に金渡して死体を横流ししてもらえばいいんじゃね? とひらめくが、なんと、その葬儀屋が金欲しさに、自分で人を殺して死体を用意するという暴挙に出る。カッとなったフランケンシュタイン博士は、つい、その葬儀屋を殺してしまう。その時、アンリが自分が葬儀屋を殺したことにすればいいと替え玉を志願。かくしてアンリは処刑されてしまうが……フランケンシュタイン博士は自分のために死んでしまったアンリをよみがえらせるために、禁断の実験を行うのだった……! てのが第1幕のお話であった。なので、結構ツッコミどころはあったと思う。
 そしてこのミュージカルの最大の特徴が、第2幕と言っていいだろう。第1幕の役者たちが、まったく違う役柄で、当然全く違う衣装やメイク、まったく違う性格の人物として物語が進むのだ。そして曲がいちいちカッコいい!! やっぱりミュージカルは曲が命でしょうなあ。これは師匠が絶賛したのも納得だぜ、とわたしも大興奮でありました。
 というわけで、いつもは物語のキャラごとに感想を書くけど、今回は演じた役者陣ごとにメインの4人だけ、2役のキャラをメモして行こうと思う。ーーその前に、せっかくホリプロが動画を用意してるので貼っとくか。ホリプロはホント、ミュージカルに本気ですな。

 ◆柿澤勇人氏:フランケンシュタイン青年を演じた一方で、第2幕では、蘇り逃亡したアンリ=怪物を使って地下格闘場のようなバトルコロッセオを運営するクソ野郎ジャックを演じてました。しかしやっぱり柿澤氏はカッコイイし歌もイイすねえ! わたしは柿澤氏の声が大変良いと思います。現在はホリプロ所属だけど、元劇団四季出身だけに、滑舌もばっちりだし、非常に優れたミュージカルスターですな。泣きの芝居も大変グッときました。どうでもいいけど、浅利先生の物まねで笑いを取るのかどうかと思います!笑!
 ◆加藤和樹氏:もう一人の主人公アンリと、2幕では死から蘇った「怪物」ということで、唯一(?)同一人物ではあるけど、やっぱりキャラとしては別人という変則的なお芝居となってました。そしてやっぱり歌も極上。イケメンで歌もうまいって、もう無敵ですよ、ホントに。わたしにとって加藤氏は永遠の跡部様であり、崇め奉ることにやぶさかではないす。昨日、つい会社で『テニミュ』時代の加藤氏の映像を見ながら仕事しちゃいましたが、やっぱり当時から光ってますなあ。もう15年以上前だもんな……。本作はフランケンシュタインとアンリはWキャストになってますが、わたしとしてはもう1ミリ秒も迷わず、柿澤氏&加藤氏の組み合わせを選択したっすね。最高だったす!
 ◆音月桂さん:もう説明不要の元雪組TOPスター。退団してもう7年か……わたしが宝塚歌劇道に入門した時以降に雪組TOPスターに就任された方なので、その当時をギリ何度か見ております。そして今やすっかりお美しい女性ですよ。歌もイイっすね!今回演じたのは、フランケンシュタイン青年の幼馴染の女子ジュリアと、2幕ではジャックの運営するコロッセオに二束三文で売られて下働きをしているカトリーヌというとても可愛そうな女子を演じてました。ジュリアとしては出番も少なめだし歌も少ないんだけど……カトリーヌとしてはソロ曲も非常にソウルフル(?)で、超良かったす。あ、どうでもいいけど、音月さんの次の次に雪組TOPスターに就任した(けどもう退団済み)早霧せいなさんが客席にいらっしゃって、わたしは一人大興奮してました。おお? あのお方は!? とびっくりしたっす。
 ◆露崎春女さん:1幕ではフランケンシュタインの姉のエレン、そして2幕ではコロッセオを運営するジャックの妻(?)、エヴァを演じたいらっしゃいました。恥ずかしながらわたしは露崎さんを存じ上げなかったし、1幕ではかなり地味目だったのだが、2幕のエヴァの、若干パンクで熱量の高い歌いぶりで、うおお、この人凄い!! と驚き、興奮したっす。1幕の時は、その歌い方から、ああ、この方はきっとミュージカル役者じゃなくて、歌手、シンガーなんだろうな、と感じたのだが、2幕の歌で確信したっすね。パンフにも歌手としてのプロフィールしか載ってないし、さっき改めて調べて、この人は歌手だろうなというわたしの感想が正解だったことを知ったす。もう今年で歌手歴25年になるみたいすね。2幕でのハスキーでパワフルな歌い方が、露崎さんの本領発揮だったんすね。最高にカッコ良かったす! なお、2017年の初演時にこの役を演じたのは濱田めぐみさんだったんだな……。めぐさんVerも観てみたかったよ!!

 というわけで、短いけど結論。

 わたしをヅカ道に導いてくださった師匠が2017年に激推ししていたミュージカル『フランケンシュタイン』。2017年の初演はどうしても都合がつかず観に行けなかったのだが、いよいよ待望の再演! ということで、さっそく観てまいりました。師匠が激推ししたのも納得のクオリティで、とにかく全編曲がカッコ良く、また各キャラの演じ分けが素晴らしく、結論としてはもう、大変満足であります。柿澤氏と加藤氏の歌声は、非常にイイすね! とてもカッコ良かったす! そして音月さんも本当に美しいし、歌もとても良かった。また、初めて知った露崎さんのハスキーシャウトが超カッコ良かったす! ただ、物語的に若干アレな部分があるし、エンディングもかなり重いので、見終わった時に、気分爽快! って訳にはいかないすな。なんつうか……神への冒涜とかそういうことは別に感じないけど、やっぱり命を弄んではダメですよ。死を受け入れるのも、大人の流儀なんじゃないかなあ……ガキ過ぎたな……彼らは……とかそんなことを思いましたよっと。以上。

↓わたしとしては2005年のこれが『テニミュ』で一番好きっすね。当時はBlu-rayは出てないんだけど、わたしはWOWOWでのHD版をバッチリ録画しました! 若き頃の加藤和樹氏、城田優氏の二人の部長対決は超熱いし、歌も最高です。そして斎藤工氏も出てますが……斎藤氏は歌が……ヤバイ……

 2020年。仕事始めは明日の1月7日の月曜日だが、今日は朝からチラッと会社へ行って気になっていた仕事を4時間ほどで済ませ、13時過ぎには会社を出て、帰りに「そうだ、アレ行っとくか!」と思い立ったので、両国へ向かった。そうです。両国駅前の江戸東京博物館で絶賛開催中の『大浮世絵』展であります。
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 この展覧会は、去年の11月から始まってあと2週間ほどで終わってしまうのだが、わたしが前売券を買ったのは、もう去年の9月ぐらいじゃなかったかな、ずっとチケットホルダーに入れっぱなしであったのだが、今日、そのホルダーを持ち歩いてて良かったよ。うっかり忘れるとこだったが、問題は時間で、こんな昼過ぎに行ったら、くっそ混んでるんじゃね!? いやいや、正月だし、どうかしら……? というのんきなことを思いながら江戸東京博物館に入ると……まあ大変な行列でチケットブースは混んでいた。わたしはもうチケットがあるので、うわあ、こりゃあかんかも……と思いながらエントランスへ向かうと、思いっきり「混雑」の札が立っていた。
 うーーん、出直す? どうする!? と自らに問うこと15秒。ま、行ってみっか! と入場したところ、まあ、見えないことはないし、十分鑑賞はできる、けど、はあ、やっぱり美術鑑賞は朝イチに限るな、といつもの感想を持つに至った。自分もその混雑を生成する一人なのでお前が言うな大賞だけど、やっぱ邪魔っすね、これだけ入場者がいると。
 で。
 今回の展覧会は、そのタイトルにある通り、名だたる浮世絵作家の豪華夢の競演、であったのは間違いないと思う。点数も100点強はあったのかな。貰って来た出品リストによると、かなり細かく2週間ぐらいごとに展示作品がチェンジされてたみたいで、リスト全品は観られなかったのはちょっと残念。でも、その物量はそれなりに圧巻で、大変楽しめました。
 展示は、完全に作家ごとの5章構成になってました。ちょっと、自分用備忘録として、いつごろ生きた人なのかもメモっとこう。
 ◆第1章:喜多川歌麿<1753?年生~1806年没>
 歌麿先生は婦人画から始まって、風俗画っていうのかな、日常の一コマ的な? 作品でまとめられていた。とにかく、着物の柄が細かく素晴らしい! 色もいいっすねえ! なんとか小町的な、街で評判の美人さんたちを描いたシリーズは、ホント今のファッション誌的というか、読者モデルの先がけっすな。大変イイ感じでした。
 ◆第2章:東洲斎写楽<1763?年生~1820?年没>
 写楽先生は、もちろん?役者絵ですな。歌舞伎役者勢ぞろいで、恐らくいちばん有名な「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」もありました。今日展示されてたのはベルギー王立美術歴史博物館の所蔵品だったそうです。前々からこの作品は、手が変な形だなあ、とか思ってたけど、どうやら解説によるとわざと、らしいす。へえ、そうなんだ。
 ◆第3章:葛飾北斎<1760年~1849年>
 北斎先生は、メインはやっぱり「富嶽三十六景」ですかね。もちろん超有名な「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」もそろって展示されてました。わたし、「浪裏」は結構何度も観たことがあるけど、ひょっとすると「快晴」は初めて生で観たかも。赤い富士が超見事! まさしくビューティフル! 今日観た中では、なにげに「深川万年橋下」がなんか気に入ったす。もちろん今でもある橋で、何度も通ったことがあるす。小名木川が隅田川に合流するチョイ前っすね。当時はホントに富士山が見えてたのかなあ。
 ◆第4章:歌川広重<1797年生~1858年没>
 広重先生のメインもやっぱり「東海道五十三次」ですな。いわゆる広重ブルーがとにかく鮮やか! 東海道ということで、海と、川が写り込んでる作品が多いすね。それ以外にも「木曽海道」「近江八景之内」「名所江戸百景」も展示が多く、万年橋はこちらでも描かれてました。全然カメラアングルが違ってて、一番メイン?に「亀」がぶら下げられてるのがおもろい! 亀は万年!ってこと?
 ◆第5章:歌川国芳<1798年生~1861年没>
 そしてラストの国芳先生は、もちろん武者絵と戯画、ですな。何年か前に渋谷Bunkamuraでやってた『国国展』でも多くの作品を観たけれど、もう国芳先生の作品は完全なるポップ・アートですよ。ラノベの挿絵的な、物語のワンシーンを描いたものや、サイズもでっかいものも多くて、大変面白いすね。観たかった「宮本武蔵の鯨退治」は、残念ながらもう展示が終わってて見られなかった。くそーー!
 とまあ、こんな感じに、わたしとしては大変興奮いたしました。面白いよなあ、ホント。そして浮世絵とは、ズバリ言うと版画なわけで、同じ作品でもすり色が微妙に違う作品とかもあって、非常に興味深いすね。しかし、つくづく残念なのは、多くの作品が海外に渡ってしまっていて、常設ではなかなかここまでの規模では見られないことなんすよね……でもまあ、我々の日本代表として、世界各国で高く評価されているのは喜ばしいことなのかな。ぜんぜんわたしなんか関係ない人間なのに、NYCのMETに堂々と展示されてるのを観たときなんか、すごくうれしくなったっつうか、誇らしく感じたっすね。これぞまさしく、COOL JAPANってやつでしょうな。最高です!
 
 というわけで、さっさと結論。

 ずいぶん前に買っておいた前売券で、今日ふと思い立って両国へ行き、『大浮世絵』展を観てきた。わたしが浮世絵を観て、うおお、すげえ! と感動するのは3つポイントがあって、一つは「線」。超細かい! とくに女性の着物の柄なんてすごいっす! そして「色」。版画だよ!? オール人力だよ!? この色、どうやって出したんだ!? という感動が凄いす。そして「デフォルメ」と言っていいのかな、アングルというか、超広角だったり、その「構図力」が完全に西洋絵画とは別物で、ホントにすごいと思う。そりゃあゴッホやモネたちは浮世絵に大興奮したでしょうなあ! 神がかってるとしか言いようがないすね。というわけで、わたしも大興奮して楽しめました。やっぱいいっすねえ、浮世絵は! できれば、春画もさりげなく混ぜてほしかったす。アレはアレでやっぱりすげえので。でもまあ、江戸東京博物館じゃ展示は無理なのかな……。でも、美人画の中には、ポロリしてる作品もありましたよっと。以上!

↓ 江戸の風景を観てると、やっぱり当時は両国のあたりが一番栄えてたんだなって、よくわかるっす。両国辺りに住みてえなあ……!

 あーあ。2019年は今日でおしまい。本当に2019年という年は、オレ史上最悪に近い年だったと思う。マジで全くいいことがなく、悪いことが重なり、ホントにもう、毎日ぐったりである。
 家でも仕事でも、イヤなことばかりだった。しかも最悪なのは、その悪いことは年をまたぎ、いまだ解決せず現在進行形ということだ。わたしは、どんなにつらいことでも、その「終わり」が設定できるなら、耐えられるし、耐えてみせる。けど、その終わりの図が見えない今は、本当に我が人生最悪な時と言って差し支えない。今後もっとひどいことがあるかもしれないけど、もういろいろなことにこりごり、だ。
 というわけで、今年は大好きな映画を観に行くことが全然できず、なんとここ30年ぐらいで最低記録の年間24本にとどまってしまった。しかもまったく1本も観ていない月もあるのが我ながら信じられない思いだ。
 よって今年2019年のオレベストはごく短く終わると思いますので、さっさと始めましょう。今年は、本数が少ないので、ベストの順番は付けません。
【2019年1月は2本】
 ◆『CREED II』 クリード 炎の宿敵
 シリーズ第8弾、となるのかな。控えめに言って最高です。ただし、わたしが最高だと思うのは、あくまで老いたロッキーとドラゴの因縁に決着がついたという1点であり、現役世代の主人公、アドニス君及びその妻、には全く共感できません。そもそも弱すぎるし。きちんとアドニスが戦う理由が語られてほしい。全然リア充で、正直彼がボクシングをする理由はほぼないと思う。でも、そんなゆとり小僧の話はどうでもよく、ロッキーとドラゴの二人は最高でした。
 ◆『THE GIRL IN THE SPIDER'S WEB』 蜘蛛の巣を払う女
 かの「ミレニアム」シリーズ第4弾がハリウッド映画化されたこの作品。シリーズを知らない人がいきなり本作を観て面白いのか、よく分からないけれど、まあ、わたしはそれなりに楽しめました。でもなあ、リスベットが可愛すぎるし、若干ポカをやり過ぎたというか……まあ一言で言えば原作小説の方が5万倍は面白いです、はい。
【2019年2月は5本】
 ◆『MARY POPPINS RETURNS』 メリー・ポピンズ リターンズ
 うーん……未だよく分からないのだが、50年前の前作の正当な続編であり、音楽も役者陣も素晴らしかったのだが、なんかテンションが上がらず、ワクワク感が前作比1/100ぐらいだったような気がしてならない。何故なんだ!? 映画としてのクオリティはとても高いんだけど……うーーん……わからんけど、微妙にノれなかったのが残念す。
 ◆『FIRST MAN』ファースト・マン
 うーん……凄い期待したし、映像も凄いクオリティで、一流の作品であることは間違いないのだが……思うに、主人公たるアームストロング船長が超地味というか、物語の山場がないというか……なんかドラマチックではないように感じた。わたしとしては、有り余る才能を持ちながら「選ばれなかった男」、チャック・イェーガーを描いた『THE RIGHT STUFF』の方がずっと面白かったし好きっすね。
 ◆『AQUAMAN』アクアマン
 控えめに言って最高です! 予告を観た時は、これはまた香ばしいクソ映画じゃないかなあ……とか思ってたおれのバカ! 本作のイイところは、やっぱり主人公たるアクアマンが憎めない野郎ということに尽きると思う。まあ、ただの筋肉バカ、ではあるものの、きちんと反省するし、素直な点が大変好ましいと思う。それに、見た目は完全にバーバリアンなくせに、意外と笑顔は可愛く、なんつうか、ゴールデンレトリーバー的なワンコ系陽キャラなのもいいっすね。また、映像的にも、もうどうやって撮ったのか分からないぐらいのCGはやっぱり凄いと思う。キャストも豪華で、結論としては大変楽しめました。
 ◆『THE FAVOURITE』 女王陛下のお気に入り
 独特のカメラアングルとか、とにかく汚ったねえ宮殿とか、はっきり言って、生理的に嫌悪感を抱く点が多く、好みではないのは間違いない。が、演技合戦は極めて高品位で素晴らしく、アカデミー賞主演女優賞も納得の見事なお芝居でした。そしてもちろん、わたしの大好きなEmma Stoneちゃんも実に見事で最高でした。
 ◆『ALITA: Battle Angel』 アリータ:バトル・エンジェル
 わたしは原作である日本のコミック『銃夢』を読んだことがなかったのだが……劇場を出てすぐさま電子書籍版を全巻買い、すぐに読んでみたところ、想像以上にコミック通りの「絵」であったことに驚いた。物語は微妙にコミックとは違うんだけど、一コマ一コマがかなり忠実に映像化されてるんだよね。そして、なんといってもキャラクターがCG補正されてて、目がデカくて最初は違和感があるのに、どんどんと主人公アリータが可愛く見えてくるから不思議っすよ。非常に不思議な魅力のある作品でした。
【2019年3月は2本】 
 ◆『THE MULE』 運び屋
 しっかし、本当にClint Eastwoodおじいちゃんはすげえ人ですよ。久しぶりの、10年ぶりになるのかな、自ら主演した本作は実に最高でした。脚本、撮影、そして演技。全てパーフェクトと言ってもいいぐらい。実にお見事。現役最強監督の一人であることは間違いないす。
 ◆『CAPTAIN MARVEL』 キャプテン・マーベル
 ついに登場した「最強」のお方。そのオリジンストーリーは80年代を舞台にしていて、大変楽しめました。わたしとしては、単独モノとしてはMUCの中でもアイアンマン>アントマン>ドクターストレンジ、に続いて4番目に好きかも。キャプテン・マーベルことキャロルの最大の問題点は「強すぎる」ことに尽きると思う。強すぎるために、バランスを壊してしまうので、クロスオーバーの際に扱いが難しくなってしまうんだよな……。その端的な例が『END GAME』なわけだが……。ともあれ、この作品は自体は最高でわたしは好きです。特にキャロルの「マスク・オン!」の姿が超カッコイイ!
【2019年4月は3本】 
 ◆『HUNTER KILLER』 ハンター・キラー 潜航せよ
 まあ、お話的にはかなりトンデモで、その点ではアレなんだけど……意外と魅せる演出やキャラ造形は、エンタテインメントとしては一流だったように思う。わたしはそもそもTom Clancy先生のJack Ryanシリーズが大好きなので、その若干劣化版としては十分楽しめました。悪くはないす。
 ◆『SHAZAM!』 シャザム!
 「アクアマン」同様に、予告は全く面白そうじゃないのに、本編は大変楽しめました。これは良かったすねえ。設定がかなりテキトーというか穴だらけ? だし、主人公の少年には全く共感できないけれど、とにかく主人公と共に生活する少年&少女がとても魅力的。ラスト、全員が「変身!」する姿には燃えましたなあ! 大変面白かったす。
 ◆『AVENGERS ENDGAME』アベンジャーズ:エンドゲーム
 うーん……わたしはBlu-rayも買って、既に4回ぐらい観ているのだが……やっぱり面白くないすね、結論としては。どう考えても、Back to the Futuer part IIだし、そのドタバタがあまり面白くないというか……うーん……。ただし、ことトニー・スタークに関してはすべて完璧で、最初から最後まで、トニーだけは最高にカッコ良かったし、あのエンディングもグッときました。あと、わたしがずっと嫌いだったCAPが、ついにムジョルニアを手にするあのシーンは最高でした。そのぐらいかな……。キャロルが全然活躍しないのも残念だったし、ソーのデブ化もほぼ意味がないし、ナターシャ殉職も問題アリだし、なんか残念だったす。
【2019年5月は1本だけ】
 ◆『REPLICAS』レプリカズ 
 まあ、ネタムービーとしてはいろいろ突っ込みがいのあるトンデモムービーでした。主人公のキアヌ兄貴は一人ずっとしかめっ面で困っていて、さらに友達に無茶振りばかりかまし、とんでもないエンディングへと至る物語は、率直に言って0点です。本作はキアヌ兄貴観賞用ファンムービーということで良いと思います。勿論、観に行って後悔は何一つありません。だっておれ、キアヌ兄貴の大ファンなので。
【2019年6月は2本】
 ◆『X-MEN DARK PHOENIX』 X-MEN:ダーク・フェニックス
 何度も書いている通り。FOXはもう『LOGAN』でX-MEN作品を終わらせるべきだったと思う。とんだ蛇足の本作は、全く面白くありませんでした。ま、無事FOXはDISNEYへ買収されたので、今後MCUにX-MENキャラが登場する日を心待ちにしたいと思います。本作は、駄々をこねる超能力を持ったガキを大人がオロオロしながらなだめるという実に退屈なお話でした。
 ◆『SPIDER-MAN:FAR FROM HOME』 スパイダー・マン:ファー・フロム・ホーム
 『END GAME』後を描く、MUC-Phase3最終作。そもそもミステリオがイイ奴のわけないよな……という知識がない人は驚いたかもしれないけど、そうじゃないわたしのようなオタク野郎は、やっぱりね! と思いつつ、その時点までそれと悟らせない見事な脚本でした。そしてエンディング後のおまけ映像が超ヤバイ!! 続き早よ観して!! 楽しみにしてます!!
【なんと2019年7月から8月は1本も観に行かなかった。こんなこと7年ぶりぐらい!】
【2019年9月は1本】
 ◆『AD ASTRA』 アド・アストラ
 若干、物語的にツッコミどころはある。が、その映像と、主役のBrad Pitt氏の秀逸な演技は素晴らしかった。あまり本筋とは関係ないけど、月面の描写が非常に良かったすね。近未来、人類は月面でも領土争いをして、戦闘に明け暮れるんだろうな、という気がしてならないすね。ま、その時にはわたしはとっくにこの世にいないだろうから、どうぞ好きなだけ殺し合いしてください。と無責任に思ったす。
【2019年10月も1本】
 ◆『JOKER』 ジョーカー
 観終わった時は興奮していて、今年ナンバーワンじゃねえか!? と思っていたが……びっくりしたことに、世間的にはジョーカーに同情的? というか、共感している人々が多いのだという。そんな馬鹿な!! たしかに、ジョーカーの境遇はひどかったとは思うけど、人殺しが許されるはずもなく、ジョーカーは間違いなく悪、であり、共感してはならないキャラクターだとわたしは信じる。ジョーカーを肯定することは、全ての犯罪者を肯定することだと思うけどなあ。ジョーカーは一生、アーカムに監禁すべき「人間であることをやめた怪物」だと思うし、日本なら確実に死刑ですよ。そしてジョーカーと同じぐらい、騒ぎに乗じて暴れた民衆が恐ろしいですな。というわけで、演技や脚本など、映画としてのクオリティは超一流で素晴らしかったと思うけど、この映画をほめると、世のよく分からない感想と勘違いされるので推すのはやめます。
【2019年11月は4本】
 ◆『IT Chapter2』 イット 第2章
 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King大先生である! よってこの作品にわたしが興奮しなかったわけがない!! 原作とちょっと違うけど最高でした!! 役者陣も、「子供編」と面影のあるスターをよく集めたもんだと思う。でも、実際のところ、わたしとしては前作の『Chapter-1』の方が面白いと思います。
 ◆『TERMINATOR:DARK FATE』 ターミネーター/ニュー・フェイト
 物語的に、これまでのシリーズでどうしても枷となっていた「カイル・リース」と「スカイネット」を一切考慮しないという、ある種のブレイクスルーは立派だと思う。思うのだが……残念ながらシリーズでは絶対に必要な、ターミネーターに「狙われる存在」である女子のキャラがあまりに弱く、かつ「ターミネーターを派遣した存在」であるリージョンなるAIがまったく説明不足で、結果的にイマイチすぎる出来となってしまったと思う。ただし、本作の新キャラである強化人間の女子はとてもカッコ良かった! まるで名作『UNIVERSAL SOLDIER』でしたな。熱暴走後は全裸で氷風呂に入ってほしかったすね。
 ◆『BRIGHTBURN』 ブライトバーン/恐怖の拡散者
 何とも後味の悪い物語。ただしド真面目に作ってあって、映像的にも極めてキレがあってシャープで良い。見どころはかなり多いとは思う。そして、とんでもない邪悪なガキを演じたJackson A. Dunn君16歳の演技が超秀逸で、人間を虫けらのように見る冷たい目が非常に印象的であった。実際コワイ!!
 ◆『FROZEN II』 アナと雪の女王2<字幕版>
 6年前、誰も予想していなかったウルトラ大ヒットとなった通称『アナ雪』。ついに公開されたPart2は、正直物語的にイマイチだったような気がする。そもそも、なんでエルサは魔法が使えるんだ? をつきつめる必要はほぼなかったのでは。結局、祖父の代の清算を迫られたエルサが気の毒……。わたしとしてはむしろ、なんで妹のアナは魔法が使えないんだろう? の方が疑問だったので、そっちの方向の物語を期待したのだが……。でもまあ、相変わらず歌は素晴らしいし、映像もさすがのDISNEYクオリティで、実際楽しめたっす。つうか、ついに日本でも上演が始まる劇団四季版ミュージカルに行きたい! チケット取れないだろうなあ……。
【2019年12月は3本】
 ◆『DOCTOR SLEEP』 ドクター・スリープ ※2019年映画版
 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King大先生である! よってこの作品にわたしが興奮しなかったわけがない!! のだが……まあ、この作品は明らかに原作小説の方がずっと面白かったすね。つうか、本作は、King大先生による小説『Dr. Sleep』の映画化、というよりも、Kubrick監督版映画『THE SHINING』の続編映画だったな、と思います。ただし、それでもやっぱり映像で見る「True Knot」の怖さは格別で、とりわけそのリーダー、ローズ・ザ・ハットのエロ美魔女ぶりは最高でした。
 ◆『STARWARS:Episode-IX The Rise of Skywalker』 スター・ウォーズ:スカイウォーカーの夜明け
 ついに最終章を迎えた『STARWARS』。そのエンディングには万感の思いが乗るわけです。ここに至るまでの、『EP-3』への失望、トンデモクソ映画と堕した『EP-8』への怒り。これらを乗り越えての今回の『EP-9』には、やっぱりわたしとしては最大級の賛辞を送りたいと思う。よくぞここまで、という思いが強いすね。もう、これ以上の続編は全く不要ですよ。サイドストーリーとか、関係ないところでやってほしいすね。そしてやっぱり『MANDALORIAN』は観ないとダメなんだろうな……。観るしかないか……。
 ◆『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』
 非常に面白かったけど、完全シニア向けであり、若者お断り映画であったのは明らかだろう。しかしあの満男がもう50歳に近く、年月の流れの無常を感じますな……。今の10代20代の若者たちは、30年後に、「今」の何を懐かしく思うことになるんだろうか。50代近辺の我々には、STARWARSや寅さんがいるし、北の国からもある。そういった、輝ける80年代コンテンツがいっぱいあるわけだけど、ガツガツとコンテンツが消費され、短命に終わる現代は、後に残るものがないというか……なんか、今の「コンテンツ消費」の様相は、イナゴが襲来してあっという間に食い散らかす様子を連想してしまって、底知れぬ恐怖のようなものを感じるっす。ま、こんなことを思うのも老害ってやつでしょうな。

 とまあ、2019年に観た映画24本はこんな感じであります。そして、現状では2020年も、今から楽しみだぜ!って映画があまりないんだよな……。強いて言えば『WONDER WOMAN 1984』ぐらいかなあ……でも、トレバーが生きてたって設定は面白くなるんだろうか……。アリなのそれって? つうか、彼女はBvSまで隠棲してたんじゃなかったのかよ……。あーあ。せめて2020年は、もうチョイマシな一年になることを心から願いたいす。以上。

 あ、忘れてた! 2020年最大の期待作はコイツだった!! 相変わらず予告だけでもう超ドキドキ!! 今すぐ観たい!!

↓ そしてこちらも一応貼っときます。主役のGal Gadot嬢は最強に美しいす。

 ちょっと前の夕飯時、80歳を超えたばあさまたる母が、なにやらこんな話をした。
 「今年は除夜の鐘は鳴らさないんだって」
 なんのこっちゃ? と思い話を聞いていると、どうやら、要するに近所迷惑という声があって、お寺としても、じゃあやめます、てな経緯だったらしい。そのお寺は、家から直線距離で2kmぐらい離れているのだが、毎年の大みそかの夜、ゴーーン……と響くあの音が、今年は「近所迷惑」なる理由で取りやめたのだそうだ。
 なんつうか……もうこの国はダメだな、と思った。もう、それしか言葉が出ない。この感覚は、ひょっとすると、わたしがすっかり初老を迎えたおっさんになり果てたからなのかもしれない。ホントに近所だったら、わたしもうるせーなあ、とか感じたのかもしれない。分からんが……まあ、明らかに、この世は変わり続けていて、それが良かれ悪しかれ、待ったなしで我々に変化を求めてくるのだろう。わたしに言えるのは、この国はもうダメだな、という捨て台詞だけであり、実際のことろ、どうでもいいような気もする。わたしはきっとあと20年とかそんなもんでこの世とはおさらばすることになるだろうし、この国が終わろうが、どうなろうが、後のことはもうどうでもいい、つうか、知らん。
 というわけで、わたしは今日、そんなこの世にあと30年もいないかもしれない、ようなおじさんおばさん、というよりおじいちゃんおばあちゃん、ばかりが客席に座っているような映画を観てきた。
 その映画は、『男はつらいよ お帰り 寅さん』。もう20年以上前にこの世を去った「寅さん」の、遺された家族の「その後」を描いた物語であります。

 わたしは実はこの『男はつらいよ』シリーズを全作観ているような大ファンでは全然ない。おそらく劇場で観たのは3本ぐらい、テレビやWOWOWで観たのを入れても、たぶん10本ぐらいしか観ていない。それなのに、どういうわけかキャラクターやこれまでの経緯は知ってるんだから我ながら不思議だよ。
 今回のお話は、寅さんの甥っ子のだめんず野郎、満男の「今」がメインだ。なにかとダメな奴で、わたしは満男が嫌いだったが、どうやら今、満男は娘と二人暮らしでおり、妻を病で亡くして七回忌なのだとか。明るく朗らかな娘と違って、満男は相変わらずはっきりしない、ウダウダ野郎のようで、たしかシリーズ最後にはサラリーマン(靴メーカーかなんか)だったはずだが、今はサラリーマンを辞め、小説家としてデビューしている。そして出版社の担当編集の若い娘からは次回作と、サイン会開催を求められている。そして、やっといやいやながら引き受けたサイン会で、かつての恋人、あの、泉ちゃんと再会するのであった――的なお話で、折に触れて、「叔父さん」こと寅さんの姿が満男の目には映るのだった――的な構成になっている。
 満男は、今でも、叔父さんのアドバイスを求め、叔父さんに会いたいと思っているわけだが、それは満男だけではなく、母であり、叔父さんの異母妹のさくら、そしてその夫の博、さらにはあのリリーさんや泉ちゃん、泉ちゃんのお母さんたち、みんなが、「寅さん」への想いを忘れていない。誰しもが、ずっと忘れず覚えている寅さん。
 時折挿入される寅さんのエピソードは、今の現代人にはどう映るんだろうか。おそらくは、除夜の鐘が近所迷惑だなんて言う世の中なのだから、まあ、もう寅さんを観て面白いと思う人は絶滅しかかってるんじゃなかろうか。空気を読まないし、実際、とんでもなくめんどくさい、扱いにくい人でしょうよ。でも、みんなが忘れず、覚えていてくれる人って、凄いよな。まあ、寅さんを覚えている我々も、もう近い将来確実に絶滅するわけで、そんな国に生きててもしょうがないような気がしますね。終わりだよ、この国は。ホント、今日、この映画を見て、なんか非常に強くそう思ったね。
 というわけで、本作での各キャラの現在と、役者陣をまとめて終わりにします。
 ◆諏訪満男:さくらの息子=寅さんの甥っ子。シリーズでは子供時代から大学卒業、就職まで描かれていたが、50チョイ前ぐらいかな、今は新人小説家。あいかわらず、何とも頼りないような男。演じたのは勿論、パンフレットによると27作目(1981年!)から満男を演じている吉岡秀隆君。吉岡君自身はわたしとほぼ同じ歳の1970年生まれだそうだから、11歳からずっと演じてるんだね。吉岡君も来年50歳か。わたしは、吉岡君の声とか演技があまり好きではないんだけど、満男と黒板純だけは、もう吉岡くんじゃないとダメなのは明らかでしょう。本作でも当然、誰がどう見ても満男でした。ほぼ同世代だけに、満男の老け方も自分を見ているようで、なんか、いろいろ自分のことも考えちゃったす。奥さんとは死別したという設定で、その奥さんは写真のみの登場だけど、くそう、誰だったか分からなかったな。でもまあ、いつまでも「叔父さん」のことを忘れないで、娘さんと幸せに生きて行ってほしいと思ったすね。
 ◆諏訪さくら:寅さんの異母妹で満男の母。随所に挿入される回想シーンでの、若いさくらが飛び切り可愛くてびっくりしたっすね。あ、こんな可愛かったっけとか思いました。さくららしい年の取り方で、いいおばあちゃんでしたなあ。ホント、お兄ちゃんがいなくて寂しいね……。演じたのは勿論、倍賞千恵子様78歳。画面では全く分からなかったけど、あのお団子屋さん「くるまや」は、今はカフェになってるそうです。これからもお元気でいてくださいね。。。
 ◆諏訪博:さくらの夫で満男の父。元々は、くるまやの裏にあった印刷工場で働いていた。さくらと結婚する時の泣かせるエピソードも、今回ちゃんと回想で挿入されてます。その時のさくらが妙に可愛かったすね。いいお父さんですよ。演じた前田吟氏も現在75歳だって。
 ◆及川泉:泉ちゃんは何回出てきたんだろう、満男の高校時代の彼女であり、最終的に二人は結ばれたのかと勝手に思ってたけど、どうやら泉ちゃんはヨーロッパに旅立ち(そのエピソードがかつて描かれていたかか全然思い出せない)、現在は国連難民高等弁務官事務所でバリバリ働くキャリアウーマンとなっていた。そして既にオランダ?で結婚し、二児の母、となっている。そして久しぶりの日本での仕事のあと、ふと立ち寄った書店で満男のサイン会のポスターを発見し、再会する。演じたのは当然、後藤久美子さんであります。23年ぶりの芸能仕事だそうですが、そうか、F1レーサーのジャン・アレジ氏と結婚したのは1996年、23年前なんだな。驚きというか、時が流れたんだのう……。。。満男も泉ちゃんも、それぞれの時を過ごしていろんなことがあったわけですが、二人とも後悔はなく、今をきちんと納得している一方で、二人の「もしあの時……」的な想いは観ててグッとくるものがありましたなあ……。まあ、こういうのは女性より男の方が後を引くわけで、泉ちゃんはきっとこの後もバリバリ仕事するのでしょう。満男、お前も頑張れよちゃんと!
 ◆松岡リリー:シリーズでお馴染みのリリーさんは、現在神保町のジャズ喫茶のママをやってるらしい。今回、泉ちゃんとばったり再会した満男が連れてくる。リリーさんもいいっすねえ、やっぱり。ずっとリリーを演じてきた浅丘ルリ子さんは現在79歳だそうですが、ホントお綺麗ですな。
 ◆及川礼子:泉ちゃんのお母さんであり、かつては寅さんとイイ感じになったこともある夜の女。別れた亭主である泉ちゃんの父は、現在介護施設に入っていて、そこで泉ちゃんと久々再会するが、泉ゃんと喧嘩してしまう様子なんて、年老いた母と暮らすわたしにはとてもグッと来たっすね。満男の仲裁も非常に優しく、満男にしちゃあ上出来だったぞ。演じた夏木マリさんはカッコイイ系の女性を演じさせたら随一っすね。
 ◆高野節子:シリーズ初登場。満男の担当編集者。なんか満男といい雰囲気なのが若干解せない。あんなののどこがいいんだ!? 演じたのは池脇千鶴ちゃん。え、あっ!?もう38歳なんだ!? おおう、いつの間にそんな年齢になったんだ……。相変わらず大変可愛らしく、良いと思います。
 とまあ、こんな感じかしら。他にも、お馴染みの方々も多く出てくるし、なにより、回想で今は亡き大女優がいっぱい出てくるのが、完全に若者お断りな映画であったようにも思います。さっき調べてびっくりしたけど、大地喜和子さんなんて亡くなってもう17年もたってることに驚きだし、しかも、亡くなった時は48歳、マジかよ、今のおれより若いじゃん! ということに改めて信じられない思いすね。ああ、事故死だったんだな……他にも、八千草薫さんなんて、若い頃は超可愛かったとか、とにかく多くの女優たちが「寅さん」に出演していて、なんとも感慨深いですな。ま、そういう意味でも完全シニアムービーだったと言わざるを得ないでしょうな。わたしもシニア予備軍なので、ギリギリセーフぐらいす。満男と同級生ぐらいなんで。

 というわけで、結論。

 「寅さん」で日本全国でお馴染みの渥美清さんが1996年に亡くなってもう23年が過ぎた。渥美さんが亡くなったことで、そのシリーズ最終作となってしまった作品は、第48作目だったそうだが、その後1998年に特別編が公開されて、それを入れて今回の『お帰り 寅さん』が第50作目、としてカウントされるそうだ。というわけで、観てきた『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』だが、まあ、なんつうか、今の現代人が観て面白いと思うかはかなりアヤシイと思う。しかし、あと20年とか30年であの世に行きそうな我々準シニア以上が観ると、やっぱり今までの自分のことを振り返ってしまうのではないかと思う。寅さんが日本全国を旅していた70年~80年代~90年代。20世紀に青春を謳歌した我々にとっては、寅さんはもはやある意味「原風景」に近く、ああいうおっさんは普通にいたわけだが、令和の今、完全にもう、絶滅しつつあるわけで、なんつうかレクイエムのようにも感じたっすね。思うのは、誰しもが寅さんを忘れずにいる一方で、わたしはきっと死んだら数カ月で忘れ去られるだろうな、という確信めいた思いが募りますな。まあ、この先のことはもう、知らん、つうか、分からん。ので、どうでもいいかなって気がします。少なくとも、除夜の鐘の聞こえない大晦日が当たり前になった世には、未練はないっすね。あーあ。大みそかに思うことじゃあないすね、我ながら。以上。

↓ この作品は25作目だそうで、劇場で観たことをすごく明確に覚えてる。小学生だった。

 というわけで、毎週木曜日は『鮫島』ニュースのお時間です。
 ――と、132週間書き続けた日々は2018年の7月、作者の佐藤タカヒロ先生の急逝により、終了しました。いまやもう、あの日から1年5カ月が経過したんすね……。
 この間も、わたしはずっと『週刊少年チャンピオン』を買って読み続けております。
 『もういっぽん!』は相変わらず最高に楽しませてもらってますし、現在『バキ道』は相撲をメインテーマにしてるんすけど、ちょっと前(2019年44号)の巻末著者コメントで、板垣恵介先生はこんなことを書いてくれました。
 相撲を描きながら、今更ながら思う。佐藤タカヒロとバチバチやりたかった…。
 はあ、ほんと、いまだ悲しみが募るばかりっすね。。。

 で。
 本日発売の週刊少年チャンピオン2020年4+5合併号ですが、『鮫島』を愛する皆さんにはぜひ手に取っていただきたい作品が掲載されています。
 『チャンピオンズ~週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語』という作品で、今週の第10話が最終話なんですが、この作品は、これまでの歴代『チャンピオン』編集長がいかにして50年の歴史を作って来たかという物語です。若干、誰得なんだこの漫画? と思わなくもないですが、それぞれの編集長たちのキャラが立っていて、毎週楽しませていただきました。そして……今週の最終話は、2017年27号から現在も編集長を務めている第10代編集長、武川氏のお話であります。
 そして、ズバリ、内容は2018年7月のあの日のことが、そして、その後の、わたし的にはもう伝説ともいうべき気合の入った「追悼号」の制作秘話が描かれています。
 もうね……わたし、朝の電車の中で、ちょっぴり泣いちゃったす……。。。
 1枚だけ、画像をここに貼りつけることを許して下さい秋田書店様!
champion20194-5
 もう、今すぐチャンピオンを買って、読んでいただきたいす……。

 なんつうか、人間悲しいことがあっても、実際フツーーに生きていけるし、わたしだって、そりゃ毎日毎日、『鮫島』のことを考えてるわけではないけれど、やっぱり、毎週『チャンピオン』を読むと、どうしても思い出してしまうわけで、やっぱり忘れられないですなあ……。
 まあ、我々ができることは、ほんと、「ずっと忘れないでいること」しかないので、これからもわたしは佐藤タカヒロ先生に対して、追悼の念を抱いて生きてゆくだろうと思います。

 というわけで、結論。

 今週の『週刊少年チャンピオン』2020年4+5合併号は、『鮫島』を愛した我々は読まねばならない義務があるように思えます。そして漫画としてあの日のことを描いて、掲載してくれたチャンピオン編集部の心意気は、本当に素晴らしくあっぱれだと存じます。ぜひ、お近くの本屋さんかコンビニで買って読んでください。タイミングを逃した方は、電子書籍ならいつでも買えると思います。そして結論としては、もう当たり前ですがこれっすね。
 いやあ、『鮫島』はマジ最高っすね!!! 以上。

↓ 一応貼っときます。


 何度かこのBlogでも書いているが、わたしは恐らく『STARWARS』シリーズ全作を劇場で観ている最後の世代だと思う。一番最初の『STARWARS』、いわゆる『Ep-4:A New Hope』を観たのが小学2年か3年生ぐらいの時で、今は亡き父と、兄と、今は無き「テアトル東京」という当時最大級の巨大スクリーンで観た。恐らくその体験がなければ、まずもって今のわたしはないだろうと思う。全く違う人生を送っていたはずだ。これは断言してもいい。
 わたしは小学校低学年で観た『STARWARS』に夢中になり、その後映画オタクロードを歩んできたと言って過言ではない。その次の『Ep-5:The Empire Strikes Back』は小学5年か6年生の時に兄と、同じテアトル東京へ観に行き、続く『Ep-6:Return of the Jedi』はもう中学2年か3年だったかな、これまた今は無き日比谷の「有楽座」へ観に行ったのである。たぶん、テアトル東京や有楽座を知ってるのは、もはや50代以上の方だけだろう。
 何が言いたいかというと、わたしは『STARWARS』という作品を心から愛しているし、老害と言われようが、そこらの自称ファンのガキとは年季が違う、と思っている。そんなわたしだが、はっきり言って『Ep-3:Revenge of the Sith』は超駄作だと思っているし(→詳しくはこちら)、2年前の『Ep-8:The Last Jedi』は、もう完全に全否定、あれは全くナシ、つうかあれ、ホント、どっかのファンが作ったファンメイドの偽物じゃね? と未だに思っている(→2年前の記事はこちら)。もちろん、そんなクソ駄作でもBlu-rayは買ったし、5回ぐらいは観ているのだが、ま、ありゃ何度観てもクソはクソ、どうしようもない作品で、誰が何と言おうと『8』はナシ! だと主張するのを永遠にやめるつもりはない。なのでわたしとしては、『8』をとんでもないクソ映画にしたRian Johnson氏がかかわる一切の作品を今後絶対に観ないつもりでいる。ホントは年明け公開の『Knives Out』は観たいんだけど……でも観ない! 断じて許さないから!
 とはいえ、いくらわたしがインターネッツなる銀河の片隅で『8』はトンデモうんこ映画だと主張しても、実のところ、ほぼ意味がない。歴史は作られてしまったのだから。取り返しがつかないのは言うまでもなく、結果として、わたしは、つまんねーなあ、とぼやくしかないのだ。
 そしてさらに『8』がゴミクズだったため、残念ながら次の『9』に対する興味はほぼ失いつつあった。これは何となくだが、4年前の『Ep-7:The Force Awakens』公開の時と比べると、世間的にも全く盛り上がってるようには思えないのだが、それはもちろん『7』が10年ぶりの新作というブーストがあったとはいえ、やっぱり、『8』がゴミクズだったから、という面もあるのではなかろうか。
 というわけで。本日からとうとう公開になったシリーズ最終作『Ep-9:The Rise of Skywalker』だが……上記の通りわたしはもう、どうでもよくなりつつあった……けれど、やはりその結末は見届ける義務がある! のは必然であり、あらゆる職権を濫用し、今日は14時過ぎに会社の若者たちに「じゃ、おれ、SW観てくるわ!」とシュタッと手を振って会社を後にし、劇場に向かったのである。
 そして結論を言おう。
 「やっぱJ.J.は分かってらっしゃる!!! おもしれえじゃん!!」
 が結論である。もう、『8』のことは忘れて、全SWファンは今すぐ劇場へ向かい、『9』を楽しんできていただきたいと思います。まあ、いろいろ細かいツッコミどころは当然ありますよ。でも、それでもキッチリと、あの『8』を克服して見事な作品に仕上げてくれたJ.J. Abrams監督には心から敬意を表し、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。ラストなんてほんと、これだよ、こう来ないと! という見事なエンディングだったと思うすね! ネタバレだって? あのさあ、そんなこと言ってる暇があったら、こんな文章読んでないで今すぐ劇場へ行けばいいじゃん! 以下、ネタバレには配慮しません。

 で。上記が今回の最終予告なわけだが、なんつうか、ホント、この予告を観ても、全く心動かないというか、ワクワクしないすよね。それはずベて『8』のせいだとわたしは思っているが、まあ、とにかく、ズバリ言うとこの予告からは想像つかない、極めて見事な展開でした。
 わたしが何をもって「見事」だと思うか。それは、我々ファンが4年前に『Ep-7』を観て大興奮した時に残っていた謎が、あらかたすべてきっちり答えられているから、であります。逆に言うと『8』は全くそれらの解答がなく、むしろ混乱をきたすクソ設定などがてんこ盛りだったから、クソつまらなかったとわたしは感じている。
 そして4年前に10年ぶりの新作『Ep-7』を観た我々が、一番知りたい事、一番謎に思ったこと。それはズバリ、「主人公のレイという女の子はいったい何者なの!?」ということに尽きると思う。
 『SW』という物語は、常に「家族」のお話であり、「血のつながり」が最も物語上重要な要素であったはずだ。恐らく『1~3』が若干イマイチなのは、あの映画はあくまで『4~6』を補足する物語であって、ルーク・スカイウォーカーのルーツを描くお話としての意味が大きく、そのため物語の主人公たるアナキン、ルークの父であるアナキンの出生に関して、完全にぼやかされていることにあるからだと思う。アナキンのお母さんの身に起きた悲劇はキッチリ描かれたけれど、アナキンの父が誰だったか、覚えてますか? そう、アナキンの父はいないんだよね。処女受胎的な、我々日本人には理解しがたいテキトー描写なのである。だからわたしは、若干の違和感とイマイチ感を感じてしまったのだ。
 そして『7』で突然現れた主人公レイ。彼女のルーツは、絶対に描かれなくてはならない最も重要なファクターであることは、もう明白であろうと思う。レイ、君はいったい何者なんだ? と、『7』を観た誰しもが疑問に思い、いろんな妄想をして楽しんだはずだ。フォースは使えるし、ジェダイの才能を受け継いでいることは明らかで、そんな女の子が、何のルーツもない、突然変異のはずがない。わたしは当然『8』において、そのヒントが描かれるはず……と思っていたのだが、結果的にはほぼゼロ回答で終わってしまった。そんな馬鹿な、である。そしてそれは、絶対に許されないことだとわたしは今でも思っている。
 そしてそう思ったのは、恐らくわたしだけではない。『7』を作ったJ.J.監督も、こりゃあマズい、と感じたはずだ。おそらくJ.J.監督は、『8』において、我々観客を「な、なんだってーー!?」と驚愕させる事実を提示して終わらせ、『9』で最後の決戦へと向かわせるプランだったのではないかと想像する。しかしクソ映画『8』によってそれができなくなってしまったため、J.J.監督は思い切った策に出た、とわたしは感じた。冒頭の、『SW』ではお約束の、「銀河に流れてゆく文字」で解決を図ったのである。
 今回、まっさきに我々へ提示されるのはこんな文字だ。
 「The Dead Speaks!」
 死者が話す! そう、いきなり『6』で死亡したはずの銀河皇帝パルパティーンを復活させたのだ。この復活は、おそらくJ.J.監督は最初から考えていたことで、レイがパルパティーンの血をひくものという設定も最初から考えていたのだと思う。そしてそれを『8』のラストで驚愕の真実として明かしたかった……が、それが出来なくなってしまったので、もう、唐突でも冒頭で我々に示すしかなかったのではなかろうか。わたしはこれは完全にアリ、だと思う。
 想像するに、そもそも『7』で登場した最高指導者スノークに関しても、実はパルパティーンの配下という設定であったはずだ。なのに、『8』でごくあっさり退場させたのは極めて罪深い過ちであったとわたしは断罪したい。スノークとのバトルの末、ルークやレイアの犠牲の末に、レイは自らがパルパティーンの血を引く存在であることを知るべきだった。まさしく『5』における「I am your Father!」の再現だ。
 それが描かれていれば、恐らくはかなりエモーショナルなシーンとなって、我々観客も、レイと一緒になってショックを受けたはずだ。そしてこれからどうなる? という『9』への期待も高まったことだろう。あーいかん、どんどん『8』への怒りが高まるばかりだ。
 ともかく、今回の『9』において、レイがあの「ビリビリ」を炸裂させるシーンは超見事だったと思う。あれによって我々は、嘘だろ、レイ、君はまさか!? と一気に物語にのめりこととなる。正直わたし、今回の『9』を観ながら「相変わらずカイロ・レンはバカだなあ」とか、「マジでポーは無能だなあ」とか、「つうかやっぱりフィンはいらないキャラナンバーワンだな」とか、ヒドイことを思って物語に入り込めないでいたのだが、あの「ビリビリ」で一気に目が覚めたっすね。
 というわけで、もうとりとめがなくなってきたので、今回の『9』に関して、キャラクターごとに思ったことを箇条書きでまとめておこうと思う。
 ◆レイについて
 出生の秘密を知ってからのレイはとても良かったし、ルークのあのX-WINGを駆って銀河を征く姿は本当に感動的であったと思う。ラストも、ルークとレイアのセーバーを、タトゥィーンのあの場所に埋め、自らの「黄色のライトセーバー」をかざし、自らのこれからの名前を名乗る、というか、これからの生き方を誓うかのようなラストシーンには、ホントグッときました。あれがまさしく「RISE of Skywalker」であって、やっぱり「夜明け」という邦題はちょっと変だよな。とはいえ、あのシチュエーション、二重太陽の沈むタトゥィーンの夕暮れを背景にあの音楽が流れてきたら、ファンはもうすべてを許しますね。だけど、まあ、細かい点では若干アレだなあとも思うところはありました。例えば、『SW』を端的に示すものとして重要なライトセーバーの遣い方が絶望的にダメだ。ライトセーバーは、そもそも両手で使うものであって、片手では、相手の攻撃を受けることはできないし、そもそも太刀を「逆手」で持っちゃあダメだよ。まず第一に威力も激減するし、いわば両刃なので自分に当たったらアウトだし、やっぱり片手&逆手は、脇差~小太刀ぐらいじゃないと、有効に使えるわけないんだが……日本通のJ.J.監督ならそういう点もちゃんとしてほしかった。わたし、冒頭のレイのトレーニング風景でかなりテンション下がったすね。コレじゃあダメだ、と。あと、フォースの便利能力化も、なんか若干アレですなあ……『8』の悪影響なのか、傷の治療やテレパシー的交信は、ありゃアリなんすかねえ……でも、今回の『9』ではきっちりと「フォース」の重要性を描いてくれたのは良かったと思います。ともあれ、演じたDaisy Lidley嬢は、笑顔も怒った顔も、とても表情豊かでかわいいですな。どうか今後も、多くの作品で活躍してほしいすね。
 ◆カイロ・レンことべン・ソロについて
 『8』では完全に好きな女に振られてヤケになったバカガキだったけど、今回とうとう自らが殺したハン・ソロ船長と和解できて、ほんとに嬉しかったよ。お前、ただの反抗期のマザコン野郎だと思ってたけど、ちゃんとReturn of the Jedi出来て良かったな! もう少し活躍シーンが多かったらよかったのにね。演じたAdam Driver君も、まったくイケメンじゃないけど素晴らしい演じぶりだったと思います。ちゃんと成長を感じさせてくれましたな。あと、これは彼のせいでは全くないけれど、今回、かなり舞台が様々な場所に移るのに、その距離感が全然わからなくて、あっという間に次の場所に登場したりするのがなんか変だったように思う。光速航行したって、1光年は1年かかるはずなんだが……。なんかお前、今回あっちこっちへとほんと忙しかったな。お約束の「ワイプ」は今回もナシで、ちょっと残念だったよ。
 ◆ポー&フィンの無能コンビについて
 まあ、この二人は全くどうでもいいですな。一応ポーはどうしようもない愚か者だった『8』からはかなりまともな人物になったのでお咎めナシです。そしてフィンは……うーん、やっぱりどう考えても、最後まで伝説のいらないキャラナンバーワンであるジャージャー並みにいらないキャラだったですな。結局フィンは、レイが好きだったんだよね? そしてあっさり振られたわけだよな? それっていらない設定すぎるよな……どう考えても。ただ、『7』以来ずっと謎だった、どうしてフィンだけが、トルーパー生活を疑問に思い、脱走できたのか、についてはきちんと解答があって、良かったと思います。そしてその解答がちゃんとフォースに関連していたことも、高く評価できると思う。ま、二人とも新しく恋人になり得るキャラが登場して良かったね。はいはい。
 ◆ルーク&レイア&ハン・ソロのレジェンドチームについて
 まず、レイアに関しては、Carrie Fisherさんは大変残念ながら亡くなってしまったわけで、今回は未使用映像をつなぎ合わせたそうだけど、見事だと思う一方で若干不自然でもあったような気もする。でもまあ、いずれにせよ、J.J.監督の手腕は見事で、立派にやり遂げたと思う。全て『8』のせいだよ……ホント罪深いわ。
 そしてルークに関しては、『8』はナシにしても今回のルークは見事だったすね。わたしは『8』で、登場するや否やレイから受け取ったライトセーバーをポイッと捨てちゃうシーンに激しく違和感を感じていたし、ジェダイを否定するルーク像は未だ受け入れられないと思っているけど、見ましたか今回の『9』を! 今回、こんなものいらない! とレイが投げたライトサーベルを、「ガッシイイーーーン!」と受け止めた霊体ルークに、わたしはもう大歓喜&大興奮ですよ! そうだよ、こうこなくっちゃあ!!と全世界のSWファンが思ったのではなかろうか。Mark Hamill氏が、ふーやれやれ、という顔をして、大事な武器をそんなことしちゃダメだ、と言うシーンは、『8』を完全否定する象徴的なシーンだと思ったすね。さすがJ.J.!わかってらっしゃる! そして今回、ちゃんとルークもパルパティーン捜索をしていたということも明らかになって、すっきりしたすね。あと一歩、もう一歩踏み込んでいれば……ホントは『8』でその辺りも語られるはずだったのではなかろうか……
 最後にハン・ソロ船長については、もう完璧だったすね! これ以上ない感動的な脚本だったと絶賛したいと思います。親にあんな顔でやさしくされたら、どんなクソガキでも心が揺れるでしょうよ。演じたHarrison Ford氏は何気に演技派ですな。完璧。ただただその一言です。
 ◆R2&3POコンビよ永遠なれ!
 わたしはぽっと出のBB-8に関しては、物語的にもどうでもいいし可愛いとも何とも思わないのだが、R2は、シリーズ全作に登場するし、ある意味全作で大活躍してきただけに、もうチョイ今回も重要な役割を演じてほしかったと思っている。その点は少しだけ残念だ。一方の3POは、今回素晴らしかったですなあ! シス語は読める、けど禁則コードに引っかかるので言えない、という設定は秀逸だったし、R2への別れの言葉(すぐ再会するけど)も、非常にグッと来たっすね。まあ、3POは『1~3』の記憶を消されちゃってますが、全てを記録しているはず、のR2には歴史の証人として永遠を寿ぎたいですなあ。
 ◆待ってたよ! ランド・カルリジアン将軍の凱旋!
 『8』におけるもっとも無駄で無意味だったあの作戦で、カギとなるDJというよくわからんキャラがいたけれど、あれこそランド将軍が受け持つ役割だったとわたしは思う。というわけで今回満を持して登場してくれたランド将軍には、もうその登場だけでJ.J.監督には感謝したいすね。「I have a bad feeling about this」も言ってくれてありがとうございます将軍! でもまあ、役割的には若干薄めで、もっとガッツリ物語に関与してほしかったけど……ホントなら、マズ・カナタとの縁も描いてほしかった。だって、マズ・カナタはハンともチューウィーとも知り合いだったんだから、絶対ランドとも知り合いなはずで、ドラマがあっても良かったのだが……。まあ、全てクソ『8』のせいなので、もうしょうがないす。演じたBilly Dee Williams氏はもうちょっとシュッとしていてほしかったすね。太りすぎだよ……。
 ◆最高の相棒チューウィー、またも悲観に暮れる……。
 わたしが『7』においてベストアクトだったと思う見事な演技技をみせてくれたのがチューウィーだ。「ヴォー!」しか喋れないチュー・バッカなのに、ハンが殺されたときのあの「ヴォー!!!」は、悲しみと怒りが混ざった最高の「ヴォー!!」でした。そして今回も……若干活躍の場が少ないんだけど、レイアの死にしょんぼり悲しみに暮れる姿は実にエモーショナルで、グッと来たっすねえ! ランドと共に、もうチョイ見せ場があればよかったのにと、少し残念す。
 ◆最高のマヌケ、最高の最期を迎える!
 誰のことを言ってるか、分かりますよね!? レンを一方的に(?)ライバル視し、その小物感漂う言動には苦笑せざるを得なかった、ハックス将軍のことですよ! いやあ、彼の正体(?)暴露には、わたし、ええっ!? と思わず口に出ちゃったよ。劇場なのに。そして見事な散りざまは最高でした。演じたDomhnall Gleeson君も半ばやけっぱちな演技で見事だったすね。
 とまあ、こんな感じですが、今回もそれなりに新キャラは多くて、それぞれ大変悪くなかったす。『8』の欠点の一つに、まったく物語に関係ない新キャラを妙にクローズアップして、肝心のメインストーリーを阻害しているという点が挙げられるけれど、今回は全くそんなことはなく、その点でも脚本的に今回の方が圧倒的に見事でしたな。
 そんな見事な作品に仕上げた監督、J.J. Abrams氏にはマジ感謝しかないす。ホント、戻ってきてくれてありがとう、J.J.! やっぱりあんたは、分かってる男だよ!!

 というわけで、もう書いておきたいことが思い浮かばないので結論。

 ついに完結となった『STAWARS』サーガ、その最終章『Ep-9:The Rise of Skywalker』をさっそく観てきたのだが、前作『8』が0点だったのに対して、今回は90点以上は付けて良いと思う。もちろん、いろいろな微妙な点はあります。が、それらの大方は『8』のせいであり、それを見事リカバーする作品に仕上がっていたとわたしは結論付けたいと思う。特に、きっちりとレイが何者なのか、について解答を描いたことは、その内容はどうあれ、しかるべき物語だったと思うし、エンディングもその美しさは際立っていたと思う。これだよ、おれが観たかったのはこれなんだよ! と、J.J.監督は本当に良くわかってらっしゃるお方ですな。お見事でした! この『9』でホント良かったと思う。つうかですね、わたしはほぼこの世に未練がなく、さっさと退場したいと思っていますが、やっぱり『STARWARS』の完結は見届けたい、と思っていたわけで、それを実際見届けた今、わたしが生きる理由がまた1個、なくなったような気がします。もう満足。これ以上って、もういらないんじゃね? という気がする今のわたしであります。以上。

↓ こちらのシリーズも観ないとダメっすかねえ……あまりノれないというか……うーん……。

 とうとう発売になりました! 2015年から2年ごと、ちょうど『STARWARS』の新作の公開が近づくと発売になる『ミレニアム』シリーズの新刊『Millennium6:Hon som måste dö』であります!
ミレニアム6-01
ミレニアム 6 上: 死すべき女
ダヴィド ラーゲルクランツ
早川書房
2019-12-04

ミレニアム 6 下: 死すべき女
ダヴィド ラーゲルクランツ
早川書房
2019-12-04

 わたしは今回、発売日に、本屋さんが開店するのも我慢できず、AM5時ごろに電子書籍版で買いました。そして、ええい、ままよ! とこれまでのシリーズ全巻も電子版で買い直しました。なぜなら、よっしゃ、買ったるわい! と思ったタイミングで、わたしの愛用する電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERにて、50%コインバックフェアが実施中だったからであります。ありがとうB☆W!
 というわけで、発売日から約5日で読み終わってしまったのだが、感想をつづる時間がなくて、やっとこれを書き始めようと思います。
 まず結論としては、十分面白かったと言って差し支えなかろうと思います。ついに、とうとう、リスベットの宿敵である妹のカミラと完全決着ですよ! ただし、その決着は、結構ビターというか、今までのリスベットのキャラからは違った決着であったように思う。リスベット本人も動揺したりするわけで、当たり前だけど、リスベットも人間だったってことでしょうなあ……そしてその決着の前には、ミカエルが超ヤバイ拷問を受けたりして、アレはもう読んでるだけで痛そうだったすね。
 物語を簡単にまとめると、今回は2つの物語が同時並行で進む。一つは、リスベットVSカミラのお話。ただしこれは、ある意味では今回のメインではない、と言っていいだろう。今回の本筋は、もう一つの、ストックホルムの街中で死んだ、とある男のお話だ。この二つのお話は、実は根底ではつながっていて、ズバリ言うと諸悪の根源(?)は、リスベット&カミラ姉妹の父である悪党ザラチェンコであって、そこが共通点としてはあるのだが、実際のところ、今回のお話ではあまり明確なつながりはなく、それぞれ別のお話、と思ってもいいかもしれない。うおお、説明が難しい!
 今回、物語の舞台は8月、北欧スウェーデンとはいえ、夏真っ盛りだ。そんな季節なのに、ストックホルムの街中で、ダウンジャケットを着た、何やらアジア人のような男が静かに息を引き取る。調べてみると、彼のポケットには、我らが主人公ミカエルの電話番号が……という導入から始まる。
 そして一方そのころ、リスベットはモスクワで、カミラを監視していたが、すべての決着をつけるつもりで銃を手にカミラの前に! というところで、リスベットはどうしても引き金が引けず、撤退、という出来事が起きる。
 こうして、死んだ男の謎を追うミカエルと、カミラを「見逃してしまった」リスベットは、カミラの行動を監視しながらも、片手間(?)にミカエルの調査に協力し、最終的に二人の物語が交わっていく展開となるわけです。
 なお、タイトルの『Hon som måste dö』はいったいどんな意味なのかをGoogle翻訳してみたらこんな結果になりました。
ミレニアム6
 ははあ、なるほど、つまり今回の邦題「死すべき女」は、もうド直球の訳だったみたいすね。まあ、読み終わった今となっては、その「死すべき女」とはカミラのこと?だったのだろうとは思う。しかし、それだけではないような気もしますね。今までリスベットは常に「女の敵」を相手に戦ってきたわけで、そこが今までと決定的に違うと思うのだが、それが、冒頭でカミラを目の前にしながら引き金を引けなかったリスベットの気持ちに現れているのではなかろうか。
 リスベットは、ずっとカミラを「死すべき女」だと思っていたわけだけれど、今回、リスベットは女として、同じ女でしかも妹であるカミラに対して、ひょっとして自分は思い違いをしていたのでは? と気づく。カミラも助けを求めていた、カミラも、今までリスベットが守ってきた多くの女同様、守ってやるべき女だったのでは? と思うのだ。そもそも妹だし!
 こう思った時、リスベットは引き金が引けなかった。それが自分では納得不能?な感情で、リスベットはずっとイライラしている。そんな自分を直視したくないと思ってる。ちょっと逃避したい。そんな時、またミカエルが色々調べ物をしていて、困っている。じゃあ、そっちを調べてやるか、みたいに、なんつうか微妙に渡りに船で、今回のリスベットはホント、片手間にいろいろ手伝っただけ、な感じがとても面白い。
 そしてミカエルが追う、ストックホルムで死んだ男の話も面白かったすねえ。今回、結構スウェーデンの政治家も出てくるわけだけど、スウェーデン人が読んだら、これってアレのことだ、とか分かるようなモデルはあるんだろうか。スウェーデンの政治に全く無知なわたしには分からんかったす。しかし、それにしてもミカエルはいつもモテモテですな。わからん……描写的にはそれほどイケメンじゃなさそうだし、性格も結構問題ありそうなんだけどね。
 まあ、なんにしても、最終的にはリスベットは過去の呪縛から解放され、それが若干ビターな味わいもあったけれど、終わった今となっては晴れ晴れと、前を向いて生きはじめたみたいだから、結論としては大団円、だったと言えそうな気がしますね。本作をもって、「新三部作」は完結し、急逝されたオリジナル三部作の著者、Stieg Larsson先生からバトンを引き継いだLargercrantz先生も、役割を終えてホッとしているでしょう。今後については、あとがきに詳しく書いてありましたが、なんでも版権を持ってた出版社と、著作権を継承した遺族がまたもめて、別れてしまったそうで、別の出版社に移るみたいすね。ま、どうせ遺族が強欲なんでしょうな……。そんな遺族に印税が渡るのは不愉快ですが、わたしとしてはまだまだリスベットの活躍は読みたいし、リスベットにまた会いたいものですな。その意味では、想像を絶するプレッシャーの元、「新三部作」を書きあげ、我々にリスベットと再会させてくれたDavid Largercrantz先生には最大級の賛辞を送りたいと思います。いろいろ評価はあるけど、わたしはとても楽しめたし、面白かったです。

 というわけで、短いけど結論。

 シリーズ第6弾にして、新三部作最終章となる『Millennium6:Hon som måste dö』が発売となったので、今回初めて電子書籍で買ってみた。ついでにシリーズ全作も電子で買い直したわたしである。まず、今回の『6』に関していうと、リスベットがなんか人間味があって、今までとちょっと違うように感じる作品であった。そしてその違いは、より一層、物語を面白くしているようにも思うし、よりリスベットの魅力が増しているように思うす。完全なるデスゾーン、エベレストの描写も、ちょっと怖かったすね。ただ、このエベレストの件はリスベットの過去と、繋がってなくはないけどほんのりとしたつながりで、その点だけちょっとアレだったかな……でも、それでもそちらの死んだ男の話も実に面白かったす。あーあ、マジでこの先のリスベットに会いたいもんだなあ。きっとスーパーヒーロー的な正義の味方として活躍してんだろうなあ。正直ミカエルはどうでもいいんですが、リスベット・サランデルというキャラクターは、歴史に残るキャラクターだと思います。以上。

↓ このVerのミカエルは、もうホントにイケメンです。だって、007ことDaniel Craig氏だもの! そりゃモテるわ!


 

 宝塚歌劇を初体験したのが2010年1月。あれからもう少しで11年になろうとしている。その初観劇が星組公演で、当時のTOPスター柚希礼音さんのあまりのカッコ良さに一発KOをくらい、以来、わたしは星組をイチオシとして、ズカ道に邁進してきたわけだが、あれはたしか2014年の『The Lost Glory』という作品だったと思う。そこで、既に新人公演主役を2回かな、抜擢されてこなしていた礼真琴さん(以下:こっちん)のことを意識したのであった。もちろん、それ以前から、やけに歌が上手い可愛い子がいる、として、こっちんのことは知っていたけれど、この時、まあはっきり言ってチョイ役だったのだが……とにかく歌が上手く、ダンスは超キレており、そして可愛い。と、とにかく、舞台上で目立っていたのである。
 しかし、「可愛い」というのは、宝塚歌劇団に属する男役スターにとっては、誉め言葉にならないかもしれない。むしろ「可愛い」ことは、男役にとってはマイナスかもしれない。それでも男であるわたしの目から見ると、こっちんは女子として普通に、いや、普通以上に可愛いのである。
 以来、わたしはこっちんのファンクラブに入り、ずっと応援してきた。ちなみにわたしは、こっちんのお父さん(有名なサッカー選手)とほぼ同じ年代であり、まあ、残念ながら(?)、わたしがこっちんを見守り応援する様は、完全にお父さんめいております。なのでお茶会などに参加しても、わたしは完全に浮いております……が、いんんだよそんなこたあ! こっちんが舞台上で輝き、その痺れる歌声で劇場を支配するのがわたしの喜びであり、至福の時であるのだから。
 で。そんなこっちんがとうとう、2019年10月14日付で星組TOPスターへ登極した。このように、贔屓のスタ―がTOPになることが、ズカファンにとって最大の喜びであり、わたしも勿論、とてもとてもうれしく、TOPスターとして舞台に立つ姿を早く観たいぜ! と思っておりました。その念願が、とうとうかなったわけですよ!
 というわけで、正式な星組TOPスターとして臨む大劇場公演は来年だけど、現在池袋に新たにオープンした東京建物Brillia HALLなる劇場において現在絶賛公演中なのが、こっちんプレお披露目公演である『ロックオペラ モーツァルト』という作品だ。
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 いやあ……もう既に数多くのズカファンの淑女たちがWeb上において絶賛しているTweetやBlogを見かけましたが、なるほど、確かに! コイツは確かに超最高でした!! 本当に観ることができて良かったよ。
 何度か書いている通り、わたしはチケットをほぼすべて、宝塚友の会の抽選で得ているのだが、この『モーツァルト』はいわゆる別箱公演(=宝塚歌劇団が所有する専用劇場以外での公演)なので、期間も短く、要するにチケットがとても数少なくて、こりゃあ観に行けないだろうな……と思っていたのだが、わたしは幸運なことに友会で普通に当選し、観に行くことができました。しかも10列目、センターブロックの上手側通路ぎわということで、大変良い席でした。
 そして新築のBrillia HALLは、まだうっすら木の香りが残るきれいな劇場だったけれど……まあズバリ言うと小さいし狭いね。音響もそれほどいいとは思えない、まあ、フツーな劇場でした。新築された日本青年館ホールとあまり変わらないかな。
 で。『モーツァルト』であります。物語としては、映画『AMADEUS』だったり、ミュージカル『モーツアルト!』でもお馴染みのものなので、詳しく説明はしません。「天才」と言われたモーツアルトの栄光と挫折、そして死が描かれるものだ。
 しかし、わたしは今回の『ロックオペラ』に対して素晴らしかったと絶賛したいけれど、それはあくまでこっちんのパフォーマンスや、他の演者たちのパフォーマンスに対するものであり、残念ながら物語としては相当問題アリだったように思っている。要するに脚本的にかなりマズイのでは? と思ったのだ。なぜなら、どうもお話の軸が微妙にブレているというか、お話の山場が明確でないように思えたのだ。
 映画『AMADEUS』は、わたしの生涯ベストに入るぐらい大好きな作品だが、あの作品の一番のポイントは、天才モーツアルトと秀才(?)サリエリとの対比にあった。そこに深いドラマがあったのである。しかし、本作『ロックオペラ』は、どうも軸がブレていて、天才VS秀才の軸も弱いし、おまけにコンスタンツェとの恋愛も、お姉さんとの関係もあって、かなり弱い。正直本作だけでは、サリエリのこともよく分からないし、なんでコンスタンツェと愛し合うに至ったのかについても、どうも一本筋が通っていない。さらにミュージカル『モーツアルト!』で大きな軸であった、お父さんとの関係も、本作では全然弱い。なんというか、ごった煮のようになってしまっていて、お話としてはかなりイマイチだったと言わざるを得ない、というのがわたしの結論だ。『AMADEUS』などの作品を観ていない人では、お話についていけなかったのではなかろうか。さらに言うと、セットがやけに簡素なのと、音響がイマイチだったのも、やっぱり残念だったすね……。
 しかし!
 しかしですよ!!
 こっちんが!!! すげえ!!!! のです!!!!!
 歌もダンスも、もう圧巻ですよ。この演目は、現在の宝塚歌劇団においては、こっちん以外に出来ないものだと断言していいと思いますね。もちろん、歌のパワーとしては、最強歌唱力の雪組TOPコンビには一歩譲るかもしれない。けれど、「モーツアルト」という少年の面影を持つ天才像は、こっちんにしか演じえないものだし、あの圧倒的なダンスと歌唱は、こっちんの持ち味全開の、最高のパフォーマンスだったと思います。素晴らしすぎて、ゾクゾクしたっすね。一応、Blu-rayは購入する気満々だけど、これはライブじゃないとダメだろうな……ホント、チケットが買えてよかったす。
 というわけで、以下、キャストと役柄を短く紹介して終わりにします。
 ◆ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト:1756年生まれで1791年、35歳で死去したご存知天才音楽家。本作でもちょっとだけ言及された通り、彼の生きた時代はまさしくフランス革命と被ってます。実際、少年時代にマリア・テレジアの前で演奏したり、マリー・アントワネット王妃と面識があったそうですな。そして今回演じたこっちんのパフォーマンスは、もう最強最高でした。歌、ダンス、そしてビジュアルも強力に輝いてましたね。「笑わないサリエリさんを笑わせよう!」のアドリブコーナーでは、そろりそろり……でカチャ先輩を爆笑させることができて良かったね! アレはわたしも笑っちゃったよ。こっちんのこれからの進化がホントに楽しみですなあ!
 ◆コンスタンツェ:モーツアルトの奥さんとなる女性。作品によって描かれ方がかなり違う。今回演じたのは、こっちんとともにTOP就任した、舞空瞳さん(以下:ひっとん)。102期生首席ということで、もちろんその技量はさすがの腕前だけど、わたしは今のところ、まだひっとんの凄さを十分には分かってません。上手いのはよくわかったけど、わたし的にはまだこれからっす。
 ◆アントニオ・サリエリ:イタリア人。ウィーンの宮廷楽長。演じたのは専科の凪七瑠海さん(以下:カチャ)。カチャさんも89期首席ということで、その実力は最強レベル。わたしは月組時代からカチャさんをずっと見てるし、「エリザベート・ガラコン」でエリザベートを演じているのも見てますが、今回ほど歌が上手い! と思ったことはなかったぐらい、素晴らしいパフォーマンスでした。現在の星組には、キーとなるサリエリを演じられる人材がいないよなあ……とか思ってたので、カチャさんの出演はとても良かったと思うす。見事でした。
 ◆アロイジア:コンスタンツェのお姉さんでモーツアルトの元彼女。演じたのは99期の小桜ほのかさんで、とても歌がうまくて良かった! 新公ヒロイン1回か、路線からは外れちゃってるのかな、でも歌だけでなく演技も非常に上質で素晴らしかったよ!
 ◆ゾフィー;コンスタンツェの妹。基本的に物語にほぼ関与せず。演じたのは、先日突然専科への異動が発表された美貌の星蘭ひとみちゃん。今回、客席降りでわたしの超すぐそばまで来てくれました。ホント美人。かわいい。超小顔! 新公ヒロインも2回やって、抜擢されていくのかと思ったけど……世間的に歌がちょっと……と言われ続けているのが残念す。わたしは十分アリだと思うんだけどな。。。母校の後輩だけに応援していたのだが……。専科に行って、どのような活躍をするのかさっぱり分からないけど、これからも応援しようと思うす。
 ◆ジュースマイヤ:元サリエリの弟子でモーツアルトに出会ってその才能に惚れこむ若者。演じたのは極美慎くん。極美くんは星組の新世代スターとして今後も活躍することでしょう。とにかくそのルックスは実にカッコ良し。芝居もいいと思う。後は歌を一層精進していただきたいすね。
 ◆ヨーゼフII世:モーツアルトを庇護する時のオーストリア皇帝にして、マリー・アントワネットの兄。演じたのは、こっちんの同期である95期第2位入団の実力者、ひろ香祐くん(以下:ひーろー)。今回のような外箱公演だと、普段台詞も少ない役を担うことが多いようなみんな、とりわけひーろーくんの存在感は俄然高まりますな。きっとこっちんが最も頼りにする同期なのではなかろうか。今回はいろんな役でちょいちょい出てましたね。編み込んだ髪型もカッコ良かったよ。歌も上等だし、こっちんの支えとして、ホント貴重な存在だと思うす。
 ほかにも、いっぱいメモしておきたい方がいるんだけど、最後に一人だけ、役名はないよう端役なんだけど、やっぱり雪華りらちゃんの可愛さは舞台上で目立ちますなあ! 今回は、ちょっとだけ狂言回しチーム的役柄もあって、台詞もあって、意外な大人声が非常にいいと思うす。やっぱり抜群に可愛いすね!
 とまあ、こんなところかな。もう書きたいことはないかな……。
 では最後に、毎回恒例の今回の「イケ台詞」を発表して終わりたいと思います。
  ※イケ台詞=わたしが「かーっ!! カッコええ!!」と思ったイケてる台詞のこと。
 「敵が一人もいない奴は、味方も一人もいない!」
 今回は結構イケ台詞が多かったすね。その中でわたしが一番グッと来たのがこれでした。正確な言い回しは違ってたかもっすけど、なんつうか、すごく実感として胸に来たっすね。やっぱり、敵のいない奴は大したことないと思うす。こっちん、誰にでも好かれようとしなくていいんだぜ。優等生として、常に先頭を走ってきたこっちん。これからは、名実ともにTOPとして、こっちんの信じる道を全力で駆け抜けておくれ! アンチが出たって構うもんか! その後に、ちゃんとみんなついて来るから、心配しなくていいんだよ!
 
 というわけで、結論。

 わたしの愛してやまない宝塚歌劇団星組の礼真琴さんが、とうとうTOPスターへ登極した。そのプレお披露目公演『ロックオペラ モーツァルト』は、わたしとしては、まず第一に、お話的に微妙に軸がブレていてなんかアレだな、とは思った。が、しかし!! そのお話的なマズさを補って余りありまくるほどのパフォーマンスで、わたしとしてはもう、全世界に向けて、どうだ! 観たか! これが礼真琴だ!! と胸を張って大声で叫びたいぐらい素晴らしいものでありました。Web上のヅカ淑女たちが絶賛しているのも頷けますね。第1幕のエンディングの歌とダンス、あれはもう、本当にしびれたっすね。ホント、幕間で多くの方々が、「ヤバい」「すごい」と絶賛の嵐だったよ。わたしは俺を聞いて、完全にお父さん風に「観たか! これがおれの礼真琴だ!」と、心の中で誇らしくなったす。本当に今後も活躍が楽しみすね! まあ、とりあえずBlu-rayは買いますが、これは本当にライブで観られて良かったと存じます。最高でした。以上。

↓ いつ見ても最高です。記憶にある限り、劇場でわたしが泣いた初めての作品。高校生でした……。
アマデウス(字幕版)
F・マーリー・エイブラハム
2016-10-31

 というわけで、朝イチで上野の森美術館の『ゴッホ展』を観てから、帰ろうと国立西洋美術館の前を通りかかったところ、全く列ができておらず、あれっ!? 空いてるのかな? と思い、すでに買ってあるチケットをかばんからごそごそ出しつつ、入場ゲートに歩を進めたわたしであります。美術展を観るときは、開場30分前現地到着がオレルールとか言っておいて、実はこういうこともたまにします。いわゆるハシゴですな。そして観てきたのがこちらであります。
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 そうです。現在、上野の国立西洋美術館にて絶賛開催中の『ハプスブルグ展』であります。まあ、宝塚歌劇を愛する歴史好きのわたしとしては、これは観に行くしかない! と決意したのはずいぶん前なのだが、『ゴッホ展』のチケットを事前に買うときに一緒にこちらのチケットを買っておいたいたものの、今日行くつもりはなく、正月休みに行くつもりだったけど……まあ、それほど混んでないようだし……というわけで、国立西洋の入り口をまたいだわけです。
 国立西洋の企画展は、たいてい地下から入場するのだが、入場ゲートのガラスを利用したエントランスディスプレイはとてもきれいでした。
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 あわわ、この写真ではわからないか……まあいいや。
 で。今回の『ハプスブルグ展』は、もちろん絵画が中心ではあるけれど、絵画以外の工芸品なども数多く、わたしが一番観たかった「甲冑」も実にかっこよく展示してありました。西洋甲冑は日本の鎧のカッコ良さとはちょっと違う、工業製品的な美しさもありますな。もちろん鎧も大好きですけど。
 ちょっとへえ~!? と思ったのは、展示してある甲冑の多くは、右の胸に、なんかフックがついてるんすけど、これはどうやら、「槍」を構えるときに支えになるパーツのようですね。まあ常識なのかもしれないけどわたしは初めて知りました。こういった機能美? のようなものもすごく感じられる一品でありました。手のパーツや足のパーツもすごく細かく分割されていて、動きを損なわない組み立て方になっていて、うおお、こりゃすげえ! とわたしは大興奮ですよ。でも唯一良くわからんのは、眼が開いてないというか、かなり視界が悪そうだなあ? とは感じたっすね。でもそれも、何らかの機能に基づいたデザインなのではなかろうか。すごい、モビルスーツというか、なんかのロボット的で実にカッコ良かったす。あれ、一度でいいから着てみたいなあ。相当重いんだろうなあ……。
 しかも、この展覧会のミソは、ほとんどすべてが歴史的人物の絵だったり、愛用品だったりするわけで、歴史ファンとしてはもう大興奮なわけです。甲冑も、意外と背が低いんじゃね?とか、実際に着用した人物への妄想がいろいろ沸くっすね、ああいうのを見ると。これは日本の鎧も同じで、黒田長政は意外とチビだったんだなとか、前田慶次の鎧を米沢で観た時はそのデカさにビビり、うお、慶次はマジでデカかったんだ!? とそれだけで白米3杯イケるっすね。面白いものです。
 で。わたしが観たかったのは、甲冑以外にも当然あります。特に、宝塚歌劇ではおなじみの3人の肖像が、非常に観たかったのです。それぞれポストカードを買ってきたので、スキャンして載せときましょうか。
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 まずはこちら。かのMarie Antoinette王妃の肖像。こちらは、お母さんであるMaria Theresia神聖ローマ帝国皇后に、「お母さん、私は元気にやってるわ」という意味を込めて送ったものだそうです。ご存じの通りAntoinetteはもともとドイツ語を話すハプスブルグ家のお姫様だったところ、『エリザベート』のゾフィー様のセリフでお馴染み「ハプスブルグは結婚で絆を結ぶのです!」政策によってフランス王ルイ16世に14歳で嫁入りしたわけです。フランス語ができないのに。それが1770年のことで、まあとにかくお母さんとしては心配でしょうがなかったんでしょうな。で、この絵は1778年の作だそうで、その年は結婚8年目にしてやっと子供ができた年だそうで、お母さんを安心させるために、この絵を描かせて送ったんですってよ。なお、右上の方においてある胸像はルイ16世だそうです。薔薇を一輪手にしていて、まさしくヴェルサイユのばら、ですな。
 おまけにこの絵は、これがまたサイズが超デカい!! そのサイズ、なんと縦273cm×横193.5cmだそうで、ド迫力&強力なオーラにあふれてました。
Eliza2019
 そしてこちらはもう説明不要でしょう。ミュージカル『エリザベート』の主人公、Elisabeth皇后であります。こちらの作品は1858年制作だそうで、つまり21歳、結婚4年目、かな? ゾフィー様と絶賛大バトル中すね。ちなみに日本に換算すると1858年って明治維新の10年前なわけで、そうか、よく考えると天璋院篤姫様とほぼ同年代なんだな。自分用メモ:篤姫は1836年生まれ(=エリザベートの1歳年上)で1856年に13代将軍家定と結婚、1883年に47歳で亡くなったそうです。
FranzII
 最後はこちら、『エリザベート』でお馴染みのFranz Joseph I世皇帝陛下であります。この作品は1916年ごろの制作だそうで、つまり、ええと、第1次世界大戦のさなかであり、フランツが亡くなった年か、最晩年68歳ってことかな。愛するElisabeth皇后が亡くなったのが1898年だから、一人寂しく18年過ごしたってことか。激動の人生だったすね、このお方は……。見た目は完全におじいちゃんだけど、最期までその眼力衰えず、って感じすね。つうか、フランツの68歳も今考えると全然若いし、アントワネットもエリザベートも、マジですっごい若いよね。今じゃ考えられないよな、ほんとに。なんつうか、現代社会に生きる我々は、さまざまな技術の進歩によって長寿を得たわけですが、果たしてそれって、いいことなんじゃろうか……と考えちゃいますな。初老を迎えたわたしはホントにもう、髪は薄くなるわ、歯はガタガタになるわでもうガックリなことばかりで、生きる希望が失せかけてます。。。生きてて何かいいことあるのかなあ。。。。

 というわけで、これ以上話が脱線する前にもう結論。

 観に行こうとは思ってたけど、正月休みあたりにするかと考えていた『ハプスブルグ展』へ、『ゴッホ展』の帰り道で衝動的に行ってまいりました。朝イチじゃないので、少し混雑してましたが、それほど激混み、ではなく、解説がちゃんと読める程度の混雑具合であったす。そして展示されている甲冑や絵画は、おそらくは当時、すごい宮殿に納められていたはずの作品ばかりで、やっぱりその放つオーラはただごとじゃあないすね。非常に見ごたえがあって面白かったというのが結論であります。そして俄然「ハプスブルグ家」について勉強したくなってきたっす。でも、『ゴッホ展』ではAERA特別編集の「完全ガイドブック」が売っていて、非常に出来の良い本だったので買ったんだけど……こちらの『ハプスブルグ展』で売ってたぴあ謹製のガイド本は、まったく出来が悪そうで、知りたいことが載ってなかったので買わなかったす。アレはダメだ。きちんとハプスブルグ家の歴史の流れと、周辺世界の出来事を対比した年表をその起源から滅亡まで載せてくれないとダメだと思うな。ま、別の本を探してみようと存じます。以上。

↓ かなりイマイチな出来だと思うな……全くお勧めしません。

 というわけで、やっと行ってきました。
 わたしは絵画を中心とした美術鑑賞も大好きなわけだが、このところ、せっかくチケットを事前に買っておいても結局行けない、なんてことがたびたびあって、我ながら大変残念に思うことが多かった。けど、今回はちゃんと行ってまいりました。
 そうです。こちらの↓「ゴッホ展」であります。
Goch_2019L
 わたしの絵画の好みに関しては、もうこのBlogでも何度も書いている通り、ゴッホ・ターナー・マグリットの3人の画家がオレ的三大巨匠であります。それぞれ時代も国も全く別の画家たちだけど、好きなんすよねえ……よく考えたらフランス人がいねえじゃん。まあ、特にフランス人が嫌いということは全くないけど、結果的にそうなっているだけです、はい。
 で。現在、上野の森美術館で開催中の『ゴッホ展』。まあ、日本人に大人気のゴッホは、数年に一度はこうした「ゴッホ展」が開催されるわけで、そのたびにせっせと足を運ぶのは、何もわたしだけではあるまい。つうか、何万人もいらっしゃることでしょう。
20191201_ゴッホL
 わたしは美術展を観に行くときのお約束として、会場30分前現地到着、を自分ルールとしている。これも何度も書いてきたことだが、とにかく昨今の美術展はすごい混雑で、ビッグネームの作家の単独企画展となるとえらいことになる。それが嫌だから、朝イチに限る、と思っているわけだが、今回わたしは9時半開場のところ、8時55分ごろに現地に着いた。その時すでに待っている方々は20名弱。まあこれなら余裕であろうと寒空の下、待つこと30分で開場となって入場した。
 ま、だいたい1/2~1/3ぐらいの人は音声ガイドを借りるので、さらにわたしの前は人が減ってガラガラになる。大変良い鑑賞環境で観られたのは言うまでもなかろう。なお、チケットは、上記画像にある通り「当日券」だけど、行こう、つうか今週末行く!と心に決めた日の帰りに上野駅構内のチケットブースであらかじめ買っておきました。当日買うのはさらに並ぶのでダメですよ。開場時はながーーーい列になってました。
 今回の『ゴッホ展』は、展示総点数が83点、そのうち、ゴッホじゃない作品が31点というわけで、ゴッホ率は過半数を超えている。最初の方をかっ飛ばしてメインまで行っちゃう人をよく見かけるけど、今回は冒頭からゴッホ作品で、独学で練習というか勉強していた時代の作品から、影響を受けた作家とその影響が見える作品、そしてアルルを経て、さらなる研究へ、という構成になっていた。今回はジャポニズム系はナシ、です。
 そして今回のメイン作品は、おそらく上に貼ったチケット画像にある通り『糸杉』だろうと思う。だけどわたし、この作品はMYCのThe Metropolitan Museum of Artでじっくり観たので、おお、お久しぶりだね、ぐらいの感覚であったのだが、そのすぐ近くにあった、『薔薇』という作品の方が今回一番気に入りました。どうやらこの『薔薇』はWashingtonのNational Gallery of Art所蔵作品みたいすね。行ってみたいなあ……。
Rose_Gogh
 前もどっかで読んだけど、ゴッホは「色」の研究のために、お花の絵をかなり多く描いているわけですが、背景の淡いミントグリーン? がとてもいいすねえ……。色の研究に「白」のバラを描くってのは、非常に意味があるような気がしますな。もちろん言うまでもありませんが、現物はこんな画像の1億倍の美しさとオーラに包まれています。
 はっきり言って、昨今の絵画展は入場料が高いと思う。今回は当日券1800円だ。まあ、映画も同じ料金だけどさ、高いよね、やっぱり。でも、わたしとしては高いからやめよう、というハードルとして機能するなら、混雑解消の一つの解でもあるような気がするので、甘んじて受け入れることにやぶさかではないです。そして、やっぱり「本物」を目の前にしたときの、なんつうかな、心の高揚? のようなドキドキ感みたいなものは、ほかでは代えられないものだと思うので、高いけどアリ、だと思う。まあ、この入場料の価値があるものかどうかは、自分の胸に聞いてください。

 というわけで、さっさと結論。

 なんか数年ごとに決まって開催される『ゴッホ展』。その度にわたしも足を運ぶわけだが、正直、切り口がもうネタ切れなんじゃなかろうかという気もする。単に来日作品が違うだけ、だよね。ズバリ言うと。かぶってる作品もあるし。でも、それでも。わたしはやっぱり観に行くんだろうな。だって、好きなんだもの。もうしようがないす。こればっかりは。だけど、わたしのようなゴッホ好きが日本に数万人いるからと言って、開催側はきちんとオリジナリティーを見せてほしいと思う。なんか、はっきり言ってそういう努力は全く感じられない、フツーのゴッホ展だったな、というのがわたしの感想です。あと、どうでもいいんだけど、そろそろ暗い会場に暖色系LED証明ってやめてくれないかなあ……直射日光はそりゃアカンだろうけど、わたしとしては「自然光」のもとで、ゴッホ作品を観たいす。ま、無理な話なのかな……以上。

↓ 今回も買いました。AERAムックの解説本は大変出来がいいです。図録よりいいかもよ。

 このBlogを始めた2015年8月。一発目の記事に書いたのが、わたしが世界で最も好きな作家Stephen King大先生による『Dr.Sleep』だ。この小説がUS本国で発売になったのは2013年でかなり前なのだが、日本語版が文春から出たのが2015年の6月?で、その年の8月に突然Blogでも書いてみるか、と思ったわたしが一発目に選んだのが、まさしくこの作品である。
 あれから4年数カ月が過ぎた。
 この4年で、まあわたしの人生にもいろんなことが起きた。4年前は全く想像してなかったようなことさえ起きた。この4年で、わたしの毛髪もマジでこれはもうヤバいことを隠せねえ、というレベルまで衰退し、まったく、ままならねえ人生だなあ、と思うことしきりである。
 とまあ、そんなことはどうでもいいとして、今般、その『Dr.Sleep』が映画化され、日本でも公開となったので、さっそく観てきたわたしである。
 まず、結論から言うと、結構面白かったと言って差し支えない。たしかに、原作とはだいぶ違うのは間違いない。もうはっきり言って別物、と言った方がいいのかもしれない。けれど、映画的な面白さというか、映像としてはきちんとクオリティの高い作品であると思うし……いや、つうかですね、ズバリ言うと、本作は原作小説『The Shining』の続編というよりも、Stanley Kubrick監督による映画版『THE SHINING』の続編だったな、と思う。
 ここが最大の問題だ。
 ちょっと前の映画『READY PLAYER 1』の中のなぞなぞにあった通り、原作者たるKing大先生はKubrick監督版映画『THE SHINING』を全く気に入ってないわけで、さっき改めて原作小説『Dr.Sleep』をぱらぱら読んでいて発見したのだが、King大先生はそのあとがきで、本作(=原作小説Dr.Sleep)は、あくまで自分の小説The Shiningの続編である(=間違ってもKubrick監督版映画THE SHININGの続編じゃない)という意味のことを書いてるんだよね。自作小説こそが「正史」だとさえ書いているのだから、たぶん今でもKubrick監督版はナシ、と思ってらっしゃるのかもしれない。
 とはいえ、わたしは原作小説『The Shining』は大好きだし、一方でKubrick監督版『THE SHINING』もアリというか好きなので、ちょっと微妙な立場なのだが、もう一度はっきり断言すると、本作、映画版『DOCTOR SLEEP』は、明らかにKubrick監督版『THE SHINING』の続編、という作りだったと思う。
 で、映画版『DOCTOR SLEEP』と原作小説『Dr.Sleep』のどちらが面白いか? と聞かれたら、まあ、そりゃ原作小説『Dr.Sleep』の方がずっと面白い、と答えますな。これも間違いないす。

 というわけで、もう物語については説明しません。詳しくはわたしが本Blog一発目に書いた記事を読んでいただきたいのだが、ざっとまとめると、『The Shining』の惨劇を生き延びたダニー少年がアル中のおっさんとなり果てた後のお話で(ダニーからダン、と呼ばれ方も変わっている)、実のところ本筋は『The Shining』とはあまり関係がなく、人間の「命気(Steam)」を吸うことで数百年だか数千年?生き続けている吸血鬼的な「True Knot」という邪悪な連中と、そいつらが狙う強力な「かがやき能力(=The Shine)」を持つ女の子の物語だ。ちなみに原作小説では「True Knot」は「真結族」と訳されていて(※映画字幕では「真の絆」と訳されていた)、より文学的というか美しい翻訳だと思う。
 そして本作映画版の『DOCTOR SLEEP』は、予告の通り完全にKubrick監督版のあの『THE SHINING』の続編! という方向性でプロモーション展開されている。おそらくそれは、正しいやり方だろうとは思う。
 どうしてその方向性が正しいと思うか。それは、全世界に衝撃を与え? 映画史史上でも超有名となったあのシーンが効果的に使えるからだ。何を言ってるかおわかりですね? そう、狂気にとらわれたJack Nicholson氏がドアを斧で叩き割って空いた穴から「おこんばんは~」と顔をのぞかせるあのシーンのことです。あのドアを、再び画面に登場させるインパクトはかなり大きいと思う。実際、わたしも、おお! とか思ったし。そしてそのためには、原作とは違う展開にせざるを得ないのだ。
 というわけで、決定的に原作小説と映画版で異なるポイントを2つだけメモしておこう。
 ◆あの「オーバールック・ホテル」の扱い
 実は、原作小説『The Shining』のラストで、あのオーバールック・ホテルは爆発炎上してしまっている。結果、その続編小説『Dr.Sleep』では、ファイナルバトルの地ではあるけど、跡地としてしか出てこない。建物自体はとっくになくなっているので。
 そして一方Kubrick監督版『THE SHINING』ではホテルは残っているため、今回の映画『DOCTOR SLEEP』ではファイナルバトルの舞台としてホテル自体も堂々の再登場となっている。TOHO日本橋で本作を観た方は、足元のじゅうたんに注目ですよ! 同じ柄なので!!
 ◆女の子とダンの関係
 King大先生が、自作を「トランス一家の正史」であると書いている通り、実は、原作小説『Dr. Sleep』において「真結族」に狙われる強力な「かがやき」能力を持つアブラという女の子は、主人公ダンの本当の姪、ということになっている。それが判明するのは物語の後半だが、ダンとアブラのお母さんは腹違いの兄妹で、さらに言うとその母であり、ダンの父、ジャック・トランスと子(=アブラのお母さん)をもうけた女性も、原作では重要な役割を担っている。そのあたりの設定も、本作映画版『DOCTOR SLEEP』ではバッサリとカットされてしまっている。これはとても残念で、とりわけラストが全然違ったものになっているのもとても残念だ。原作小説だと、最後にジャックの幽霊(?)が助けてくれて、結構感動的なのになあ……。
 とまあ、こんな大きな違いがあって、本作映画版『DOCTOR SLEEP』は明らかにKubrick監督版『THE SHINING』の続編であると結論付けるべきだろうと思う。そして、わたしとしては小説の方が面白かったと思うが、それでもやっぱり、映画版『DOCTOR SLEEP』もそう悪い出来ではなかったように思っている。それはやっぱり、映像の持つ、直接的な力なんだろうと思うわけだが、役者陣も大変すばらしかった。最後に、各キャラと演じた役者をメモして終わりにしよう。
 ◆ダン:少年時代ダニーと呼ばれていたが、『The Shining』の事件ののち、「一生雪は見たくない」と母とともにフロリダへ移り住む。が、そこでもダンの持つ「かがやき」能力のために、ホテルにいた幽霊たちが見えて困っていた。そんな時、『The Shining』事件で大いにダン(ダニー)を助けてくれた「かがやき」能力の先輩であるディックおじいちゃん(映画ではあまり活躍しないけど小説では大活躍する)が、「頭の中に鍵付きの箱を思い浮かべ、その中に封じ込んでしまっておくんじゃ」と対処法を教えてくれ、その後は明るく成長していくが――残念ながらアル中のおっさんとなってしまう。このアル中からの克服がダンにとって大きな物語なんだけど、これも映画版ではほぼカット。残念。そんなダンを演じたのは、マスター・オビ=ワンでお馴染みEwan McGregor氏48歳。大変な熱演で、非常に良かったと思います。ま、ズバリ言うと、本作映画版のラストでダンは殉職しちゃいますが、原作小説では死にません。あともうひとつ、さっきWikiで知ったのですが、Kubrick監督版『THE SHINING』でダニー少年を演じたDanny Lloyd氏は現在46歳かな? なんと今は生物学の大学教授なんですって。そして本作の野球場のシーンにカメオ出演してたらしいです。
 ◆ローズ・ザ・ハット:真結族のリーダーで年齢不詳。人の「命気」を吸って生きながらえる邪悪な存在で、とりわけ「かがやき」能力を持つ人間の「命気」が美味らしい。しかも、苦痛に苦しむ時が一番うまいらしく、拷問して命気を搾り取るのが恐ろしい。そしてこのローズが、映像として超最高でしたねえ!! 演じたのはRebecca Ferguson嬢36歳で、小説を読んでいるときはかなりのおばちゃんだとイメージしていたけれど、なんか超エロ美女で最高だったす。そして野球少年を拷問するシーンも、小説以上のショックはやっぱり映像の力でしょうな。あのシーンはもうほんとに痛ましく、やめろ!! と言いたくなるんだけど、映像的には最高に素晴らしかったすね。ちなみに、原作では野球少年の命気にもひとつ重要なポイントがあるのだが、全く触れられず残念でした。けど、とにかく映像で見るローズはやけにエロくて最高だったす。
 ◆アブラ:超強力な「かがやき」能力を持つ少女。彼女の能力発揮は映像的に良く描けてたように思う。けど、やっぱりいろいろと原作とは違ってました。が、まあ、アリだと思う。演じたのはまだほとんどキャリアのないKyliegh Curran嬢13歳(?)。この子は意外と美人に育ちそうな顔立ちですな。
 ◆ビリー:アル中となって街に現れたダンに優しくいろいろ世話を観てやる先輩元アル中の男。原作だと超大活躍で、もっとおじいちゃんレベルの年齢だったけど、今回の映画版では、結構いろいろな作品で見かけるCliff Curtis氏50歳が熱演。あの殉職シーンは超ショックでしたが、映像的に非常に良かったというか効果的だったと思う。彼も原作小説では死にません。
 ◆スネークバイト・アンディ:元々、人に催眠をかける「かがやき」能力を持つ少女だったが、ローズに発見され、この能力はいろいろ役立つ、ということで命気を搾り取られることなく、逆に命気を吹き込まれて真結族の仲間に。物語上ではあまり大きな役割ではないけれど、非常に印象に残りますな。それはおそらく、演じたEmily Alyn Lindちゃんがかわいいからだと思います。おおっと!? な、なんてこった! この子、Keanu先輩のトンデモ作「REPLICAS」の主人公の娘じゃないか!? 全然気が付かなかった!!
 ◆ジャック・トランス:ダンの父にして『The Shining』で狂気にとらわれるお父さん(※ありゃあ、正確に言うとアル中で幽霊に憑依された、というべきなのかも……)。原作小説では感動的に登場(?)するのだが、本作映画版でも、幽霊としてうっすら登場。そして! わたしは見ながら全然気が付いてなかったけど、なんと今回演じたのは、あの『E.T.』のエリオット少年でお馴染みHenry Thomas氏ですよ! なんと現在48歳か。最近話題の『E.T.』のその後、の動画も貼っときます。


 というわけで、もう長いし書いておきたいこともないので結論。

 わたしの結論としては、映画『DOCTOR SLEEP』という作品は、まぎれもなく名匠Stanley Kubrick監督の映画版『THE SHINING』の続編である。そして一方では、原作小説『Dr. Sleep』という作品は、著者であるStephen King大先生自ら、自作の小説『The Shining』の続編であると言っておられるわけで、結果、小説の『Dr. Sleep』と、映画の『DOCTOR SLEEP』は別モノである、ということでいいのだと思う。が、別物であっても映画『DOCTOR SLEEP』は十分面白かったと思います。あの「オーバールック・ホテル」が再びスクリーンに登場したことも、確かに興奮したし、とりわけローズが素晴らしかった! 何なのこのエロ美女! と大興奮したっすね。ただ、Kingファン的には敵が意外に弱いのが若干アレではあるし、King作品でお馴染みの(?)、ズタボロにされて超絶望、からの大逆転! という展開は、本作にはないすね。まあ、結論としては、わたしとしては原作小説の方がずっと面白いと思います。なので、映画は映画で十分アリではあるのだけれど、ここはぜひ、『The Shining』と『Dr. Sleep』の原作小説を読むことを強くお勧めします。以上。
  
↓ ぜひ! 読むべし!

シャイニング(上) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2015-04-17

シャイニング(下) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2015-04-17

 日本では255億を稼ぎ、全世界では12.7億ドル(=109円計算で1,388億円!)も稼いだ『FROZEN』。物語はもちろんのこと、その主題歌「Let It Go」もこの大ヒットに大きく貢献し、今ではBroadwayミュージカルとしても上演している(※日本の劇団四季版は2020年9月開幕!)スーパー優良コンテンツである。お、四季のPVがあるから貼っておこう。

 ところで、わたしが『FROZEN』の予告、というより「Let It Go」のプロモビデオを初めてWebで観たのは、おそらく2013年の秋口で、かのBroadwayの歌姫でお馴染みIdina Menzel嬢の迫力ある&エモーショナルな歌唱に、こいつはすごい、これは期待できる! と日本公開を待ち望んでいたのだが、日本では2014年3月まで公開を待たねばならず、まあ、それでも楽しみだなあ、と思っていたのが2013年の12月ごろの話である。もちろん、Webで観た「Let It Go」からは、これは面白そう!という期待は高かったけれど、まさか日本で250億を超えるウルトラスーパー大ヒットになるとは、その時点では全く予想していなかった。
 しかし。わたしは今でもはっきり覚えているが、2013年の12月、日本ではDOLBY-ATMOS採用の劇場がオープンし始め、わたしは映画オタクとして、超傑作『GRAVITY』をATMOSを導入したばかりのTOHOシネマズ船橋ららぽーとに観に行ったのだが……そこで初めて、劇場の大スクリーン&ATMOSのド迫力音響という環境で、「Let It Go」を観た(聴いた)のであった。
 あの時、わたしは、まだ全然物語もわからないのに、「Let It Go」だけで感動しちゃったのである。こ、これはすごい! これは大変なことになるぞ!? という予感を感じ、わたしは当時いろいろな人にWebで「Let It Go」を観てみろ、とお勧めしまくっていた。そして少し時間が経ってから、日本語版キャストとして松たか子様Verの「Let It Go」が公開されるに至り、これはもう、絶対に間違いなく100億超えるね、と確信したのであった。歌手でもあり、ミュージカルもこなすバリバリ歌える松たか子様を起用するとは、さすがディズニー! わかってらっしゃる! そしてさらに、ミュージカルでバリバリ鍛えた神田沙也加ちゃんも起用するとは! と、公開までの期待は高まる一方であったのである。
 なので普段、映画は「字幕一択」なわたしでも、これは日本語版も字幕版も両方観なくてはなるまいと考え、ムビチケカードも2枚買って公開日に備えたのである。
 そしていよいよ公開となった初日。わたしはまずは字幕版を観たのだが、歌はもちろん素晴らしいとして、さらに物語にも深く驚いたのであった。そう、DISNEYが、あのDISNEYが、「王子様」と決別?したのだ。それまでのDISNEYプリンセスの「真実の愛」はたいてい「王子様」に向けられていたはずだが、本作ではその対象は「家族」だったのである。本作では、完全に王子様はどうでもいい存在で、男女の愛より家族の愛が優先されたのだ。
 これは、相当大きな方針の転換であり、時代の要請なのかもしれないが、わたしは当時、ああ、こうくるんだ、と、とても驚き、やっぱりDISNEYすげえ! と思ったのであった。実際、この『FROZEN』後のDISNEYアニメは、基本的に女の子を主人公としつつも、男女の愛はかなりどうでもよくなって、それよりも自立した女性像だったり、家族や仲間を優先するようになったとわたしは感じている。その歴史的(?)転換点となったのが『FROZEN』だと思っている。
 というわけで、以上は前振りである。
 今般、いよいよ全世界待望の『FROZEN II』が公開になったので、わたしもさっそく観てきた……のだが、うーん、どうしよう、結論から言うと、十分面白かったです。それは間違いない。間違いないのだが……なんつうか、フツー、というか、それほど、前作のように「すげえ!」と興奮するまでもないというか、ええ、そう、まさしく「フツーに面白かった」というレベルにとどまるような気がしますね。もちろんそれでもすごいことなんですが。なので実は今回はあまり書くことがなくて、無用な前振りを書きました。ちなみに観たのは、まずは「字幕版」であります。

 というわけで、今回のお話は、そもそもエルサはどうして魔法が使えるんだ? という謎?に迫るお話であった。しかし、わたしとしては別にエルサが魔法を使えることに対して、「どうして?」と思うことはほぼなく、「そういうもんだ」で納得できていたため、正直そのストーリーラインはどうなんだろう、面白くなるんだろうか? と考えていた。むしろわたしとしては逆で、姉が魔法を使えるのに、なんで妹のアナは使えないんだろう? という方が謎に思っていたし、わたしは、ひょっとしてアナとエルサは実の姉妹じゃあないのかしら!? とか、余計なことも考えていた。
 のだが、観終わった今となっては、二人はちゃんと実の姉妹であったことは分かったし、そしてエルザが魔法を使える理由も、うっすらと分かったような気がする。要するにエルサは、いわゆる「Chosen One」、選ばれし者、に近いのだろうと思う。そんな「選ばれし姉」が自らの使命のようなものを全うするため頑張り、一方「選ばれてない妹」は、姉のために超頑張る、というお話だったとまとめていいような気がする。
 しかしなあ……その使命、があんまりおもしろくないというか、エモーショナルじゃないというか……グッと来ないんすよね……。おじいちゃんがやらかした?ことの後始末というか、それならなんで今、急に呼ぶ歌声が聞こえてきたのかとか、いろいろ謎めいたツッコミどころはあるんだよなあ……観ながらわたしは、エルサのことがちょっと気の毒になってきたっすね。「選ばれし者」というよりむしろ、「呪われし者」のように思えてきちゃったす。
 でも、まあ、いろいろと突っ込むのは野暮なんすかね。わたしは意外とラストには感じるものがあって、なんとなくわたしの大好きな『もののけ姫』を思い出したっすね。想い合っている二人だけど、一緒には住めない。でも、会いたいときには、いつでも会いに行くよ、ヤックルに乗って! みたいな。ようやくエルサはいろいろな使命、呪いから解き放たれて、アナよりも断然エルサ派のわたしとしては、あのエンディングは美しかったと思います。これはやっぱり、日本語版でももう一度観たいすね。
 というわけで、もう書きたいことがなくなりました。
 そういやわたしが入場するとき、「字幕って何ですか!? え、文字を読むんですか!? 日本語じゃないんですか!? 子供が見られないじゃないですか!」というどうしようもないクレームをつけている家族には失笑せざるを得なかったけど、なんというか、世の中いろんな人がいますなあ。字幕版は結構すいてましたが、日本語版は満席だったので、あの家族がどうしたのか、知る由もないす。

 というわけで、もう書いておくことがないので結論。
 
 前作の大ヒットから6年。全世界待望の『FROZEN II』が公開になったので、さっそく観に行ってきたのだが、まあ、結論としては十分面白かった。歌もやっぱり素晴らしいすね。でも、超素晴らしいと絶賛するほどではなく、フツーに面白かったす、が素直な感想である。でもまあ、すでに日本国内でも公開3日間ですでに19億ものウルトラ大ヒットとなっており、また100億は余裕でクリアするんでしょうな。つうか、クリストフのPVみたいな80年代めいた歌唱シーンはいらなかったんじゃね? ま、クリストフのプロポーズ大作戦も無事に実ったし、めでたしめでたしでよろしいのではないでしょうか。わたしとしては、オラフが「これまでのいきさつ」を説明するシーンが一番笑えたっすね。アレは素晴らしかった。そしてエンディングでは今回のお話を同じようにまとめていて、全くオラフは何気に大活躍ですな。あれっ!? やっぱりわたし、かなり楽しんだみたいっす。まあ、前作が好きなら当然オススメ、であります。しかしまあ、劇団四季のミュージカル版は絶対チケット獲れないでしょうなあ……観に行きたいけどなあ……。以上。

↓ やっぱり松たか子様は素晴らしいすね! 日本語版も観よう!

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